映画『あっちこっち じゃあにー』「生があって、死がある」松本卓也監督インタビュー

映画『あっちこっち じゃあにー』「生があって、死がある」松本卓也監督インタビュー

出会いとオサラバの旅を描く映画『あっちこっち じゃあにー』松本卓也監督インタビュー

—–本作『あっちこっち じゃあにー』の制作経緯を教えていただけますか?

松本監督:前作『ラフラフダイ』については、昔から温めていた企画で制作を始めましたが、今回は今、僕が感じているものを描きたいと思ったんです。何度か僕も作品で描いて来ていたんですが、ずっと興味があった事が「生きること」と「死ぬこと」。メメント・モリ(※1)ではありませんが、そのテーマに近いものを描きたいと考えました。ここ数年、芸能界でも自殺問題が浮上しており、報道もあったと思うんです。人々が、ニュースだけを見て想像できない事はどうなんだろうと、常に思い悩んでいました。その時の思いを一つ、消化できたらと思って、執筆が始まりました。接点自体はありませんが、芸人としても人としても、好きだったダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの自殺報道にも驚きを隠せなかったんです。もしかしたら、人々が見ている姿は側面でしかなく、別の側面は当然ありますし、それは見られないですよね。また、もう一点、子どもが楽しめる映画を久々に撮りたいと思っていたんです。それが、小学校低学年ぐらいの子が楽しんでくれる作品があればと思っていたんです。せめて小学生ぐらいから楽しめて、大人も一緒に楽しめる作品を目指したんです。小学校の年齢ぐらいから、誰もが感じる人の命や死を意識する年齢だと思うんです。大人も子どもも生死について考える映画があっても、面白いと思って制作しました。

—–今作のタイトル「あっちこっち じゃあにー」含め、前作の『ラフラフダイ』や『ダイナマイト・ソウル・バンビ』など、少し変わったタイトルが多い印象を受けました。これを思い付く監督の感性が、すごく気になりました。私自身が思い付かないからこそ、羨ましくも感じます。 だからこそ気になりましたが、どのようにタイトルを思い付くのでしょうか?

松本監督:タイトルや役の名前は、本当に初期の段階に考え出すと、脚本を進めなきゃいけないのに、時間がかかってしまうんです。インディペンデントですから、早く仕上げないといけないので、タイトルや役名は初期段階では仮として付けているんです。仮タイトルのまま、制作を進める場合もあれば、クランクインや完成寸前で変わる場合もあるんです。『ラフラフダイ』については、最初のプロット自体が、「ラフラフラダイ」だったんです。脚本も仮で進めていましたが、そのまま「ラフラフラダイ」として決まったんです。今回の「あっちこっち じゃあにー」については、脚本段階での仮タイトルが「大人と子どもであっちこっち」だったんです。 この題名でも良かったんですが、撮影が終わった後、編集が進む中、他のアイディアをずっと考えていたんです。旅をイメージしてもらえるタイトルがいいと思いつつ、「あっちこっち」は絶対に、必要だったんです。ふと、「ジャーニー」の旅、その上、さようならの旅だと思って、「じゃあね」にも掛けた方が良いなと思ったんです。ダブルミーニングにしようと考えて、 今回の『あっちこっち じゃあにー』に決まりました。 「大人と子どもであっちこっち」もいいけど、こっちの「あっちこっち じゃあにー」はどうかなと、仲間に意見を聞きました。最終的に、「あっちこっち じゃあにー」で進めようと決めたんです。

—–本作に登場する芸人のキャラクターは今回、初めて出した感じですか?

松本監督:実は、お笑い芸人を題材にした映画は、今回で3本目です。過去に2本を制作しているんです。2012年に制作した映画『ペーパーロード』と前作の『ラフラフダイ』には芸人が登場するんです。ただ、2本とも、僕は芸人役をして来なかったんです。その点に関しては、お笑いに対しての一線を引いて、自身が逃げてきたところです。 役者さんに演じて頂く一方で、僕自身が腰を付いて、向き合って来なかった側面があります。僕自身、映画自体には、出る時と出ない時がありますが、ここ最近は2本に1本ぐらいは出ていました。改めて、出演する以上、芸人役を腰据えてやってみようと思った時、スイッチが入ったんです。過去の芸人役は、大ウケしている芸人ではなく、全部燻っている役柄です。それが僕自身の等身大でもあり、今の僕が演じる上での役柄が燻っているんです。

—–一歩踏み出した感じですね。今回、監督自身のパーソルな部分に関して、半自伝的な側面があるようにも感じましたが、どうでしょうか?

松本監督:そうですね、芸人としても映画監督としても、ブレイクできていない気持ちを普通に抱えていました。今まで、演じて来なかった芸人役を逃げずに演じてみようと挑戦というスイッチが入った事も事実です。

—–監督自身の半自伝を感じつつ、売れない芸人の設定やネパール人、韓国人、子どもという登場人物の組み合わせが、非常に不揃いな人間たちに映りました。彼らは、今の日本社会には釣り合わない人々。要は、一般社会に解き込めない人々として映りました。この組み合わせは作品において、何を表現しているのでしょうか?

松本監督:本当に分かりやすく、フラットな話で言えば、国内外の映画祭を経験して感じた事は、作品がウケてなんぼの世界です。大風呂敷を広げてしまえば、全世界に対してウケてなんぼと思っている中、海外の映画祭を経験した時、日本人だけで映画を作っているのは狭く感じたんです。国際社会だからこそ、国際色豊かなキャストが必要だと、考えたんです。ただ、本当にリアルに言えば、街を歩いていても、韓国の方やネパールの方はたくさんいます。海外の方をキャスティングしている映画は、非常に国際色豊かだと思うんです。またおっしゃった通り、誰も見る気もしない情けない芸人の男が6歳の少女に縋り付き、外国人に頼り切り。とにかく、主人公の末松という男の情けなさが、際立つと思ったんです。遠い所にいる人達の方が、助けてくれる存在としては、面白くなるんじゃないかなと思ったので、韓国人やネパール人をキャスティングしました。

—–ロードムービーと言えば、ロケ地が魅力的に映ると思いますが、本作のロケーションもまた、数箇所魅力的な場所がありました。群馬県の滝の場面、ネパール人が運転手を辞める場面、素敵なロケ地だと思いました。 作品は風光明媚なロケ地を巡って行くかと思ったら、商業施設や遊園地での場面もあり。いい意味で、場面の落差があると感じました。では、この落差を表現する事によって、作品にどう影響しているとお考えでしょうか?

松本監督:目指したのは、珍道中です。ロードムービーが好きですが、僕が魅力的に惹かれるのは、ストレートな旅より明らかに遠回りな旅なんです。高揚感があるような執着地点を目指すロードムービーより、捻りの効いた物語が好きなんです。登場人物には、遠回りして欲しいんです。タイトルにもあるようにあっちこっち行っているように感じてもらうためにも、できればロケ地もあっちこっち行きたかったんです。運転手も見つからず、バタバタと遠回りをし、珍道中を繰り広げながら、何とか終着点に向かう姿が、魅力的なロードムービーに惹かれます。そこを目指して、商業施設や遊園地をロケ地として登場させました。

—–ザ・クロマニヨンズの楽曲を使用した経緯や、彼らの音楽が作品にどう作用していますか?

松本監督:リアルには嘘はありませんが、映画の世界は嘘ではあります。物語を作る時、嘘じゃない事を挿入した方がいいと思っているんです。撮影は大変ですが、本物の韓国人やネパール人に出演して頂く事が大切です。ザ・クロマニヨンズは嘘がなく、僕自身、大好きなんです。音源をずっと聴いて来たファンとして、末松という人間が好きという設定は、僕自身が好きという本当の世界です。作品への作用として考えるのであれば、芸人たちは、ザ・クロマニヨンズやブルーハーツと言った甲本ヒロトさんや真島昌利さんの楽曲が大好きです。出囃子でもよく、頻繁に使用されていて、お笑い芸人としての等身大の部分でもリアルです。本作では、主題歌みたいに一曲だけ使うのは嫌だったので、楽曲使用を交渉してみるのであれば、この曲じゃなきゃダメという4曲を入れてみたいと考えたんです。ただ本作が、ザ・クロマニヨンズ映画なのかと問われれば、そうではありません。ちゃんと自分が描きたいと思って制作した映画ですが、音楽をファッションとしては使ってない自信もあります。音楽が、絶対に作中で無くてはならない存在です。映画の中の登場人に対して、背中を押す起爆剤はあると信じています。日々、生きづらさや孤独を感じている方々に対して、背中を押す楽曲であり、この映画の背中を押す4曲です。

—–「孤独の化身」という楽曲を使用していますが、この曲が作品とマッチしていると感じました。「孤独の化身」が表現しているのは、私たちの孤独です。登場人物の孤独でもあります。それが、作品と音楽と、そして私の中で結び合わされました。人々の孤独を描いていると、作品から受け取りました。

松本監督:僕自身も、その楽曲を使用して、人々の孤独を表現しようと考えたんです。過去に、お笑い芸人として、コンビ解散した事実は僕の人生におけるキーでもあるんです。コンビ解散して、孤独になってしまいましたが、それがネガティブではなく、どこか刹那な部分として、悲しい部分もありますが、死生観にも繋がって来ると思うんです。

—–冒頭でお話された、メメント・モリにも繋がって来ますね。生きているからこそ、私達は死に行く運命にあるんですね。

松本監督:これが本当に、小学生でも気付ける共通の話題。みんなで話せる話題だと思います。

—–小学生には少し難しいと感じますが…。

松本監督:でも、おばあちゃんの死や飼っていたカブトムシの死を目の当たりにして感じる所はあったと思うんです。実は、大人と考えが共通していて、一緒に考えられるテーマだと思います。

—–本作が描く人々の旅を通して表現されているのは、今を生きる私たちの人間同士の関係性かなと私は感じました。登場人物は、孤独を抱えた人物かなと思わされました。人々の孤独を描く事によって、作品は私たちに何を伝えていると思いますか?

松本監督:本当にシンプルな言葉で言えば、メメント・モリと言いますか、人間は必ず生きて死ぬんです。これは子どもでも、大人でも共通する話題です。虫にとっても、動物にとっても、共通する話題です。よく言いますが、死ぬ時はどんな人でも孤独かもしれません。孤独な人を描いているのは確かですが、僕自身はスーパーヒーローに惹かれない部分もあるんです。僕が描く時に描くものとしては、等身大の人物や少し変わった人物たちに惹かれるんです。そんな人々やスーパーヒーローにも必ず訪れる死。生があって、死がある事を感じ取って頂けたらと思うんです。

—–死生観ですね。

松本監督:答えは毎回、変わると思いますが、ただ今の僕の現状では、死生観へのパワーや、生きることへのパワーを表現したかったんです。配合具合と言いますか、死ぬと生きる事の配合で言えば、若干、生の方が強めに意識したつもりです。その死生観を感じ取って頂けたらと思います。死ぬために生きる事が、大切なんです。

—–最後に、本作『あっちこっち じゃあにー』の今後の展望をお聞かせ頂けますか?

松本監督:作品は、エンタメとしても着地をさせていますので、日本や世界中の人たちに、一人でも多くの方々に観てもらいたいと願っているんです。作品を公開する度に思っていますが、この作品は特に届いて欲しいと思っています。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

映画『あっちこっち じゃあにー』は現在、11月4日(土)より東京の新宿K’s cinemaにて上映中。また、全国順次公開予定。

(※1)メメント・モリ -哲学的問いから掘り下げる考え・気持ち・生き方-https://tokyoco.jp/memento-mori/(2023年11月3日)