「私の物語は私だけのモノ」第七藝術劇場にてドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』の舞台挨拶レポート

「私の物語は私だけのモノ」第七藝術劇場にてドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』の舞台挨拶レポート

2022年6月29日
©Tiroir du Kinéma

6月25日(土)、大阪府の十三にある第七藝術劇場にて、ドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』の舞台挨拶が、行われました。

この日は、監督の松井至さんが、ご登壇されました。

ドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』のあらすじ

ドキュメンタリー作家の松井至が監督として作品を製作。

ミドル・ティーンエイジャーという思春期にいる「コーダ」たちの3年間を追った作品。

学校では「障がい者の子ども」として差別を受け、聴覚障害者たちのコミュニティからは「耳が聴こえる人」という理由で突き放される彼ら、彼女らたち。

そんな彼らが唯一、等身大の自身を解き放てるのが、年に一度のCODAたちが集まるサマーキャンプ。

キャンプを終えた彼ら子どもたちは、自身の方向性を決定づける大事な期間に入る。

「ろうになりたい」という願望に掻き立てられ、聴力に違和感を感じるナイラ。

ろうの母から自立して大学進学に葛藤するジェシカ。

ろうの世界と健常の世界の間で居場所をなくしたコーダたち。

揺蕩しながらも前進していく姿を炙り出す。

©Tiroir du Kinéma

この日、登壇された松井至監督は、「Put yourself in other people’s shoes(他者の靴を履くこと)」という言葉に対する質問を受けて

「その言葉は主人公のナイラが、何度も発していた言葉でした。実は、ナイラとは何度もロングインタビューを重ね、3時間ほど話してくれた最後のインタビューの時に、その言葉を何度も話しておりました。彼女自身が、コーダとして昔から葛藤してきたことが結局、自分の人生にとって何だったのかと、自問する日々だったと言います。その時、彼女はキャンプに参加した後、色々なコーダの仲間と触れたことで、キャンプの前と後で、彼女の精神的な成長を見せておりました。これなら生きていくに当たって、コーダの経験が自分にとって、どうなのかという事をすごく考えていたようです。そんな時に、彼女が「他者の靴を履く」という英語の諺を繰り返し何度も、口にしておりました。それをなぜ、僕自身がその言葉をチラシに掲載したかと言いますと、自分自身は日本で産まれて、英語も手話もほとんど喋れません。そんな人間が、アメリカの中西部のデフ・コミュニティに入って行き、さらにその奥にあるコーダ・コミュニティに入っていくのは、物凄く珍しい人間でした。向こうからすれば、何をしに来たのか分からないように感じておられたことでしょう。しかも、手話もできないという感じでした。「面白い奴がいる」と、友達になってもらいました。特に、ナイラのお父さんが話してくれましたが、当初の彼女は14歳で、まだまだ警戒心もありました。コーダの子どもは、聴こえる人たちから両親を護らないといけないと、精神的に働いておりました。聴者の方々が来ると、この目の前に人間は敵なのか、味方なのかを、まず考えるんです。ナイラ自身も、そうだったんだと思います。僕自身が、彼女に心を開いてもらうのに、すごく難しい事でした。何度か、ナイラとの間で決裂もありました。僕自身、聴者であり、マジョリティでした。無自覚にマイノリティの世界に入ってしまうものなんです。僕は最初に、取材した冒頭の場面は、その時のロケではナイラの姿を3日間でしたが、物凄くいい撮影になりました。彼女自身も、14、5年の人生を噴き出してくれるようなインタビューでした。それまで、周りのコーダの仲間にも言えなかったようなことを、僕みたいな人間に話してくれました。アウトサイダーみたいな人物が、突然目の前に現れると、心の制御がなくなってしまうんです。そうすると、ナイラの人生という物語の通り道に立ってしまった感じになるんです。どこかで、その方の人生の物語に立ってしまうことは、誰しもが起きてしまうことだと思うんです。それがドキュメンタリーだと、同時に起こってしまうんです。映像だけを作って、東京に帰って編集をしました。本作の前身となる作品を国内だけでなく、インドやカナダの海外の映画祭にも出品しました。世界の方々は、コーダの存在をまだ知りません。知られざるコミュニティの知られざる物語として、非常に評価を頂きました。それをどうしても、ナイラが観てみたいと言いましたので、彼女に素材を送ったことがあります。彼女は最初は、「beautiful」と言ってくれてました。でも、彼女はその作品に疑問を感じるようになりました。コーダを可哀想な存在として、捉えているのではないかと問われました。悲壮な音楽が付いていたりと、演出面が同情を買うような作りでした。聴者の立場から、知られざるコーダたちを描いている視点に対して、彼女はすごく指摘してきました。結局、彼女から言われたのが、「私の物語は私の物語だから、あなたはコーダじゃない。コーダのことは、分からないという事を認識してください。」と言われました。この事がきっかけで、彼女と一時、決裂してしまったんです。僕自身、映像製作に打ち込めなくなりました。一人一人が考えていても、彼女の言う「私の物語は、私の物語」という考えは、正しいんです。14、5歳の少女が発言した言葉としては、とても考えさせられました。ドキュメンタリーを作るというのは、マイノリティの元に行き、彼らの言葉を代弁することになったんだと思います。その時に、僕は認識する必要がありました。向こうからしてみたら、聴者の人間が訪ねてきて、言葉にならないような苦労をしてきたのに、知識のない人間が描ける世界ではないと思うんです。苦労を奪わないで欲しいと。それは、本当にその通りだと思います。だから、僕はその時、初めてコーダに映った「自分」を見てしまいました。鏡で見た時に、自分自身がとても醜く感じてしまいました。ナイラの父親が、「君は大丈夫だよ。続けよう。気にするな。俺は映画を完成させたい」と、メッセンジャーと送ってきてくれました。デブの方々が、バリアを越えて、こちらに来てくれているのに、自分は「辞める」とは言い出せなかったんです。一年ほどの時間が開きましたが、彼らと再会することができました。もう一度、会いに行く時に、自分自身の考え方が変わったことをどう伝えようか、悩んでおりました。「これまでの方向ではなく、コーダと自分がろう者の間に入り、ドキュメンタリーとしてどう伝えるのか」その事を皆さんに聞かれましたが、何も答えられなかったんです。思い浮かばなかったんです。思いつく事全てが、嘘臭く感じてしまいました。伝えるのを諦めてしまい、警戒している彼女には「一年間考え続けましたが、コーダの事が分かりませんでした。あなたが、このドキュメンタリーのディレクターになって欲しいと、お願いしました。」そしたら、彼女の顔が明るくなって、すごく嬉しそうで、人に何も言って欲しくない反面、自身のことは自身で表現したかったんですね。その時、初めてはっきりと、理解できました。僕自身、撮影するにあたって、彼らのコミュニティでの居場所を与えてもらいました。」

と、撮影当時の葛藤や、主人公であるナイラたちの長年感じていた苦悩を話されました。

他にも、製作の経緯や、監督自身が初めてろう者や手話に触れた話をされました。

©Tiroir du Kinéma

ドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』は、大阪府の第七藝術劇場にて、6月25日(土)から上映が始まった。7月15日(金)より京都府の京都シネマ、8月12日(金)より兵庫県の豊岡劇場にて上映予定。兵庫県の元町映画館でも、上映が控えている。また、全国の劇場にて、順次公開予定。