映画『TAR ター』すべての悪事は、跳ね返る

映画『TAR ター』すべての悪事は、跳ね返る

2023年6月5日

芸術と狂気がせめぎ合い、怪物が生まれる映画『TAR ター』

©2022 FOCUS FEATURES LLC.

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なぜ、ターは指揮者兼音楽家なのか?

この作品の主題はまさにキャンセルカルチャーであるにも関わず、それを匂わせないほど指揮者という存在がよりクローズアップされている。

著名人(もしくは有識者)であれば、どんな職種でも良かったはず。

それでも、本作『TAR ター』における指揮者が示すものこそが、この作品の真理を付いている。

なぜ、ターが指揮者なのか、この理由を深めて行くことによって、本作の主人公である彼女の置かれている立場を理解できるのでは?

この物語における指揮者が肝心要な部分で、作中のマエストロとして人物設定にする必要性がどこにあったのか?

だからこそ、指揮者という存在が、この作品に与える影響力に関して、一体何であるかを考える重要性が帯びてくる。

これに対して、明瞭な答えは導き出せていないが、例えば、役者でも良かったのでは?ジャーナリストでも良かったのでは?著名な政治番組のホストでも良かったのでは?と、考えれば考える程、可能性の糸口は多岐に渡る。

また、主人公を女性ではなく男性でも良かったところを、敢えて女性指揮者にした設定は何だろうか?

女性のマエストロという要素もまた、本作の肝ではないだろうか。

今、世界で注目されいる女性問題に絡めているのは、明白だ。

でも、私達は指揮者という世界を知っているかと問われれば、ほとんどの人が知らないはずだ。

私自身もまた、指揮者がどういう職業で、どういう役割や立場の人間かは分からない。

ざっくり言えば、オーケストラの公演時に指揮台に立ち、全演奏者を引っ張って行く存在という見方しかないと思。

それ以外、彼ら彼女らは指揮者としてクラシック業界にどう働きかけているのか?

裏方での仕事ぶりが些か気になるところ。

作中でも描いてはいるが、この作品の主軸は指揮者たちの私生活や仕事ではなく、主人公ターの過去から現在に至るまでの立居振る舞いに関して言及した物語だ。

なぜ、ターが指揮者という職業世界を選んだのかという理由は、今の所、まだ分かっていない部分もある。

公開後よく言われているのが「彼女は、音楽が好きだから」という意見を耳にするが、それは当然の出来事として捉え、そうではない視点を惹起する事が本作を語る上では必要だ。

例えば、監督のトッド・フィールドも、主演のリディア・ターを演じたケイト・ブランシェットも、はたまた物語の主人公であるター本人でさえ気づいていないより根源的な人物の背景や過去、心情をどれだけ図り知れるかで、作品に対する見方は違ってくるのではないだろうか?

その点にコネクトして初めて、ターが指揮者という職業を選んだ理由が、見えてくるのではないだろうか?

誰もが気づいていない映画の中の事象に目を向けることによって、私達は本作における指揮者という重要性にいち早く気づけるのではないだろうか?

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また、ター本人にはアーティストとしてのストイックなまでの人への接し方がブラックな所作の点、ここが最も重要な事は周知の事実だろう。

その彼女の姿勢が、あらゆる方面から思わぬ形で不満や義憤として噴出する。

今まで他者に対して行って来た数々のハラスメントが、こうして白日の元に晒され、カリスマ性を勝ち誇り、指揮台で指揮棒を振るって来た彼女は、キャリアにおける窮地に立たされる。

それが近年、注目を浴びつつある「キャンセルカルチャー」だ(※1)。

キャンセルカルチャーとは、過去にして来た悪行の数々が原因で、世間からの信頼を落とした当事者たちの大舞台への仕事が次々となし崩しにノーと叩きつけられる現象の事を指す。

リディア・ターもまた、自身のネガティブな言動が原因による、キャンセルカルチャーの渦の中に巻き込まれる。

巻き込まれると言っても、自身の蒔いた種でもあるので、すべてにおいて自己責任なのだ。

この事象は映画の中だけの話ではなく、彼女とまったく同じ環境下に立たされたのは、現実社会にも沢山いる。

一例を挙げるとするなら、コロナ禍によって一年繰り越された東京オリンピック・パラリンピック2021年の準備期間中に起きた小山田圭吾の開会式音楽スタッフ就任に端を発する過去の雑誌インタビュー記事騒動(※2)だ。

90年代前半に出版された音楽系雑誌の中で掲載された自身のいじめに関して自慢気に語るインタビューの内容が、この時取り沙汰された。

過去にも何度も醜聞であると声を上げた人たちがいたにも関わらず、本人の「反省している」という反省しているのかどうか分からない発言を真に受けて、有耶無耶に揉み消されて来た過去がある。

この時もあやふやに煙に巻いて逃げ切ろうとしたのだろうが、世間は彼を許さなかった。

第三者からの厳しい言葉に根負けして、小山田はオリンピックという大舞台への切符を手放した。

自身の過去の行いが、20年30年、因果報応として巡り巡ってくる。

過去の悪行は、そう簡単にリセットできるものではなく、未来永劫、残り続ける事を肝に銘じておきたい。

ある種、キャンセルカルチャーは種族が少し違えど、日本でいう懲戒解雇にも似ている側面もある。

こちらも以前勤めていた会社にて不正を働けば、次の就職時、苦難を強いられる社会的制裁を意味する。

この社会的制裁がキャンセルカルチャーでも懲戒解雇でも行われ、どちらも未来のキャリアや実績を人為的に積めなくさせている。

ただ、両者共に言えることは、自身のすべての悪事が跳ね返ってる事に他ならないので、同情も憐れみも皆無だ。

そこにあるのは、彼ら本人に向けられる社会からの冷ややかな眼差しだけ。

本作『TAR ター』で表題となるリディア・ターを演じたケイト・ブランシェットは、あるインタビューにて「偉大なアーティストを個人的な欠点を理由にキャンセルするのは正しいことなのでしょうか?」という問いに対して、彼女は

Cate Blanchett:“We are destined to repeat that stuff.”(※3)

ケイト・ブランシェット「私たちは、キャンセルカルチャーを繰り返す運命にあります。」とケイト・ブランシェットは話す。

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残念ながら、この「キャンセル文化」が産まれてしまった以上、今後益々、同じような事案は増えて行くだろう。

近い将来、同じ事が繰り返されないために、私達は今、何に取り組み、どう対処していくのか一考する時が必ず来る。

それが今かもしれないし、次の時代かもしれない。

それでも、本作が孕んでいる問題は、キャンセル文化だけでは無いことを、ケイト・ブランシェットが演じる女性指揮者ターの存在から窺い知る事ができる。

キャリア・ウーマンという権力の上に立つ女性は、常に痛罵や嫉妬、差別に晒されることも事実である。

この作品を通して見えて来るのは、近年問題視されている女性問題も含まれている事を覚えておきたい。

ケイト・ブランシェットの女優としてのイメージを払拭させたと言っても過言ではない映画『ブルージャスミン(2013)』の興隆から10年、外的要因から自身のキャリアの坂道を転落していく女性を再演した彼女には、他者を寄せ付けないほどの興隆を、今作でも感じさせてくれている。

ただ、今年のアカデミー賞において、本作『ター』が無冠であったのには、深い意味があったのでは?と、勘繰らざるを得ない。

この映画は、監督トッド・フィールドが、アカデミー会員に向けて送った挑戦状でもある。

ターという女性の姿は、アカデミー会員関係者一人一人の姿でもあると言わんばかりだ。

彼女の過去から今までの立ち居振る舞いや言動が、自身のキャリアに傷を付けるように、あなた方アカデミー関係者はどうですか?

過去に行った知られたくない醜聞を持っていれば、ターのような未来が待ち受けると警告している。

この作品に対して、一つでも賞が送られたならば、それはアカデミー会員の負けでもある。

作品に対して肯定的に「Yes」と投票すれば、キャンセル文化に対する肯定感を意味し、「No」と投票することで、自身への守りを意味する。

今回、この作品が無冠となったのは必然であり、全アカデミー会員はトッド・フィールド監督の果たし状には答えられず、全敗したことになる。

ターがキャリアを失った姿を通して、映画関係者は戦々恐々とした上、まだキャンセルカルチャーへの心構えが成されていない事を、結果として表出している。

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本作『TAR ター』が描く世界観は、現実社会では既に起きていると認識しておきたい。

先に一例として挙げたキャンセルカルチャーの事案だけでなく、現在、どこの国でも世界的に同じ現象は起きている。

そして近い将来、キャンセル文化の標的は著名人だけでなく、私達一般人にも牙を剥いて来ることだろう。

SNSにおける炎上問題が、著名人に限った事だったが、近頃一般人にまで危害が及んでいる。

この事案と同様に、キャンセルカルチャーは一般人にまで危険が及ぶと危惧したい。

また、この度のキャンセル問題は今後、子どもたちの世界にも浸透するだろう。

自身が過去に犯したいじめを武勇伝のように口にする事が、如何に悪質であるか想像も容易い。

子ども同士がいじめに遭遇する確率も年々、増えている。

今、誰か同級生やクラスメートをいじめているそこの君、将来、君が何らかの社会的制裁や報復を受ける可能性も考えられる。

過去に、いじめられた少年が成人になった後、同窓会の幹事になり、自身をいじめた相手に報復しようとした佐賀県同窓会大量殺人未遂事件が平成初期に起きている。

また海外では、タイでも同じような事件が起きており、この時は53年前のいじめ(※4)を根に持つ69歳の男性が、過去のいじめられた相手に拳銃の銃口を向けて殺害している。

いじめは、社会的に見ても負の産物にしか過ぎない。

ここ先日、興味深い報道(※)が流れた。

いじめられている少年のスマホでは、「ころすぞ」と同級生からの恫喝が飛び交い、成れの果てには少年の母親の顔画像がネット内に拡散されるという悪質性の強いいじめ問題が浮上した。

発端は、仲間内で髪を刈るか、刈らないかという話から少年が断ったから事からいじめが始まったという。

いじめに限らず、本作でも取り上げられているハラスメント事案も含め、他者に何らかの危害を加えるという事は、その先の未来のどこかのタイミングにおいて、必ずしっぺ返しが来ることを今の子どもたちに教える必要がある。

同時に子を持つ親は、ネット社会で起きている陰湿ないじめについても向き合いながら、親子共々、ネットリテラシー(※5)についてしっかり話し合う時間を設ける必要がある。

最後に、先人の言葉に「お天道様が見ている」という教訓があるように、どこかの誰かが相手の行いを見ており、過去の悪事を断罪するその日が、必ず来ることを示唆している。

「お天道様」とは、今で言う第三者(他者、他人)からの鋭い眼差しやお咎めだ。

また「爾に出ずるものは爾に反る」という言葉があるように、自身の行いは必ず、跳ね返ってくる事を念頭に入れておきたい。

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映画『TAR ター』は、全国の劇場にて絶賛公開中。

(※1)キャンセルカルチャーとは? 日本と海外の事例からみる問題点https://eleminist.com/article/729(2023年6月4日)

(※2)「障害のある生徒にいじめをしていたとされ」東京オリンピックの楽曲担当を辞任…小山田圭吾の“炎上”騒動はどうして起きたのかhttps://bunshun.jp/articles/-/62944(2023年6月4日)

(※3)Cate Blanchett on how Tár tackles cancel culture and #MeToohttps://www.radiotimes.com/movies/cate-blanchett-tar-interview/(2023年6月4日)

(※4)53年前のいじめ加害者を同窓会で殺害した69歳の男「気持ちはわかる」「誰も救われない」の声https://npn.co.jp/article/detail/05532770/(2023年6月4日)

(※5)長男のSNSに「ころすぞ」、母親の写真も拡散…「個人のスマホ」理由に学校対応せずhttps://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20230601-OYT1T50002/(2023年6月4日)

(※6)ネットリテラシーとは!意味を分かりやすく解説!https://www.profuture.co.jp/mk/column/45008(2023年6月4日)