「幸福」が落ちてくる「幸福な装置-田中晴菜監督特集上映-」田中晴菜監督・岡慶悟さん・星能豊さんインタビュー
—–初めに岡さんは、田中監督作品の常連俳優さんとお聞きしていますが、岡さんから見て、田中監督作品がご自身の俳優人生や演技面にどう作用していると思いますか?たとえば、作品や監督との歩みをどう感じていらっしゃいますか?
岡さん:私自身の生い立ちまでとは言いませんが、簡単にお話させて下さい。宮崎県都城市は僕の出身地にて特集上映が開催されますが、恥ずかしながら、凱旋上映が許され、およそ30年ぶりに帰郷し、自身の主演映画を故郷で上映するのは初めての体験で、一生に一度の出来事なので、本当にありがたい機会を作ってもらったと思っています。僕自身、都城市出身ですが、父の仕事の影響で宮崎県を離れて、引っ越ししながら各地を転々としていました。幼少期の体験から田中監督の初作品になる短編映画『いきうつし』という作品の脚本を読ませてもらった時、他人事ではないと感じたのが、田中監督作品のオーディションを受けてみようと衝動に駆られたきっかけになっています。親の都合で都城市を離れ、日本各地を転々としていた事をざっくりお話しますと、生まれは宮崎県都城市ですが、ここは宮崎県と鹿児島県の真ん中ぐらいにありまして、ほとんど鹿児島寄りですが、町的には交通の要所としての認識があり、人が移動する時にトランジットするような町で、僕が生まれた頃は都城の盆地まつり(※1)や六月灯(※2)と言った文化が非常に盛んで、町には千日通りというアーケード街があるんですが、200メートルの間に映画館が隣り合わせで、5、6軒並んでいたんです。七夕の時期に通ると、アーケードには七夕のボンボリがたくさんぶら下がっていて、子ども達はそれをかき分けながら、映画館に行っていました。最近は都会でアパレルや飲食、デザインをやっている人達が帰って来て、都城市を盛り上げようと言って、明かりがどんどん灯って来ている感じを、最近感じて来ました。そんな町で生まれ育ったんですが、父親の影響で道東の端っこになる網走郡美幌町に移り住みました。美幌町では、小学校の後半と中学時代を過ごしました。宮崎を出る前に将来ここ宮崎に帰って来る事があった場合には、岡家の家を建てようと言って、家族で植えた木があるんです。苗木を植えて、北海道にみんなで旅立って行ったんです。北海道に行っても、その後いろんな場所を転々とし、富士山の麓で暮らした事もありましたが、どこに行っても、いつもその木の事が気になっていて、その木を思い出しながら、いつも故郷の事を思っていたんです。今でもそんな思い出があって、映画『いきうつし』の主人公の亀八もまた、仏師という仕事も場所も追われて転々として、でもいつも帰れる場所、安住の地を探している主人公の事が自分自身と近いような気がしたんです。だからこそ、映画『いきうつし』の亀八は、僕以外の誰にもやらせたくないと思って、オーディションを受けさせてもらった事が、田中監督との最初の活動です。それから、朗読劇なども含めると、結構な回数をご一緒させて頂く事となりました。田中監督の現場以外で言えば、たとえば、朗読劇にしても、田中監督のおじいさまが昔勤めてらっしゃった酒蔵で、僕が一人、音楽と合わせて朗読をしたんですが、体験型エンターテイメントと言いますか、映画を上映するにしても、劇場やその場のシチュエーションを非常に大切にされていて。今回の宮崎凱旋上映まで30年かかりましたが、30年俳優業を続けた俳優の出演作品を観て頂いく体験込みで何か感じてもらえたらと思います。若い子達やこれから都会に出て勉強しようとしている人達が、何か感じてもらう事があるのではないかと僕は思っています。
—–岡さんの都城市の現状のお話をお聞きして、私の今の地元枚方市と少し繋がりを感じました。私の故郷は、大阪府の枚方市です。私としては、何か市民として、映画を通して、自身の好きな地元を地元愛で盛り上げる事ができないかと動いています。岡さんのお話をお聞きして、地元への想いは捨ててはいけないと思えました。
—–田中監督作品との出会いを通して、岡さん自身の役者としての自身の中にある価値について、何か作品を携わりながら、変化はございましたか?
岡さん:最近、田中監督とお話する中、一貫したテーマ、一つの田中監督の持って生まれた使命みたいなテーマがあると思うんです。それは形を変えながら、描かれていると感じていて、5作品を並べた時、田中監督がこの間おっしゃっていたのは、作品ごとにレイヤーを変えて作っているというお話をされていました。僕も映画『いきうつし』で初めて出演者した時から、10年近く経っていますので、自身も年を重ねて、田中監督も年を重ねて来て、様々な経験をされている中、僕を違った間違った人物と違ったステージのキャラクターで起用してくださっているのではと思います。僕がずっと故郷を離れて、喪失に近いものを感じながら生きて来てましたが、それに向き合って克服して行く、自身が救われていっているような感覚があります。田中監督が、これから違ったステージのキャラクターを生み出す時、僕がそこでやらせてもらえるのであれば、また新しい発見があると思いますので、これからも楽しみにしています。
—–監督が作品を作り生み出す事によって、その作品と出会う事で岡さんはご自身の中にある変化が、どんどん変わって行くのが、肌で感じておられるんですね。
—–今の岡さんのお話をお聞きして、田中監督自身の作品が今の日本の中でどのような位置に作品群が、存在していると思いますか?
田中監督:そんなに大それた事は言えませんし、まだ日本の中でも存在感を出せていませんが、自分だからこそできるやり方を試してみたいところはあります。たとえば、邦画の今の世界的なイメージを考えると、時代劇や昭和のブームが来ていると思いますが、古いまま止まっているの部分と過去の良かった時代を引きずっている部分があるのかと思います。国際映画祭に行くと、日本の自主映画とは全く違うステージの作品と一緒に上映されるので、悔しい思いをすることが多くあります。私は今、一緒にやって頂いている方々の最大限の魅力をよりもっと伝えたいと思って、撮っているんですが、もっと自分に力が欲しいと常々思っているところがあります。今回の岡さんとの上映もまた、少しずつステップを踏みながら一緒にみんなで上がって行きたいし、次に作る作品はもっといいものにしていきたいと思って、作品作りと上映をしています。また、劇場で上映して頂く事によって、観客と劇場の方と直接やり取りさせて頂く事が多いので、それは作品作りにおいて、大きな栄養素になっています。感想や経験を通して、様々な事を吸収させてもらっていると感じています。将来的に、私は時代劇が撮れる監督になりたいと思っているんです。少しずつステップを踏んで頑張って行きたいと思っています。
—–岡さんにご質問ですが、作品や共演者のエピソードも色々あると思うんですが、たとえば、本特集のメインの作品『幸福の装置』での出演者や作品の何かエピソードはございますか?
岡さん:星能さんとは、映画『幸福な装置』を撮影した時はコロナ禍の時期だったので、基本的に、直接会わずにリモートで打ち合わせする事が基本だったんです。緊急事態宣言が解けた合間でパッと会って、パッと撮ってという感じが続いていました。星能さんとは、映画『いきうつし』で映画祭を回らせて頂いている時に現地で出会って、交流を始めたのが7、8年ぐらい前になります。「いつか共演したいですね」ってお互いに連絡を取り合いながら、その後、映画『幸福な装置』でご一緒する事になりました。コロナ禍で映画の撮影も止まっていた時期でしたので、お互いにこれからどうなるんだろうと。星能さんも金沢で大変な事もありながら、役者を続けて行く中、色々抱えてらっしゃる事もあったと思うんですが、お互いの近況をホテルで2人で打ち明けながら、お酒を飲んで話す事が、度々あったんです。今回は朗読劇でしたが、今度は違った本当に何か絡みのある別の形の役でまた再会したいと期待も持っています。星能さんとは俳優を続けていく中、僕も30年続けていますが、星能さんが信頼してくれているから、僕も星能さんの事を尊敬しています。星能さんもリスペクトの気持ちで接してくれます。お互い何かを乗り越えて、俳優を続けている姿に対して本当に自分事のように応援したくなる仲間です。一緒に居れる事自体、すごく嬉しかったです。お互いの生まれ育った場所をチームで体験し共通の思い出になり、また新しい作品作りの糧にもなって行く事が、田中監督の現場ではよくあります。星能さんも本当に、持っている繋がりやご縁を通して、色々なものを僕達に与えてくれて、作品が広がるためにいつも寄り添って、今回スズキさんをご紹介頂いた事も含め、どんどん輪を広げてくれるのが、星能さんです。これからもずっと、一緒にやって行きたいと思う俳優さんです。
—–岡さんのお話をお聞きして、組という関係性から皆さんが、一つの家族になっていると感じ取る事ができました。
岡さん:そんな気持ちを抱えて、映画から離れたところでも何かが始まっているような感じはします。
—–家族とは言い過ぎかもしれないですが、ただのものづくりで集まった関係性ではなく、その延長線の向こうに関係があるのかなと、私は少しそう感じました。星能さんは、岡さんと共演して、星能さんの中で役者としての変化はございますか?
星能さん:岡さんと今回、一緒にお芝居する機会に恵まれ、喜びました。自分が岡さんのことを一方的に知っているだけでしたので、緊張すると思っていたら、やはり緊張しました。そういう自分の様子を見て、同じ目線や立場で接してくださいました。そして、自分の出演作品のことや監督、共通の知り合いなどを岡さんの方からお話してくださったりしたので、とても過ごしやすく、俳優(役者)として勉強にもなる現場でした。お芝居しやすい環境をつくるのはもちろん俳優部だけではないのですが、岡さんの気づかいや接し方が結果、全体の撮影現場の雰囲気を良くしていき、素晴らしい作品がうまれるきっかけとなっていると思いました。
—–現在、岡さんは50歳というご年齢を迎えられたそうですが、今までの役者人生を振り返って思う事、また振り返って思うこれからの未来について、何かどう取り組もうとか何かございますか?
岡さん: 50歳になりましたが、50という数字には特段、何かを感じている訳でもなく、実感もないんです。むしろ、今が心身共に一番充実していると思えるんです。19の頃から俳優活動を始めて30年あまり続けて来る中、本当に奇跡的なご縁や様々な支えがあったからこそ、今までやって来れたと、本当に心の底から思っているので、多くの方々に観て頂いて、「岡らしいね」と思ってもらえたら嬉しいし、今回の田中晴菜監督特集上映もきっと、そう言って頂けると思うんです。僕の知っている岡が映っていると思ってもらえる事が、まず一番僕にとっては大切で、家族や友人のように出会って来た人たちが喜んでもらえる作品作りは、これからもずっと続けて行きたいです。一方で、より自分の仲間や故郷に興味を持ってもらってお客さんにも来てもらうために、もっと挑戦していかないといけないと思っています。俳優の仕事じゃないですが、この間、韓国に行って仕事をしました。海外で仕事をすると、僕に対して求められるものが新しい事があると実感させられたりします。だからこそ、どんどん外に出て行って挑戦し、自身の発信力も高めて興味を持ってもらって何か活気を持って何かに貢献できるような俳優になりたいと思っています。でも、人間、最後は自然体です。きっと一つ一つの事を丁寧に取り組んで行けば、自然に自分が行くべきところに行けると思っているので、ありのままの自然体で50代は楽しんで行きたいと思っています。
—–田中監督も岡さんと共に歩んで来て数作品、今どんな景色が見えていますか?また、その先の未来に何を期待しますか?
田中監督:岡さんとは映画『いきうつし』の時に初めてご一緒して、私は実習としてニューシネマワークショップに行って制作した時は、実際に役者さんに演出じゃなく、お互い学生同士で演じる時は、同期の子に演者役をやってもらったやり方しか経験が無かった中、初めて役者さんとして撮らせて頂いた方が岡さんだったんです。プロの役者とは、こんな方なんだと、最初に知った方が岡さんでした。その時からずっと7、8年ご一緒できるとは多分、最初は全然思っていませんでした。その中で、私が何にも分からないような状態で初めて撮る映画でお付き合い頂いて、作品をとても大切にして下さって、映画祭や劇場上映を通して、一緒に歩んできてくださいました。作品が完成して『いきうつし』が劇場にかかるまで、3年はかかっているんです。それまでかなり辛抱強く一緒に歩んで下さって、その岡さんの地元で上映できるのは、非常に嬉しく思っています。今後も今の自分だから、これからの自分だからできるやり方でこれからも作品を一緒に作れたらいいなと思っています。
—–田中監督作品に携わり、星能さん自身は役者として、どう向き合って行きたいなど、何かございますか?
星能さん:今回、映画なのですが朗読劇でもあり、田中晴菜監督の映画制作の取り組みとしてはコロナ禍もあり、初めてのことがいくつかあったとは思います。田中監督は岡さんと同じく、人柄の良さはもちろん、撮影現場がどう円滑に進むか、俳優がお芝居をするために集中と解放をできる環境をつくることに尽力されていました。その真っ直ぐな気持ちや、俳優、スタッフひとりひとりへのホスピタリティというのでしょうか、思いやりや気遣いに助けられました。監督もそうだし、僕も俳優の前にひとりの人であることをたいせつにしたいと思いました。現場での作品づくり、そしてその作品の届け方、たくさんの人が関わります。ジレンマというか、作品に参加できるなら誰とでもどんな脚本でもいい、ではなく、作品が上映されるならどんな場所や劇場でもいい、ではなく、とりまく環境をしっかりと調べたりしながら(なかなかそういう時間をとれない状況でもありますが)むやみやたらにオーディションを受けたりせずに自分のペースで作品に参加できたらと思いました。もともと器用ではないので、生活とか考えると賛否もあるとは思いますが、自分のペースで進むことが役と向き合うことの答えというか、貴重な体験の時間になると最近は特に感じています。だから準備の時間はとてもかかってしまい、時々急かされます(苦笑)。
—–ここからは、同じ質問をさせて頂こうと思います。映画『幸福な装置』をピックアップさせて頂きますが、本作『幸福な装置』は、小説家オスカー・ワイルドの原作『幸福な王子』をモチーフにしているそうですが、この小説はキリスト教的な博愛や自己犠牲、献身を描いていると言われています。そして、映画『幸福な装置』は、千年後の未来が設定になっています。この『幸福な王子』の題材や千年後の未来というキーワードを踏まえて、私達は千年先、百年先、五十年先の未来の日本に何を残す必要があると思いますか?
田中監督:私から話をさせて頂くと、そもそも映画『幸福な装置』を描こうと思ったのが、ショートショートフィルムフェスティバルでパブリック・ドメインになっている作品を原案に短編小説を書くコンペがありました。その時に『幸福な王子』を原案に書いたのが『幸福な装置』の小説版でした。その話を書くきっかけになったのが、以前アンドロイド観音が開発されたというニュースを見たんです。「なんだ、それは?」と思った事が頭の中にあって、仏像が偶像崇拝だとすれば、それが電子的なものに置き換わっただけと言われたら、そうかもしれませんが、AIは神や仏として崇める対象になり得るんだろうかと疑問が浮かんだんです。それが、たとえば、人間が死んだ後も残り続けていたら、どうなるのか?そんな状態になった主人公を設定したんです。作品を撮っていたのが、コロナ禍の時期だったんですが、誰かに触れたくても触れられないような時期でもありました。そういった状況下でAI同士が出会ったら、触れ合いたいと思うんだろうかと考えたんです。それが、ツバメと小石の関係性ですが、その両者の触れ合いたいと思う気持ちが、物質同士だったとしても湧き上がったとしたら、それは非常に尊いものなんじゃないかと。それは、荒廃した世界に残る最後の美しさになりうるのではないかと考えました。
—–千年後の未来は、恐らく、本作で描かれている通り、人類とAI、もしかしたら、人類はAIになり変わっているかもしれないですね。AIが一匹だけの世界かもしれないですね。人との繋がりについて、この映画『幸福な装置』でも描かれていると私は受け取っています。近未来の話ではありますが、コロナ禍での撮影を踏まえて、人と繋がれなかった時代が数年間あって。コロナを通じて、何かそこから見えて来るものがあると思います。今の私達と千年後の私達が繋がっていると。映画を介して、繋がりを感じます。
岡さん:離れている家族や友人、皆さん、大切な人へ想いを馳せる時に、形はなくても念というかそういったものってあると思うんです。そういう人への想いは千年先であっても、残っていて欲しいですし、残っていると信じています。それが、映画かもしれません。
—–自分で質問を考えながら質問に対する答えを考えないんですが、今回は私なりの答えとしては、千年先に残るもの、残して行くものは、実はこの質問の中にも入っていると思います。たとえば、博愛の精神や人への献身だと思います。今、世界では戦争が起きており、この先の未来がどうなるかなんて、私達には分からないですが、もしこの先に何か残っているのであれば、それは人類愛や博愛の精神を残していくものでもあると、ずっと考えていました。
—–最後に、11月から始まる宮崎上映や九州上映ツアー。岡さんにとっては、凱旋上映です。三人は今後に対して、また上映に対して想いはございますか?
田中監督:先ほど触れたように、役者さんの地元で上映できることは、私にとっては非常に大きな出来事です。一番長く今まで共に歩いてくれた岡さんの地元でできる事が、とても嬉しい事です。尚且つ、今後にも繋がるツアーにしたいと思っています。この機会をきっかけに繋がる事ができた新しいご縁が、たくさんあると思います。このご縁を大切にしつつ、映画を作って行きたいと思っています。
岡さん:既に、僕の中ではそのツアーが始まっていて、自身のルーツや故郷を自分で今まで気づいていなかった事を再認識するきっかけになっていて、この町を盛り上げようと地元で思っているのは、僕一人だけでなく、みんな思いは同じだと実感しています。その同じ思いをみんな持っている事に感銘を受けている日々です。星能さんを初めとして、役者仲間達が、宮崎に来てくれますが、宮崎の事、都城市の事を映画上映で訪れた事をきっかけに、町を好きになってもらいたいです。例えば金沢から来た星能さんという存在を通して、能登や石川県に思いを馳せることができると思っていて、出演者の田中一平くんは新潟県出身、監督は栃木県出身ですが、ロケに行くと自分の故郷と何かしら共通点を見つけられて、親近感を感じることがあって。今回の地元での上映を通して、出演者の仲間達にもそんなことを感じ取ってもらえたら、またより深く繋がられるきっかけになると思っています。
星能さん:先ほどのご質問も踏まえて、千年先、未来のこと、また映画の題材も含めて、何かを残す必要があるかと言われるとシンプルに「人を思いやる気持ち」です。SNSなどメディアでの情報が飽和状態の中で祝福すべきこと、逆に戦争や許し難いこと、いろいろなことがタイムラインに溢れて、反応する前に次の情報が来てしまっている状況。情報は、どんどん流れ流されてしまう。今回、俳優の岡慶悟さんが初の地元での凱旋上映となりましたが、これってすごいことだと思うのです。俳優や監督、映画に携わった方々が地元での上映って素直にうれしくないですか?だから僕は個人的にも岡さんを祝福したいし、舞台挨拶でご一緒して隣にいたりできるという貴重な経験ができました。岡さんを知らない人も、同業の人もそういうニュースをしっかりキャッチして反応したりする、それは人を思いやる気持ちが自分自身へのモチベーションをあげることにも繋がり、精神衛生上も良いと思います。僕は東京から戻って、現在、金沢市在住です。東京にいた時は、オーディションの連続でした。オーディション会場では、時にネガティブな言葉を耳にする事もありました。ただ、オーディションに落ちたのは僕の努力が足りないだけです。人を思いやる気持ちがない言動を耳にすると疲弊します。ライバルの前に同じ俳優、俳優の前に人として相手を思いやり、祝福する気持ちが大切だと思います。あとは「優しい生活と労働環境」です。
—–三人のお話をお聞きして、博愛の精神に繋がると思いました。みんなで地元を盛り上げようとする気持ちが同じですね。役者仲間が、地元まで駆け付けてくれるのは、他者を想う心があるからこそだと思います。今のお話の博愛にも繋がって来るもと思いました。貴重なお時間を頂きまして、ありがとうございました。
「幸福な装置-田中晴菜監督特集上映-」は現在、九州地方にて上映ツアー中。
(※1)盆地まつりhttp://bonchimaturi.net/(2024年11月14日)
(※2)都城盆地の夏の風物詩「六月灯」について紹介します六月灯https://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/site/kanko/4814.html(2024年11月14日)