映画『卍』「今の私に必要なもの」小原徳子さんインタビュー

映画『卍』「今の私に必要なもの」小原徳子さんインタビュー

人間の業を描く意欲作がここに誕生し映画『』小原徳子さんインタビュー

©Tiroir du Kinéma

©2023「卍」製作委員会

—–本作の登場人物の園子という人物を演じるにあたり、作品や物語、人物のどの部分に触発されて、出演に至った経緯はございますか?難しい役柄を演じる原動力とは?

小原さん:今、私自身が自身の自立を考え、ちょうど脚本について勉強し始め、書いている時でもあったんです。また、この作品に登場する園子自身が、非常に自立している女性でもあります。 私の中でも自立を考え始める年齢でもあり、彼女の立場にはとても共感しました。さらに、私自身、不倫に関する報道について思うところが多々あり、周りが騒ぎ立てるのがどうしても、いつも非常にモヤモヤしていたのです。外野が口出しするのではなく、当事者同士が解決すればいい問題です。奥さんが浮気して、旦那さんが文句を言う。わかります。その逆もあると思います。それでも、周りが兎や角、干渉するのではないと思っています。だから逆に、不倫とは何だろうと考えることが、いつもあるんです。今回、作中で実際に園子も不倫をしていますが、世の中に口うるさく言う方もたくさんいますが、不倫している人口は非常に多いと思うのです。映画『卍』という作品では、相手がたまたま女性でした。でも、自立して生きている園子が、自身の自立が崩れてしまうくらいの相手と出会ってしまった訳ですが、 誰にでも有り得る話だと、とても感じています。だから、ちょうど私が常日頃から考えている事や普段の行動が、今まで私が感じていた事と似ている一面もありましたので、これはもう絶対やりたいと思って、役に挑みました。

—–小説は、およそ100年前の作品。当時で言えば、非常に斬新。およそ100年前にこの物語を書き、小説を文壇でちゃんと発表できる背景。谷崎潤一郎も素晴らしい方ですが、それを40年前の1983年に映画化したのも非常に意義深いです。でも、今の時代に映画『卍』が生まれる意義とは、何でしょうか?

小原さん:何十年も前の時代では、センセーショナルな物語として扱われて来ましたよね。受け取る側も、そんな感覚で映画を観ていたと思うんです。でも、今の時代だからこそ、表面にあるスキャンダルな部分だけではなく、この人間達の内面をちゃんと理解できるようになるのではと思うんです。だから、今後も必ず、映画『卍』のリメイク作品は、どんどん制作されると思います。将来、時代を超えて、私達人間の見え方が変わっていく映画だと考えれば、非常に面白いと思います。まさに今、時代の価値観が変わろうとしている昨今、ジェンダーレスの時代になりつつある今、この映画は非常に深く考えられる作品だと思います。

—–本作にご出演するまでに、谷崎潤一郎の小説や過去の映像作品にも触れられていると思いますが、その作品群に触れて、どのような印象を最初に受けましたか?

小原さん:作品における禁断度合いが、一番違いを感じました。過去作も鑑み、本作が一番、その要素が薄いらいだと感じるんです。禁断という意味では、 「見てはいけないもの」という感じでは一番、本作が薄いとは思うんですよね。だから、こんなことしてもいいのか、というあの感覚が時代を超えて、ここまで変わるのは脚本を読んだ上で、一番違いがあるんです。旧作の映画『卍』を観て、その違いが一番、感じる事ができました。女性のエロスの違いに対しても、非常に感じる点です。

©2023「卍」製作委員会

—–今のお話から考えて、100年前の小説や40年前の映画にしても、 視点が男性目線です。男性が覗いてはいけない世界を覗こうとしているのが、過去の『卍』です。今は、そうではなく、女性側からオープンにしている世界観かと考えれば、それこそが本当のジェンダーレス。確かに、もう女性の世界であろうと男性の世界であろうと、誰が覗いてもいいんです。今まで、お互いの世界観が未知数だった分、今こそ互いを知るチャンスです。

小原さん:互いの性の理解は、必要かもしれません。本作を観て下さる年齢によって、感じ取るものには違いがあると思うんです。20代の子が観る感覚や捉え方、60代70代の方が観る感覚と捉え方では、絶対に違いがあると思うんです。世代や性別によって、様々な感想が飛び交ったら、とても面白いと思います。10代から60代の世代の違う方を集めて、トークセッションのようなイベントをしたら面白いと感じます。

—–園子という人物は、非常に危うく、際どく、また脆い人物にも映りました。小原さんは、彼女に対して、どんな所感を抱きましたか?

小原さん最初に脚本を読んだ時、もう少し柔らかい女性を想像していました。でも、撮影前に監督とディスカッションを何度も重ねて行くうち、園子自身が自分を保とうとして、鎧を着ている人物だと気が付きました。この自立しているからこそ、その脆さを鎧で隠そうとする女性が、今まで他者が踏み入れられなかったスペースに光子が入ってきてしまうんです。脚本を読んだ時と演じる時の印象が、私の中では非常に変わって行ったという感じです。

—–今の世でも、この題材は非常にセンシティブな一面があります。小原さんから見て、園子という人物の人生観をどう受け止めていますか?

小原さん:この物語に登場する夫婦関係はまず、 夫を支える妻という関係性ではありません。夫も仕事している、自分も仕事している。彼女の中の夫婦関係は、個々の人で見ている人物だと思うのです。誰々の奥さ、誰々のママ、そんな役職で見ているのではなく、それぞれの「個々の人」で見ているんです。だから、女性性や男性性という目線で見ているのではなく、そんな視線は元から持ってなかったのです。園子が、経営しているセレクトショップのテーマもまた、大人の女性がちょっと無邪気なに弾けられるような服というコンセプトがあるんです。だから、大人は大人でいるべきとか、女性は女性らしく、子供は子供らしくとか、考えなくていいのです。この作品には、そんな殻を破っている一面もあります。園子が女性だからという視点を持ってないからこそ、光子に手を触れられた瞬間、 彼女の心の隙間に入って来られてしまったと思うんです。元々は、人それぞれ、個々の人として見ているのがあったのではないかなと。これがある種、園子の人生観だと思うのです。

—–今のお話をお聞きして、感じたことを言えば、 この物語はセンシティブと言いつつも、誰にでも起こり得る人生の延長線だと受け取りました。

小原さん:誰の身にも起こる可能性があるんです。ある種、日常です。誰かにとっての光子は、絶対いると思っているんです。それが、このタイミングで光子が現れてしまっただけで、 皆さんにも同じ出来事が起こる可能性は絶対あると思っているんです。あなたにとっての光子が、必ず目の前に現れます。

©2023「卍」製作委員会

—–この作品が持つ要素、たとえば同性愛に対しては、それほど違和を感じていませんが、この事柄に対して、小原さんはどう受け止めているかなど、何かお考えはございますか?

小原さん:正直、私の人生において昔から女性に対して恋愛感情を持ったことがありません。でも、明日持つかもしれないなという感情は、高校生ぐらいの時から持っていました。今は、男性が恋愛対象ですが、いつどのタイミングで変わるのか分かりません。そんな事をずっと思って来たんです。結局、人ではないでしょうか?だから、たまたま女性とか、たまたま男性だっただけです。ただ、同性愛の方の恋愛の方が、一生、一緒にいることを考えたら、絶対的に大変なことがたくさんあると思うのです。また、一生この人と一緒にいたいという思いで一緒にいるとしたら、同性愛の方は大変だと感じてしまうのです。もし違いがあるとしたら、リスクがあるぐらいです。結局、お互い人です。いつ、 その恋愛対象が変わるかわからなものです。でも、それって、素敵ですよね。

—–最初に原作が発表されて、およそ100年。1983年に公開された映画。他にもありますが、ちょうど数えて40年が経過しています。『卍』という作品を取り巻く環境は、昔と今とでは違いがあると思いますが、小原さんはその変化をどう感じていますか?

小原さん:私達の生きている時代が、40年前、50年前だったとしたら、現代のように、声高に観て下さいとは言えないのですよ。正直、人を選んでしまうと言いますか。この人であれば、作品に興味を持ってもらえるかもと。人を選んで声をかけると思うんですけど、今の時代の方がまだ声高に声を上げる事ができます。同性愛や不倫に対して、嫌悪感を抱く人に対しても、一度観て欲しいと真っ直ぐ目を見て、伝えることができます。今のこの時代が、変わって行っているんだと思うのです。今の時代だからこそ、嫌悪感を抱く方が本作を観る事によって、少しは自身の価値観や考え方が変わるのではないかと。私は、個々一人一人の考え方を否定はしたくありませんが、絶対に人の感性を尊重できる考えになった方が、人生はより豊かで楽しいと思えるようになると信じています。嫌悪感が多い世の中は皆さん、嫌いではないですか?でも、ほんの少しでも、受け入れられるようになった方が、その方の人生にも変化が訪れ、見え方だって変わって来ると思います。今まで食わず嫌いだった方にも、オススメできる風潮が、昔と今を取り巻く環境の違いだとは思います。

©2023「卍」製作委員会

—–本作は、単なるエロスを描いている訳ではなく、人間の業含め、本来人が持つ美しさや醜さを描いていると思いますが、小原さんが思う人間が持つ醜美とはなんでしょうか?

小原さん:それに関しては、紙一重だと思うのです。人間が崩れて行く様は、美しいと私は感じました。光子と出会った結果、夫婦関係が崩れてしまいますよね。あの瞬間が一番、エロスを感じるんです。彼の内から出る人間の醜くもあり、美しい部分だと思います。だから、 人が一生懸命立っている姿より、その人が何かによって崩れてしまい、もがき苦しむ姿が一番美しいんです。それが、醜くもあります。人には、美しさや醜さの両方が混在していると思うんです。だから、男性を含めた4人の人物それぞれの見える醜美な部分が、この物語には出ていると思います。

—–人はスマートに生きるより、努力したり、苦労したりして生きている方が、逆に美しいと思います。本作は、過去に幾度となく、映像化されて来た原作と名作。今回は、令和時代の『卍』ですが、令和版園子に対する小原さんの役柄への想いを何かお聞かせいただけますか?

小原さん:今の時代は、結婚や出産を 絶対にする必要がないという時代ですが、女性が女性の仕事をしていたいから、私は結婚しない人生を歩みますという女性が増えて来ています。園子は結婚はしていますが、一人の人間として自立している女性が増えている時代だからこそ、何かに破壊されて崩れ落ちるからこそ、 見える世界があるんです。知り得るものだと思います。だからこそ、自分の人生を考える年にもなりました。 自分は何をして自立しようか考え、脚本の勉強を始めました。この今の私だからこそ、園子を演じた事による、彼女の人生を生きた事により、私は私の人生を真っ直ぐ、私の決めたこの道を歩んでいきたいんです。だからこそ、見えた次の世界が目の前にあるんです。光子が見せてくれた次の世界は、私が歩こうとする私自身の世界だったんです。だから、園子という役柄は、今の私に必要なものでした。もしかしたら、誰かから見たら禁断の関係性ですが、園子の人生、引いては私自身の人生に光子の存在が絶対的に必要だったと、今から振り返れば、そう思います。

—–最後に、小原さんが演じる園子や作品の魅力を教えて頂きますか?

小原さん:もう何度も言っていますが、この時代に見るからこそ、感じられるものがたくさんあります。それが、今回の令和版『卍』だと思います。だからこそ、ぜひ、上映中に映画館に観に行って、 一緒に映画館で観ている方とのリアクションを感じながら、 映画を体感して欲しいと願っています。その時の感情も含め、この令和版『卍』のスキャンダルの部分やセンセーショナルな部分が薄れたからこそ見える、それぞれのキャラクターの心の中を感じ取って頂きたいです。映画館で他の方々とその時抱いた気持ちを共有して、楽しんで頂きたいです。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

©2023「卍」製作委員会

映画『』は現在、関西では9月16日(土)より大阪府のシアターセブンにて、上映中。