ドキュメンタリー映画『認知症と生きる 希望の処方箋』「誰かに「寄り添う」こと」野澤和之監督インタビュー

ドキュメンタリー映画『認知症と生きる 希望の処方箋』「誰かに「寄り添う」こと」野澤和之監督インタビュー

「寄り添う」ことドキュメンタリー映画『認知症と生きる 希望の処方箋』野澤和之監督インタビュー

©️2025年問題映画製作委員

—–本作『認知症と生きる 希望の処方箋』の制作経緯を教えて頂きますか?

野澤監督:本作の前に、映画『がんと生きる言葉の処方箋』を制作しました。前作の流れの中で高齢者の問題に直面しました。2025年以降になると、ますます高齢者が増え、ガンという病と認知症という病の現実があります。ガンの映画の次には、このシリーズで認知症を取り上げたいと、僕の想いはここから始まりました。この映画を作り、仲間を集め、2025年問題(※1)映画製作委員会を発足したんです。来るべき少子高齢化社会の中、どんな問題が日本に訪れるのか、映画を通して何かできないかと考えました。認知症をテーマに映画を作ろうと考え、数年前に決定したんです。認知症をテーマにした映画は、ここ数年人気を博しました。介護の問題や認知症が悪化する過程は医療関係者にお任せして、僕達映画関係者には何を作り、何を伝えられるか考えたんです。その結果、今回出会ったのが、認知症における音楽療法でした。認知症には特効薬はありませんが、映画を通して希望を表現できないかと、認知症と合わせて音楽療法をテーマにしようと考えたところ、本作の主人公となるお2人に出会うことができました。

—–前回はガンをテーマに作品を制作されていますが、今回はなぜ、認知症に興味を持たれたのか、詳しくお聞かせ頂けますか?

野澤監督:僕のテーマは、社会の中心から外れている事が多くあるんです。たとえば、病を取り上げた作品ではライ病(ハンセン病)がありますが、この病も社会から排斥されている絶望的な病気です。ガンもまた、死と直面している意味で言えば、社会現象にもなっている非常にプロティカルな病気に興味を示しています。誰もが容易く絶望する認知症は、当事者の家族が嫌な思いをするほど、絶望を感じさせる病の一つです。このテーマとして選ぶとなると、社会で人間が抱える病の一つに、認知症が存在しています。僕達が選ぶテーマは、ハンセン病やガンなど、2025年問題に関する事案は、非常に興味のある題材です。認知症と言えども、ガンのように亡くなる病ではありませんが、これは脳の病気です。時には、脳の病と呼ばれます。僕達が社会的に直面する側として、この病には本質が込められていると思っているんです。

—–認知症は、完治する事はないですよね。治療ができ、進行を遅める事ができても、記憶を取り戻す事は必ずできることはではありません。

野澤監督:だからそそ、私達はどう生きるかが、毎日向き合う必要があります。生きる人が、どう変化をもたらすか。実際問題、言葉では希望と言いますが、映画館に行って、絶望するのもつらいと思うんです。映画を観終わって、爽快な気分になって欲しいんですよね。しかし、早期発見さえできれば、認知症の進行も遅くできます。僕達の世代が、次の世代に伝えて行く事が多くあるんです。

—–この作品が取り上げている音楽療法は認知症を改善する医療ですが、監督はこの治療を近くで撮影し、肌で触れる中、どう感じられましたか?

野澤監督:最初の出会いは、不思議な一歩でした。認知症が治ると言うよりは、音楽が人に影響を与えるとは、認識がありませんでした。でも、冷静に考えれば、音楽の力はあるんだと思います。音とは、切り離せない環境に身を投じています。だから、記憶が薄れても、音や音楽、言葉、リズムは身体のどこかに残っていると感じます。世界中の記者達の代弁する言葉とするなら、「認知症の治療法やメカニズムは、解明中です。」医療控除して進んでいますが、これがどこまで解明できるのか、日夜研究が進んでいます。医療に使える、使えないを見極めながら、音楽療法の効果を調べていますが、現状ではその効力がない方もおられます。この作品は、医療映画ではありません。ただ、音楽と人間は相性が良いと信じています。

—–音楽と人間が、何かで繋がっている強い想いを理解できますが、それを言語化できていません。ただ、根拠はありませんが、音楽には何かしらの強い力が、人間に働いていると感じます。

野澤監督:音楽とは、music(ミュージック)と言いますが、語源はムーシケー(mousike)というギリシア語がMusicの直接の語源です。学問がない頃の世界は、カオスに満ち溢れていました。その時にギリシャの哲学者が勉強しようと言い始め、最初に作った学問が「音楽」と「体育」だったんです。人類が、世界で歴史で初めて作った学問が、この2つでした。今は、数学、国語、英語、理解、社会の五教科が一般的ですね。調べてみた結果、体育と音楽は人間が生きる生活の上では、大切であったと知ることができました。体育は、体を育てる。音楽は、音を楽しむ学問だと思っています。

—–お話をお聞きして、体育が体を育てる学問であるなら、その対極として、音楽は心を育てる学問であると、再認識させられました。この考えは、映画の内容と繋がって行くと思います。心を癒していくのが、音楽療法の目的の一つですね。

野澤監督:それは、繋がると思いますね。人々の心を育てていますから。注射一本も打ちません。彼らは、認知症患者の心を癒しながら、患者さんの病と向き合っています。

—–音楽療法を推奨されておられる猪狩さんは、「音楽療法とは、治すプロセスと様々な問題を和らげる2つの観点から音楽を用いて関わり合いの中から、その方のポテンシャルを高めていくのが、音楽療法である」。また、「この療法の原点は、ただ聴くだけではなく、誰かと一緒に聴いて、話して、安心する経験を通して、受け止めてもらうのが重要である」と、作中で音楽療法の原点や目的についてお話していますが、この音楽療法が私達にどんな気付きを与えてくれると、監督は思いますか?

野澤監督:音楽療法の定義は、国によって違います。各学会によっても、違いがあります。猪狩先生は、誰が聴いても理解できるように、分かりやすいように説明してくれているんです。彼自身、アメリカで音楽療法を学習しましたが、彼独自の治療法は音楽を通して「寄り添う」ことです。つまり、音楽療法はただ音楽を聴いたり、AIを使用して携帯電話で聴くものではありません。猪狩先生は、家族や子どもが寄り添って、一緒に音楽を聴くことが大切です。家族でも、親類でも一緒です。音楽を通して、人と人が触れ合って行くんです。これが、猪狩先生の深いテーマです。家族同士しか知らない音楽を、一緒に聴くことが大切です。だから、猪狩さんは「触れ合う」「寄り添う」という言葉を使っています。これは、猪狩さんのような経験がないと、そんな言葉は使いません。まさに、その点が気付きでもあります。音楽が、人を治してるようにも思いますが、そこに居る方々の存在が人の病を癒して行くんです。ただ、機械で治そうとするのではなく、人の温もりが病を治す。これが、猪狩先生の気付きでもあるんです。

©️2025年問題映画製作委員

—–私は本作を観ながら、親のことをつい考えてしまいました。もし親が…もし家族が…。と、そんな気持ちにもなりました。もし監督の近しい方、ご家族やご友人が、ご自身の近しい方が認知症を患っていると知ったら、監督はどう行動されますか?

野澤監督:この映画の取材を通じて、最初は認知症を怖い病気だと思っていました。ところが、今回取材を重ねて、ガンを恐れない方にも会いました。認知症は、忘れてしまう病気ですから、彼らの中ではガンは進行しない病気です。これは、不思議な現象ではありますが、認知症はゆっくり進行しますが、ガンは物凄くゆっくり進行する。これは不思議な病です。人間に与えられた病であると、感じました。この病には、苦しさがありません。認知症は、80歳、90歳になり、記憶を無くすと、自身の不幸を感じなくなります。歳を重ねて、認知症は与えられた病であると再認識させられました。ガンで苦しんでいる方も見て来ましたが、不思議な気持ちにもなりました。ガンは、脳が正常のまま進行しますので、痛みも苦しみも覚えています。一方で、認知症は人が感じる感情を忘れてしまう一面もあり、少し不思議にも感じます。若年性認知症は別としても、結核やコロナと比べて、高齢で認知症を患ったら、一番つらいのは介護者の側だと思うんです。だけど、本人にとっては、死を選択する事はできませんが、認知症を肯定してしまいそうなんです。改めて思う事は、認知症は人間に与えられた病です。なんとも言えない不思議な話ですが、私は否定しません。ガンも患った私だからこそ、認知症に対しては肯定します。

—–語弊があるかもしれませんが、認知症は当事者たちは幸せなのかもしれないですね。でも、介護をする側の人間としては、絶望という一言だと思います。第三者から見ても、同情を禁じ得ないです。

野澤監督:認知症は、与えられた病であり、私達は常に試されているんです。

—–本作『認知症と生きる 希望の処方箋』と同じ題材のドキュメンタリー映画『パーソナル・ソング』が、アメリカで制作されています。比べた時、良作品が類似している所は、「音楽の力」でした。監督は、この力が作品にどう作用していると思いますか?

野澤監督:私は、その逆です。この作品を通して、音楽の力を知りました。逆の考え方の質問で考えると、作用していると言えば、今回一番撮りたいと思ったのは、赤ちゃんとお母さんの場面です。この場面は、作品に収めたいと思ったんです。誰も居ない山と川を訪ねて、撮影したんですが、これは音楽療法の本質を貫いており、映像を通して、どう表現するのか。実際に、赤ちゃんとお母さんを探すのは、苦労したんです。子守唄を歌う母親の姿を捉えた場面は、非常に好きです。私はもう一度、母と子の繋がりを思い出しました。だから、音楽がこの映画にどう作用しているのかと聞かれれば、音楽担当の合田さんは音楽療法の合間に流れる音楽を作ることに苦労していました。

—–音楽の力が、作品にどう作用しているのか考えた結果、観ている側が勇気づけられ、元気になれると思うんです。そんな作用が、本作にはあると信じています。

野澤監督:作品のエンディングで名曲『神田川』を挿入したのは、私自身が好きだからです。つまり、この映画を通して、ある種の年代の方々に届くように編集したんです。名曲『神田川』を聞いたら、自身の学生時代を思い出します。各々が、各々に自身の学生時代を思い出せる作品に仕上げました。思い出の曲を耳にすることで、それぞれの思い出の時代を思い出せると思います。

—–本作においての「音楽の力」を、監督はどうお考えでしょうか?

野澤監督:「音楽の力」は何か分かりませんが、音楽には人を元気付けたり、癒したり、エールを与えたり、何かしらの力を持っていると、改めて実感しました。

—–本作の題名の副題となっている「希望の処方箋」とありますが、作品が有する認知症や音楽療法を踏まえて、監督が思う「希望」とはなんでしょうか?

野澤監督:私は、既に「希望」について勉強しています。「希望学」(※3)と呼ばれる学問があります。今の質問に答えるとしたら、次の作品にも希望を盛り込めることができるように、勉強しています。つまり、軽々しく「希望」とは何かを、一言で言うのはできません。タイトルに付けたものの、実際問題、誰よりも希望とは何か毎日、考えています。だから、簡単に言いますと、この作品における希望とは「with people」です。先程、認知症における音楽療法とは、ただレコードを聴かせればいいと言う訳ではありません。つまり、希望とは「with people」です。当事者の目の前には、子どもがいる、奥さんがいる、家族がいる。彼らの目の前に、家族がいて、みんな支えてあげる。「寄り添う」ということ。それが、本作で言える希望の一つだと思っています。レコードを聴いて、認知症の症状を和らげるのは、音楽療法ではないんです。そこには必ず、音楽療法士という方がいて、家族がいて、みんなで当事者の方を囲って支えていく。「寄り添う」ことが、未来の希望を作る最善策である事が、今回の取材を通して、理解することができました。希望という言葉を、一言で説明するのは非常に難しいですが、この映画のタイトルに「希望」と付けたのは、間違いではありません。

—–最後に、本作『認知症と生きる 希望の処方箋』が今後、どのような道を歩んで欲しいか、また作品への展望はございますか?

野澤監督:まず、認知症を怖がらなくていいんです。作品は、認知症の恐怖を描いていません。音楽療法を通して認知症に対する認知が、しっかり進んで欲しいと思います。ただ、本作を観て欲しいと切に願います。でも、本作は必ず希望が持てる作品に仕上がっています。未来への希望が持てるからこそ、観た後に明るい気持ちにもなります。そういう意味で、劇場に足を運んで頂ければと、思っています。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

©️2025年問題映画製作委員

ドキュメンタリー映画『認知症と生きる 希望の処方箋』は現在、関西では8月19日(土)より大阪府の第七藝術劇場にて、公開中。京都シネマは8月24日(木)まで。元町映画館は9月16日(土)より予定。

(※1)2025年問題とは|与える影響や対策を社労士がわかりやすく解説https://www.asahi.com/sdgs/article/14957810(2023年8月20日)

(※2)大阪公立大学 学術情報リポジトリ プラトンの体育論(II)https://drive.google.com/file/d/10FvAfZwnoMOEhx2VJ09T4m8sGlg4_hOM/view?usp=drivesdk(2023年8月21日)

(※3)希望学 希望学の成果https://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope-archive/result/kibogaku.html(2023年8月21日)