ペルー映画祭vol.2特選上映
私は、ペルーという国を詳しく知らない。知っている事と言えば、南米に位置し、インカ帝国、古代からあるマチュピチュが観光名所として有名だ。そして、南米の中でも貧困国のイメージが強く、ペルー国内でも都市部と山村部では、貧困格差が大きな問題と言われている。ペルーと言われて、思い付くのはこれぐらいだ。そんな貧困国に映画産業や映画文化が、定着しているのか未知数だ。日本国内にもペルー映画が、紹介される機会はほとんどなく、その全体の全貌は未知のヴェールに包まれた存在だ。また、ペルー人の大衆文化や食文化、歴史と言った背景の情報が日本に入っている事は事実的に乏しく、ペルーの映画と聞くだけで、誰もが訝しく思わないだろうか?本当に面白いのか、私達日本人が想像するクオリティがあるのか。正直、分からない事が多すぎるだろう。ただ、ペルー映画は非常にクオリティが高いと言える。今まで、ペルー映画が日本に紹介される機会が少なかった事に驚きを隠せない。もっと多くのペルー映画が、日本に紹介されてもいいのではないかと思わせてくれるほど、ペルー映画という存在は大きい。この度、「ペルー映画祭vol.2特選上映」と銘打って、大阪府にある扇町キネマにて上映されるペルー映画は、『アルパカと生きる喜び』『ファルファン 路地裏からの栄光』『情熱の大河に消える』の3作品。
ドキュメンタリー映画『アルパカと生きる喜び』
ドキュメンタリー映画『アルパカと生きる喜び』は、アルパカと共に暮らすペルー人農家の姿や儀式をする姿に密着した作品。アンデス山脈に住むアイマラ族コミュニティでは、アルパカ農家に古来から伝わる祭りが存在する。それは、アルパカの繁殖と多様性の維持を目的に、アルパカの精霊に祈願するこの地域では非常に大切な祝いの儀式。この祝い事は、ペルー南部で昔から継承されている、アルパカの精を呼び起こす儀式だ。恐らく、日本でアルパカを育てている農家は少ない。動物園や牧場があっても、アルパカを家畜として育てている農家は数少ない。それほどまでに、日本にはアルパカ農家が定着していない事が分かる。私達日本人にとって、アルパカという存在は遠い存在ではないだろうか?それでも、日本とペルーの架け橋としてアルパカの毛皮で衣類を作る日本人(※1)も存在するのは、非常に貴重な存在だ。また、ペルー人とアルパカの関係性の歴史(※2)は、紀元前3000年前まで遡ることができると言われている。彼らペルー人にとって、アルパカという存在は深い関係で結ばれており、山岳地帯に住むシエラと呼ばれるペルー人にとって、アルパカは大切な家畜だ。もしくは、家畜以上の関係性にあるのかもしれない。その証拠に、クスコ出身のビセンテ・トーレス ・レザマというペルー人が、人間である私達と非人間との間にある関係性について、こう話す。
Lezama:“Dada mi identidad cuzqueña, conozco las costumbres de este pueblo; así aprendí que las relaciones sociales no se limitan a lo humano, sino que se extienden a otras entidades no humanas, como los Apu, la Pachamama, los animales y las plantas. Nadie vive con independencia, sino en constante reciprocidad; por ello, los pobladores repiten constantemente que aynillanimapas, “todo es de mutua correspondencia”. Esta red de reciprocidad no es exclusiva de la vida humana; se aplica también a otras entidades como las montañas (Apu), la Madre Tierra (Pachamama), los animales y las plantas. Así, las personas, la Pachamama, los Apu, los animales y las plantas participan en un proceso de uywanakuy o “crianza mutua”; es decir, que todos necesitamos de todos; por eso es fundamental “saber hacerse querer”, munachikuytanyachana.”(※3)
レザマ氏:「私はクスコ出身なので、この町の習慣を知っています。このようにして私は、社会的関係は人間に限定されるものではなく、アプー、パチャママ、動物、植物などの人間以外の存在にも及ぶことを学びました。誰も独立して生きているわけではなく、常に互恵関係にあります。このため、住民は「すべては相互対応だ」と繰り返し言います。この相互関係のネットワークは人間の生活に限ったものではありません。これは、山(アプ)、母なる地球(パチャママ)、動物、植物などの他の存在にも当てはまります。したがって、人々、パチャママ、アプー、動物、植物は、ウイワナクイ、つまり「相互子育て」のプロセスに参加します。つまり、私たちは皆、誰もが必要なのです。だからこそ、「自分を愛してもらう方法を知る」ことが重要なのです、ムナチクイタン・ヤチャナ。」と話す。アルパカだけでなく、地球上にあるすべての存在は私達人類と深い繋がりがあると話す。少し超常的で宗教的な考え方ではあるが、私個人は大いに賛同したくなる。地球も大地も、動物や植物、すべて人間の命に返って来る。だから、古来から関係性を保って来たアルパカを大事に育て、儀式で奉る姿勢がある事を窺い知れる。彼らペルー人にとって、アルパカという存在が如何に大切か、少しでも理解したい。
映画『ファルファン 路地裏からの栄光』
映画『ファルファン 路地裏からの栄光』は、先のドキュメンタリー映画とは打って変わって、ペルーの劇映画だ。本作は、ペルーサッカー界の神様こと、サッカーペルー代表のジェフェルソン・ファルファンの半生を描いた伝記映画。背番号10として知られるファルファンの人生は、ペルーの最貧困地区から始まり、そのカリスマ力のおかげで大成功を収めた。貧困地域から始まり大成したサッカー選手と言えば、ブラジル代表のペレだろう。ペレの半生もまた、ファルファン同様に、映画『ペレ 伝説の誕生』として映画化された。また、サッカー以外では、アメリカの貧困地区から不屈の精神でプロテニスプレイヤーとして成功を収めた黒人姉妹ウィリアムズ姉妹が有名だ。彼女達の半生もまた、映画『ドリームプラン』で描かれた。史上初の黒人メジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンの半生を描いた映画『42〜世界を変えた男〜』。サメに襲われ左腕を失いながらもプロを目指して再起した実在のサーファー、ベサニー・ハミルトンの実話を映画化した映画『ソウル・サーファー』。30歳でNFLのプロフットボール選手になる夢を叶えたビンス・パパーリの実話映画『インヴィンシブル 栄光へのタッチダウン』。ミドル級世界選手権保持者ロッキー・グラジアノの半生を伝記映画として制作した映画『傷だらけの栄光』。連続2130回の試合に出場して「鉄人」といわれた野球選手ルー・ゲーリッグの活躍を描く映画『打撃王』。アメリカ野球界の伝説的ヒーロー、ベーブ・ルースの生涯を描くドラマ映画『夢を生きた男/ザ・ベーブ』など、国や時代を問わず、古今東西、多くのスポーツ映画、伝記映画が制作されて来た。本作『ファルファン 路地裏からの栄光』もまた、この作品群の中に入る名作だとなっている。今は亡きファルファンの母親ラ・カサ・デ・アレヒタ(ロサリオ・グアダルーペ)に敬意を表して、子ども達のためのNGOを設立し、その団体を通じて、低所得の子ども達を支援している。「それが私の魂を幸せにするのです」と、ファルファンは話す。貧困の幼少期を過ごしたファルファンにとって、子どもの頃の恵まれない環境が如何に苦痛であったのか、想像に絶する。また、彼の母親ロサリオ・グアダルーペは、彼と自身の生い立ちについて話す。
Rosario:“Desde que lo traje al mundo soy padre y madre para él, porque su papá nunca vivió con nosotros, pero felizmente con sacrificio salimos adelante. La vida fue dura para nosotros, pero siempre lo apoyé con lo que más le gustaba: el fútbol, que es lo que más ama”.(※4)
母親ロザリオ:「私が彼をこの世に産んで以来、私は彼にとって父親であり母親でもありました。なぜなら、彼の父親は私たちと一緒に住んでいなかったからです。しかし、喜んで犠牲を払って、私たちは辛抱強く絶えて、出世しました。私たちにとって人生は大変でしたが、私はいつも彼が一番好きなもの、つまり彼が最も愛しているサッカーで彼をサポートし続けました。」と、息子との長年に渡る生活について話している。良くある話ではあるが、母親の献身的なサポートがなければ、ジェファルソン・ファルファンは誕生していなかっただろう。
映画『情熱の大河に消える』
映画『情熱の大河に消える』は、ペルーの若く早世した詩人ハビエル・エローの半生を描いた伝記映画。詩人を夢見る学生時代のエローは、パリでマリオ・バルガス・リョサと出逢い、キューバ革命について語り合う仲に。やがて、ゲリラ・グループへの参加を決意する。少しずつ、エローの人生に影を落として行く。ハビエル・エローとは、どんな人物なのか?彼は、1942年産まれのペルーの詩人。 彼は学生の頃、マーカム大学で学び、その後ペルーの教皇庁カトリック大学で勉強を続けました。その一方で、国民運動連盟(ELN)にも入会。そして1963年1月、21歳の詩人ハビエル・ヘラウドとアラン・エリアスが率いるグループがボリビアを横断し、ペルー南部到着したが、リーシュマニア症感染症に悩まされていた15人のメンバー。仲間のために医薬品を探しにに、プエルト・マルドナド市に入ることを決意。地元警察はグループの進軍について危機感を示し、5月15日、エローさんは町を通り過ぎた際に胸を撃たれて死亡した。享年21歳だった。生前、詩人ハビエル・エローが残した詩がいくつかあるが、その中で代表的な一つ「El rio(川)」の一説をここで紹介する。
“Yo soy un río, voy bajando por las piedras anchas, voy bajando por las rocas duras, por el sendero dibujado por el viento. Hay árboles a mi alrededor sombreados por la lluvia. Yo soy un río, bajo cada vez más furiosamente, más violentamente bajo cada vez que un puente me refleja en sus arcos.”(※5)
“私は川です、下がっていきます 幅の広い石、下がっていきます 硬い岩、道に沿って 彼が描いた 風。私には木がある日陰の周り 雨のために。私は川です、どんどん低くなって 激しく、もっと激しく 低い 毎回 橋は私を映す 彼らのアーチの中に。」
彼は最後に川の藻屑となって、儚い命を散らしてしまったが、こうして自身が書いた詩の中で彼は生き続け、後世に戦争の無惨さを伝えている。若くして死ぬ(長生きする)という事が何であるのか、エローが生きた姿から考えたい。本作『情熱の大河に消える』は、若くして命を落としたペルーの詩人の足跡が分かる非常に貴重な作品だ。
最後に、映画『アルパカと生きる喜び』『ファルファン 路地裏からの栄光』『情熱の大河に消える』のペルー映画3作品は、日本で上映するには千金之珠のようにとても価値ある作品ばかりだ。なかなか耳にはしないペルー映画の存在ではあるが、試しに作品に触れるのも一興だ。必ず自身の視野や考え方が、新しく広がるだろう。
ペルー映画祭vol.2特選上映は現在、大阪府の扇町キネマにて23日(金・祝)から25日(日)までの3日間限定公開中。
(※1)心も身体もあたたかく。ペルー発のアルパカ素材で社会課題に挑戦するhttps://taliki.org/archives/3040(2024年2月23日)
(※2)アルパカとアンデスに住む人々との関係https://blog-apt.ieitown.jp/2022/09/blog-post.html?m=1#toc_headline_3(2024年2月23日)
(※3)Uywanakuy. Ritual y crianza mutua entre humanos y no humanos en el sur andino de Perúhttps://www.redalyc.org/journal/2110/211062850029/html/#:~:text=As%C3%AD%2C%20las%20personas%2C%20la%20Pachamama,hacerse%20querer%E2%80%9D%2C%20munachikuytanyachana.(2024年2月23日)
(※4)Jefferson Farfán, el niño que se atrevió a soñarhttps://pagina77.pe/jefferson-farfan-el-nino-que-se-atrevio-a-sonar/(2024年2月23日)
(※5)El riohttps://www.poeticous.com/javier-heraud-perez/el-rio-5?locale=es(2024年2月23日)