ヒリヒリとした現実を突き付ける映画『ほなまた明日』道本咲希監督インタビュー
—–まず、映画『ほなまた明日』の制作経緯を教えて頂けますか?
道本監督:本作は映画『カメラを止めるな!』などで有名なENBUゼミナールシネマプロジェクトで制作したワークショップ映画になっています。従来の、役に合わせたオーディションやキャスティングをする映画とは違って、ワークショップを16時間くらいして、その中から選ばせて頂いた11人の俳優の方とご一緒しています。またこの企画での制作が決まった過程ですが、私がENBUゼミナールシネマプロジェクトの前作『茶飲友達』という映画に制作部として入っていたタイミングで、ndjc(※1)という国の行う若手映画作家育成プロジェクトで制作した監督作『なっちゃんの家族』が上映していました。その作品を観に来てくれたプロデューサーが、「面白かったから、今年一緒にやろう」と声を掛けて頂いたのが、本作のスタートになります。
—–タイトルの「ほなまた明日」は、関西人にとって、非常に良い響きに聞こえましたが、なぜ「明日」なのでしょうか?「明後日」でも「今度」でも、「ほなまた今度」みたいな感じでもいいと思いますが、この「明日」に込めたものは、何でしょうか?
道本監督:実は、希望が見えるタイトルにしたいなと思ってました。映画の中ではセリフとしては存在しないのですが…。本作は、皆がそれぞれのペースで歩いて行く物語だと思っていて、その歩いて行った先に、また会えますようにという希望を込めて、「ほなまた明日(あした)」というタイトルにしました。あとは、シンプルに響きとして「あした」って良いなと思いまして。
—–非常に響きが、いいですね。関西人は、「ほなまた」なんて言わないですが笑それでも、不意に言いたくなりますね。私がふと思ったのが、コロナ禍での制作ではないですよね?アフターコロナの頃ですか?
道本監督:撮影は去年の夏にしましたので、もう完全にコロナも落ち着いた頃に制作しています。
—–でも、そのコロナ禍の影響は、明日への希望に繋がると考えられますか?
道本監督:コロナの件に関しては表現として取り入れるか考えました。劇中の年代のイメージが今現在だったのですが、そこを具体として入れると、時間経過する4年間でパンデミックがあったことになります。コロナ前とコロナ後で確実に何かが変わっていることを感じさせるのはこの映画の本題と外れてしまうため、年月は具体的に入れず、現代のいつか、という表現にしました。なので、コロナだったからどう、みたいなことは意識して作っていません。
—–何かメタ的なところで、非常に関連性があるのかなと、私は思いました。コロナの中、明日の希望も見えない。もしかしたら、感染して死んでしまうかもしれない時、この映画のタイトルの「ほなまた明日」が、今を生きる私達に対して明日のために生きましょうと受け取る事もできるかなと少し思いました。
道本監督:新しい感想を頂き、ありがとうございます。
—–本作は、写真家志望の女性を主人公にしていますが、写真というのは真実を写す鏡なのではないかなと言われている一面もありますが、そんな面を考慮した時、監督はこの題材を取り扱ってみて、何か見えた事はございますか?経験して分かった事。今までモヤモヤしていたものが晴れた事。または、制作の話でも構いません。作品に寄せると男女の関係や夢を追う人の話など。何か。
道本監督:多分、色んな発見をしているのですが……写真を扱ったと言えば、私は写真の勉強をしたことがなかったため、映画にするにあたり、写真について改めて勉強しました。そこで写真と映画の違いについて考える時間がありました。感じたのは、写真は、自己と対話する時間が長い表現方法だと思いました。本作でも描いていますが、特にフィルムを扱い、かつ自分で現像をする際は、一人部屋に篭り、なぜ自分はこの写真を撮ったか、なぜこの写真を選んだか、どのように写真を見せていけばその思いが伝わるか、など考える時間がみっちりあります。究極の一人時間じゃないでしょうか。対して映画は、自己との対話からスタートはしますが、物語をかなり客観視する必要や、大勢のスタッフとのコミュニケーションなど、様々な物事を挟んで完成させていきます。ですので、作品と製作者本人の距離感が写真とは違うといいますか……。そこに面白さを感じ、写真家さんや写真の見え方が以前から変わった気がします。この映画をきっかけにもっと写真に興味がわきました。
—–どちらが、どうのこうのではなく、たとえば、写真家はある種、自分との対話かと。映画関係者はその逆で、人との対話かなと感じました。それがダメとか良いとか、そういう訳ではなく、これがそれぞれの良い部分だと思うんです。でも、扱っているのは似ているのに、違いがありますね。フィルムやファインダーは似ている要素に対して、写真は静止画、映画は動画。性質は違いますが、不思議な関係です。だから、兄弟ではなく、いとこ同士でしょう。ちょっと遠い親戚か。
道本監督:血は繋がっていますね。
—–では、この物語の登場人物たちは、もしかしたら、監督自身か私たちの等身大の姿ではないでしょうか?私達は彼らの姿を通して、何を再発見できると思いますか?
道本監督:お客さんに「この映画は見た人が一度立ち止まって、今まで生きてきた人生を振り返ることができる映画だよね」という感想をよく頂きます。忙しない日々の中、一度立ち止まるきっかけを発見できる映画なのかなと思っています。
—–そこに、タイトルの「ほなまた明日」が続いて来るんですね。立ち止まって、お互いを見て、人生を見て、また会いましょうみたいな。
—–作品のプレス内のイントロダクションにて、「すべての人の背中を“愛と痛み”を持って押す青春映画」とありますが、現代に生きる私達は常に何らかの重圧に抵抗しながら、耐えながら生きているのではないかと、私は思うんですが、“愛と痛み”を抵抗しながら生きつつ、素通りしてしまっているのかなと。そんな私達に“愛と痛み”を通して、どんな言葉を今を生きる若い世代の方々に投げる事ができると思いますか?
道本監督:今までのインタビューの中で一番難しく、とても深い質問です。劇中で「もっと歩け」というセリフが出て来るのですが、その通りで、「もっと歩け」ということしかないと思います。もちろん、立ち止まる映画でもあるのですが、結局人生は進んで行くので、もっと勇気を持って自分の足で歩こうよって事じゃないのかなと。
—–「歩け!」という一言だけで深いです。私はびんびん来ました。泣きそうです。凄くびんびん来ました。「歩き続けよ、ほなまた明日」とすべて繋げる事ができますね。でも今の言葉は、非常に考えさせられました。人生、立ち止まる事も多いと思うんですよね。何を思って立ち止まるか分かりませんが、たとえば、夢を追いかけていたら、諦めてしまいたくなる時もある。辛い事もあります。それでも、私達は前を向いて行かなければいけない事を一言で「歩け!」と。ジブリの「生きろ!」みたいですね。
道本監督:ありがとうございます。
—–最後に本作『ほなまた明日』が、今回の上映を通して、どのような広がりを持って欲しいなど、何かございますか?
道本監督:若い人はもちろん、さまざまな年齢層の方に来ていただきたいですし、何かものづくりをしている人も、そうでない人にも来てほしい。絶対、何か感じるところがあると思います。もし本作が刺さらない、面白くないのであれば、そう思えたことを知れるだけでも良いのではないかなと。映画館に来なくても楽しめるコンテンツがたくさんありますが、それだけでは得ることのできない、発見か、栄養か、刺激かが本作には絶対あります。ぜひ劇場に見に来ていただきたいです。
—–先程の若い方にどんな言葉を投げますか?という質問は非常に限定的でした。これは、若くなくても、年配の方でも皆に掛けられる言葉じゃないのかなと、今のお話をお聞きして感じした。先程の質問は、若者と限定してしまいましたが、全世代に刺さる映画かなと、私は思いたいです。
道本監督:私もそうであって欲しいです。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『ほなまた明日』は現在、関西では10月25日(金)よりテアトル梅田、アップリンク京都にて公開予定。10月26日(土)にはアップリンク京都、テアトル梅田上映後、道本咲希監督、田中真琴さんの舞台挨拶を予定。
(※1)NDJChttps://www.vipo-ndjc.jp/(2024年10月23日)