深夜2時の“異世界エレベーター”映画『光る鯨』
パラレルワールド。それは、今ある現実の世界とは別に、もう一つの世界線が平行世界として同時に存在する説を指す言葉。でも、この2つの世界は同時に存在しているだけで、交わる事も行き来する事もできないと言われる。パラレルという言葉には、「並行」という意味があり、この先、二度と交差しない事を形容している。でももし、仮定として、このパラレルワールドが実際に存在し(いや、存在していると強く信じて)、今いる私達の世界ともう一つの世界を行き来できるのであれば、あなたは何をしたい?ありもしないであろう、向こうの世界と結ぶ扉が、私達が暮らす日々の日常生活の身近にあるとすれば、それは何処であろうか?団地のエレベーターか?ドラえもんのように子ども部屋の机の引出しか?学校の校舎3階の非常口か?あるいは、普段私達が何気なく使っているトイレや洗面所の鏡が、何処か知らないもう一つの世界《パラレルワールド》と繋がっていて、何かの拍子に、ある時突然、この世界と向こうの世界がシンクロしたら、あなたならどうしますか?もう一つの世界《パラレルワールド》に行ってみたいですか?もし、2つ目の世界があるなら、気になりませんか?その世界には、何があるのか?何が起きているのか?会いたい人には、会えるのか?今私達が実際に生きているこの世界とは、まったく別の道を辿り、まったく違う物語を奏でる世界があるとすれば、それはそれで非常に魅力的だ。本作『光る鯨』は、そんな《パラレルワールド》を題材に、若者たちの恋や青春が、繰り広げられるSFヒューマン・ドラマだ。物語は、コンビニのアルバイトで生計を立てている主人公の志村イト。彼女は、行方不明となった幼なじみの新進小説家・高島はかるの姿を追って、幼少の頃に住んでいた団地を訪れる。老朽化したエレベーターに乗り、現実世界に似ているが全く違う異世界=パラレルワールドに足を踏み入れた彼女は、そこで現実世界から消えてしまった人々と再会を果たして行く。もし死んでしまった人と再会できる世界線があるとすれば、あなたは誰と会いたいですか?家族?友人?恋人?あの日、あの時、あの瞬間、私達はいつも誰かとすれ違い、交わる事なく去って行く。その「もし」の世界を描いた本作『光る鯨』は、今を何となく漠然に生きる私達に対して、何か刺激を与え、また何か行動がしたくなる原動力をこの手に与えてくれる存在になり得ると、作品の持つパワーみたいなものを肌で感じる事ができるであろう。
本作『光る鯨』は、過去にインターネット掲示板で拡散され、若者達の間で話題や人気に火が付いた都市伝説「異世界エレベーター」をモチーフに描いているが、この「異世界エレベーター」(※1)とは、一体どんな事を指しているのであろうか?この都市伝説「異世界エレベーター」は、ほんの十数年前に子ども達や学生達の間で流行した怖い話の延長線にある遊びだ。ひと昔も、ふた昔も前の話であるなら、「コックリさん」が流行して(長く怪奇話として親しまれた昭和の都市伝説)、私の幼少期では「トイレの花子さん」が子ども達の間で流行していた。ルールは定かではないが、3階の女子トイレの手前から3番目のトイレの扉を3回ノックすると…。正直、そんな事あるかいな!と、冷静になれば、ツッコミでも入れたくなる恐怖の都市伝説。深夜にこの手の話を書くと、意外と怖かったりもするが、昔から怖い話や都市伝説は若年層の若者達の間では人気のトピックだ。昔はスピリチュアルブームやオカルトブームが度々、話題になっていたからこそ、「異世界エレベーター」が誕生した背景を色々想像できる。でも、この都市伝説もまた、「異世界エレベーター」(※2)の怖い話として、子ども達の間でまことしやかに囁かれて来た一つだ。私自身、少し世代が違うのか、この「異世界エレベーター」の都市伝説については、今回初めて知った訳だが、もしこの話題が流行った頃に幼少であったならば、恐らく、私は疑う事もなく信じて、戦々恐々していただろう。大人となった時分では、この話が真っ赤な嘘である事を理解できるが、パラレルワールドと呼ばれるもう一つの世界に行けるとするなら、非常に魅力的でロマンスを感じて止まない。本来、都市伝説と言えば、ホラー映画を想起させるだろう。近年、商業やインディーズ関係なく、都市伝説を扱った作品が一昔前と比較して、頻繁に制作されているイメージがある。海外では現在、第3波Jホラーブームが到来していると言われているが、もし国内がそのようなブームであるなら、日本における第3波ホラーブームは、都市伝説関連の作品だろう。もしあちらの世界に行けるとしたら、私は何を望むだろうか?あなた自身は、何を望みますか?どんな世界を渇望し、想像しますか?たとえば私なら、既にライターとして著名になっている世界を望んでしまいそうだ。または、若い頃にもっと違った進路を選び、今とは全く違う人生を歩んでいるもう一人の私が、もう一つの世界に存在していると考えたい。でも、それは単なる幻だ。今いる私こそが、私である。本作『光る鯨』は、そのホラージャンルで制作した訳ではなく、ヒューマンと青春とSFを織り交ぜた作品に仕上げてきた点、非常に交換が持てる作品として完成している。
「異界へと続くエレベーター」の存在は横においておき、本当にもう一つの世界《パラレルワールド》が存在するかしないかの議論や研究は、昔から行われて来た。量子計算理論のパイオニア且つ、量子力学の多世界解釈の支持者でもある物理学者のデイヴィッド・ドイッチュ氏は、あらゆる方面で「量子コンピュータが圧倒的に速いことは多世界解釈が正しい証拠」と発言している一方で、多世界解釈(※3)そのものに対して、否定的な科学者が多くいる事も事実。多世界解釈を詳しく解説すると、アメリカの物理学者であるヒュー・エヴェレット3世(※4)が、1957年にプリンストン大学の大学院生の時、量子力学の観測問題に多世界解釈の理論を世界で初めて提唱した解釈。量子力学に基づく世界観の一つで、世界すべてがあらゆる状態の重ね合わせであるとする解釈。これが、多世界解釈と呼ばれている。この多世界解釈を提唱したヒュー・エヴェレット3世は、「シュレディンガー方程式(※5)は収縮せずに、多世界に分岐する」とはっきりと、この世界が幾重にも何層にも折り重なった幾つもの世界が存在すると提言している。一方で、彼が産み出した多世界解釈より以前には、ニールス・ボーア(※6)を中心に研究された「コペンハーゲン解釈」(※7)が発見されたが、現在では、こちらが、研究では最も主流と言われている。1920年頃から誕生した量子力学だが、この「コペンハーゲン解釈」という言葉が初めて使用されたのは、1955年にドイツの理論物理学者ヴェルナー・カール・ハイゼンベルク(※8)によってからだ。多世界解釈を取り扱う上で、避けては通れないのが、「ボルンの確率則」だ。多世界解釈とボルンの確率則は、切っても切れない縁があり、世界の数を計算する時、ボルンの確率則が使用される場合がある。1926年に、ドイツの理論物理学者マックス・ボルンによって、「確率解釈」が提唱された。彼は、電子の広がった波は電子の発見確率と関係しているという考え方を提案。電子は、波として広がって存在しており、電子の波の振幅の大きい場所ほど電子の発見確率が高いと考えた。物理学界や量子力学界では、この考え方を確率解釈と呼び、マックス・ボルンが提唱したため「ボルンの確率則」と呼んでいる。多世界解釈《パラレルワールド》は、1900年初頭から多くの理論物理学者や量子力学の学者が、研究に研究を重ねていても、今なお、謎に包まれた存在であり、肯定派もいれば、否定派も存在し、存在そのものに対して議論が成されている。現段階で、存在するのかしないのか未知数であっても、多世界解釈は非常に魅力に満ちた分野である事は間違いない。本作『光る鯨』を制作した森田博之監督は、この作品について「大切な人を失った後も、人生は続いて行く事について描いた作品。」と話す。人生にどんな事が起きようとも、私達の時間はずっと続いて行く。大切な人が目の前から居なくなっても、喪失に対する悲しみを乗り越えられなくても、人生は前へ前へ進んで行ってしまう。本作は、そんな悲しみに対して、ほんの少しだけ温もりを与えてくれる存在ではないだろうか?もしもう一つの世界が存在し、そこでは亡くなったはずの大切な人が生きていたら、私達は少しでも救われた気持ちを感じる事ができるのではないだろうか?
最後に本作『光る鯨』は、パラレルワールドという異世界で大切な人と遭遇する人物を描いたSF青春ヒューマンドラマだが、もし本当に平行世界が存在し、こちらの世界と向こうの世界を行き来できるのであれば、何がしたい?もし本作にそんな世界があるとすれば、震災や自然災害が起きない日本があってもいいと思う。でもそれは、儚い夢でもある。現実には、震災が起きて、多くの人々が傷つき、疲弊した日々を送る。震災が起きた事実は変わらないからこそ、私達の目の前にある与えられた「今」をもっと大切に生きなければならないのではないだろうか?日々、何気なく暮らしている「今」が、気づかないうちに大切な存在へと変わっている。本作が作品のモチーフとしている「光る鯨」が、私達の未来の希望にもなる。今日も、何処か遠くの方からクジラ達の希望の鳴き声が、聞こえてきそうだ。
映画『光る鯨』は現在、関西では1月20日(土)よりシアターセブン、1月26日(金)よりアップリンク京都にて公開中。1月27日(土)にはアップリンク京都、シアターセブンにて監督と出演者の関口蒼さんの舞台挨拶を予定。
(※1)異世界行きのエレベーター、 決められた順番で各階を移動すると… : ゾクッとする怪感話https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2021/025093.html(2024年1月25日)
(※2)「エレベーターで異世界に行く」という都市伝説。友達と一緒に試したら… /フォロワーさんの本当にあった怖い話https://news.line.me/detail/oa-davincinews/80718524295e(2024年1月25日)
(※3)知ることのできない世界が存在する!? 多世界解釈https://ascii.jp/limit/group/ida/elem/000/001/801/1801585/(2024年1月25日)
(※4)Cover Story:多数の世界:量子物理学の奇妙さを解釈する理論の50年https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/15944(2024年1月26日)
(※5)わかりやすいシュレディンガー方程式https://yuko.tv/schrodinger-equation/#google_vignette(2024年1月26日)
(※6)「つぶれるはずなのに、原子はつぶれない」の謎…!ボーアが水素原子をモデル化したスゴイ理論の「中身」https://gendai.media/articles/-/117199(2024年1月26日)
(※7)「この世界は無数に存在する」は本当か? 「コペンハーゲン解釈」対「多世界解釈」のゆくえhttps://gendai.media/articles/-/104052(2024年1月26日)
(※8)量子力学の基礎概念を見直す −ハイゼンベルクの不確定性原理の’破れ’と小澤の不等式−https://www.kek.jp/old/ja/newsroom/2012/02/23/1800/(2024年1月26日)
(※9)多世界解釈と確率論によるボルンの規則の導出https://xseek-qm.net/Quantum_Probability.htm(2024年1月26日)