映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』人生の終着駅で出せる唯一の答え

映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』人生の終着駅で出せる唯一の答え

2024年6月12日

ハロルド・フライは人生の為に歩く映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』

©Pilgrimage Films Limited and The British Film Institute 2022

©Pilgrimage Films Limited and
The British Film Institute 2022

今の時代、人生100年時代と呼ばれて、早数年。シニア層の方々が、現役で元気に健康的に活動できる時代が今ここにある。映画では、「終活」を題材にしたシリーズ『お終活 熟春!人生、百年時代の過ごし方(2021年)』『お終活 再春!人生ラプソディ(2024年)』や小説家兼エッセイストの佐藤愛子氏が、2016年8月に小学館から刊行し、『女性セブン』に連載したエッセイ「九十歳。何がめでたい」を原作にし、映画化された同タイトルの作品や90歳を過ぎてから詩作を始め、2013年1月に101歳で他界した詩人・柴田トヨを被写体に映画化した『くじけないで』など、近年シニア層を主人公にした作品が、国内でも数多く制作されている。歳を重ねても、何かに打ち込む年長者の姿を通して、私と同じ若年層の人生や生き方に何かしらの影響や刺激を与えるだろう。でも、そこには人生の最終目的地を迎える為の「終活」という名の準備をする中高年の過去からの悲哀やこの次のステップに向かって進もうとする楽しみを噛み締めて、今を大切に生きているようにも感じてならない。人生の終着駅は「死」と考える人もいるだろうが、どのタイミング、どの瞬間の出来事を「ラスト」と決めるかは個人の自由だ。「終活」とは、人生の最後を迎える為の活動や準備だけでなく、最終終着点へと向かう人生(たび)の途中の瞬間瞬間をどう輝かせるかを考える事が、「終活」と捉えても良いだろう。老弱や天命は誰にも訪れる人生の一大イベントではあるが、その時に至るまでに、どう生きたか、またどう生きて来たが大切になる。映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』は、定年退職をし、余暇を過ごすハロルド・フライは、かつて同じ職場で働いた同僚の女性から手紙が届き、余命幾ばくもない事を知らされる。返事の手紙を近所のポストに投函しようと家を出るが、彼自身の気が変わり、800キロ離れた場所にいる病で苦しむ同僚女性の元を目指して、歩く事を決意する。互いに人生の終焉を悟りながら、運命か宿命の最中、人生最後の力を振り絞り、再会する喜びを噛み締めようと一人の老人がひたすら歩を進める。シニア層の方の生きる為の力強さを前にして、私達は人との関係性や出会い、一期一会の大切さを彼らの姿を通して、再度学ばされるであろう。老いる事へのネガティブなイメージが先行する現代社会、本作は老いる事へのポジティブなイメージを爽快に描いた作品だ。

©Pilgrimage Films Limited and
The British Film Institute 2022

旧友(もしくは昔の知り合い、今回の場合は同僚など)と再会できるのは、人生の中では何万分の一の確率という奇跡に近い出来事だ。学生時代(もしくは、職場や趣味を通した出会いの場など)に楽しく花を咲かせて語り合った親友は、いつの間にか、疎遠となり、時間が経つにつれて、どこで何をしているのか分からない状態が訪れる。音信不通となり、風の噂も聞かなくなり、皆お互いに、生きているのか死んでいるのか、元気に毎日を過ごしているのか分からなくなるものだ。また、今目の前の出来事に忙殺されて、誰も相手の安否を気にしなくもなる。それが、ある種の人と人との一期一会の関係性とでも言えるものだ。人は一年も過ぎれば、相手の存在も忘れて、日々の忙しさにかまけて、過去に起きた出来事、過去に出会った人、過去の思い出のほとんど忘れてしまう。だからこそ、これだけは言える事があるとすれば、今目の前の友達や学生時代の級友は大切にする必要がある。同じ時代、同じ時間、同じ空間で出会えた親友は、唯一無二の存在だ。次、いつどのタイミングで、同じようなタイプの人間と出会えるかは、確率的には非常に低い。それでも、40年、50年の時を経て、昔の親友に出会える喜びは、老人ハロルド・フライが感じたような至福の時と言えるのかもしれない。ここ日本には(日本だけではなく、世界中である模様)、「同窓会」と呼ぶ学生時代の学友と再開する会を開催する風習があるが、リアルでのミーティングよりコロナ禍に起きたオンラインでの開催(※1)のおかげで、気軽に同窓会を開けるようになったと話すシニアの方もいる。同窓生との会話や対面が、人生の一部をより輝かせ、ポジティブな次の生き方を提案する。アフターコロナの今、日本の各地で同窓会が開かれるようにもなり(※2)、奄美大島でも島民の方の同窓会が5年ぶりに開催(※3)されたという報道も流れた。また、同窓会に限らず、ひょんな事から、40数年ぶりに再会を果たす旧友の姿もある(※4)。昔、同じ時代の中で苦楽を共にした親友や知人と再会する事は、隆盛を誇った若かりし頃の思い出を思い起こさせる貴重な機会だ。何かしらの理由で、シニア世代の方が同年の兄弟や友人に会いに行く設定の作品で言えば、実話を元にした兄弟げんかで仲違いした弟に謝罪をしようと、トラクターに乗る老体の兄の姿を描いた映画『ストレイト・ストーリー』や仕立て屋の老人が70年振りに親友に自身が仕立てたスーツを贈り届けようとする映画『家へ帰ろう』。また、立ち退かされて行き場の無くなった初老の老人と猫の旅を描いた映画『ハリーとトント』などを思い起こさせる。

©Pilgrimage Films Limited and
The British Film Institute 2022

また世間一般の「老い」は、まるで人間の天敵のように捉えられている。たとえば、「抗老化医学」「抗加齢」「抗老化」いわゆる「アンチエイジング」と呼ばれているように、私達人間にとって、自然の摂理である老化現象を防ぐ考え方が世の中に浸透している。他にも、「老化防止」「老化予防」「エイジレス」と言った言葉達が世の中に乱列し、私達に対して、老いる事が悪い事で、いつまでも若さを保ち続ける事が良いという風潮が、近年根付いて来ている。果たして、それが本当に良い事だろうか?こういう問題を提議してしまえば、ある種、女性の敵なような印象を持たれてしまいそうだが、私は誰かを揶揄したり、貶めたり、辱めたりするつもりは一切ない。ただ、老化防止自体は人体における健康に非常に良い事だが、過剰に、たとえば整形をしてまで、若さを手に入れるのは老化現象という自然の摂理に反している可能性もある。人間が若さを保つ最も効果的な行為は、趣味を見つけ、仕事を見つけ、やり甲斐を見つけ、自身の人生の最終をポジティブに受け入れる事が、アンチエイジングの秘訣ではないだろうか?近年、高齢であるにも関わらず、元気に働く姿が印象的な高齢者(※5)を、報道中のテレビや実生活でも頻繁に目にする。また、2025年4月の近い将来、「高年齢者雇用安定法」(※5)が施行される、その時、私達は社会の変化を受け止めなければならない。また高齢者雇用だけに注目するのではなく、シニア世代の方々が自ら率先して学問の扉を開ける行動力(※7)、若年層の私達は、働く彼らの姿を見習う必要があるのでは、と思う。若さや老い、アンチエイジングは人間の表面だけで繕っても必ずボロは出る。不老予防は、顔の筋肉の衰えを阻止し、健康的に野菜中心の食生活にし、体を作る為の毎日の運動の日課を課すだけでなく、まずは心の健康であったり、毎日生きていて楽しいと思える事を探したり、趣味や勉学に没頭し、お友達と会話の花を咲かせ、精神的に生きる事への生き甲斐を感じる事こそが、直接的なアンチエイジングに繋がるのでろう。ただ表面を見繕うだけでなく、心から楽しいと思える毎日の日々の日課を見付ける事が、老化現象を防ぐ一番の効果的な取り組みだろう。本作の主人公でもあるハロルド・フライは、非常に高齢な人物ではあるが、一通の手紙の返事のために800キロも歩く彼の精神こそが、「老い」に対する概念までをも吹き飛ばす、不老予防の一面なのかもしれない。本作『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』の原作者兼脚本家のレイチェル・ジョイスは、あるインタビューにおいて、本作を映画化するに当たり気を付けたあるルールについて話している。

Joyce:“When I set out to adapt my book The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry into a screenplay, I had two clear rules. I would do it without flashbacks and I would add new material. I ended up with a script with flashbacks and my new material ended up exactly where it deserved to be – on the floor beside my desk. My task was not to embellish the book but to raid it for its key events, and to do it such a way that the film would acquire a life of its own. The most liberating moment was when I realised I had no responsibility to the book, but every responsibility to the story.”(※8)

ジョイス:「私の著書『ハロルド・フライのあり得ない巡礼』を脚本化しようとしたとき、私には2つの明確なルールがありました。それは、回想シーンを使わず、新しい素材を追加する事でした。最終的に、回想シーンのある脚本が完成し、新しい素材は机の横に置きました。私の仕事は、本を飾り立てる事ではなく、本から重要な出来事を抜き出し、映画が独自の生命を獲得するようにする事でした。最も解放された瞬間は、本に対しての責任はありませんが、物語に対しては、すべての責任があるという事に気付かされました。」と、原作者のレイチェル・ジョイスは話している。原作と映画は別物という前提から、作品の持つ力を最大限に発揮し、ハロルドという人物がなぜ、遠くの場所まで歩き続けるのか。なぜ、親族でもなく、ただ死期が迫っている昔の職場の同僚に逢いに行くのかを、私達に問い掛ける。

©Pilgrimage Films Limited and
The British Film Institute 2022

最後に、映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』は、ある一通の手紙をきっかけに、老年期に差し掛かった老人が、余命幾ばくもない昔の友人を訪ねて、800キロある距離を歩き続ける物語だ。なぜ、彼は歩くのか。歩けば歩くだけ、友人の死期に間に合わない可能性もある。歩くだけ時間が勿体ないと感じてしまうかもしれないが、ふと立ち止まって考えて欲しい。なぜ、ハロルドが歩き続けるのかを…。それは、本作の原題のタイトルに隠されていると、私は思う。英語のタイトルは、「The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry」であるが、この「Pilgrimage(ピルグリミジ)」には、「(聖地)巡礼」や「長旅」という意味があるが、これはハロルド・フライ自身の人生を表している。この長い長い旅の途中には、今まで生きて来た人生の中では絶対に巡り会えない人との数奇な出会い。そして、彼自身の迷いや後悔、人生総出の強く儚い逡巡の渦の中、彼は歩きながら、自身の過去を振り返る。人生の終焉の淵に立った人にしか分からないであろうこの感情こそが、この「Pilgrimage」に込められている。あなたは、人生の最後の最後、自身の生きて来た道を振り返る時、何に想いを馳せるのか?それは、その人本人が自身の人生の終着駅で出せる唯一の答えだ。

©Pilgrimage Films Limited and The British Film Institute 2022

映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)同窓会への出席回数は100回以上…83歳の野口悠紀雄さんが「高校の同窓会」で避けている「2つの話題」https://president.jp/articles/-/80723?page=1(2024年6月11日)

(※2)旧友との再会に懐かしむ 4年ぶり浜名高校大同窓会https://www.chunichi.co.jp/article/553737(2024年6月11日)

(※3)5年ぶりの再会喜ぶ FM中継、熱気シマに届く 奄美群島36年丑寅会https://www.nankainn.com/news/local/%ef%bc%95%e5%b9%b4%e3%81%b6%e3%82%8a%e3%81%ae%e5%86%8d%e9%96%8b%e5%96%9c%e3%81%b6%e3%80%80fm%e4%b8%ad%e7%b6%99%e3%80%81%e7%86%b1%e6%b0%97%e3%82%b7%e3%83%9e%e3%81%ab%e5%b1%8a%e3%81%8f%e3%80%80%e5%a5%84(2024年6月11日)

(※4)高校時代の友と40数年ぶり奇跡の再会 「ひととき」がつないだ友情
https://www.asahi.com/articles/ASRBX533QRBVUTFL001.html(2024年6月11日)

(※5)「俺は100歳まで働く!」全国約3000店舗のマクドナルド 95歳の最高齢クルー!週4日の深夜の清掃が “いきがい”https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/770945?display=1&mwplay=1(2024年6月12日

(※6)2025年4月から65歳までの雇用確保が義務化!企業に必要な対応とはhttps://www.ricoh.co.jp/magazines/back-office/column/elderly_employment/(2024年6月12日)

(※7)88歳の女子高校生、「90代の大学生活」夢見たけれど
https://www.asahi.com/articles/ASP7K2Q6SP76UTFL00B.html(2024年6月12日)

(※8)Rachel Joyce on adapting Harold Fryhttps://womensprize.com/rachel-joyce-on-adapting-harold-fry/(2024年6月12日)