奥の深すぎる不可思議なこの街・京都を舞台にした映画『ぶぶ漬けどうどす』


「ぶぶ漬けどうどすか?」は、京都の古くからある京都特有の文化だ。自宅訪問した際、「はよ、おかえり」の意味を込めて、「ぶぶ漬けどうどすか?」とお家にお上がりと促す。でも実際は、そこで上がってしまったら最期。京都の裏カラクリのドツボに嵌ってしまう。本来、訪問中「ぶぶ漬けどうどすか?」とその家の家主から訪ねられたら、きっぱりお断りを入れて、さっさと帰るのが正解だ。その言葉の素面通り受け取って、のこのこと自宅に上がったしまったら、その地域から引っ越すまでの間、近所中からいい笑い者にされる。「あの人、私が「ぶぶ漬けどうか?」と聞いたら、堂々と家に入ってきはったで」と、近所中にいい振り回す。「あの人、その意味も知らんと京都来はってんな」となる訳だ。言葉で言っている事と逆の事を思っているのは陰湿に聞こえるかもしれないが、これは京都の方の最大限の気遣いであり、おもてなしだ。他にも、劇中に登場する「洛中」「洛外」の関係性は、他府県には理解できない風習だろう。「洛中」は、京都市の中心部を指す地域。特に、現在の京都市の上京区、中京区、下京区。江戸時代は、このエリアが京都市の中心地として位置付けた。より細かく地域ごとに分けると、西を紙屋川沿いから西大路通り、東を賀茂川沿いから河原町通、北を北大路通り、南を九条通りに囲まれた地域1が、洛中と言われる。また時に、洛外はさらに洛北、洛南、洛東、洛西に区別される事(※1)がある。今で言う北の岩倉地域、西の北野白梅町地域、東の東山地域、南の伏見地域は洛外と認識されているだろう。この「洛中」と「洛外」には、他者には気付かれないヒエラルキーが存在している。「洛中」だから良い、「洛外」だからダメとは言わないが、目には見えない上下関係が市内在住の方には持っている。他にも、京都には京都ならではの「ならわし」も存在する。たとえば、「大文字の「大」を飲む」は、杯やお盆に大文字の「大」を映して飲めば、無病息災に暮らせると言われている。次に、「万年青(おもと)」は、転居の際、家運隆盛の象徴として万年青を植える。そして、「お正月は掃除をしない」はお正月は注連縄(しめなわ)を張り、神様をお迎えする為、ほうきで履く=神様を追い出してしまう事(※2)になると、この習慣が生まれた。京都以外にも、地域によって、その地域の色はあるだろう。また、京都三大祭の祇園祭、葵祭、時代祭や五山の送り火。食文化には、京料理、おばんざい、京菓子と言った京都特有の文化がある。他にも、茶道・華道、京町家、能楽・歌舞伎・雅楽など、古くから伝わる伝統芸能が今の時代でも根強く残る。映画『ぶぶ漬けどうどす』は、古都・京都を舞台に、京都愛の強すぎる女性が引き起こす大騒動を描いたシニカルコメディ。その上で、「ぶぶ漬けどうどすか?」の真意を知れば、また新しい京都の街に興味惹かれるだろう。

この「ぶぶ漬けどうどすか?」という京都の習わしは、いつから生まれたのだろうか?まず、「ぶぶ漬け」とは京都でのお茶漬けを指す言葉。「ぶぶ漬けでもどうどす?」は、お客様に「そろそろお帰りください」と遠回しに伝える習慣がある。この表現は、室町時代から女房言葉として使われ始めた説、上方落語や江戸時代の小咄で広まった説が、それぞれあると言われる。いつ、どの時代のどのタイミングで生まれたかは、細かくはまだ分かっていない部分があるが、約652年前の室町時代から使われ始めた説が、有力だろう。でも、京都の方は「京都の歴史は、そんな古しまへん」と微笑みながら笑い飛ばすだろう。「京都が栄えたのは、ここ最近の事。誰が、室町時代ですか?京都を「老舗」とか言いますけど、古さを強調しとるんちゃいます。伝統を重んじるのが、京都の文化どす。」と、笑ってない目で笑い飛ばしてくれそうだ。室町時代から続く女房言葉(※3)には、他に代表格には「おかず」「青物」「あつもの」「おから」「おつむ」「おでん」「おにぎり」「黄な粉」「波の花」「ひもじい」などがある。他にも、「おいでやす」「おこしやす」「ほっこり」「まったり」「はんなり」「おおきに」「かんにんえ」「はばかりさん」など、御所ことば、町方ことば、花街ことばの3つある京ことばは、今でもよく耳にする言葉が残っている。「言葉が古いからって、うちらはそない古しまへん。何を勘違いしとるんやろか?では、この辺でお暇しますさかいに。」と微笑みながら目尻は笑わず、教えてくれるだろう。

一方で、近頃の京都はどうだろうか?近代化が進み、然程、古くから残る文化や伝統、習わしに対する意識の方向性、認識の違いが顕著に現れているのかもしれない。なぜなら、京都で「ぶぶ漬けどうどすか」と言う人はほとんどいない。これが、京都出身、京都在住の若い世代の意見だ。「ぶぶ漬けどうどすか」は、京都に昔からある「いけず」文化(遠回しな表現や皮肉)の一つとして知られているが、現代ではほぼ誰も使ってないのが現状。にも関わらず、映画はこの「ぶぶ漬けどうどすか」を全面的に押し出しているのかと言えば、作品全体から醸し出しているコメディの要素が「ぶぶ漬け」とマッチングしている。要は、現京における遠回しな表現は使われておらず、直接的な言葉で意思を伝えるのが、主流となっている。この「ぶぶ漬けどうどすか」という言葉は、現在では都市伝説や観光客向けのネタとして扱われている印象を受ける。作品が取り上げた「ぶぶ漬け」は、単なる笑いのネタなのだ。作品の大風呂敷を広げる為に、デスフォルトされた京文化を誇張する事によって、面白いおかしいコメディが生まれた訳だ。これを従来の素面通りに受け取ったりしたら、そりゃあ、不快な気持ちになる。京都に古くからあるこの文化を知らなければ、誰もが言葉通りに受け取り、嫌な気持ちを抱くかもしれない。でも、これはどこまで行っても単なるコメディ。いっその事、「ぶぶ漬けどうどすか」と聞かれたら、笑い飛ばせるぐらいの心の余裕を持っておけば、京都での暮らしは安泰だ。映画『ぶぶ漬けどうどす』を制作した冨永昌敬監督は、あるインタビューにて京都の文化について、こう話す。

冨永監督:「毎日1日と15日にお赤飯を食べるなど、そういう習慣についてはまだまだ知らないことがあると思います。 この映画のテーマでもある「なんでも言葉通りに受け取ったらあかんで」は、ある登場人物の台詞でもありますが、これは永久に解けない謎なので。 「言葉通りに受け取ったらあかんで」という言葉も、そのまま受け取ったらあかんかもしれない。だから、正解がよくわからないんですよね。僕は、京都でいけずな人なんて会ったことがないんです。親切で面白い人たちですが、 それはもしかしたら騙されてるかもしれない。京都の人は陰湿だ、 意地悪だ、 排他的だと言われてますが、 「そんなの偏見じゃないか」と僕が言ったところで騙されていたら、 本当は正しいかもしれないんですよね。だから、僕らの映画もどっちにつくかが大事だったんです。」(※4)と話す。京都は、まだまだ奥深い街だ。古い歴史が立ち並ぶ一方で、市内の中心地である河原町や三条、西京極は繁華街だ。京都の東西の主要な通りには、丸太町通、御池通、四条通、五条通が挙げられ、京都の南北の主要な通りは、烏丸通、河原町通、東大路通が挙げられる。この通りを中心に、京都の市街地は大きく発展した。昭和以降、近代化が進んだ京都の街並みから消えたのは、昭和初期頃まであった昔ながらの風習や京ことばだろう。私自身、京都には縁のある方と少しは考えており、親族は京都の家系だ。だから、この映画が主題とする京都特有の文化も京ことばも、街もすべて、幼い頃から生で見て来た。だから、言える事は京都人は世間が言うほど、いけずな正確な人はいない。確かに、多少なりとも地域によってヒエラルキーはある一方、自身の街を誇りにし、堂々と生きる後ろ姿に恰幅の良い逞しさを感じて止まない。

最後に、映画『ぶぶ漬けどうどす』は、古都・京都を舞台に、京都愛の強すぎる女性が引き起こす大騒動を描いたシニカルコメディだが、世間に知ってもらう為に京都の文化をおちょくり、不快感を与えようとした作りにはしていない。確かに、いけずな京都文化を素面通りに受け取れば、不快な気持ちを抱くかもしれないが、今はそんな文化は存在していない。もしあったとしても、それはごく一部の地域だ。それを誇張するかのように描いたのには、狙いがある。まず、京都という街を知ってもらう事。そして、京都に存在する京町文化に少しでも触れてもらう事。いつか京都の文化の一つ「ぶぶ漬けどうどすか?」をお互いにコミュニケーションツールとして笑って言い合えた時、現代において、この文化がちゃんと機能する。このコミュニケーションの先に、本当の京姿が見える事だろう。

映画『ぶぶ漬けどうどす』は現在、全国の劇場にて公開中。
(※1)「洛中」「洛外」とは?京都市内中心部と外を区分するために築かれた「おどい」https://articles.mapple.net/bk/11457/(2025年6月18日)
(※2)知っていると役立つ!?京都のならわし
https://www.collegehouse-osaka.com/mag/lifestyle/post_2049.html(2025年6月18日)
(※3)おいしい、おもちゃ… 今に伝わる女房言葉https://reskill.nikkei.com/article/DGXNASDB08001_Y3A800C1000000/#:~:text=%E5%A5%B3%E6%88%BF%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E5%AE%AE%E4%B8%AD,%E3%81%AB%E7%94%A8%E3%81%84%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82(2025年6月18日)
(※4)京都愛が暴走した主人公が引き起こす騒動をオリジナル脚本で描く
映画『ぶぶ漬けどうどす』 冨永昌敬監督インタビューhttps://kansai.pia.co.jp/interview/cinema/2025-06/bubuduke.html(2025年6月18日)