ドキュメンタリー映画『プリンス ビューティフル・ストレンジ』次の君達だ!

ドキュメンタリー映画『プリンス ビューティフル・ストレンジ』次の君達だ!

2024年6月22日

孤高の天才“プリンス”の真実に迫るドキュメンタリー映画『プリンス ビューティフル・ストレンジ』

©PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.

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マドンナ、マイケル・ジャクソン、シンディ・ローパー、ホイットニー・ヒューストン(※1)と言った大物洋楽アーティストを輩出した80年代の音楽シーンは、一番脂の乗っていた良い時代だった。今挙げたシンガー以外にも、ブルース・スプリングスティーン、スティーヴィー・ワンダー、フィル・コリンズ、ライオネル・リッチー、ビリー・ジョエル、ジョージ・マイケル、ユーズリミックス、ホール&オーツ、ベリンダ・カーライル、ティナ・ターナー、デビー・ギブソン(※2)などが挙げられる。80年代のバンドで言えば、デュラン・デュラン、ガンズ・アンド・ローゼズ、ザ・キュアー、クイーン、デペッシュ・モード、ボン・ジョヴィ、ポリス、AC/DC、ジャーニー、U2、R.E.M.、トーキング・ヘッズ、ジューダス・プリースト、トト、アイアン・メイデン、モトリー・クルー、イエスetc…などなど。挙げれば、枚挙に遑がない程、多くのロックバンドが輩出され、世に多くのヒットソングをリリースした洋楽を量産したのが、この80年代と言う時代背景だ。また、音楽的背景で言えば、この時期、MTVの人気も同時に高まり、この80年代の洋楽ブームは空前絶後の人気沸騰期を迎える。MTVの出現は、今まで音楽だけであった文化に対して、映像という側面が加わり、映像で楽しむ音楽として人気を得た訳だが、70年代以降、電化製品であるテレビが一般社会に普及したお陰で、80年代にはテレビ人気にも火が付き、これがまた、洋楽の普及を後押した背景があると考えても遜色ないだろう。この錚々たるメンバーの中でマルチプレイヤーとして異彩を放っていたのが、プリンスという孤高の天才ミュージシャンだ。ドキュメンタリー映画『プリンス ビューティフル・ストレンジ』は、このプリンスの生涯を初めて追った作品となっており、57歳で急逝したプリンスの過酷な生い立ちから一流のトップクリエイターにまで登り詰めた姿を、当時の彼自身を知る関係者にインタビュー形式で話を聞くスタイルの音楽ドキュメンタリーとなっている。知られるざる才能の裏に隠された黒人シンガーとしての苦悩もありながら、どのようにして、彼が世界のトップに立てたのか、非常に気になるところだが、それ以上に、プリンスが残した彼の才能は今の時代に必ず引き継がれていると強く信じたい。才能や技量、プリンスの持つ力量はもう、最早、彼自身をも超越した存在だ。世界中の後進の若いミュージシャンに継承し、伝えて行く事が、今後必ず大切になって来る。

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プリンスことプリンス・ロジャーズ・ネルソンは、1950年代後半、アメリカのミネソタ州ミネアポリスの白人が多く居住する地域で生まれ育った。彼が、幼少期の1960年代はキング牧師を筆頭に、アメリカ社会に対して黒人間で起きたアフリカ系アメリカ人公民権運動(※4)が吹き荒れた混沌とした時代に大切な幼児期を過ごしているが、白人の居住の割合が大きく占める環境は黒人にとって、お世辞にも良い環境とは言えず、さらにその上、1960年代、1970年代は黒人差別がまだまだ良しとされていた時代背景があり、その過酷な生活環境下で、彼は幼少期を過ごし、その時代を生き抜いて来た。決して裕福ではない家庭環境や社会環境から業界のトップに登り詰めた黒人と言えば、映画『ドリームプラン』でも取り上げられたテニス界のプロプレイヤーであるウィリアムズ姉妹もまた、同じ黒人でありながら、テニスを練習する素晴らしい環境で育った訳でもなく、犯罪と暴力が蔓延る危険な地域で日夜テニスの練習を親子で行い、世界のトップにまで駆け上がっている。生温い環境で育つよりも、多少シビアな住環境で夢を持ち追う方が、夢を叶える確率は格段と上がるのかもしれない。そこには、恵まれない地域で暮らしている以上、誰に対してか分からない「何クソ」と心の底から思う強い意志が、本人達を前へ前へと推し進めるのだろうか?恐らく、そこには様々な逆境がある中、本人達がその障壁に対して「絶対、プロになってやる」という強い野心や負けず嫌いな精神もまた、成功への道筋になったに違いない。この不屈の精神や闘志こそが、夢への一歩を現実のものとし、成功の鍵を握っているのだろう。彼の生い立ちは、順風満帆な人生とは言えず、幼くして両親が離婚、後に母親は継父と結婚するが、プリンス自身はこの父親との折り合いが合わなかったと言う。音楽の道への影響は、少なからず、継父からの影響はあったと言えるが、それだけが彼のすべてではない。学生時代には、級友とバンドを組み、デモテープを作り、音楽活動に明け暮れたと言うが、この時期から彼の才能は開花し始め、後に音源が発掘される事になる初期の楽曲には、既にミネアポリス・サウンドの片鱗が垣間見えるシンセサイザーを使用したファンクミュージックを作曲していた。彼は、この時期に新しい音楽ジャンルであるミネアポリス・サウンドを自身で作っており、これは後にこの音楽ジャンルが世間に定着を見せる最初期だ。プリンスは、自身が中心人物となって築き上げたこの新ジャンル、ミネアポリス・サウンドの立役者となっている。このジャンルには、他にザ・タイム、ジャム&ルイス、彼らのプロデュースを受けたジャネット・ジャクソン、モーリス・デイ、ヴァニティ6、アポロニア6、タ・マラ&ザ・シーン、シーラ・E、ジェシー・ジョンソン、ブラウンマーク、マザラティ、ザ・ファミリーと言うアーティストがおり、プリンス同様に80年代を中心に人気を博したシンガーやロックバンドばかりだ。

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マルチプレイヤーと呼ばれるプリンスは、どこまでマルチなのか気になるところだ。ここでの「マルチ」とは、彼が音楽家なので、歌唱や楽器演奏、作曲能力、ライブでのパフォーマンス力、大衆を惹き付けるカリスマ性、と様々な要素を挙げる事ができるが、その中でも楽器演奏と作曲能力は他のアーティストよりも秀でて、長けていた。どんな楽器でも彼が手にすると、すべて彼の手の中で自由に操られる。プリンスは、たった一人であらゆる楽器を多用し、一人で楽曲制作に取り組んで来た。すべての楽器を使用できるだでなく、自身の能力を最大限に発揮させ、楽曲制作を一人でできてしまうのは、「才能」と他呼ぶものはないだろう。こんな神業は、他にできる人は少なく、誰も真似できたものではない。プリンスは、音楽に対する才能に長けていたが、私達は彼を真似する事はできない。でも、私達にも彼とは別の「才能」を潜在的に意識下で持っている事を認識する必要がある。世界で最も有名な作者不詳の名言『才能の差は小さいが、努力の差は大きい。継続の差はもっと大きい』という言葉があるが、これをより分かりやすく言えば、「才能の有る無しを気にかけるより、努力の質を高め、努力の継続を心がけたほうがいい」という意味になる。幸せや成功のヒントとなる秘訣は、「才能より、努力の継続」という考え方が必要となるのだ。これを明確に意識した時、自然と出て来る事は、人とは唯一無二の才能を発揮するより、その才能を伸ばすために、来る日も来る日も日夜諦めず、努力を継続させ、質を高める事こそが、人が持つ才能の中でも一番輝いている事を認めてあげる事だ。「あなたの中に眠っている才能を発見するための7つの質問!」があると言われているが、この7つの質問に対して最後まで答えられた時、あなたは自身の才能について発見と気付きがあると言われている。1.あなたが時間を忘れるほど夢中になれることはなんですか?2.あなたの人生での大きな成功体験・失敗体験はなんですか?3.それぞれの成功体験・失敗体験の中から導き出されるあなたの得意なことと苦手なことはなんですか?4.自分がイライラするポイントはなんですか?5.あなたが今まで時間やお金を費やしてきたこととその理由はなんですか?6.あなたが人から感謝されたことは何ですか?7.これから1時間、あなたが語りたいこと、語れること好きなだけ語ってください!と言われたら、あなたは何を語りますか?(※5)これらの質問を自身に投げかけてみて、どんな答えを頭で想像したのか?その答えが、自身のこれからの人生にどう役立てられるか?これらを想像して、明確な答えが頭の中に浮かんだら、それこそが人生の扉を開ける才能の第一歩だ。才能とは、元からその人本人が持つカリスマ性や魅力だけを指すのではなく、毎日コツコツ繰り返し、諦めず腐らず、心折れず、継続する事が誰もが得られる才能の片鱗だ。本作『プリンス ビューティフル・ストレンジ』を制作したダニエル・ドール監督は、あるインタビューにて作品の方向性やプリンス自身を深く掘り下げた事によって、監督自身の人生にどう影響を与えたかと問われ、こう話している。

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D’OR:“L’accent a été mis sur le centre communautaire « The Way ». Le centre a sorti les jeunes de la rue et leur a enseigné l’histoire des Noirs; Spike a appris aux enfants comment s’habiller, marcher et avoir du respect pour eux-mêmes et pour les autres. Cela a donné aux jeunes un endroit à eux, pour grandir et apprendre de leurs mentors. De nombreuses et merveilleuses opportunités de vie y ont été nourries, donnant naissance à d’immenses réussites, dont Prince fait partie.D’autres comme Jimmy Jam et Terry Lewis, le sénateur Bobby Joe Champion, Jelly Bean et Sonny Thompson en font partie. Recréer, d’une manière ou d’une autre, cet environnement extraordinaire dans d’autres communautés de ce type, par le biais d’organisations caritatives et de l’histoire de ce film, est maintenant devenu une mission pour moi.”

ドール監督:「この映画の焦点は、「The Way」コミュニティセンターでした。このセンターは若者を路上から連れ出し、黒人の歴史を教えた。スパイクは子供たちに服装、歩き方、そして自分自身と他人を尊重する方法を教えました。これにより、若者たちに指導者から学び成長するための自分の場所が与えられました。そこでは多くの素晴らしい人生のチャンスが育まれ、プリ​​ンスもその一員である計り知れないサクセスストーリーが生まれました。ジミー・ジャムやテリー・ルイス、ボビー・ジョー・チャンピオン上院議員、ジェリー・ビーン、ソニー・トンプソンなどもその中にいる。慈善活動とこの映画のストーリーを通じて、この異常な環境を他のコミュニティでも何とか再現することが、今私にとっての使命となっています。」

D’OR:“J’ai déjà abordé ce sujet plus tôt, alors je ne sais pas trop comment répondre sans me répéter, mais je peux vous dire ceci : beaucoup de gens lui ont attribué le mérite d’avoir littéralement sauvé leur vie, par exemple un adolescent qui grandissait dans le Midwest des années 1970 et qui réprimait son sentiment d’être gay. Son père était gravement homophobe et ce jeune avait décidé de mettre fin à ses jours. Par miracle, il a rencontré Prince et sa musique qui lui ont donné la certitude qu’il n’était pas seul. Le message de Prince sur l’acceptation de tous, jeunes, vieux, homosexuels, hétérosexuels, blancs, noirs, etc. était très fort spirituellement pour les jeunes de cette époque – et il l’est encore aujourd’hui. Je suis toujours surpris et ému par les célébrations de Prince. La diversité est si merveilleuse et si porteuse de vie. Il y a tant de soutien et d’amour mutuel dans la communauté des fans de Prince. Je ne peux qu’espérer que cela continue à résonner avec les générations futures.”(※6)

ドール監督:「この話題については以前にも触れたことがあるので、繰り返さずにどう答えるべきかわかりませんが、これだけは言えます。中西部で育った十代の若者など、多くの人が彼のおかげで文字通り命を救われたと信じています。 1970年代、同性愛者であるという感情を抑圧していた。彼の父親は深刻な同性愛嫌悪者であり、この若者は自らの人生を終わらせることを決意していました。奇跡的に、彼はプリンスとその音楽に出会い、自分は一人ではないという確信を与えてくれました。若者、老人、ゲイ、異性愛者、白人、黒人など、すべての人を受け入れるというプリンスのメッセージ。当時の若者にとっては精神的に非常に強かったのですが、それは今でも変わりません。プリンスのお祝いにはいつも驚き、感動します。多様性はとても素晴らしく、生命を与えてくれます。プリンスのファンコミュニティにはお互いに対するたくさんのサポートと愛があります。このことが後世にも響き続けることを願うばかりです。」と、当時のプリンスというトップスターが、どのような人物像だったのか、具に分かる貴重な証言ではあるが、まるで現在のところのレディー・ガガと同じような立ち位置の人物であった事が伺える内容だっただろう。最後まで、世界のトップ・アーティストとして君臨し続けたプリンスであったが、彼がこの世に残した功績を考えると、当時のデヴィッド・ボウイと二分化する程、マイノリティに対して途轍もなく強い影響力を与えていた違いない。

最後に、ドキュメンタリー映画『プリンス ビューティフル・ストレンジ』は、貴公子(プリンス)と呼ばれた稀代のアーティスト、プリンスの生い立ちからシンガーとして駆け抜けた80年代の彼の姿を追ったドキュメンタリーであるが、奇しくもプリンスは2016年4月21日に57歳に突然、急逝した。何の前触れも無く、この世から姿を消してしまったプリンスではあるが、彼が残した若き才能のその一部分は今の世にも必ずや残されている。20世紀の天才、天賦の才能を持っていたプリンス。21世紀、令和の時代、その彼の後を継ぐように、音楽業界や映画業界、はたまた他の分野の業界が今、欲しているのは、君たち若者たちの才能だ。若さという才能だけでなく、これからの国や社会を支えるべく立ち上がる若い国力を、業界は求めている。プリンスの代わりになるのは、次の君達だ!

©PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.

ドキュメンタリー映画『プリンス ビューティフル・ストレンジ』は現在、全国の劇場にて公開中。

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(※6)INTERVIEW AVEC DANIEL D’OR, RÉALISATEUR, PRODUCTEUR & SCÉNARISTE DE « MR. NELSON ON THE NORTH SIDE »https://www.world-film-festival.com/interview-avec-daniel-dor/(2024年6月22日)