それぞれの《かけら》たちが紡ぎ合い歩み出す映画『虹のかけら』篠崎雅美さん、波佐本麻里さんインタビュー
—–篠崎さんは、映画『虹のかけら』の出演のお話を受けて、もしくはシナリオに目を通して、作品全体をどのような印象で受け取られましたか?
篠崎さん:実は、一番最初の脚本は今の状態とは、かなり違っていました。尺的にも短編に収まろうとしているのかなと感じました。監督の坂さんが書かれた脚本でしたが、当初のタイトルも「虹のルービックキューブ」という題名だったんです。登場人物においても、お母さんは登場していたと記憶していますが、それでも比重が置かれていたのは、今の物語で言えば、田中さんと芽衣の関係性でした。初めは、ストーリーも全く違うものでした。ここから始まって、稿を重ねていくうちに、脚本に堤さんが入られるようになり、ほとんど変わらない今の「虹のかけら」の原型が産まれました。私は、出来上がって行く過程をずっと見ていたに近い状態かと思います。そんな中、撮影中には脚本家の堤さんが私達の演技に合わせて、役者さんがそう演じるのであれば、と臨機応変にシナリオに加筆修正を加えて下さる部分もありました。その点で言えば、本作はそれぞれが全力で一生懸命考えて、皆でアウトプットしながら、力を合わせて作り上げていったと言えると思います。
—–恐らく、初稿と脚本家の堤さんが入ってからの内容に関しては、認知症というキーワードが入るという変化があったかと思いますが?
篠崎さん:記憶している限りで言えば、初稿では確かになかったように思います。
—–最初は、親子の関係もなかったですよね?
篠崎さん:お母さんが登場しても、親子の関係性に比重を置いている訳ではなかったと思います。ただ、芽衣自身の孤独や彼女が持つ「他者との繋がりを持つ事への苦手意識」そしてそれ故に抱える悩みや、その環境に対して何とかしたいと無意識に思いながら生きているという根底の設定は、変わっていないんです。その点に関しては、恐らく監督が一番、作品の根底に描きたい部分だったと思います。それ以外の周りのストーリーは、大きく変化を見せました。
—–認知症が作品のテーマになった瞬間の印象は、ガラッと変わったのではないでしょうか?
篠崎さん:だいぶ変わりました。親子がテーマになっている点も踏まえて、田中さんとの関係性も大事にしつつ、その要素以外の部分だけでも大幅に膨らんで行ったんです。 作品への印象が大きく変わったと感じました。あと、単純に作品の尺が長くなっている点にも変化を感じましたので、それぞれの人物に対する深みが増していたと思います。
—–次に、波佐本さんに質問です。波佐本さんは、台詞ありではこの作品がほぼ初めての出演とお聞き致しましたが、若年性認知症を患う女性役は、演じるにあたりハードルが高くなかったでしょうか?
波佐本さん:あまり難しいとは、感じなかったんです。実は、私は認知症の役をする前に、実際に母と一緒に認知症を患った寝たきりの祖母を3年ぐらい自宅で介護した事がありましたので、その点はどう表現すればいいのかなんとなく分かっていたんです。ただ、私自身、セリフのある役を演じるのは、2作目だったんです。1作目は、ビジュアルアーツ専門学校・大阪に通う学生さんの卒業制作でした。本作の監督である坂さんが、その作品をご覧になっていて、私の顔を覚えていたらしいんです。エキストラやキャスト募集のサイトを閲覧している時に、本作の関係者がお母さん役を募集している記事を拝見させて頂き、自身の演技や台本読みなんて一切考えなく、一先ず「やっちゃえ」と勇気を出して応募したら、監督が坂さんだったんです。その頃には既に、シナリオも大きく変わっていて、認知症のお母さんという設定も決まっていたんだと思います。母親を募集している短編というお話だったので、それほど難しくないだろうと思って出演しました。何度か変更されたシナリオを頂いていたんですが、ある時突然、長篇にしようという話となったんです。「20分の作品ですよね」とお聞きしたら、「せっかくなんで長編にしようと思っています」と。長編だと台詞も多く、撮影日数も増えるだろうから、どうしようかと思っていたら、セリフは多くありませんと説明を受けました。この時の私は本当に、セリフをちゃんと覚えて演技ができるレベルではありませんでした。脚本にセリフがない分、演技に集中できたので、本当に良かったです。逆に、この作品が2作目で良かったと、振り返って思えます。
—–でもセリフのない役は、演技で見せないといけないと思います。たとえば、顔の表情や動き。この点は、どうでしたか?
波佐本さん:認知症の役だから、映画の撮影状況が分からない、不安な顔がそのまま出ればいいかなと挑んだんです。ただ私は、お喋りも好きだし、お酒も好きだし、夜通し朝まで飲めるタイプなので、撮影期間中、スタッフやキャストの関係者の方とはあまり和気藹々としないでおこうと決めて、自粛しました。兎に角、自分の部屋に篭って大人しくしておこうと決めたんです。ベッドの上にいる時間やぼーっとする時間を、たっぷりとっていました。
—–その意識は、非常に大切だと思います。
波佐本さん:多分、顔に出ちゃうと思ったので、自制したんです。たとえば、録音部の金森さんとお酒を飲み交わして仲良くなってしまうと、演技にもそれが出てしまうと思います。その点は、自らも気をつけて、私からは触れ合いのない現場になりました。コタツのある居間で、皆さん楽しそうに話をされているのが聞こえたんですが、あの中に入っちゃいけないと、距離を置いていたんです。
篠崎さん:ロケ現場では、金曜日の夜から皆で合宿みたいに泊まり込んで、土曜日と日曜日の朝から晩まで撮影して帰るのがルーティンとなっていたんです。ご飯を皆で食べて、お風呂に行って、撮影場所に戻って来て、次の日に影響が出ない程度に、少しお酒を飲んで解散するのが撮影中の日課でした。でも、そこに波佐本さんは入って来られなかったんです。まさか、自ら進んで距離を置いているとは、当時は知らなかったのですが、その後違う現場でお会いしたら現場での接し方がまた違っていたので、母親の役のために抑えられていたということはスゴイことだなぁと感じますし、感動しました。
—–監督や主要メンバーは知っていても、他の方は皆さん、知らないのではないでしょうか?非常に、いい話ですね。
波佐本さん:この事は、そうしますからと言うような事ではないし、誰にも言ってなかったんです。だから今日、初めてお伝えしました。
—–正直、波佐本さんの演技は、とても好きでした。あの認知症の母親役が、非常にハマっていると感じました。
—–篠崎さんから客観的に見て、芽衣という女性や彼女の人生に対して、作品が出来上がった時、どう映りましたか?
篠崎さん:私はどうしても、芽衣を演じている為か、完成した作品を観ても、客観視する事が非常に難しいのです。観ているうちに、人物の感情にリンクしてしまう部分もあるんです。状況が全く違いますが、彼女が抱えている心情は、私自身ととても似ていて、同じものを持っているような気がします。私は介護やデリヘル勤務の経験はありませんので、彼女の置かれている環境とは全く違いますが、分かり合いたくて誰かに求め、または求められたい気持ちを心の奥底で持っています。それができず、口にも出せない孤独感。一番近くにいる人と分かり合いたいのに、分かり合えないこのもどかしさは、普遍的だと思い、そしてまた監督も自身の生き写しと思っています。だから、芽衣に自分を重ねている部分があります。作品が完成しても、不思議とずっとそんな感情があるんです。でも、芽衣はちゃんと一歩を踏み出していくので、この点は演じている時も含め、途中から芽衣に寄り添う気持ちもあり、最後は彼女の方が追い抜いてくれるんです。作品を観ていて、そんな気持ちになるんだって教えてもらいます。だから、芽衣が私の知らない部分について、教えてくれている感じですね。逆に芽衣が私の背中を支えてくれるような、そんな気持ちになります。この作品は、すべてが良い方向にコロコロ転がり、良かったですねと、終わる作品ではなく、生活の中で一つずつ、人と人が繋がり合いながら、成長し合いながら少しずつ変わって行く姿を描いています。この部分を観て下さる方が、どのように受け止めて下さるのか、とても気になります。
—–波佐本さんが演じる佳代子という人物は、認知症が原因で少しずつ記憶を忘れて行く女性という設定ですが、波佐本さんは彼女が忘れつつある記憶を、演技にどう反映させたとか、何かございますか?
波佐本さん:当時は、まだ役者としては初心者でしたので、人物の性格設定や性格描写に関しては、分からないまま挑んでいました。堤さんから、認知症のお母さんの演技に関しては、正直分からない部分もあるので、波佐本さんにお任せしますと言われたんです。監督からは、認知症がテーマになっている映画『アリスのままで』を観て下さいとアドバイス頂いていました。あとは、YouTubeで多くの認知症の方を題材にしたチャンネルを観ました。その中でひとつ、認知症のご夫婦の方々の姿を取材されたチャンネルがあり、彼らをお手本にしようと思ったんです。何度も繰り返し観て演技の参考にしました。また、認知症ケアの一日講習会にも参加してみました。認知症について勉強して来た、と自分に自信を付けたかったんだと思います。そして、自分なりに過度な演技ではない若年性認知症の母としてナチュラルな寺田佳代子を作り上げました。
—–お話にあった「ナチュラルに」という言葉そのままが、映像で表現されているかなと、改めて、私は思うところがあります。
—–芽衣という女性のように、一人で悩んでいる若い方々が、社会には男女問わず、たくさんいます。作品は取り扱っていませんが、たとえば、ヤングケアラー問題が社会で問題になっています。もし日本全国におられる同じような方々にかける言葉があるとすれば、悩んでいる方々にどのような言葉をかけられると思いますか?
篠崎さん:難しい質問ですが、軽はずみな言葉を発言するのは、少し違うと思います。「頑張れ」と言うのも違うと思っています。私は元々、「頑張れ」という言葉があまり好きではないんです。一人一人、それぞれの事情があり、それぞれの感じ方もあり、だからこそ人に言えない事があると思うのです。軽はずみに理解を示し、反対の意見を言うような事はしたくありません。これは質問の答えとなっているかわかりませんが、撮影中、演じている時は「一歩踏み出せるような映画になれば」と思っていました。ただ完成した時、私が感じたのは、踏み出すと言う前に、観てくださった方の「背中を支えられるような作品」になれたかな、と。今にも倒れそうな、崩れそうな方々の背中や気持ちをソッと支えることができたら、この映画が役割を全うするとも思うんです。そうあれたら本望だな、と私自身は思っています。この「背中を支えられたら」という言葉は坂監督が以前おっしゃっていた言葉です。本作は「親子の赦し」というテーマや、そこを中心に登場人物の心情面に焦点を当てていて、介護やデリヘルの世界については深く描写していない部分もあり、現職の方や介護のご経験がある方には温く感じる部分もあるかもしれません。その点はフィクションの部分もあると思います。 それでも、登場人物たちの誰かに何か感じるものがあり、少しでも癒しになり、背中を支えられるような作品になってくれたら、非常に嬉しいです。
—–寄り添う事が、大切ですね。撮影時と上映間近の現在、認知症を患った女性を演じた波佐本さんにとって、認知症に対する見方や認識に対して、何か変化かございましたか?
波佐本さん:本作の場合、芽衣ちゃんしか家族がいないお母さんでしたが、もし旦那さんが生きていた場合、また近くに気にかけてくれるような、サポートできるような親族の存在があれば、認知症の方のクオリティ・オブ・ライフ(※1)も向上する可能性だってあります。サポート体制がいる事の重要性を再認識しました。今回の映画で言えば、娘一人に介護のすべてが乗っかっている現状ですよね。そして、介護に疲弊した結果、最悪の事態も考えられますよね。現実社会でも起こりうる事ですので、介護される側もする側も疲弊しない世の中になって欲しいと思います。
篠崎さん:撮影の前後にも介護疲れによる事件などのニュースがあり、考えさせられるものがありました。
波佐本さん:疑似体験としても、家族に殺されかける自分自身を経験した時、私自身の人生観は大きく変わりました。もしかしたら、明日、認知症になるかもしれないなと思ったら、残りの人生、毎日を悔いなく生きなければいけないという思いになりました。
—–私達は認知症だけでなく、いつ病気になるか分からない環境です。今の時代は若くても、いつ死ぬか分かりません。
波佐本さん:明日、交通事故に遭って、身体が不自由になるかもしれないと考えたら、今日生かされているのであれば、毎日必死に生きなければいけないと思いました。
—–自身がライターをしているのも、悔いのない人生を送りたくないという思いからです。いつ死ぬか分からない人生と考えたら、悔いが残らないように、生きたいと思っています。後悔しない生き方とは、何でしょうか。
—–今年、あるドキュメンタリー映画の取材をさせて頂く機会があったんですが、その作品の被写体の方が70歳、80歳のご高齢の方でした。認知症を患った男性でしたが、その方の姿を見ていると私自身の親と重なるところがありまう。親も私も病気を患うかもしれない中、家族にはその時が必ず訪れると思います。訪れるであろうその時に対して、私たちはどう受け止めればいいと思いますか?
篠崎さん:まず、私の両親は70代です。私は5人兄弟ですが、揉めることもなく、兄弟仲はいいんです。それでも、事前に話し合う必要があると感じて、ついこの間、 兄弟間で話し合いました。話すのに勇気やエネルギーは要りますが、現実的な問題についても話し合ったんです。その上で、兄弟間の想いを両親にも伝え、両親がどうしたいかをまず最優先にしながら、また話し合いを続けて行こうと伝えました。今後何が起きるか分からないからこそ、両親がどうしたいかを、まずヒアリングして、今出来ることを先延ばしせずに、今思っている事を伝え合う事が大切だと思います。
波佐本さん:祖母だけでなく、父が亡くなる1年、2年ぐらい前から、認知症が軽く入っていた印象がありました。身内だと認めたくないという気持ちから病院に行く事をすすめないと聞きますが、私も見過ごしてしまい、旅行先で体調不良となり、亡くなってしまったんです。振り返れば、少し認知症の症状があったのかなと思います。認知症の人は自分の体調不良にも気が付かない事があるので、注意しなければならない事を講習会で知りましたが、すでに遅しでしたね。
—–本作の題名「虹のかけら」には、失われつつある記憶や思い出を拾って行こうとする人物たちの姿を表現しているように感じ取れました。お二人は、このタイトルにどんな印象や気持ちを乗せる事ができると思いますか?
篠崎さん:当初のタイトル「虹のルービックキューブ」は、(仮)だったんです。そもそも、初稿ではルービックキューブが話の中で非常に重要な役割を占めるように出て来ていました。初稿では、田中さんと芽衣の思い出のアイテムになっていたんです。なので、稿を重ねてストーリーが変わった今、このままタイトルにすると違うねという話になったんです。撮影の合間に話し合い、何個か候補を出して、最終的に「虹のかけら」にしようとなりました。そして、この作品を観て下さった方々は、「かけら」から連想して、感想や意見を伝えて下さり、その感想をお聞きして、こちら側は非常に新鮮な気持ちになることも多くいです。最初は「ルービックキュービック」だったので、私達の方がピンと来るのが後だったんです。こちらが後から受け取れる環境もまた、とても面白く、そして何より尊いことでもあると思います。作品をアウトプットした側が、この作品を通して循環して、観て頂いた方から教えてもらえるのが、非常に嬉しいです。それに伴って言えるのが、思い出や登場人物のそれぞれの欠片が、集まって紡ぎ合って、補い合い、支え合ったりするということ。そして今まさに起こっている現実世界でも言えることで、今回のように取材して頂いたり、後からチームに入って来てくれる方含め、それぞれがきっと一つ一つのかけらなんですよね。みんなで一緒に、ゆっくりゆっくり紡いで、歩いて行ける環境がいいですよね。映画の世界も同じですが、作品を一緒に創った仲間も、作品を観て下さる方達もまた、かけらです。繋がり合える事があるんだと、タイトル「虹のかけら」には、そんな意味があるのだと思います。
波佐本さん:タイトルの「虹のかけら」はもう、結果オーライですよね。この映画を観た方々は様々な解釈を持って下さると思います。結果的に、このタイトルで良かったと思います。撮影中に、映画のタイトルを変える話が出ました。タイトルを変えるミーティングをしながら、後半の撮影をしていました。劇中には、確かにルービックキューブが登場するんです。だから、名残がありますね。ただ、「かけら」に変更した方が、作風と非常にマッチしていますね。私が受けた虹の印象は、お母さんや娘の芽衣や登場人物各々を指していると思います。虹は七色ありますので、その一つ一つの色がその各々の人生ではないでしょうか?また、「かけら」とは、その人の人生の断片なのかもしれないですね。そして、登場人物達は下向きではなく、上を向こうとしますよね。下に落ちて行く人がいないんです。
—–それは、逆説的ですね。虹は、上に上がって行きますが、最後は下に落ちて行きますよね。そうではなく、みんな上に上がって行くという解釈が素敵です。
篠崎さん:虹だから、グラデーションなんです。支え合って、補い合って、交互で影響し合っている上、境界線が曖昧になる時に非常に魅力的になるのかもしれないです。他者を分かり合おうとする時に、自分と他者の分かれ目が無くなる。その瞬間に共感し合えるので、この映画の「虹」の場合は、境界線が曖昧でグラデーションみたいになっている所を指すのかなぁ?と思います。花火や海の場面で、田中さんと芽衣が話しをする姿が、お互いの支えになっていて、それぞれが一歩踏み出すきっかけになって行く部分があると思います。私達が分かり合える瞬間=曖昧な境界線。そこが、人々が生きていく上で大切な事だったりするのかなって思うんです。人生における財産となる瞬間じゃないかなって私は思っています。
—–最後に、本作『虹のかけら』の魅力を教えて頂けますか?
篠崎さん:舞台挨拶でも伝えられたらと思っている事なのですが、作品の魅力にも繋がっている、この映画に携わったキャスト、スタッフ、関係者にも注目して欲しいということ。いろんな所で言っていますが、本当に誰一人欠けても、この作品は、この形で出来上がらなかったと思うんです。これは、非常に誇り高い事です。もちろん、お客様の自由な形でご覧いただきたいというのが一番にありますが、観て下さる方には物語や登場人物の心情も感じていただきつつ…、たとえば、この音楽がいいとか、この画角がいいなとか、この編集、ヘアメイク、入ってくる音が感じ入るな、とか…そんな所からも深く素敵な表現世界があって楽しんでいただける作品になっていると思うので、顔が見えているキャストだけでなく、各部署の携わったスタッフの表現にも注目して頂いて、好きな何かが見つかれば、是非キャスト達だけでなく、スタッフの方々の活躍を応援して頂き、どんどん応援の輪を広げて欲しいと願っています。スタッフ達の頑張りもまた、本作の魅力の一つだと思って頂けたら嬉しいです。
波佐本さん:本当に役の中での出演者たちは、誰もが下には行かず、虹の架け橋を渡って行きます。私は本当に、がっつり映画に出演するのは、初めての経験でしたので、照明部や音声部の大変さを知ることができました。もうヘアアメイクの幸沢さんにしても。
篠崎さん:メイクの表現が、映像の中に生きているんです。
波佐本さん: わざと汚すことを、メイク業界では「よごし」と言うのを知りました。私は、本当に映画の撮影が初めての経験でしたので、撮影も照明も録音もメイクも、映画を作る現場を生で見て、技術の方たちがいないと映画は作られないと、初めて知ったんです。スクリーンしか見て来なかったからこそ、制作サイド側になると、本当に目からウロコでした。だからこそ、スタッフさん達の頑張りにも注目して頂きたく思います。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『虹のかけら』は現在、大阪府のシアターセブンにて、12月1日まで1週間限定上映。
(※1)QOL(クオリティ・オブ・ライフ)の定義とは?QOLを損なわないために必要なことを解説https://www.suntory-kenko.com/column2/article/5529/(2023年11月24日)