自身のルーツを巡るドキュメンタリー映画『パドレ・プロジェクト / 父の影を追って』
「僕は、父を探す事にした。」途切れてしまった見えない親子の糸を頼りに、血の繋がった肉親と再会するのは非常に難しい事だろう。また人は、どこから来て、どこに行向かうのか?それは、誰にも分からない。なぜ、自分が自分自身なのか?なぜ、日本人なのか?なぜ、ハーフなのか?なぜ、今の親の子どもとして生を受けたのか?それは偶然か必然か、それとも運命か。遠くても近い存在、近くても遠い存在。私達にとって、親とは自身が今生きている人生のルーツでもある。答えが見つからなくても、私達が今ここで存在する起源の源流が、両親という存在だ。ではなぜ、親という存在がこの世に存在し、子どもという存在が存在するのだろうか?親と子の関係性は、どこまでも繋がり続ける一方で、その関係性の糸がある日突然、ぷっつりと途切れてしまう危うさも同時にある。死ぬまで親が親という立場が変わらないように、子どももまた子どもという立場は何年経とうが、変わらず子どものままだ。私達子どもの立場の人間が日々、親という人物に対して追い求める関係性は普遍的なものがある。親が子どもに求めるもの、子が親に求めるものは、育って来た家庭環境や育成環境によって、それぞれ違いはあるだろうが、一貫して求めてるものは同じだ。私達は日々、それを求めて過ごしている。ドキュメンタリー映画『パドレ・プロジェクト / 父の影を追って』は、日本人の母とカメルーン人の父の間に生まれ、“ハーフ”として日本で育った一人の青年の物語。イタリアで出会って結ばれた両親は、彼が2歳になる頃に別れ、母は日本に帰国してひとりで息子を育てた。母の思い出話から浮かび上がってきたのは、映画監督を目指していたというクリエイター気質の父の姿。そんな父の影を追うように、お笑い芸人としてエンタテインメントの世界で活動していた少年だったが、2020年の世界的パンデミックをきっかけに、もう父と会うことはできないかもしれないという思いを抱くようになり、父を捜すためイタリアへ単身、旅立つことを決意する。映画は、今生きている自身のルーツを探す旅と長年追い求めて来た親からの強い絆を探す物語。この話は、この青年だけの物語ではなく、私達一人一人が共通する親子の物語であり、家族の物語でもある。今夜、あなたはあなた自身の親に対して、何と言葉を贈ろうと思うのか?その言葉にどんな想いを込めるのか?いつまでも存在すると思ってはいけない親の存在は、どんなものよりも大切な存在だ。
親子という関係は、私達人間が幼少期の物心付く頃から変わらず常にそこにあるものだ。私達は、目には見えない親と子としての絆や血以上の何かで結ばれている。日本では、憲法上や形式上で親子関係が成立したのは、法律が正常に稼働し始めた頃の事だ。日本において、血縁又は養子縁組による親子関係が そのまま法律(「民法」(明治29年法律第89号))上の親子関係となり、戸籍に反映されるようになったのが(※1)、この時代からだ。また、「18世紀中ごろまでは多くの子供たちは幼いうちになくなるなど厳しい状況におかれていた。この関係が改善されたのは1740年ごろだとさえている。子供に対する扱いの改善は子を長生きさせ、家庭を裕福にし、子供に教養を与えるチャンスを与えた。19世紀初頭までは子供の悪い癖は宗教的な罰の脅かしによって改善されたり、子ども自身の良心や義務によって改善されるとし、親自身が子の悪癖を取り除くことはしていなかった。20世紀になって、育児書や心理学の考えが親子関係に大きな影響を与えるようになった。1950年までは親は非常に権威的で子は親に服従しなければならないという考えが一般的であったが、1946年出版の『赤ん坊と幼児の世話』の影響もあり1950年以降は権威主義から許容主義へと移行している。親子関係その4より(※2)。」とあるように、日本における親子関係や家庭環境が劇的に変わったのは、つい最近の事だ。親と子供の本当の愛情とは何か(※3)を哲学的に突き詰めて行けば、親と赤ちゃんは一体になることが不可欠、親という安全な基地があるから子供はチャレンジできる、親も子供も1人の人間になっていくことが大切、早すぎる分離は子供を不安にさせるため逆効果。これら4つの考え方が、親子間における愛情であり、愛情表現であるという見方もされている。テクノロジーやスマートフォンの普及、家族構成の変化、コロナ禍により社会活動の制限、保護者の子どもに対する躾への度合いの低さ、また育児不安(※4)など、様々な要因が指摘される中、親子関係の希薄化が叫ばれている昨今(他にも、課題はたくさんある)。子どもの幼少期における親子関係から今後の人間関係が構築されると言われており、幼少期における親からの愛情の大切さ(※5)が、子ども達の将来性を左右させるという研究結果も報國さんている。この点、離れ離れになった父親を探そうと本作の青年の姿には、片親家庭であっても幼少期における母親からの深い愛情が、今の彼を立派に育て上げた証なのだろう。
また、より搾って父親という存在から親子の関係について探って行けば、家族の在り方を知る契機になるだろう。なぜ、家族関係の中に父親と母親という役割が存在し、結婚し子を持つようになれば、男は父親として、女は母親としての意識を持つようになるのだろうか?この父親、母親という立場は、いつ誰が決めて、私達は親としての認識を強めて行くのだろうか?これを歴史的に紐解いて行くと、江戸時代の武士階級における父親という存在では、この時代の武士の子ども達は三民の上に立つ選ばれた者として、文武両道の教育を受けた。幼少時は養育係や両親によって、後には藩学校、郷学校、漢学塾、武芸の道場などへ通っているが、父親は直接、子どもの教育をしていない。また、この時代の武士以外の父親は、衆親像を明らかにするためには、職業構成比の約8割を占めた農民のそれを解明する必要があるが、農民出身者の著した教育論や文献は少なく、江戸時代における農民の父親たちの存在は明らかではない(※6)。ここから現代につれて、父親という存在に対する像は、確実に変革を持たれ始めている。たとえば、父親の存在意義には、子どもが家庭から社会に出ることを助ける、子どもが大人になり、自立していくことを助ける、子どもにとって乗り越えるべき存在となる、子どもにとって頼りになる存在となる、子どもにとって安心感を与える存在となる、子どもが社会性を育む上で重要な役割を果たす(※7)。父親の役割を果たすには、言葉ではなく行動で示す、社会のルールをしっかり教える、日々の細かなタスクを進んで行う、母親の話に常に耳を傾け、同じ立場で考える、高いところに手が届かない、瓶の蓋が固くて開かないといった、何気ない日常の困った場面で頼りになる姿を子どもに見せる、外遊びを通じて、子どもの社会性を育む(※8)。父親という価値観は、時代の変遷と共に変化をもたらし、子どもに何かしらの影響を与える存在が、現代における父親像という見方もできる。その影響力とは、共に暮らす中での生活習慣や人としての立ち振る舞いに限らず、今ここに子ども自身が存在するという事への存在意義へのルーツでさえも、目には見えない遺伝子レベルでの影響を与えていると考えても差し支えないだろう。未来の父親像(※9)には、昭和のような頑固親父の存在は求められていない。暴力や権力で家庭や子ども達を支配するのではなく、どんな時でも自身の子どもの心に寄り添える存在が、未来の日本で求められている新しい父親像だろう。それは、親と子が寄り添う所から始まる。この作品を通して描かれるのは、ここの部分だ。遠く離れていようが、共に暮らして居なかろうが、両者が心のどこかで寄り添う事が求められている。ドキュメンタリー映画『パドレ・プロジェクト / 父の影を追って』を制作した武内剛監督は、あるインタビューにて自身の父親との関係性や父親像について、こう話している。
武内監督:「長年、僕は父親のことで心の中がモヤモヤし続けていて、ずっと会っていないけれど、生きているなら60代後半だし、会いに行くなら今がもうラストチャンスだと思ったのです。人生は一度きり、何かやらなきゃいけないという気持ちがあり、僕の中でやることの一つとして挙げていたのが父親探しでした。何十年ぶりに父親を探して会うということをシリアスに捉える方も多いと思うのですが、僕の場合は母が認知症になる前、「もし剛が父に会いに行くのなら、向こうは絶対に会ってくれると思うよ」と言ってくれていたのです。それだけでなく、「あなたのクリエイティブな能力は間違いなく父親譲りだ」と父親に対してポジティブな言葉をずっと語っていたので、僕としては父親に会いに行くことに対して、そこまで抵抗はなかったんです。」(※10)と話す。父親の存在は、一緒に暮らしていようが、暮らしていまいが、それは関係なく、誰もが追い求める存在だ。父親の背中は偉大で遠い存在でもあるが、その少しでも親との心の距離感が縮まった時、自身が対象とする親への価値観に大きな変化をもたらすだろう。
最後に、ドキュメンタリー映画『パドレ・プロジェクト / 父の影を追って』は39年間、別々に暮らしていた父親を求めて旅に出たある一人の青年の物語だ。日本人の母とカメルーン人の父の間に生まれ、“ハーフ”として日本で育った一人の青年の物語。イタリアで出会って結ばれた両親は、彼が2歳になる頃に別れ、母は日本に帰国してひとりで息子を育てた。母の思い出話から浮かび上がってきたのは、映画監督を目指していたというクリエイター気質の父の姿。そんな父の影を追うように、お笑い芸人としてエンタテインメントの世界で活動していた少年だったが、2020年の世界的パンデミックをきっかけに、もう父と会うことはできないかもしれないという思いを抱くようになり、父を捜すためイタリアへ単身、旅立つことを決意する姿を描く。現代の日本社会における家庭の中での家族や親、子ども達両者が求められている事は、互いを理解し、共に寄り添う姿ではないだろうか?
ドキュメンタリー映画『パドレ・プロジェクト / 父の影を追って』は現在、関西では9月27日 (金)より京都府のアップリンク京都。9月28日 (土)より大阪府のシアターセブン。兵庫県の元町映画館にて上映中。
(※1)国立国会図書館 民法上の親子関係を考える ―嫡出推定・無戸籍問題・DNA 検査・代理出産― 調査と情報―ISSUE BRIEF― NUMBER 858(2015.3.24.)https://drive.google.com/file/d/13GSFl9M7Ft56YfJWfYBFddZrlfxXPL3c/view?usp=drivesdk(2024年10月1日)
(※2)親子関係その4http://www1.tcue.ac.jp/home1/takamatsu/110196/12.htm(2024年10月1日)
(※3)永遠の哲学!親子や恋人の本当の愛情とは何かhttps://cotree.jp/columns/1344(2024年10月1日)
(※5)親子関係から今後の人間関係が構築される?幼少期の愛情の大切さhttps://ysmentor.net/column/30825/(2024年10月1日)
(※6)2 日本の父親の歴史的変遷(その2)“をー文献における江戸時代~昭和初期の父親一https://drive.google.com/file/d/14m4ocp9bq8sgepJ-JcAUfPQAdc9EZ5It/view?usp=drivesdk(2024年10月1日)
(※7)父親って何をする人?現代の日本社会における父親の役割を考えるhttps://laborify.net/2019/11/23/atsuzawa-fathers-role-in-japanese-society/#:~:text=%E2%9D%B6%20%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%8C%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E3%81%8B%E3%82%89,%E5%BD%B9%E5%89%B2%E3%82%92%E6%8C%87%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82(2024年10月1日)
(※9)“強い父親”は必要ない!?父と子の理想的な関係とは?https://www.nhk.or.jp/minplus/0028/topic047.html(2024年10月1日)
(※10)「人と人とのつながりや思いやりは、人種や国境を超え、全世界共通」 『パドレ・プロジェクト~父の影を追って~』武内剛監督インタビューhttps://cinemagical.themedia.jp/posts/55288017/(2024年10月1日)