霊が見えたら、どうする?映画『見える子ちゃん』


人はよく、何かと「見えていないふり」をする生き物だ。いや、見えていないだけでなく、「聞こえていない」「感じていない」「理解していない」ふりをする。なぜ、人は見て見ぬふりをするのか?それは、自身の外側にある出来事と一切の関わりを持ちたくないから。どこまでも事なかれ主義でいたいと願い、何か自身の周りで面倒くさい出来事が起きれば、遠巻きにその出来事を観察する。自身に火の粉が飛んで来ないようにと、何かと嫌煙しがちである。当然の如く、まずは自身の生活や人生が大切で、他人の苦労はどこ吹く風。困っている誰かに手を貸せるほど、みんな自分に余裕がない。だから、見えていても見えないふりをする。聞こえていても、聞こえていないふりをする。理解していても、理解していないふりをする。それが、今の日本の常だ。たとえば、誰かが助けを求めていても、その叫びには反応しない。助けて欲しいのは、まずは自分自身であり、他人の苦しみは二の次だ。「自分さえ良ければ…」という自己中心的な考え方が蔓延し、誰もがその思想に流されているのが現状。人の心の痛みにまで、寄り添おうとはしない人が増えた昨今、青春要素やホラー要素、コメディ要素に隠されたこの作品の本質が、また一つ見えて来るだろう。映画『見える子ちゃん』は、霊が見えるようになった女子高生が、ひたすら霊を無視してやり過ごそうとする姿を描く青春ホラーコメディ。この物語に登場する「見える子ちゃん」は、今の冷徹な世の中に喝を入れに来たのかもしれない。あなたには、他人の心の痛みが見えますか?心の叫び、聞こえていますか?その痛み、感じ取れますか?

ある日突然、幽霊が見えるようになるなんて、本当にあり得るのだろうか?朝起きたら、洗面所で歯を磨いていたら、夜寝る前、通学通勤途中、雑談中、帰宅途中、ある時唐突に、あらゆる場面で、否応なく私達は不思議な力となる第六感を手に入れてしまうのだろうか?そして、その不思議な力、第六感を手に入れた暁には、見たくもない「アレ」が所構わず、昼夜問わず、なぜ目の前を通り過ぎるのだろうか?突発的に幽霊が見えるようになる事実は、現実問題として有り得ない話だ。非常にナンセンスであり、ほとんどの人が荒唐無稽と鼻で笑うかもしれない。また、学術的な専門用語に「シュミラクラ現象」という言葉があるが、これまたほとんどの人が聞いた事のない用語だろう。このシュミラクラ現象(※1)とは、人が意味のない図形や物体を顔であると認識する錯覚を指す言葉。特に、3つの点が逆三角形に配置されている形は、顔に見えやすいと言われている。この現象は、人間の脳が顔を認識する能力に優れている点。また、外からの敵を識別・認識するための防衛本能が関係していると見なされている。たとえば、分かりやすい一例で言えば、壁のシミが人の顔に見える、雲の形が動物に見える、車のフロントマスクが顔に見える、音の中から人の声が聞こえる気がする等、日常に潜む形や音が人間に誤解や錯覚を生まさせる。いわゆる、勘違いや思い違いが、視覚に入って来たものを幽霊として脳の機能が誤認させるのだろう。でもその一方で、「見える子ちゃん」のように唐突に霊が見えるようになっか方を統合失調症(※2)ではないかと勘繰る一部の人間もいる。この仮説が的を得ている可能性もあるが、これを十把一絡げに纏めて、突然霊が見えてしまうと発言する人に対して「あなたは、統合失調症だ!」と医者でも何でも人が言うのは、あまりにも暴言であり、差別的な発言ではないだろうか?非常に危険な思想を持っており、人が持つ悩みに対して何でもかんでも「統合失調症」と決めつけるのは、言葉もない。ただ、一つの考え方として、認める必要もあるだろう。学術的医学的側面での「幽霊が見える」現象について記述したが、ではスピリチュアルな側面(※3)ではどうだろうか?たとえば、異常に敏感な感覚が生じた時、これは霊的な波動を受け取る力が強くなっている証拠と言われる。2つ目の「普段と違った感覚が現れる」は、直感が鋭くなっている。3つ目の夢で霊的な体験をするとは、スピリチュアルなメッセージを受け取る重要なサインとして解釈されている。最後に、霊的なビジョンや幻覚のビジョンには、霊的な存在からのメッセージやサインと認識されている。これらの出来事が一つから二つ、またはすべてが同時に起きた時、突然幽霊が視覚で認知する状態に陥るのだろう。ただ、私達は幽霊の見える見えないのその前に、本当に見えていない事がある。人々は、その見えていない部分に対して、何を気付いているのだろうか?

幽霊が見えるようになったとしても、それは視覚として認識できる表面上の出来事だ。人々は、なぜ幽霊が生身の人間の前に唐突に現れるのか考えた事があるだろうか?ただ怖い、恐ろしい、気持ち悪いとおどろおどろしい感情でしか判断できていないのだろう。残念ながら、現世とあの世の狭間には、見えない壁があり、私達生身の人間と成仏できないままこの世に残った霊との間には大きくて高い、そして分厚い壁が存在するのだろう。その壁を打破するには何が必要かと問われれば、それは相手に心を開き、自己開示する事だ。生身の人間であろうと、恐ろしい幽霊であろうと、まずは自分から心を開いて、相手の心の痛みを知る事から始める。なぜ、亡くなった人の霊魂が、写真や動画、実際に目の前に現れる事実について考えた事はあるか?まず一般的に言われているのが、霊達は未練や恨みを訴える為に出現する。また、死者の霊魂が、この世に何かを伝えたい、あるいは何かを成し遂げたいという思いを抱えて、姿を現す場合もある(※4)。そう考えると、幽霊達は生前の自身が苦しかった感情を持ったまま亡くなり、死して尚、その苦しみを知って欲しいと訴える為に人間達の前に現れる。彼らが生きていた間に何が起きていたのか想像もつかないが、ただ一つ言えるのは、生きている人間も死んでいる人間も皆、何か心の痛みを持って生きており死んでいる。人の心の痛みとは、何か?どんな種類が、あるのか?心の痛みとは、知っての通り、肉体的ではなく精神的な苦痛や感情的な傷付きを指す。また、身体的な痛みと同様に、不快な感覚や苦悩を伴う体験。この体験こそが、死んだ後も後々続く心の痛みとして人間の奥深くに棘が突き刺さる。突き刺さった棘は、簡単に抜く事はできず、放置すれば、ますます奥に突き刺さる。具体的に挙げれば、失恋や人間関係のトラブル、仕事の失敗、大切な人の死など、人生の様々な出来事の中で心の痛みに直結する事がある。痛みには、一つの痛みだけでなく、様々な種類の痛みが存在する。たとえば、個人の経験や感情によって感じ方が大きく異なる主観的な体験。心の痛みを経験している際の脳活動は、身体的な痛みを感じている時と類似していることが示唆される身体的な痛みとの類似性。不安、怒り、恐れなどの感情を引き起こし、行動を制限したり、逃避行動を促したりするなど、認知や行動に影響を及ぼす行動への影響。そして、周囲のサポートや立ち直る力(レジリエンス)が影響する回復力。心の痛みの主な原因には、社会的な拒絶、喪失体験、ストレスや不安、トラウマがあり、その経験に伴う心の痛みを和らげるのであれば、距離を置き、信頼できる人に相談する事(※5)が大切だ。でも、それさえもできなかった人はどうなるのか?残念ながら、人は最後に死を選ぶ。それが、自死なのか、病死なのか、孤独死なのか、誰もその人の人生の最後は分からない。ただ、死んだ後も幽霊となっても心の痛みは残り続け、この世に現れる。何とか、心に刺さった棘を抜いて欲しく、必死に叫び救いを求めている。そして、霊となり肉体は消えても、残り続けるのは心の痛みのみ。精神的な苦痛や、死後に生じる精神的な苦悩、未練や後悔、恐怖、孤独感、生前のトラウマや未解決の問題が原因となる。幽霊が抱える恨みつらみは、死後に起きた事ではなく、生前で抱えていた痛みや苦しみが死後にも続く延長線のようなものだ。人は、他人の心の痛みを知る必要があるだろう。映画『見える子ちゃん』を制作した中村義洋監督は、あるインタビューにて本作に登場する霊について聞かれ、こう話す。

中村監督:「もう、とにかく試行錯誤ですよ……。どうしたら怖くなるだろうかと、とんでもない数のやり取りを重ねていくんです。霊の輪郭をぼかして、一部だけフォーカスを戻してみたりとか、色々試しましたね。男の子の霊が後ろを向いているとき、うまくぼかせているのに怖くなくて。なぜだろうと考えていたんだけど、男の子がしてるサスペンダーにフォーカスが合ってると全然怖くないんですよ。要は“生きてる証”みたいなものが感じられた瞬間に怖さがなくなっちゃう。心霊写真も「ここが◯◯に見える」っていうような見方をするじゃないですか。映画には警備員の霊も出てきますけど、それもはっきり映したら怖くない。「なんだか分からないけど、これって警備員に見えるよね」っていうくらいの加減が一番怖いんです。」(※6)と話す。生きてる証が感じられると、怖くなくなる。幽霊は死んでいるから怖いのであって、生きていると実感した瞬間に、人間と認識してしまう。人間と幽霊の境目は、何だろうか?人間と幽霊の違いは、何だろうか?実際、境目も違いも無いに等しく、先にも述べたように、心の痛みが生前の出来事から死後への延長線であるように、幽霊としての存在は生きていた時から続く人としての尊厳なのだろう。

最後に、映画『見える子ちゃん』は、霊が見えるようになった女子高生が、ひたすら霊を無視してやり過ごそうとする姿を描く青春ホラーコメディだが、この要素の裏側には、青春でもホラーでもコメディでもない、私達が今、生きている上で最も大切なメッセージが込められている。「見える子ちゃん」は、幽霊が見えるようになったから、その恐怖のあまり見て見ぬふりを決め込む。霊魂は、生前で抱いた心の痛みを訴えたくて人間の前に現れるが、恐怖から無視をする行為はその霊が持つ生前からの苦痛を分かっていても、分かっていない現状にある。私達は日夜、他人の心の痛みに触れているはずなのに、いつ頃から、気が付いていないふりをして来たのか?その痛みは、死んでも尚、残り続ける。それでも、生身の人間は相手の苦しみを理解しようとしない。幽霊も人間も関係なく、私達は私達の目の前にいる心に傷を負った人に対して、手を差し伸べ、話を聞き、悩める出来事の解決の糸口を見つける事が最優先だろう。幽霊や人間関係なく、相手の心の痛みをしっかり理解した瞬間、あなたは本当の「見える子ちゃん」になれる。

映画『見える子ちゃん』は現在、全国の劇場にて公開中。
(※2)「霊が見える」という人は統合失調症だと思えばいいhttps://ayaemo.skr.jp/2846(2025年6月29日)
(※3)霊が見えるようになる前兆とは?スピリチュアルなサインとその原因を専門家の住職が解説https://myoryuji.com/archives/33879(2025年6月29日)
(※4)【幽霊と妖怪】の違いとは?日本のお化けの歴史に迫る!https://thegate12.com/jp/article/340#:~:text=%E5%B9%BD%E9%9C%8A%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%8C%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%9C%8A%E3%80%8D%E3%82%84%E3%80%8C,%E3%81%A8%E3%82%82%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82(2025年7月1日)
(※6)“出っぱなし”の霊をどれだけ怖く描けるか? 映画『見える子ちゃん』中村義洋監督インタビュー 「とにかく試行錯誤ですよ」https://horror2.jp/73132(2025年7月1日)