映画『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』全世界に「希望」を与えるには

映画『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』全世界に「希望」を与えるには

2022年6月22日

1931年、 ナチズムの足音が聞こえてくる狂躁のベルリンが舞台の映画『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』

(C) Hanno Lentz/Lupa film

(C) Hanno Lentz/Lupa film

皆さんは、ドイツを代表する児童文学作家エーリヒ・ケストナーをご存知だろうか?

彼は、言わずと知れた全世界でも著名な小説家だ。

主な作品には、代表作『飛ぶ教室(1933年)』をはじめ、『エーミールと探偵たち(1929年)』とその続編『エーミールと三人のふたご(1935年)』『点子ちゃんとアントン(1931年)』『五月三十五日(1932年)』『ふたりのロッテ(1949年)』児童向け短編小説『動物会議(1949年)』などがある。

また、後期にはケストナー自身を執筆した自叙伝『わたしが子どもだったころ(1962年)』『サーカスの小人(1964年)』『サーカスの小人とおじょうさん(1969年)』(『サーカスの小人』の後日譚も上梓している)。

エーリヒ・ケストナーは、生涯で多くの子供向け児童文学を執筆し、発表し続けた権威ある小説家だ。

また、彼には「児童文学作家」とは別の顔を持っており、「大人向け小説」を絶えず執筆している。

作品タイトルには、『消え失せた密画(1970年)』『雪の中の三人男(1971年)』『一杯の珈琲から(1975年)』『ファビアン あるモラリストの物語(1931年)』がある。

実は、ケストナーには3つ目の面があり、彼は詩人家としての「顔」も持ち、多くの詩集を残している。

現在でも稀有な存在として文学界に君臨し続けている。

そんなケストナーが、1931年に刊行した大人向け小説『ファビアン あるモラリストの物語』を映像化したのが、本作『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』だ。

監督には、ドミニク・グラフという名のフィルム・メイカー。

主演には、映画『コーヒーをめぐる冒険』や『ピエロがお前を嘲笑う』などで、主役として引っ張りだこのトム・シリング。

相手役のヒロインには、映画『さよなら、アドルフ』や『ある画家の数奇な運命』などに出演しているサスキア・ローゼンタールが担う。

両者共に、次世代のドイツ映画界を背負う演技派だ。

本作の原作『ファビアン あるモラリストの物語』を執筆したエーリヒ・ケストナーは、ここでは紹介できないほど多くの名言を残している。

一部だけ抜粋して、紹介する。

(※1)“Jedes Lächeln, das du aussendest, kehrt doppelt zu dir zurück.”

「あなたが送るすべての笑顔はあなたに二度戻ってきます。」

“Das Glück ist keine Dauerwurst, von der man täglich eine Scheibe herunterschneiden kann.”

「幸福は、毎日のスライスを切り取ることができるソーセージではありません。」

“Auch aus Steinen, die dir in den Weg gelegt werden, kannst du etwas Schönes bauen.”

「邪魔になった石からでも美しいものを作ることができます。」

“Irrtümer haben ihren Wert; jedoch nur hier und da. Nicht jeder, der nach Indien fährt, entdeckt Amerika.”

「エラーには価値がありますが、あちこちでしかありません。インドに行くすべての人がアメリカを発見するわけではありません。」

“Die meisten Menschen legen ihre Kindheit ab wie einen alten Hut. Sie vergessen sie wie eine Telefonnummer, die nicht mehr gilt. Ihr Leben kommt ihnen vor wie eine Dauerwurst, die sie allmählich aufessen, und was gegessen worden ist, existiert nicht mehr.”

「ほとんどの人は、古い帽子のように子供時代を捨てます。彼らは、もはや有効ではない電話番号のように子供時代を忘れます。彼らの人生は徐々に食べられていくソーセージのようで、食べられたものはもう存在しません。」

“Dass wir wieder werden wie Kinder, ist eine unerfüllbare Forderung. Aber wir können zu verhüten versuchen, dass die Kinder so werden wie wir.”

「再び子供のようになることは不可能です。しかし、私たちは子供たちが私たちのようになるのを防ぐように努めることができます。」

これらは彼が残した名言の一部で、個人的に共感、共鳴を感じた言葉たちを羅列してみた。

読む人によって、様々な解釈ができそうな格言ばかりで、ケストナーの人となりが理解できそうでもある。

彼の発言一つ一つが、とても説得力があり、現実味を帯びている。

本作『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』の原作『ファビアン あるモラリストの物語』を執筆したエーリヒ・ケストナーという人間の人物像が、ここで少しでも理解してもらえたら、幸いだ。

(C) Hanno Lentz/Lupa film

さて、今回は少し映画ネタから攻めていきたい。

本作『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』を監督したのは、ドミニク・グラフという人物だ。

日本では、聞き馴染みのない名前ではあるが、ドイツでは1975年から活動しているディレクターだ。

業界では息の長い活動を見せている。にも関わらず、日本で作品が配給され、公開されるのは、本作が初めてと言うから、驚きでもある。

過去には、2014年に『Die geliebten Schwestern(Beloved Sisters)』という作品で、ドイツ代表としてアカデミー賞外国語映画部門において、候補に上がっていたものの、残念ながらノミネートにはならず、映画史の影、隅の方へと追いやられてしまっている。

75年に監督としてデビューしたドミニク・クラブ監督。

最初の作品『Carlas Briefe』を皮切りに、TVドラマの1エピソードの演出を加えると、数年毎に必ずコンスタントに作品を製作している。

どこの国においても、ここまで継続して映像製作をしている人物は、数少ないことだろう。

およそ半世紀に渡り、ほぼ休みなく、新作を発表し続けるドミニク・クラブ監督の映画への探究心や訴求心を窺い知りたい。

日本国内では、本作『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について 』以外にも、1982年に映画『Das zweite Gesicht(セカンド・フェイス)』1988年に映画『Die Katze(狼の日)』1994年に映画『DIE SIEGER(S.E.K. Spezial Ein-satz Kommando)』が、西ドイツ映画として紹介されているが、残念ながら、これらの作品は劇場公開されずに、ビデオスルー扱いされた作品。

94年の作品に至っては、ビデオスルーでさえもされていない。

今となっては、過去のドミニク・グラフ監督作品をお目にかかる機会は、ほとんど低いに等しいだろう。

その上で、本作『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』を、劇場のスクリーンで拝見できるのは、シネマ・ライフにおいて、最高の映像体験となりうる事も、ここで記載しておきたい。

ドイツでは既にベテランの域へと到達しているドミニク・グラフ監督は、本作の企画が立ち上がった期間について聞かれ、グラフ監督はこう話している。

(※2)“Es gab einen ersten Versuch vor ein paar Jahren, da büxte der Produzent nach einem vielversprechenden Anfang wieder aus. Felix von Boehm kam dann kurz darauf von sich aus auf mich zu, Constantin Lieb hatte den Roman schon adaptiert, vor allem hatte er das Ende umgeschrieben, das mochte ich gerne, obwohl dadurch eine schöne Bordellszene in Fabians Heimat entfiel – eine Szene, die übrigens Wolf Gremm in seiner 1980er-Version wunderbar inszeniert hat. Aber dass sie sich wiedertreffen wollen, Fabian und Cornelia, fand ich eine schöne Lösung.”

「数年前、プロデューサーが有望なスタートを切った後に、頓挫した最初の試みがありました。その後まもなく、フェリックス・フォン・ベームが自分の思い通りに私に近づき、コンスタンティン・リーブはすでに小説を適応させていました、とりわけ彼はエンディングを書き直しました、それはファビアンの家に素敵な売春宿のシーンがなかったことを意味しましたが、ウォルフ・グレムが1980年代のバージョンで見事に上演しました。しかし、彼らが再び会いたいということで、ファビアンとコーネリア、私は素晴らしい解決策を見つけました。」

本作は、過去に一度だけ映画化されている。

それは、1980年のことだ。この時から、グラフ監督は作品の映像化を構想していたという。

この時のプロデューサーは映像化を彼に持ちかけていたらしい。

また、過去の作品の助監督は、監督自身の友人だったと言うもんだから、グラフ監督は縁が深いと語っている。

もしかしたら本作が映像化されるのは必然だったのかも知れない。

(C) Hanno Lentz/Lupa film

打って変わって、本作の主演を務めた俳優、トム・シリングは現在、ドイツ映画界ではなくてはならない存在の中堅俳優として成長しつつある。

この役者が近年、出演した作品のほとんどが、日本国内でも劇場公開されている有望株の俳優として注目されている。

東ドイツで生まれ育ったトム・シリングは、12歳の時、舞台ディレクターのトーマス・ハイゼによって見出された。

彼は、1949年に、劇作家のベルトルト・ブレヒトと彼の奥さんであり女優のヘレーネ・ヴァイゲルによって、設立されたドイツの劇団ベルリーナー・アンサンブルに所属し、劇団の演目「イム・シュラグシャッテン・デ・モンド(月の影の下)」で舞台を踏む。

トム・シリングが、舞台ではなく映像の俳優としてデビューしたのは、1996年にSat.1TVシリーズの『Hallo、Onkel Doc!』に出演した際だ。

この時、トム・シリングは14歳の頃だった。

順調にキャリアを重ね、映画『素粒子(2004年)』や『バーダー・マインホフ 理想の果てに(2008年)』『我が闘争 若き日のアドルフ・ヒトラー(2009年)』を初め、映画を中心にドラマなど、数多くの映像作品に出演している。

ただ、日本では『コーヒーをめぐる冒険(2014年)』『ピエロがお前を嘲笑う(2015年)』辺りから、彼の出演作が日本公開され始め、本作の監督より知名度のある作品の出演が目立って来ている。

そんな全世界で注目を浴びつつあるトム・シリングは、あるインタビューにおいて、本作の設定が「今」と類似しているかについて、こう話している。

(※3)“Es ist ein Ausschnitt aus einer Zeit, in der es große Unsicherheiten und soziale Spannungen gab. Das Gefühl, dass irgendwas schiefläuft und dass irgendwo bald eine Blase platzen muss, das ist das Gefühl dieser Zeit, der Weimarer Republik. Eine solche unsichere Zeit, eine überhitzte Gesellschaft, die haben wir heute auch. Das ging mit der Finanzkrise 2008 los, dann kam Trump, der dafür sorgte, dass es weltweit radikaler im Ton wurde. Und die Pandemie hat natürlich die sozialen Spannungen ebenfalls vergrößert. Dann tun die sozialen Medien ihr Übriges: Wir sind heute so sehr auf den Zuspruch der Community aus und vergessen dabei, dass wir uns wirklich nur in einer sehr kleinen Blase bewegen. Dadurch haben wir verlernt, Gegenpositionen auszuhalten. Das ist ein bisschen auch das Setting von “Fabian”. Jakob Fabian sagt: Ich möchte lieber zusehen, ich schau mir das mal an, was passiert. Ich bin Fatalist, ich will mich nicht positionieren.”

「本作の小説は、大きな不確実性と社会的緊張があった時代からの抜粋ですね。何かがうまくいかず、バブルがすぐにどこかで破裂しなければならないという感覚、それが今回の(※4)ワイマール共和国の感覚です。そのような不確実な時代、過熱した社会、私たちは今日もそれを持っています。それは2008年の金融危機から始まり、その後トランプが大統領として当選しました。私はトランプの政策が、世界的にもっと過激になることを確認しました。そしてもちろん、パンデミックは社会的緊張も高めています。今日、私たちはコミュニティの励まし合いにとても熱心であり、私たちが本当に非常に小さなバブルの中で動いているだけであることを忘れています。その結果、私たちは反対の立場に耐える方法を忘れてしまいました。それは「ファビアン」の設定に少し似ています。ジェイコブ・ファビアンは言います。私はむしろ、見たいのです。何が起こるか見てください。私は自分自身を位置づけたくありません。」

混沌とした時代に生きたファビアンは、今の時代に生きる自分たちと類似していると、トム・シリングは言う。

コロナのパンデミックは違えど、100年前に戦争が起きていた時代と、100年後の今で、何がどう違うと言うのだろうか?

現状と同じで、人々もまた変わらぬ生活を、今も昔も送っている。

もしかすると小説『ファビアン あるモラリストの物語(1931年)』は、この時代に映画として再度、製作されることに、何か意義深く、確実性なものがあるのかも知れない。

(C) Hanno Lentz/Lupa film

最後に、本作のタイトルに挿入されている「モラリスト(フランス語)」には、一体どのような意味が含まれているのか、気になるところだ。

「モラリスト」とは、生身の人を観察し、人々の生き方を探求し、その上さらに、断章形式や箴言のような一風変わったの断続的な文で綴り続けた人物たちのことを指すと言われている。

特に16世紀から18世紀にかけて、フランス語圏で実在した思想家モンテーニュ、ブレーズ・パスカル、ラ・ロシュフコー、ラ・ブリュイエールらが、代表格だ。

「生身の人を観察し、人々の生き方を探求する」という部分は、サリンジャーの小説『キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)』の主人公、ウォールデンにも似ている所がある。

違う所は、主人公二人の年齢だ。ファビアンは、既に成人している傍ら、ウォールデンはまだ学生だった。

自我がまだ確立されていなかったウォールデンは、自身の見える世界に嫌気を指し、現世から背中を背き、現実世界から逃亡してしまう。

その反面、ファビアンは成人した大人として振舞っているものの、それでも浮世離れした彼の性格は、人間社会に適合するのは至難の業だった。

彼が生きた1931年は、本作の俳優トム・シリングが言うワイマール共和国の時代だ。

当時のワイマール共和国だったドイツ経済は一時は好景気だったが、1929年の世界的な大恐慌と1931年の金融恐慌が原因で、殲滅的な危機的状況に陥ってしまう。

この世界的大不況は、多くの失業者を生み出し、この時代の失業率は40%に達したと言われている。

ホームレスも、600万人に登った。ドイツ(ワイマール共和国)の社会情勢も、益々不安定となってしまう。

この環境下でドイツの政権を握ったのが、かのアドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)だったことを覚えておきたい。

また、現在の日本やドイツの失業率は、どうだろうか?

総務省が発表した2022年4月の最新版「完全失業率」では、2.5%(前月:2.6%)と発表している。

前月と比べて0.1ポイント低下という数値が出ている。

2020年の平均値と同程度で、大きく変わっていない状況だと言う。

前年同月と比較し、24万人の増加。7か月ぶり増らしい。

安定しているのか、不安定なのか、数字だけでは見えてこない部分もあるが、このコロナ禍の日本での失業率、失業者数は少ないのかもしれない。

その反面、ドイツではコロナ・ウィルスが原因で、ロックダウンを推し進めた結果、ドイツでの労働市場は大きな影響を受けた。

2020年平均失業者数は、前の年から42万9千人増加。

269万5千人に上り、失業率は、前年度から0.9ポイント増加し、5.9%という数値を叩き出した。

また、(※5)2022年のドイツでの失業率は、4月に1.3万人減。1年ぶりの小幅な減少に留まった。

まるで、現代のドイツ国内は、1931年のワイマール共和国のドイツと同じなのかもしれない。

失業者が増え、治安が悪化したドイツ。

この時代に生きたエーリヒ・ケストナーは、自身の感じた「絶望」と「失望」という感情を、作品の主人公に託したに違いない。

ケストナー自身、児童文学者として活動したのは、未来に生きる子どもたちに、彼が感じた社会への感情を感じて欲しくない一心で、明るい未来を小説に書き残したのだろうか?

彼の小説は、ドイツで幾度となく映像化され、ハリウッドでもリメイクされているので、これを機会に触れてみるのも一考だ。

本作『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』の主人公ファビアンが見た社会への「絶望」と「失望」」が、彼にどう影響したのかは、3時間ある映画で目撃して欲しい。

ただ、1931年前後の世界的大不況は、後にドイツに悪影響を及ぼし、第二次世界大戦へと邁進していくことになる。

あの世界的な大戦の影では、多くの民間人が犠牲となっており、ナチ党を批判した当時の学生たちによる反体制派「白いバラ」も、ナチスによって犠牲となっている。

この史実は、映画『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』として映像化もされている。

戦争は、多くの人間に悪影響や絶望を与える諸悪の根源だ。

2月に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、今もまだ続いている。

未来ある子どもたちにファビアン達が感じた「絶望」と「失望」を与えないために、今我々が何をすべきか、本作から読み取れることがあるだろう。

誰もが、社会の犠牲にならないために、今から何をできるのか、考えて欲しい。

最後に、戦争の犠牲となった「白いバラ」の若者たちに、カナダのカナディアン・ブラスに所属するケイレブ・ハドソン氏が作曲し、贈った追悼曲『White Rose Elegy』に耳を傾けたい。

カナディアン・ブラスとは、1970年にチャールズ・デイレンバック、ジーン・ワッツらによって結成された金管五重奏団のこと。

彼らは、100枚を越えるCDやDVDを録音・録画し、多くの金管五重奏のためのオリジナル作品や編曲作品を録音している金管五重奏者の世界的なグループだ。

本作と本曲を通して、今を生きる我々が、未来のために何を残していけるか共に考えたい。

畢竟、本作の監督ドミニク・クラブは、作品を通してドイツ国内ないしは、全世界に「希望」を与えたかったのだろう。

(C) Hanno Lentz/Lupa film

映画『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』は現在、6月17日(金)よりシネ・リーブル梅田京都シネマにて絶賛、公開中。また、7月15日(金)よりシネ・リーブル神戸にて上映開始。全国の劇場にて、順次公開予定。

(※1)Erich Kästners schönste Zitatehttps://www.geo.de/geolino/mensh/19188-rtkl-sprueche-erich-kaestners-schoenste-zitate(2022年6月19日)

(※2)Regisseur Dominik Graf”Das geht auf einen Abgrund zu”https://www.monopol-magazin.de/interview-dominik-graf-fabian(2022年6月19日)

(※3)Tom Schilling ist “kein Gesichtsverleiher”https://www.wienerzeitung.at/nachrichten/kultur/film/2115579-Tom-Schilling-Ich-bin-kein-Gesichtsverleiher.html(2022年6月20日)

(※4)世界史の窓 授業と学習のヒント 「ヴァイマル共和国/ワイマール共和国」http://www.y-history.net/appendix/wh1502-080.html(2022年6月20日)

(※5)ドイツ失業者数、4月に1.3万人減-1年ぶりの小幅な減少https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-05-03/RBASRMT0G1KW01(2022年6月20日)