映画『ライオンと呼ばれた男』あらゆる逆境を前に

映画『ライオンと呼ばれた男』あらゆる逆境を前に

2024年8月12日

冒険を続ける男のロマンと人生賛歌で綴る映画『ライオンと呼ばれた男』

©1988 / Les Films 13 – STUDIOCANAL – TF1 Films Production – Stallion Film Und Fernseh Produktiongesellschaf
t – Gerhard Schm Film Script. All Rights Reserved

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Stallion Film Und Fernseh Produktiongesellschaf
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孤児からたった一代で大企業の会社経営者となった起業家の男の数奇な運命と人生は、今の時代を必死に生きる私達の姿に重なって写るかもしれない。私達の瞳の中に写るのは、振り子運動に踊らされる滑稽なサーカスの一幕。人生という名のメリーゴーランドに翻弄されながら、私達はアフリカの地のような緑生い茂る大草原を浸走る。塵の中には、懐かしい愛があるのか?時に心の中にナイフを握りつつ、 栄光という光の中に愛や夢を求める。曲芸の音楽に合わせて慣れ合うような魅惑の鞭は、哀れな風船の間で踊り狂う。痛々しく囁く愛の言葉が、世界中に迸る人々の恨み辛み憎しみを優しく包み込み引き裂く。ライオンと呼ばれた男のように、私も貴方もライオンのように強く逞しく生きる人生を選択する。世界中に存在する人間の総人口と比べてみれば、たった一人という貴方の存在は本当に小さな小さな存在ではあるが、その一人という存在は強く儚く貴い存在である事に気付かなければならない。荒れ狂う荒波の航海、吹きしさぶ強風に抗い、土砂降りの大粒の甚雨の旅路、視界を遮る大量の大雪を経験し、砂漠地帯かと思わせるどの地獄のような酷暑の日々、寒暖差を感じさせる劣悪な環境の先にあるのは、生きる上でのオアシスが待っているのか?何度も何度も繰り返し苦難の連続に立ち向かう人生は、百獣の王ライオンをも思わせる勇猛さ。誰もが猛々しい獅子となり得る時代は、私達のいつもすぐ隣にある。映画『ライオンと呼ばれた男』は、1930年代、パリ。母親に捨てられた少年サム・リオンはサーカス団に拾われ、空中ブランコのスターとなる。やがて大怪我を負ってサーカス団を去った彼は、実業家として大成功を収める。50代となったある日、さまざまなことに疲れたサムは、ヨットでの単独大西洋横断に挑戦し、そのまま行方不明となってしまう。2年後、サムの会社は息子と娘が引き継いだものの、経営不振に陥っていた。アフリカにいたサムは、彼の会社の従業員だった青年アルと偶然にも出会い、ある計画を持ちかける。その内容は、アルを自分の身代わりとして会社に送り込み、サムが影から助言して経営を立て直すというもの。いつの時代にも、不遇の境遇に産まれた子どもは存在するも、彼等はその劣悪な環境を諸共せず、人生の成功を夢見て、その全てに対し抗い続ける。そして人生が成功の道を歩んだとしても、何度危機的状況が自身の人生に降りかかろうが、勇猛果敢に挑む姿こそが、ライオンそのものだ。立ち向かえ、立ち向かえ、立ち向かえ。その逆境に立ち向かい、自身に襲い掛かる不運な環境を跳ね除けた時、大草原の崖の上に立ち風に向かって叫び続けるライオンになれるだろう。

1930年代におけるフランスの孤児達は、どのくらい存在したのだろうか?これは、インド洋に浮かぶレユニオン島から強制的にフランスに連れて来られ、強制労働に励んだインド人の孤児たちの実際のニュースではあるが、フランスは第二次世界大戦後、国民の労働力が減った事を理由に、強制移民をさせられたインドの多くの孤児達が、労働という名のもとに彼らの人生や青春を奪い続けた悲しき事実がある。この政策を行った1960年から1970年頃のフランスの考え方は本当に正しかったと言えるだろうか?孤児の強制移民と言えば、フランスのお隣の国イギリスでは長きに渡り、自国の孤児達を口減らしの為に、政府、教会、民生委員、児童関連の施設が裏で手を組んで、率先し多くの子ども達を遠いオーストラリアに島流しをしていた歴史もある。これをホームチルドレンと呼ぶが、その歴史は古く、1869年から発覚する1980年代まで行われ各国の国同士が結託して、10万人以上のイギリスの孤児達が異国の地へ強制移送されていた。この事実を映画化した映画『オレンジと太陽』は、その事実を表面化させた。少し話が逸れてしまったが、1930年代頃のフランスの孤児達(※3)は、孤児である事が罪とされ、劣悪な環境の地下牢に投獄されながら、長い間、強制労働を強いられらながら沈黙を貫いた暗黙の時代がある。この少年司法の制度的暴力は1950年後半まで続いたと言われている。子ども達は、この劣悪な環境から脱出を試み、脱獄した子どもを捕らえれば、一人につき20フランの賞金が支払われていた。その賞金目当てに、熊手やライフルで武装した警察官、島民、観光客らが最後の一人になるまで、脱獄した孤児達を追跡した話が残っている。当時の孤児たちは皆、家畜の牛のように番号を割り振られて育ち、孤児だった人はこう話している。「 “On n’est personne, On est dans le troupeau”(私たちは何者でもない、私たちは群れの中にいました。)」また、養父母から酷い虐待を受けた男性は、「”Les bisous c’étaient paquet d’orties et les triques…”(キスはイラクサの束とこん棒だった…。)」(※4)と話す。子ども達に置かれた環境は、劣悪の一言で言い表せられないほど、この時代の孤児達は本当に酷い環境で育ったと言わざるを得ないだろう。2024年現在、フランスの孤児達の現状は、どうだろうか?「首都パリでは、家族連れの1,100人を含む1日1,500件の人々が、寝床や居住スペースが満たされていない」(※5)と、声を上げている。これが、2024年、フランスの孤児やそれに準ずる人々の現状だ。現在、フランス・パリでは華やかにもパリ五輪が開催されているが、その背景には孤児やそれに準ずる人々が住む場所を求めて、今日もパリの空の下で暮らしている。


©1988 / Les Films 13 – STUDIOCANAL – TF1 Films Production –
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本作が舞台にしている1980年代のアフリカは、経済成長が著しく低下した時代と呼ばれている。「1980年代以降ほとんど成長していなかったアフリカ経済は、資源価格が高騰し始めてから一転して急成長を続けてきた。少なくともGDP値でみるかぎり、アフリカ経済は、特にサブサハラ地域の総生産額は、原油はじめ資源価格の動向に強く影響されてきた。原油価格とGDP双方の時系列の相関係数を測ると0.97にも達していて、これはロシアやサウジアラビアと同じレベル。資源高時代の高成長期の経済パフォーマンスを見てみると、サブサハラ・アフリカにおける外需の成長貢献はマイナスで、固定資本形成(投資)の貢献度も少ない。サブサハラ・アフリカの経済成長は圧倒的に内需、それも個人消費に支えられてきたのである。この点において世銀やIMFは正しい。しかしながら、このことは「だから輸出収入が減少しても総生産は拡大できる」という予測にはつながらない。」(※6)と、あるように1980年代におけるアフリカの経済成長が、非常に減速していたであろう背景を伺い知る事ができるであろう。この時代のアフリカに赴いた主人公の実業家男性な、孤児時代の大変な時期を経験し、大人となった1980年代の掲載減退が見られるアフリカ大陸に渡り、何度も苦労と共に生きてきた男だろう。これは、誰のせいでもなく、彼自身の生まれ持った運命がそうさせたのであろ。ここに、1970年代から1980年代にかけてのアフリカの年表(※7)があるが、そこには事細かに80年代の当時、アフリカで何が起きていたのか詳細に時代の変動に触れる事ができる貴重なアフリカ大陸青史だ。それから時代は進み、40年が経過した今、近代におけるアフリカ大陸はどうなっているのだろうか?一昨年の2022年11月15日、国連は人口増加について、あるデータを発表した。国連が生み出したデータによると、世界人口は2080年には100億人を超え、ピークに到達すると予測している。そして、その一翼を担っているのが、信じられないだろうが、「今後の世界の人口増加を支えるのはアフリカで、54カ国の総人口は2022年の14億820万人から、2030年には16億9,009万人、2050年に24億6,312万人、2100年には39億1,348万人に増加すると見込まれている。」(※8)。人口増加と共に今、アフリカで注目されている事は、著しい社会的経済発展の兆しだ。ほんの40年前の1980年代頃のアフリカの経済的状況で言えば、まったく考えられなかった事態が起きている。アフリカは現在、地球上、最後の経済発展の地として注目を浴びている。その原動力となっているのが、「リープフロッグ現象」(※9)が大きなカギとなるそうだ。以下、リープフロッグ現象についての分かりやすい解説を引用しておく。(「リープフロッグ」とは「蛙飛びジャンプ」という意味だ。古い状況から途中の過程を一気にジャンプして、最新の状況を実現することである。例えば、電話では、有線の黒電話からプッシュホンや留守電、次にポケベル・ガラケーを経て、そしてスマホ…と順を追って普及するのではなく、電気も電話もPCもない状況から、一気にスマホを1人1台持つというような現象だ)。アフリカは今、日本が昭和、平成、令和の時代に経験した経済発展を辿るのではなく、突如として、目の前に21世紀の経済発展という新しい扉が出現した状態が今、起きている「リープフロッグ現象」と言っても良いだろう。1980年以降、アフリカでは多くの実業家、起業家が輩出されて来たが、その中でもナイジェリア経済に変革を与えたナイジェリア出身のアリコ・ダンゴートを筆頭に、エチオピア出身のベツレヘム ティラフン アレム、ナイジェリア出身のトニー・エルメル、アンゴラ出身のイザベル・ドス・サントス、ウガンダ出身のアシシュ・タッカー、ジンバブエ出身のストライブ・マシイワ(※10)らが、2020年以降のアフリカにて非常に注目を浴びているアフリカ系の起業家達だ。彼らの他にも、名も無き実業家達がこの40年間におけるアフリカ経済史を支えて来たのだろう。まるで、本作の主人公のように世界経済を支える“ライオン”として経済の王者の座に君臨し続けているのだろう。ここに1988年12月8日、フランスで発売された新聞「ル・マタン」に掲載されたインタビューより抜粋された本作におけるルルーシュ監督の言葉を引用しておく。

Lelouch:”J’étais devenu un enfant gâté qui reniait tout ce qu’il avait construit patiemment durant de nombreuses années. Mon scénario est né de ce constat. Moi je suis avant tout un cinéaste amateur. Parce que j’ai besoin d’exploser, de faire les choses pour la première fois, de m’amuser. Oui, c’est ce qui me sauve. Je suis un cinéaste amateur et un amateur de cinéma. Si j’étais un cinéaste professionnel, du reste, je le saurais; peut-être m’aurait-on nommé ne serait-ce qu’une fois aux Césars.” [Extrait d’une interview parue dans le journal “Le Matin”, le 8 décembre 1988](※11)

ルルーシュ監督:「私は甘やかされて、彼が長年辛抱強く築き上げてきたものすべてを否定するような子どもになっていました。私の脚本は、この観察から生まれました。私は何よりも、アマチュアの映画監督です。爆発する必要があるからです。初めてのことをする必要があり、それが私を救ってくれるのですが、アマチュアの映画製作者であり、映画の愛好家でもありますが、おそらく私は一度でもセザール賞にノミネートされていたでしょう。」 [1988年12月8日新聞「ル・マタン」に掲載されたインタビューより抜粋]と、ルルーシュ監督は、自身の監督人生に対する想いを話しているが、この時点で既に世界的トップクリエイターだったにも関わらず、その実情は実に謙虚であり、物腰の柔らかい人物である事が伺える。この姿勢がプラスと働き、名作と呼ばれるようになる本作『ライオンと呼ばれた男』が誕生したのであろう。

最後に、映画『ライオンと呼ばれた男』は、フランスの名匠クロード・ルルーシュと人気俳優ジャン=ポール・ベルモンドが、「あの愛をふたたび」以来19年ぶりにタッグを組んだドラマ。当時58歳のベルモンド本人を投影したかのような成功者が人生をリセットしようと冒険の旅に出る姿を描いた男のロマンたっぷりのヒューマンドラマだ。ただ私個人としては、アフリカ、ライオン、一人の男性というキーワードから浮かび上がらせる作品の背景には、日本が誇るトップシンガーのさだまさしが1988年3月25日にCDシングル盤としてリリースした名曲(前年にも発表している)『風に立つライオン』を思い起こして仕方がない(奇しくも、本作『ライオンと呼ばれた男』も1988年に劇場公開されているので、この楽曲と何かしらの因果関係を感じて止まないが、これは単なる勝手な妄想なのかもしれない)。故郷の日本を捨てた一人の医師が、遠くアフリカの地で医療に励む姿を描いた楽曲だが、孤軍奮闘しながら、逆境に立ち向かい、苦難を乗り越え、抗う風に向かって凛々しくも勇ましく立つライオンの猛々しい姿を表現した歌詞の内容にはどこか、この作品の主人公の姿にもリンクする一面があるのかもしれない。近年、世界は戦争や紛争、核保有の問題といった有事に直面しつつあり、また日本でも令和6年能登半島地震(※12)、令和6年8月8日16時43分頃の日向灘の地震(※13)(恐らく、まだ名称は付いていない)と言った自然災害が頻繁に起きている昨今。私達は、どんな状況であろうと、その有事に対して立ち向かわなければならない。私達は皆、「ライオンと呼ばれた男」のように、あらゆる逆境を前に風に立つライオンであれねばならないだろう。

風に立つライオン

©1988 / Les Films 13 – STUDIOCANAL – TF1 Films Production – Stallion Film Und Fernseh Produktiongesellschaf
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映画『ライオンと呼ばれた男』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)強制移民させられた孤児たち。https://ovninavi.com/760divers/(2024年8月11日)

(※2)Home Children, 1869-1932https://www.bac-lac.gc.ca/eng/discover/immigration/immigration-records/home-children-1869-1930/Pages/home-children.aspx(2024年8月11日)

(※3)Dans les années 30, à Belle-Île-en-Mer, on mettait les orphelins au cachot…https://www.telerama.fr/radio/dans-les-annees-30,-a-belle-ile-en-mer,-on-mettait-les-orphelins-au-cachot…,n6584535.php(2024年8月11日)

(※4)L’histoire des Petits Paris, ces enfants de l’Assistance publique placés dans le Morvanhttps://france3-regions.francetvinfo.fr/bourgogne-franche-comte/l-histoire-des-petits-paris-ces-enfants-de-l-assistance-publique-places-dans-le-morvan-2052607.html(2024年8月11日)

(※5)Enfants à la rue, déplacements en région : la situation alarmante des sans-abri en Île-de-Francehttps://actu.fr/societe/enfants-a-la-rue-deplacements-en-region-la-situation-alarmante-des-sans-abri-en-ile-de-france_60643351.html(2024年8月11日)

(※6)アフリカ経済の現状を読み解くhttps://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Reports/AjikenPolicyBrief/068.html(2024年8月11日)

(※7)アフリカ Africa 1970~80年代http://www.arsvi.com/i/2-1970s.htm(2024年8月11日)

(※8)人口増加にみるアフリカ市場の可能性と課題https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2022/b17b51af306ca379.html(2024年8月12日)

(※9)アフリカ経済の「超加速度的な成長」を支える「リープフロッグ」現象の正体https://wisdom.nec.com/ja/series/africa/2023012701/index.html(2024年8月12日)

(※10)Top African Entrepreneurs and Their Inspiring Storieshttps://afri-soul.com/blog/top-african-entrepreneurs-and-their-inspiring-stories(2024年8月12日)

(※11)”Itinéraire d’un enfant gâté”, film de la maturité pour Jean-Paul Belmondohttps://www.rts.ch/info/culture/cinema/12947685-itineraire-dun-enfant-gate-film-de-la-maturite-pour-jeanpaul-belmondo.html(2024年8月12日)

(※12)能登半島地震 災害関連死112人に 直接死含めた死者は341人https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240809/k10014543981000.html(2024年8月12日)

(※13)宮崎県日向灘を震源とする地震及び南海トラフ地震臨時情報等についての会見https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2024/0809kaiken2.html(2024年8月12日)