映画『メイド・イン・バングラデシュ』
バングラデシュ?
聞いたことある国だが、一体どこに位置するのだろうか?
国名だけが先行し、まだまだ謎の多い国ということだけは、言い切れそうだ。
そして、そんな国に映画産業が浸透しているのか、甚だ疑問ではないだろうか?
バングラデシュ映画。なかなか聞き慣れない言葉に、困惑しがちな反面、とても興味を掻き立てられる響きでもある。
バングラデシュ映画について、深く触れてみたいところだが、その前に「バングラデシュ」という国が、一体どのような国家なのか、まずは基礎的な知識から体得する方が、本作をすんなりと感覚的に受け入れることが、できるのではないだろうか?
さて、バングラデシュとは一体、どんな国か。
正式な国名はバングラデシュ人民共和国、通称バングラデシュ。
南アジアに位置する共和制国家(一国を代表する象徴あるいは国の最高責任者が、国民から一定期間選出される国家のシステム)。
首都はダッカ(バングラデシュの中央部分に鎮座し、メトロポリタンという言葉が似合うほどの世界有数の大都市だ。2016年のデモグラフィックによれば、近隣を含む都市部の住民数はバングラデシュ最大の1,623万人。世界第16位の人口の数を誇る)。
東西にはインド、南東部にはミャンマーとの国境に囲まれている。
南側にはベンガル湾が面している。
西側には、境を接してインド連邦共和国の西ベンガル州、東側では隣り合わせとなる印度のトリプラ州と連れ立ってベンガル語圏に属している。
また、英国領インド帝国の一部からパキスタンの飛地領土(一つの国の国土や行政区域が、地理学上に隔てられている地域のこと。バングラデシュの場合は、東パキスタンにあたる)として過ごした後、独立国家となった。
バングラデシュは、インド同様にイギリス連邦加盟国のひとつでもある。
バングラデシュは、南アジアにおけるイスラム圏国家として有名だ。
人口は1億5,940万人。都市国家を省けば、世界で最もデンジティが高い国と呼ばれ、国民の数は世界第7位となる。
国名のバングラデシュは、ベンガル語で「ベンガル人の国」と翻訳す。
前述したように、首都はダッカで、他の主要都市はチッタゴン、クルナ、ラジシャヒなどがある。
元々はインドの一部だったが、1947年にイギリスから独立するに当たり、イスラム教徒とヒンズー教徒との反目が深まった。
イスラム教徒地区として、「パキスタン」を独立国にさせる考案が浮揚した結果、1955年に東パキスタンとして誕生した。
ただ、パキスタンの本土とは遠距離の状態であったこと、また宗教という枠組みで両国を統一化すること自体が、非常に難局する点からパキスタンからの分離が叫換された。
そして、1971年にパキスタンからの独立した国家として産声を上げた。
豊饒な資源から様々な穀物や米穀の生成に和合し、以前は「黄金のベンガル」と呼ばれ、豊かなエリアだった。
社会的交通基盤の未補修、行政や司法の非効率から、現在ではアジア圏内の後発開発途上国として認知されている。
だがしかし、ごく近年では、マンパワーの万斛さ、アジア諸国極小レベルの雇用に対する必要経費の廉さに着目した結果、世界規模の製造業の進出が、著しく増えてきている。
第三国へのエクスポートの他、潤沢な国民の人口の間から、スマートフォンなどが、バングラデシュに居住する市民向けに大量販売されている背景もある。
これからの未来、独立国家として嘱望されるNEXT11の一つに織り込まれている。
それでも尚、バングラデシュでは極端な極貧状態も続いているのも、事実だ。
意外と、この国の歴史は浅く、戦後英国領から、インドから、パキスタンから、やっと独立できたのは1971年のこと。
数えると、今年で独立後41年目に当たる。既に、日にちは過ぎてしまったが、バングラデシュの独立記念日は、3月26日だという。
アジア諸国の中で最貧国だと呼ばれている反面、世界の大企業が進出している傾向があるという。
まるで、現代のアフリカ諸国のようでもある。グローバルな「産業革命」が、バングラデシュで起きている中、労働の問題、賃金の問題、雇用の問題が社会的に浮上するのは、必然的な事なのかもしれない。
本作『メイド・イン・バングラデシュ』は、なるべくして、なった。作るべくして、作られた作品ということを、まず認知しておきたい。
さて話を戻して、バングラデシュ映画とは、一体なんぞや?日本国内では、滅多に触れることのできない国の映画という事実は、間違いない。
近年では、隣国のインド映画の人気がフィーバーしたのは記憶に新しい。
映画『ムトゥ 踊るマハラジャ(1998)』以来、実に15年ぶりの事だった。映画『きっと、うまくいく』の盛況ぶりは、とても新鮮でもあった。
にも関わらず、インドの隣国であるバングラデシュの映画が、世界規模で見ると不明瞭な部分もあるが、日本にはほぼ配給されていない。
検索バーで、純粋に「バングラデシュ映画」と検索してヒットするのは、本作『メイド・イン・バングラデシュ』のみ。
求めているのは、そこじゃなくて、バングラデシュ映画の起源や成り立ちを知りたいのに、日本語サイトの検索では情報が皆無ということが、よく分かる。
ある映画サイトで紹介されているのは、16作品のみ。うち日本語として表記されているのは、14タイトル。レビューが投稿されているのは、7作品のみ。
日本国内では、ほとんどの作品がまだ鑑賞できない状態があり、バングラデシュ映画という存在は謎のヴェールに包まれているのは、明確だ。
ベンガル語で調べてみると、バングラデシュ映画の起源は、遡ること東パキスタン時代の1958年にまで辿り着くことができる。
もう少し、細かく分けるなら、独立前と独立後で区別することもできるが、今回は独立前からの地続きとして辿ってみたい。
1958年、アブドゥル・ジャバー・カーン監督によるバングラデシュ映画の最初のトーキー作品『মুখ ও মুখোশ(顔とマスク)』というのがある。
ちなみに、アブドゥル・ジャバー・カーン監督は、東パキスタン映画の父と呼ばれ、グリフィス、牧野省三、サタジット・レイ、ウスマン・センベーヌと並ぶ映画業界の創始者だ。
東パキスタン(現バングラデシュ)にも、映画の父がいたのは驚きでもある。
他を探せば、多くの「〇〇映画の父」と呼ばれる監督たちが存在しているだろう。
そしてベンガル語で調べていると、とても興味深い言葉を発見した。それは、(※1)「ダリウッド映画」という文字だ。
今の今まで、まったく聞いた事のない名称だ。
まさか、あの北米の映画の都「ハリウッド」から名付けられたのだろうか。
それしか、考えられないが、もしそうだとしたら、東パキスタン(現バングラデシュ)にも映画の都が、存在したことになる。
それは、初耳だ。「ダリウッド」の語源は、一体なんだろうか?
ある仮説として、考えてみるとことにした。一つ目は、バングラデシュの首都ダッカから名付けられた可能性を探る。
ダッカでのバングラデシュの映画産業が、当時盛んに行われ、その様相を言葉で表現した時に「ダリウッド」というワードを結びつけたのかもしれない。ちなみに、東パキスタン時代から、ダッカが首都というのは変わっていない。
また、二つ目の仮説として、アフガニスタンやタジキスタンの公用語でもあるダリー語という言語がある。
この言葉は、この両国を中心に、パキスタンでも話されており、隣国のインドにも少しばかり話者がいるということだ。
それを踏まえて、東パキスタン時代にパキスタンからの名残で、この地域にも「ダリー語」を話せる国民が当時はまだ、たくさん存在し、東パキスタン(現バングラデシュ)映画でもダリー語が話されていたと仮定すれば(よくよく調べると、この時代から東パキスタン映画ではウルドゥー語とベンガル語で製作されている。1958年頃の初期は、どんな言語が用いられていたのか、定かではないので、一抹の望みとして、東パキスタン映画の初期には「ダリー語」が使用されていたと、推測してもよいのかもしれない)、その経緯から「ダリウッド映画」と命名された可能性も無きにしも非ず。
否定はできないところだ。ただ、この辺りの話は単なる映画の話にはできず、学問で言えば、文化人類学、文化言語学、比較言語学などの領域になってしまうので、時間をかけて検証する必要があるのかもしれない。
しかしながら、やはりバングラデシュ映画は、「ダリウッド」として広く知られているらしく、世界で11番目に大きな映画製作センターが、あるようだ。
もう少し、バングラデシュ映画ないしは東パキスタン映画の歴史を紐解いておくと、1928年には、首都ダッカで『Sukumari』という最初のベンガル映画が製作されており、また1931年には『The Last Kiss』という作品も、製作されている。
先程、ご紹介した『মুখ ও মুখোশ(顔とマスク)』は、東パキスタン(現バングラデシュ)映画の最初の長編作品という位置付けだ。
1970年代は、ベンガル映画の最盛期だったが、バングラデシュでの映画産業は、1990年代初頭まで減退しつつ、その後盛り返したと言われている。
ちなみに、バングラデシュで最も商業的に成功を収めた映画は、1989年に公開された映画『বেদের মেয়ে জোসনা(ヴェーダの娘、ジョスナ)』という作品らしい。
日本には、まったくと言っていいほど、バングラデシュ映画は配給されていない事が分かったところで、やはり本作『メイド・イン・バングラデシュ』がこの度、国内配給されたのは究極に貴重な出来事だ。
映画祭以外の一般の劇場で上映されることは、そうそう無い事だろう。
それでは、刻限も迫っていると思われるので、本作のレビューに当たって最後に取り上げたいのは、やはり作品を製作した監督のルバイヤット・ホセインさんにスポットを当てたい。
国内では、皆無と言っていいほど、聞いたことの無い監督名だろう。
彼女は、本作が長編三作目となる作品を製作さているフィムルメーカーだ。
この作品で初めて、日本で初お披露目となったということだ。
ルバイヤット・ホセイン監督は、1981年にバングラデシュの著名な政治家SyedAbulHossainと彼のその妻KhwajaNargisHossainの間に生まれた。
彼女自身、映画監督として初めの一歩を踏み出すきっかけとなったのは、インド映画の父サタジット・レイとバングラデシュ映画における最重要映画監督リッティク・ガタクに触発され、影響されたこと、と本人が語っている。
「政治家の娘」という恵まれた環境で育った彼女は、2002年にニューヨーク・フィルム・アカデミーで映画監督の学位を取得。
また、有名なスミス大学で女性学の博士号も取得。ペンシルベニア大学で南アジア研究の修士号も取得し、ニューヨーク大学のティッシュ芸術学校で映画の学位までをも、取得している。
彼女の育成環境だけでなく、本人自身が備わった潜在的聰明さもまた、学位取得に大いに影響を与えたのだろう。
ホセイン監督の今の関心事は、スーフィズム(スーフィー教に関する事柄)、ベンガルのナショナリズム、現代ベンガルの成り立ち、フェミニズムらしいのだ。
学歴から考えても、とてもクレバーなホセイン監督は、処女作『Meherjan(2011)』でセンセーショナルなデビューを飾っている。
本作は、パキスタンから独行を図ろうとした東パキスタンの独立戦争を描いた作品だ。
当時のバングラデシュ人から見た戦争の悲惨さを映画を通して描かれる。
公開当初、様々な論争と批判が巻き起こり、公開からわずか1週間で、配給会社は多くの批判に晒された上、圧力を受けて劇場から撤退、上映中止を余儀なくされたという経緯がある。
そんな世間の荒波を乗り越えたホセイン監督が放つ長編三作目は、劣悪な労働環境に抗い続けるバングラデシュ人女性の姿を描く労働讃歌だ。
監督は、バングラデシュ映画界における女性たちの職場環境と、ホセイン監督の作品は女性が中心に描く特別な理由を聞かれ、彼女はインタビューでこう話している。
「状況は、私が監督としてスタートした時よりも、少しは良くなっています。現在、多くの若い女性のプロデューサーたちが、バングラデシュ映画業界で働いています。今、私たちはサディア・ハリドのような女性の映画評論家に期待を寄せています。さらに多くの若者が、この道を選ぼうと考えていることでしょう。しかし、プロデューサーになることは「仕事」であり、多くのことをしないといけません。バングラデシュでは、それはとても困難なことなのです。私は家族、経済的、心理的なサポートを受けることができました。私の最初の長編映画「Meherjan」がヒットした時でさえ、家族は私を支えてくれました。それでも、バングラデシュ人女性が周囲からのサポートを受けるには、まだ平均的な人の手が必要です。今、映画業界に身を投じようとする方々は、残念ながら200%苦労しなければなりません。また、過去の映画では、男性の優位性を見ることができますが、それは今だけではなく、映画の世界が始まって以来、女性は差別されてきました。女性は美の問題として描かれていますが、男性俳優が主流であり、私には受け入れられません。基本的に、私は自分の映画を通して自分の主張を述べたかったのです。それは私の映画の政治的声明と呼ぶことができます。私は女性に対する伝統的な差別を打ち破りたいと思っています。私は、女性の人生がいかに複雑であるかを、彼女たち自身の経験を通して、周りの人々の人生経験を通して、気付かされました。実際、誰もが職場から世界の人々に物語を語っています。私はまた、女性の場所と私のエンパワーメントを強調したいと思いました。女性の勇気と成功の物語は前面に出されるべきです。私はそれを示したいのです。」
ホセイン監督は、映画を通して職場環境における女性たちの地位向上の是非を訴えようと、議論を投げかけている。
映画業界に限らず、どこの業界でも、女性への接し方を平等的に扱うのは前提として、また男性への接し方も一律にするのが、これからの未来の課題ではないだろうか?
女性も、男性も、マイノリティも、皆同じ人類であり人間だ。
差別や偏見、男尊女卑、男性優位時代、社会的弱者の撲滅、今後の課題はまだまだたくさんある。
最後に、本作『メイド・イン・バングラデシュ』の作品について触れるとするならば、自身の職場での地位確立を目指し、取り戻すために奔走するバングラデシュ人女性たちの姿に激励したくなるだろう。
職場では賃金削減、雇用問題、人権搾取に遭いながら、家庭では「女は家庭を守るもの」という古臭い考えに挟まれる若い女性たちが、一人の人間として自立しようとする姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
まるで、『ノーマ・レイ(1979)』『サンドラの週末(2014)』『明日へ(2014)』『沈まぬ太陽(2009)』『ブレッド&ローズ(2000)』と言った映画に登場してきた人物たちを思い出す。
彼らもまた、本作『メイド・イン・バングラデシュ』に登場する若き女性たちと同様に、自身の職場での地位向上に向けて、企業と戦う姿が印象的だ。
この労働問題は、バングラデシュに限ったことではなく、どの時代、どこの国、いつでもどこでも起こりうることを肝に銘じておきたい。
近年、国内では映画業界における女性たちの地位向上や自身の人権を勝ち取るために、日本版「Me Too」運動が盛んに行われている。
その上、ブラック企業が起こした北海道の「知床観光船沈没事故」もまた、低質な職場環境が重大な事故を誘発させたと言っても、過言ではない。
これら日本版「Me Too」運動も、「知床遊覧船沈没事故」も、すべてが氷山の一角に過ぎない。
日本のどこかの片隅で、ブラック企業は存在するし、人一人の人権を蹂躙する業界があることも事実だ。
予備軍が必ず存在することも、念頭に置いておきたい。
本作が取り上げている労働環境の問題は、古くから野放しにされている周知の事実だ。
私たち人類は、これらの問題に対し、今後どのようにアプローチし、対処し、撲滅、殲滅させることが、これからを生きる者達への大きな課題であることを心に留めておきたい。
映画『メイド・イン・バングラデシュ』は、全国の劇場にて、順次公開予定。また関西では、5月6日(金)よりシネ・リーブル梅田、京都シネマにて上映開始。また、元町映画館では、6月11日(土)より公開予定。ただし、初週は12:40〜を予定している。
(※1)ダリウッド:バングラデシュの歴史の混乱を捉えるhttps://jpn.worldtourismgroup.com/dhallywood-capturing-turmoil-bangladeshi-history-17002(2022年5月6日)
(※2)সাক্ষাতকার: “নারীর সাহসিকতা ও সফলতার গল্প সামনে আনা উচিৎ”- রুবাইয়াত হোসেনhttps://www.voabangla.com/a/6504723.html(2022年5月6日)