深夜ラジオが繋ぐ愛おしい時間を描く映画『午前4時にパリの夜は明ける』
午前4時、深夜のラジオ便。
音声放送の電波に乗せて視聴者に送られるのは、囁かな愛の告白か、誰かの一人寂しく鼻を啜る小さな泣き声か、中卒だからと企業差別を受けた女の子の悔し泣きか、一つのラジオにはリスナー何百人によるそれぞれの人生が交差する。
映画『午前4時にパリの夜は明ける』もまた、その何百、何通りもある人生がある中、ある一人の女性の生き方にスポットを当てた作品だ。
7年間にも及ぶ長くもあり短い人生譚は、誰もが共感できる一人の人間としての彼女の、家族の、親子の、人々の絆を紡ぐ心温まる物語が丁寧に綴られる。
時は、1981年のフランス・パリ。
この年の仏大統領選で勝利を獲得したのは、およそ750万票を集めた社会党 PSのフランソワ・ミッテランだった。
映画は、誰が就任したかについてはまったく触れられていないが、物語の冒頭の祝賀ムードの場面は、1981年5月10日の投票日に就任が決まったミッテラン新大統領への市民たちによる祝祭のシーンと断定する事も可能だ。
42年前のフランス・パリは、非常に豊かな時代だったに違いない。
2023年、今の(※1)マクロン仏政権は、この時代の幸福なムード感とは程遠いほど、年金受給開始年齢引上問題が原因で政府と国民が数年間、衝突を続けているのは、誠ながら非常に残念でもある。
ただ、年金問題はここ日本でも同じと言え、フランスの問題が他国の事として、対岸の火事と捉えてしまうのは、些か遺憾だ。
また、日本国民は、フランス国民のように日本政府を猛烈に批判しても良いのではないだろうか。
いつか、彼ら政治家に「No!」と言える日が訪れることを願わんばかりである。
この模様は、ドキュメンタリー映画『暴力をめぐる対話』でも取り上げられ、描かれている。
少し話が逸れてしまったが、今のマクロン政権のように荒れる予兆がないほど、穏やかな空気感が漂う1981年という時代は、フランス人にとって、どんな時代だったのだろうか?
映画は、この81年から88年の7年間にだけスポットを当てており、この「7年」という時の流れが、本作の肝でもある。
実際、ミッテラン政権がフランスを席巻したのは、本作が取り上げる81年から88年という7年間なのだ。
だから、作品の冒頭に選挙投票後の祝賀ムードを映像として取り入れたのには、このミッテラン政権と深い関係がある事を示唆しているのではないだろうか。
そんな時代背景を余所に、3人の子どもを抱えて、一人の女性が離婚を経験するところから、本作の物語は始まる。
彼女が、女として、親として、仕事人として、そして人として、歩んだ断片的な7年間は彼女の人生に何を与えたと言うのだろうか。
作品の冒頭から離婚で始まる映画と言えば、2016年に公開されたイタリア映画『はじまりの街』を想起させる。
この作品の母親役は、伊の映画界を代表する女優、マルゲリータ・ブイが好演していたが、本作の母親役はシャルロット・ゲンズブールだ。
若い女性が離婚を経験する昨今、30代から40代の女性が離婚する割合は、統計としても、実感としても、増えている世の中なのは間違いない。
本作の舞台はフランスだが、この国での(※2)離婚率はいかがだろうか?
フランス人は、2人に1人は離婚経験があり、統計データとして表すと全体の56%と言われており、非常に高い離婚率として認識できる。
その反面、フランスに20年間在住経験があるエッセイストの吉村葉子さんが独自で感じ取ったフランスにおける男女間の恋愛感情は、(※3)「愛の国」と呼ばれるほど、熱烈な愛情関係が存在することは否定できない。
先程の離婚率56%の統計データが、まるで嘘のようでもある。
また、(※4)フランスは結婚や離婚の回数が多く、親と子の関係性が複雑化の一途を辿ると言われている。
こうして、フランスが「愛の国」と呼ばれる反面、離婚率が56%で高め、結婚と離婚を幾度となく繰り返す背景には、愛に対して情熱な国と思っても遜色ないだろう。
少し余談だが、80年代のフランスにおける離婚事情を調べてみると、世界的に見て60年代から70年代に掛けて、離婚率が急に跳ね上がっていると(※5)統計データが、指し示している。
また70年代以降、離婚が禁止されていたイタリア、スペイン、ポルトガルなどの離婚合法化が進み(1970年代の離婚法改革)、また合法化されていた国でも離婚が相手に非がある場合に認められる「有責主義」から結婚生活に修復の見込みがないという「破綻主義」へ転換。
離婚そのものが、肯定的に捉えられてきた時代なのだ。
その上、女性の権利を求めるフェミニスト、ウーマン・リブと言う言葉が社会的に登場した時代でもある。
このような世界的社会的背景の元、本作の主人公は人生における一大イベントである「離婚」を経験していくのだ。
少し角度を変えてみて、(※6)日本の離婚事情はどうであろうか?
厚生労働省が公に発表している「令和3年(2021) 人口動態統計月報年計(概数)の概況(2年前なので、統計は推移している)」によると、令和3年における婚姻件数は50万1116組で、離婚件数は18万4386組。
この結果をうけて算出された離婚率は、1.50(人口千対)となる。日本の離婚件数は、令和3年におけては18万4386組。
また令和2年に離婚をした年齢は男性が35歳~39歳、女性は30~34歳。次に多い年齢層が、男性40~44歳、女性35~39歳。
また、離婚理由の第一位は、男女共に性格の不一致が挙げられる(ただ、この結果は正当ではなく、もっと深い意味が挙げられるだろう。それはまた別の話だ)。
離婚問題に揺れる国は、本国日本だけでなく、世界各国ありとあらゆる国の男女が、結婚と離婚を経験し、人として逞しく成長する。
そんな人間として最も大切な男女間の一大行事を、オシャレな雰囲気を出しながら、一つのドラマへと昇華させた現在フランスを代表する映画監督ミカエル・アース氏は、あるインタビューにて、本作の主演を務めたシャルロット・ゲンズブールが持つ感性が、彼女にこのキャラクターを任せた最たる理由は何かと聞かれ、こう答えている。
監督:「私にとっては奇跡の出会いです。私は逃げるキャラクターが欲しかったのです。私は彼女が時に非常にナイーブであり、またある時には非常に洞察力に富んでいると感じます。シャルロット・ゲンズブールが、彼女の中にはその鋭い観察眼を持っていることがわかりました。とにかく、それが私が計画していたことです。彼女が話す時、彼女の存在全体が、その力を発揮します。彼女は基礎的な事を持っていると同時に、私が出会った中で最もデリケートな人です。一方で、それは映画にとって本質的ではなかったので、同時に最も単純なことでした。これらは、俳優に投影するのに最も苦労する点です。彼女がどうやって演じたかはわかりませんが、私は彼女のプレイするに姿に動揺しました。私は成功したと自身に言い聞かせました。これらのジェスチャーを行うだけで、彼女は私がこのキャラクターに求めていたアンビバレンスを見つけてくれたんです。」と、今回主人公の女性を演じたシャルロット・ゲンズブールに対する強い信頼性を話す監督。いかに、彼女が女優としての力量を持った人物であるのか、よく分かる証言だ。
最後に、本作『午前4時にパリの夜は明ける』は、女性一人でこの荒れ狂う社会の荒波に立ち向かう姿を描く女性賛歌作品だ。
昔から離婚を経験し、女手一つで過酷な人生に画面しながら生きる女性を描いた作品は多くあるが、もし本作を何に例えるなら、今世間で話題となっている「シスターフッド映画」として同一化させても見劣りしないだろう。
過去にあったシングルマザー映画を遅まきながらも、同ジャンル作品として丁寧に取り扱っても誤謬はない。
また、その一方、シングルファザー映画も、逞しく、そして力強く生きようとする男の姿を描いている。
その代表作は、1980年公開の『クレイマー、クレイマー』で父親役を演じたダスティン・ホフマンの愛する子どもを守ろうとする姿勢は、麗しい。
ある種、使い勝手がいいから使っているだけで「シスターフッド」という言葉は、非常に差別的要素を孕んだワードなのかもしれない。
今の時代は、男も女も関係ない。
子を育て守ろうとする親としての姿は、まるで英雄(ヒーロー)そのものだ。
本作が作中で取り上げているラジオも、選挙終了直後の祝福ムードも、単なる要素に過ぎない。
この作品が伝えようとしているのは、いかに女性が強健な存在であるかということ。
それでも近年、(※8)再評価が進むラジオに焦点を当てた作品としては、秀逸だ。
電波に乗せて想いを発信するのは、幾ばかりか虞がある。
先日も、あるラジオ番組で(※9)失言問題が起きたばかりだ。
声を、言葉を電波に乗せることは、危険が伴うという事実も胸に留めておきたい。
それでも、ラジオを題材にした漫画(※10)『波よ聞いてくれ』が、この度ドラマ化されるあたり、いかにラジオという生活には欠かせない少しレトロな代物が再評価されつつあるのがよく分かる。
また、1981年のフランス大統領選挙戦を物語の要素として据え置いたのは、現マクロン政権への監督からの小さな抗議運動なのかもしれない。
42年前の穏和な時代背景を描くことで見えてくるのは、現政権がいかに腐っているかということ。
それは、日本でも同じことだ。
街が明るみ出した午前4時のパリの空の下、数万人の名も無きドラマが展開される。
その中には、あなた自身の人生のドラマもカウントされる。
本作は、ある一人の女性の数年間という短い期間の物語だが、少し視野を広げて見れば、自ずと分かってくるだろう。
これは、あなた、私自身の物語、人生だと…。
映画『午前4時にパリの夜は明ける』は現在、4月21日(金)より大阪府のシネ・リーブル梅田、シネマート心斎橋。京都府のアップリンク京都。兵庫県のシネ・リーブル神戸にて、絶賛公開中。また、順次全国の劇場にて公開予定。
(※1)動画:マクロン氏にブーイング 年金改革法に署名後初の地方訪問でhttps://www.afpbb.com/articles/-/3461057(2023年4月23日)
(※2)フランス人の離婚率は56%https://www.gitsl.com/ala/2250/(2023年4月23日)
(※3)「愛の国」のフランス人が「家庭内別居・離婚」をしない理由https://gendai.media/articles/-/68822(2023年4月23日)
(※4)離婚も再婚も多いフランス・・・複雑化する親子関係https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20150617-OYTEW55001/(2023年4月23日)
(※5)社会実情データ図録https://honkawa2.sakura.ne.jp/9120.html(2023年4月23日)
(※6)弁護士コラム 離婚・男女問題SOS 日本の離婚率(割合)や原因は? 統計からみる実態https://rikon.vbest.jp/columns/50/(2023年4月23日)
(※7)Mikhaël Hers : « On peut faire revivre les disparus à travers un filmhttps://www.troiscouleurs.fr/article/mikhael-hers-les-passagers-de-la-nuit-interview(2023年4月23日)
(※8)ニッポン放送・吉田尚記が語る、ラジオ再評価の背景にある“多様性”「大事なのは否定すること」https://www.oricon.co.jp/special/56412/(2023年4月24日)
(※9)アレルギー食品を無理やり食べさせた 人気バンドメンバー、ラジオ発言を涙の謝罪「無知すぎて…すごく浅はかだった」https://www.j-cast.com/2023/04/21460313.html?p=all(2023年4月24日)
(※10)『波よ聞いてくれ』小芝風花のミナレに完全に心奪われた! 毎週金曜日の夜は祭りの予感https://realsound.jp/movie/2023/04/post-1310459.html(2023年4月24日)