現在、大阪の第七藝術劇場で上映されている映画『[窓]MADO』の舞台挨拶が、12月2日(土)に行われた。映画『[窓]MADO』のあらすじは、郊外の団地で暮らす家族「A」は2016年2月より、階下に住む家族「B」の部屋から来るタバコの煙害に苦しめられていた。2017年、A家は化学物質過敏症を発症したとして医師から診断書をもらい、B家に対して4500万円の賠償を請求する裁判を起こす。実際の裁判で提訴された男性の息子である映像ディレクター・麻王が長編初メガホンをとり、社会から取り残された原告家族と、それぞれ捉え方や受け止め方の違う被告家族、双方の視点を通して裁判の顛末を描き出す。西村まさ彦が主演を務め、「朱花の月」の大島葉子、「台風家族」のMEGUMI、「轢き逃げ 最高の最悪な日」の小林涼子が共演。「横浜・副流煙裁判」の実話を基に、化学物質過敏症が引き起こす問題をファンタジックに描いた社会派ドラマ。
映画『[窓]MADO』は、12月2日(土)より大阪府の第七藝術劇場にて上映中。12月2日(土)の上映後、映画『[窓]MADO』の舞台挨拶が行われた。この日は、本作を制作した麻王監督と主演の西村まさ彦さんと大島葉子さんの3人が、舞台挨拶で登壇された。まず、初めに麻王監督が観客に向けて、作品に関する手紙の朗読を行った。「人は、区別できないものを恐怖します。区分したがります。人は、分かるために、分けようとします。区分しようとします。区分をすることで、安心を得るのです。区分が、救いになるのです。しかし、区分は断絶を産みます。グラデーションの繋がりが、グラデーションであるがままを阻害します。グラデーションの繋がりを、そのままに受け入れられなくなります。たくさんのニュアンスを持った、何とも言葉にし切れないカオティックな得体の知れないグラデーションというものを区分は、あるがまま捉える事を許しません。凝り固まった区分は、柔らかなグラデーションを拒絶します。しかし、この区分の切り口、これが私たちの主観であり、認識であるように思います。認識とは、現在の区分を仮定するという事でしかありません。 認識とは、常に現在進行形の過程であるということです。区分の切り口を変えるには?思考だと思います。この仮定された認識というものは、思考によって切り口をアップデートしていくことができます。安心は、思考の停止を産みます。救いは、断絶を断絶のままにします。また、自らの切り口を相手に押し付ける事に意味はありません。他人を変える事は、できません。安心しようとせず、救われようとせず、向き合い思考し、見つめ続け、認識し続けるしかありません。これに終わりはありません。私は見つめ続けて行きます。」
主演の西村さんは、映画『[窓]MADO』についての話をされた。「この作品は麻王監督のご家族の方が、実際に体験したお話です。今でもB家もA家もお住いです。公団と言えば、今では賃貸というイメージを持たれる方が多くいらっしゃると思いますが、当時は一部屋を丸々購入する冒険だったんです。家を買うという事は、血を滲むような努力が必要で、何か問題が起きた時に、引っ越そうにも引っ越せないのが現状ですよね。愛着もあれば、住めば都という言葉もあるように、家族や子どもの成長も共に見て、家と共に刻んだ時間があるんです。だから、思うように引越しなんてできるわけではありません。そして、本作の撮影は、その団地の実際にご家族が住む部屋で行いました。この団地の空気感が、作品の中に入っていると感じます。空気は取り込める事ができますが、その空気を皆様の中に感じて頂きまして、まず人とは何か?を再度、考え直すいい時間になると思います。考えるきっかけがあれば、この作品にも大きな意味を持つ事ができると思います。最後には、一人歩きしてくれると信じています。」と、本作について話された。
また、麻王監督は、西村さんのお話の補足として、実際に起きた制作の裏話をされた。「この映画自体は僕の両親が、裁判で訴えられた実話が基にあります。僕の家族は、訴えられた側のB家です。今回は、訴えた側のA家のご夫婦を西村さんと大島さんに演じて頂きました。実際にある団地は横浜にありますが、撮影は実在する団地のその場所で撮影したと言う事です。だから、ロケ地は完全に自身の地元ですが、未だに家族はその団地に住んでいます。その場所で撮影を行いました。」と話した。
また、主演の大島葉子さんは、作品の捉え方について話された。「本当に、観てくれた方それぞれが、どんな意見を持って、どんな考えを持って、ちゃんと考えれる作品になっています。話し合い、意見を交換できる作品だと思っていますので、皆さんも観た後に多くの方と話して頂けたらと願います。様々な立場で見れる作品です。」と話した。