赦す作業や心の棚卸しをする映画『家族の肖像』岸本景子監督インタビュー
—–監督自身はどのような事を考えて、企画を立ち上げましたか?
岸本監督:この作品の企画に関して言いますと、お年寄りの孤独死のニュースでした。
孤独死と言えど、そこに辿り着くまでには様々な人生があったと思うんです。
だから今回、これをテーマにしたものを作りたいと思って、作品の企画が立ち上がりました。
最初の頃、脚本家の堤と西成区や新今宮の方のシナハンを重ねました。
私のイメージ的に、大阪市南部の方が孤独死に至るケースが多いのかと、思っていました。
実際、シナハンを繰り返すうちに段々と、孤独死自体が西成区に限った話なのか、と振り返るようになったんです。
だから、私が住む西淀川区の周辺をウロウロしながらシナハンをしていたら、多くの長屋を発見しました。
そこには、高齢者の方々がたくさん住まわれていて、改めて孤独死とは身近な問題であると気付かされました。
結果的に、西淀川区周辺での撮影を決めました。
—–西淀川区の周辺地域を歩いたことによって、作品の中身をイメージできたと思いますか?
岸本監督:それは、あります。やはり孤独死とは自分と遠い場所での物語であると、少なからず偏見もありました。
ただ、実はそうでは無いと、考え直したんです。
身近な存在として、私たちのすぐ隣に孤独死はあるんです。
—–ニュースでしか知り得ない事実として、その問題は鎮座しています。一般の私達はテレビの画面を通して、目に触れないからこそ、身近に感じられない問題なのかと思います。
岸本監督:その通りですね。「死」に関して言えば、私達は日常において、遠ざけてしまう部分はあると思います。
—–「死」に対するイメージは、ネガティブな事が多いと思います。例えば、「死」というテーマに対して、監督は脚本家にどんなイメージを伝えましたか?
岸本監督:作品にするのであれば、ネガティブな物語にはしたくありませんでした。
また、一日の事故や事件に関して、件数として表している部分もありますよね。
例えば、警察署の前にある事故を伝える掲示板が、代表的ですね。
でも実際、私達は数字でしか「死」を実感しないものなんです。
私達は、数でしか「死」を見ていません。
それでも、その数字の分だけ、裏では多くの家族の悲しみや喜び、そしてドラマがあるんです。
孤独死は、何らかの事情があっての結果ですが、それぞれ遺されたご遺族は故人に対する想いがあるんだと思います。
このお話を踏まえて、家族の物語を描けたらという思いに至りました。
—–死に辿り着くまでの人生が存在しているのは、確かに仰る通りです。その故人の背景は見えてこない部分ですが、そこに焦点を当てる意義は何でしょうか?
岸本監督:自分自身、なかなか乗り越えられない家族の死の出来事に対して、これは自分だけが抱えている問題ではなく、一人一人死を経験して来ている分、その時点で立ち止まっている人は、他にもたくさんいると感じました。
映画を製作する機会でないと、死と向き合うきっかけがないと思うんです。
だから、罪悪感を持つ事もあると思いますが、それを棚卸しする作業が必要になって来ます。
—–心の整理でしょうか?
岸本監督:それは、それでいいんだよと、自分に言い聞かせるための整理です。
前に進むきっかけとして、この作品が人々のためにあればいいと、いつも願っています。
—–少し突っ込んで聞きますが、本作のタイトル『家族の肖像』は、正直ルキノ・ヴィスコンティの同名タイトルと比較されますが、物語や登場人物を通して考えると、この作品にはこの題名しかないと感じました。タイトルと内容が一致していますが、監督はこの題名にどんな願いを込めましたか?
岸本監督:確かに、ヴィスコンティのタイトルそのままですが、それぞれの家族の形を思い浮かべました。
先程の話とリンクしますが、家族ごとに家族の物語の形があります。
だからこそ、それぞれの家族の形を表すタイトルとして、この題名を選びました。
—–本作のロケ地は、西淀川区(※1)をお選びになられ、今もその地を中心に宣伝活動をしていますが、監督自身が持つ同地区への強い地域愛を感じます。この原動力は、一体何でしょうか?
岸本監督:今までの過去作は、岡山県、香川県で撮影しており、自身の環境とは遠く、言ってしまえば縁のない場所でのロケ地がほとんどでした。
その土地に行けば、よそ者として扱われる事もあり、今回は反対に、私の身近と感じる地域での映像制作をしてみようと至りました。
実際、私は自身が住む街の様子を知らなかったんです。
今度、作品を制作するのであれば、私の身近な地域で映画を撮りたいと思い至りました。
同地区に住んでいますが、住み始めて15年ほど経っています。
でも、この場所で映画を撮ろうと決心するまで、私はまったく隣近所の様子を知りません。
その地域で買い物もした事がなく、知らない日々があったんです。
でも、知らなかった事実は反省でもあり、自分の住む街の事を知らず、他の場所で撮影しようと思ったなと、自身を恥じました。
今度こそ、私が住む地域周辺で映像製作をしたいと、志したんです。
映画を作る事によって、多くの地元の方が参加してくれた珍しい現場でした。
企画や撮影が進むにつれて、人との繋がりが増えて行き、映画がきっかけで、また違う人が繋がって行くんです。
映像製作をした結果、地域にも貢献できるのではないかと思い立ち、自分が住んでいる街への恩返しとして、この度西淀川区をロケ地として選ぶ結果となりました。
—–本作の内容自体は普遍的な物語ですが、岸本監督の宣伝活動をする姿を見ていると、ある種、この映画が今話題の「シスターフッド映画」(※2)のようにも感じます。監督が考える本作の有義性とは、何でしょうか?
岸本監督:意義とは、見えないところに光を充てる事です。
「インビジブル・ピープル」(※3)という言葉をご存知ですか?
私達は映画を撮ることで、その人々に隣人として寄り添いたいと思っています。
主人公の父親の死を知らずに家に訪ねてくる沖野という青年も、隆にとって隣人です。
沖野という存在があるからこそ、隆は前向きにもなれるんです。
誰かと誰か、誰かと誰かが、繋がっている社会でもありますし、本作のテーマにもなっています。
—–誰かと誰かの繋がりが、隣人となって行くんですね。
岸本監督:人との繋がりは、作品のキーになります。
映画を作る事も人との繋がりがないと、産まれません。
死を乗り越えるにしても、人に話す事によって乗り越えられるんです。
一人だけで悩みを抱えていても、乗り越えられないと思います。
気持ちが、自然に悲しい出来事から遠ざけようとしてしまうんです。
でも、同じような経験をした人と話し合いをする事によって、乗り越えられるんです。
今後、私は劇場上映後、コミュニティ上映をして行こうと考えています。
座談会付きの上映会をしたいと、ずっと考えていました。
—–大阪市内の役所やレンタルスペースを借りて、開催するつもりですか?
岸本監督:カフェ上映やプロジェクターを置いているお店も増えてきているんです。
そういうお店のスペースをお借りして、座談会付きの小さな上映会を開催しようと練っています。
皆さんで話し合える上映会を開いて、お互いに話す事で棚卸しができる環境を作ろうと計画を立てています。
—–撮影自体は、およそ3年前、そして昨年には西淀川区の「みてアート2022」(※4)のクロージングにてパブリックに初お披露目されましたが、製作段階を踏まえて、作品は年々、完熟しつつあると思います。監督も自身の作った作品に対し、当時と今を比べて、作品にはどのような変化がありますか?
岸本監督:最初は、物語で描かれている悲しみを点でしか見られていませんでした。
でも、徐々に製作が進むにつれて、点と点が結ばれて、線になった時、視野が広がって行きました。
『家族の肖像』の主人公・隆も、死が原因で別れを経験した人物ですが、この死とはただ悲しい事ではなく、向き合い方次第で意味が変わって来るんです。
悲しい出来事を経験しても、その時で人生は終わりを告げません。
主人公の隆も父親が失踪したことで自身は捨てられ、憎む気持ちもあったけど、父親が亡くなった後に色々伝えたい気持ちも湧いて来たと思うんです。
亡くなってからでも、人との関係性を修復することができると思えるようになりました。
—–岸本監督が考える「親子」「家族」とは、何でしょうか?
岸本監督:しがらみもいっぱいある存在ですね。
私は一人っ子の女の子なので、家制度(※5)が大きかったんです。
親から求められて、存在を否定されながら、大人になりました。
だから、その経験が元で、傷ついている人はたくさんいると思います。
そういう面でのしがらみは、感じていました。
それでも、家族は死ぬまで一緒にいる必要もあると思うんです。
死んだ後も、皆で一緒にお墓に入りますよね。
—–しがらみがある中でも、プラスな一面もあったのではと?
岸本監督:それは、もちろんあります。子供の時は、親世代をモンスターと思っていました。
小さい頃は、大人や親の存在が怖く感じていました。
褒められたこともなかったんです。
でも、大人になるにつれ、親の育成歴やバックグラウンドを考えられるようになりました。
背景を知ることで厳しかった子供時代を、ある種、受け入れられるようにもなったんです。
成長するにつれて想像力も養われ、モンスターと思っていた人が一人の人間だったんだと、感じられるようにもなりました。
家族も親も、一人の人間です。
弱さもあり、孤独もあります。
マイナス面、プラス面も持っていて、嫌なこともありますが、それでも一緒に暮らして行く事、それが家族です。
過去を赦し受け止める事が、前に進む一歩です。
なんだかんだ、親という存在は感謝の対象でもあります。
映画を通して、赦す作業や心の棚卸しをして欲しいと願っています。
—–最後に、本作『家族の肖像』が持つ親子の普遍性や重要性とは、何でしょうか?作品の魅力も同時にお話ください。
岸本監督:最終的に、頼れるのは家族なんです。
結局、家族に頼ってしまうものなんです。
いい意味での甘えられる存在が、家族や親、兄弟だと思います。
だって、自分の悪い所もすべて知っている上で、付き合ってくれるのは家族しかいません。
何十年間、一緒に暮らして来た関係性だからです。
家族であっても、他者は他者。
それでも、その他者の中にも家族の関係は育まれています。
それが、何十年、共に暮らして来た積み重ねでもあります。
だからこそ、甘えられるし、頼れます。
また、向き合えるように、心の整理が必要となるんです。
また作品の魅力は、それぞれの家族像です。
上映時間51分の間に紡がれる隆の成長する姿です。
保坂さんが演じる隆の成長記が、本作の一番の魅力です。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『家族の肖像』は現在、関西では4月22日(土)より大阪府のシアターセブンにて、5月5日(金)まで上映中。
寸評:映画『家族の肖像』は、ある一人の青年の姿を通して描かれる失われた家族の絆の物語だ。
私たちにとって、家族とは近くもあり、遠くもある存在だ。
時に甘えたり、時に喧嘩したり、離れてはくっ付いてを繰り返す無くてはならない関係性だ。
それぞれが持つ家族像、父親像、母親像は人によって個人差はあるが、ただ一つ合致していのは他人にはない家族にだけ向けられる「愛」がある事だ。
本作は、それを51分という時間で丁寧に収めた秀作だ。
ただ、この作品には「シスターフッド映画」という側面があると言っても過言ではない。
本作の監督を務めた岸本景子は、地域の方達の協力を得ながら作品宣伝に翻弄している。
何かに立ち向かう女性、何かに一所懸命になる女性の姿は、映画業界のみならず、これからの未来、どんどん増えて欲しい。
また、関西だけでなく、全国のインディペンデント界隈の関係者や若手が、彼女の背中を追って、活発な活動へと感化されることを願わずにいられない。
(※1)昔は工業地帯・近年はベッドタウンの大阪市西淀川区の住みやすさhttps://o-uccino.com/front/articles/49080(2023年4月26日)
(※2)シスターフッドとは何のこと?フェミニズム運動と連帯https://ashita.biglobe.co.jp/entry/2021/10/06/110000(2023年4月26日)
(※3)新しい共生の在り方を模索してきた是枝映画の集大成『ベイビー・ブローカー』https://numero.jp/cinema-news-20220622/p2(2023年4月27日)
(※4)みてアート2022~ご報告とお礼~http://miteart.blogspot.com/?m=1(2023年4月27日)
(※5)家制度について・・・制度、名残、弊害https://fairy-miyoko.com/kokoro/%E5%AE%B6%E5%88%B6%E5%BA%A6/(2023年4月27日)