閉塞した現代のニッポンに風穴をぶち開けるハードボイルド映画『終末の探偵』井川広太郎監督インタビュー
—–映画『終末の探偵』が産まれた経緯を教えて頂きますか?
井川監督:最初は、かっこいいオジサンの映画を撮りたいという思いで着想しました。
私達の子どもの頃は、映画でもテレビでもカッコイイ大人が活躍していて、彼らに憧れを持っていました。
ですが最近は、フィクションの世界でも物分りの良い大人が増え過ぎてしまったと感じるようになったんです。
私が産まれ育った昭和と今とではいろいろな面で違いますが、純粋に子どもの頃に好きだったような映画をもう一度観たいと思ったのです。
そして、そういう想いを持っているのはきっと自分だけではないだろうとも感じていました。
その企画をプロデューサーが面白がってくれて、紆余曲折を経て製作がスタートしました。
ました
そうして脚本家の木田紀生さん、中野太さんと練っているうちに、私が最初に考えていたアイデアからさらに面白い方向に膨らみ、今の形に至りました。
—–タイトルの『終末の探偵』ですが、この「終末」には、一週間の「週末」にも掛けていらっしゃるのかなと推測もですが、なぜ「終わり」を意味する「終末」を題名に付けていますか?
井川監督:実は私は別のタイトルを考えていたんですが、先ほどお話ししたような経緯で今の脚本になってから、プロデューサーからの提案で『終末の探偵』に決まりました。
「終末」が何を意味するのか、色々と解釈できると思います。
一つはやはり昭和感溢れるヒーローをモチーフにしていますので、「もう、こんな奴、いねぇよな」と既に終わりを迎えているという意味もあると思います。
あるいは、映画における探偵というキャラクターは、大袈裟に言うと世界が転換する時に登場するような気がするんです。
新しい価値観や文化などが急速に広がって、法律が追い付かずに警察では対応できない。
そんな新旧のイデオロギーが対立する中で、探偵という存在にしか解決できないモノがあるのだと思います。
そういう意味でも「終末」には、哀愁や寂しさ、憂いも含んでおり、去り行く者に対する感覚と私は捉えています。
ウィークエンドの「週末」とは全く関係はありません。
—–演出面ですが、本作を監督する上で、気を付けていた事、力を注いだことはございますか?
井川監督:子どもの頃に憧れていたヒーローが今とどう違うのかと考えていて、私が行き着いた答えが、人間味であり存在感でした。
私が子どもの頃に憧れていた俳優たちは、それがフィクションの存在なのか、素の人間なのか、分からなくなる瞬間があったんです。
例えば『探偵物語』では我々が見ているのが工藤ちゃんなのか、それともそれを演じている松田優作さん本人なのか、混然とすることがある。
物語に負けない俳優の圧倒的な存在感とカッコ良さが映っているというか。
今回の作品でやりたかった事はやはり、そういう部分なので、連城新次郎という探偵とそれを演じる北村有起哉さんとが重なって見えるような演出を心掛けました。
—–ちなみに、重なる部分とは、具体的にご説明すると、作品においてはどういう所でしょうか?
井川監督:例えば、中盤で探偵が走っている長いシーンがありますが、そこはカットを細かく割ったりせず、ずっと長回しで撮っています。
そうすると物語的な意味で「連城新次郎が走っている」という表現だけではなく、「北村有起哉さんが現実の世界で実際に走っている」という事実を強く印象づけられます。
観ている側は「頑張れ!走れ!」と思っているとして、その対象が物語の中の連城新次郎なのか、実在の北村有起哉さんに対してなのか、その差が無くなって来ると思うんです。
あるいはアクションの場面なら、例えば「殴る手」とか「殴られた顔」とか、動きの一つ一つでカットを割る事で、大きく動かなくても激しく見せることも可能です。
しかし本作では、連城新次郎のラストの立ち回りは長回しで撮っています。
そうすることで走るシーンと同じように、アクションにおいても「連城新次郎」というフィクションと、「北村有起哉」というリアルの境目が曖昧になってくる。
実際に北村さんがアクションをしている様を長回しで捉えることで、「北村有起哉さんのホンモノの息遣いなのでは」と観ている方が思えるような演出に拘りました。
—–実際の役者さんと演じるキャラクター、また観客の感情をシンクロさせて行く演出に、気持ちを集中していたんですね。
井川監督:物語に負けない強いキャラクターを生み出したいと思っていました。
ストーリーを伝えるためだけに登場人物がセリフを言ったり役割をこなすというのではなく、たとえ物語自体は良く分からなくても、とにかく主人公をカッコ良く感じ、彼をまた観たいと思えるような映画を目指しました。
そのためには今お話させて頂いたように、北村有起哉さんという俳優の肉体性や存在感、人間味をお借りする必要があったわけです。
—–正直なところ、若い年代には恐らく、子どもの頃に見ていたカッコイイ大人はいないんですよね。
井川監督:いなかったですか?
—–いなかったイメージが、ありますね。恐らく、監督の年代で言えば、『私立探偵濱マイク』『探偵物語』ございますよね。少し上の世代だと、高倉健出演作品の『夜叉』『ブラック・レイン』が挙げられると思います。年代の違う方から見ても、カッコよく映りますが、今挙げたような作品に登場するようなヒーロー像をイメージされて、物語の着想を得ましたか?
井川監督:そうですね、具体的にピンポイントで「この作品!」というのはありませんが、今おっしゃったような作品ももちろん挙げられます。
着想してから完成に至るまで、比較的長い時間を要したので、その時間の中で様々な作品のエッセンスや良い点をイメージして、一つの作品に仕上げていきました。
原点という意味ではやはり『探偵物語』や『傷だらけの天使』、『私立探偵濱マイク』シリーズから、すごく影響を受けています。
ただ、今考えれば、そういった作品の主演されている俳優さんたちは、当時は意外と若かったんですよね。
時代は変わって現代の作品なので、40代のオジサンと呼ばれている年代の方々が、カッコよさや憂いも傷も哀愁もある中で、自分らしく生きている姿を打ち出そうと挑戦しました。
それこそコンプライアンス含め、色々しがらみもあると思いますが、そういう事に押し潰されずに、やりたい様にやっていいんだよと。
ただ、例えば人を殴れば自分も傷つき痛むというように、悪い事もすれば罰も食らうという事も考慮する必要はありました。
—–本作の物語は、裏社会に生きる探偵が作品の肝ですが、「裏社会」の雰囲気を出すために、現場で注意した事はございますか?
井川監督:まず、どこが裏社会なんでしょうか。
「俺たちは裏社会に生きている」と思っていれば裏社会なんでしょうか。
みんな、自分たちの世界で生きていますよね。
立場の違う人から見れば、私達の方が裏社会で生きている人間に見えるかもしれません。
本作は、行き場のない人達の物語です。
それぞれが、それぞれの居場所を求めています。
ですので、どの人物にしても、その人なりの悩みや想いがあり、それぞれの場所、それぞれの仲間、それぞれの生き方や価値観にしたがって生きているのだということを意識して、物語を構築しました。
さらに一番頼りになるのは俳優です。
私たちはどうしても作品全体の事を考えてしまいますが、俳優はそれぞれの役からアプローチしてくれます。
なので、それぞれの役者から提案してくれた事は、できるだけ活かしました。
そうする事で、主人公含め物語に登場する人物達が、それぞれの考え方を持ちながら、作品世界の中で活き活きしているように見えるようになったのではと、手応えを感じています。
—–作品のスコアについてですが、クライム映画、ノワール映画には渋めのリズムがしっくり来ると思います。本作でも、常に劇伴が耳に残る旋律でしたが、作中の音楽に対して、何か拘りはございましたか?
井川監督:スコアに関しては、まず音楽プロデューサーの古川ヒロシさんにご相談させて頂きました。
最初は、非常にざっくばらんなイメージだけお伝えしていたような気がします。
ただ、メイン・テーマとなるエンディング曲は「SHŌGUNっぽくして下さい!」と頼みました。
音楽プロデューサーの古川ヒロシさんに依頼した後、音楽担当の大坪直樹さんに具体的な曲を作って頂きました。
特にメイン・テーマとなるエンディング曲は、カッコよくて渋くないと、ハードボイルド映画として格好がつきません。
なので「妥協しないぞ!」という強い気持ちで構えていましたが、一発OKでした。
最初に聞いた瞬間に、「これだ!」と思いましたね。
(注※SHŌGUNは日本のロックバンド。ドラマ『探偵物語』のオープニング、エンディング曲の『Bad City』と『Lonely Man』を制作した)
—–作風と劇伴が、非常にピッタリと合っていました。渋い作品に、渋い音楽は欠かせず、雰囲気もあり、とても居心地が良かったです。
井川監督:冒頭のポーカーのシーンからタイトルの裏で流れる最初の曲は、何度も書き直してもらいました。
お互いの感覚を擦り合わせるために、何度も何度も直して、今のスコアになりました。
そこからは、とてもスムーズでした。
お互いが感覚を掴めてからは、次々に楽曲ができあがり、私自身が想像していなかった場面にも多くの曲を付けて頂きました。
「なるほど」と納得できる、非常に面白い体験でした。
—–最初に流れてくる音楽は、非常に聞き入ってしまう楽曲でした。映画は、ファースト・カットにしても、ファースト・ミュージックにしても、最初の掴みがやはり、重要かと思います。また、本作の目玉の一つは、アクション要素かと思います。その井川監督から見て、アクション監督の園村さんのアクション指導は、どう感じましたか?
井川監督:私は本格的なアクション映画を作るのは今回が初めての経験でした。
なので、アクション監督とお仕事するのも初めてだったんです。
園村さんは映画『ベイビー・わるきゅーれ』という作品にも携わっており、一方的には存じ上げていました。
つい先入観で、怖い人かなと思っていましたが、お会いしてみると非常に物腰が柔らかく、温厚な方でした。
彼のスタジオにお邪魔すると、アクション映画のDVDが山のように置いてありました。
アクション映画を見るのは大好きなので、それを見て私は興奮して色々と話してしまいました。
そんな私が、園村さんには好印象だったようで、その時からお互いに自然とやりとりできました。
作中では物語の山場に大きなアクションが二つあります。
その一方、先程も申し上げた新次郎が一人で戦うアクションは、かなり具体的な映像のイメージがありました。
一人で乗り込み、戦いながら、ゆっくりカメラに近付いてくるワンカットのイメージが、自分の中にあったんです。
私が思い描くイメージを、園村さんにお伝えしたところ、それを基に彼が組手や技も加えて、アクションシーンが作られていきました。
稽古では、北村有起哉さんにもアイデアを出していただき、遊びが加えられ、少しずつ完成度を上げて行ったと記憶しています。
逆に、もう一つの山場のアクション、松角洋平さん演じる阿見恭一と、古山憲太郎さん演じるチェン・ショウコウのバトルは、丸々、園村さんにお願いして作っていただきました。
彼にはかねてからイメージがあったようで、大人の泥臭い戦いをどうかと、ご提案を頂きました。
綺麗な戦いより、泥臭い戦いの方がカッコイイと言うんです。
全く賛成なので、それでお願いしました。
また、園村さんはアクションシーンを作る際に、それぞれのキャラクターの気持ちを知りたいと、おっしゃいました。
なので、戦いに至るまで、また戦っている時の阿見恭一とチェン・ショウコウの気持ちをモノローグにして書いて、お渡ししました。
それをベースにして、園村さんにアクションを作っていただきました。
—–興味深いお話、ありがとうございます。近年のアクション映画において、園村さんのアクションは非常に必要になってくると思っています。正直、あの方が参加しているか、していないかで、日本のアクション映画の存在は左右されると思います。
井川監督:まったく、そう思います。
今回ご一緒させて頂きましたが、園村さんは天才肌の方だと思いました。
一緒に仕事をしたからこそ感じることもありますが、客観的に見ても、彼が担当したアクションは、世界的にも非常に高く評価されていますよね。
これから園村さんが飛躍的に活躍して行くのは間違いないと思います。
—–殺陣やアクションシーンを長回しで撮影するのは、ハードルが高くなると思います。仰った通り、カットを割って、繋いでいくのが正攻法かと。それが一番、作りやすい手法かと思うんですが、難易度を伴う演出や撮影は、監督の演出、カメラマンの撮影技術だけでなく、アクション監督としてのアクション指導も重要事項かと思います。
井川監督:もちろん、そうですが、それだけでは無いと思います。
やはり、俳優の演技力に掛かる部分こそ大きいと思うのです。
自分があれだけのアクションができるかと問われれば、不可能に近いとすら思います。
そもそも息が持たないと思いますが、体力的な面だけでなく、長回しの場合は演技を間違ってしまったり、なにかアクシデントが起きてしまう可能性もあります。
そうするとワンミスで最初からやり直しになってしまうわけです。
そんな難しさの中で、あれだけ見事なアクションができるのは、並外れて優れているからに違いありません。
演技からアクションまで、すべてをやってのける北村有起哉さんは、本当に素晴らしい俳優だと改めて思いました。
—–プレス内の監督コメントの中には、「今の現代社会において、求められている男気」についてお話かれていますが、監督自身が作中にて、描きたかった「男気」とは、何でしょうか?
井川監督:男気とは辞書的な意味で「困っている人を見放せない気持ち」ですよね。
なぜ、このハードボイルドを作ったのかと言いますと、やはり今の日本社会は寛容さが非常に失われてきていると感じているからなのです。
つまり、人と人との関係性がドライになっている気がします。
道で困っている人がいても全く助けずに無視して通り過ぎてしまうとか、同じ集合住宅に住んでいても全くコミュニケーションがないとか。
だから、年齢や性別関係なく、あらゆるコミュニティに顔を突っ込む主人公の新次郎的な優しさや気さくさが、今の日本社会で求められているのではないかなと思います。
小さい頃から私が憧れたヒーローは、そういう人たちでした。
でも昔より今の方がずっと寛容さが失われている。
最初はそんなに意識していなかったのですが、撮影をしながら改めて今の世の中はこういう人物を求めているのだと気づきました。
今の時代だからこそ作れる映画であり、観て欲しい作品です。
—–俳優の北村有起哉さんが受けたあるインタビューで、彼は「探偵は、今を映す鏡。」とお話されていますが、監督は作品を通して、令和の、今の探偵とは何か、追求できたと思いますか?
井川監督:追求できたかどうかは分かりませんが、自分なりの新しい探偵像は作れたかなと思います。
それは、新次郎のキャラクターそのものです。
自分勝手でワガママで、好き放題な性格の反面、困っている人を見過ごせない部分を持っている探偵は、今の世相に必要な人物です。
これはハードボイルドの世界でしか描けないのではないかなと思います。
なぜなら周りの人々が彼に対してウェットな対応だと、成立しなくなってしまうからです。
誰からも好かれるような人柄であったら、成り立ちません。
そういう意味では、キャラクター造形においても、北村有起哉さんの力が非常に大きいです。
演技面だけでなく、現場の前も現場の最中も、北村さんからたくさんのアイデアを頂きました。
この映画が成立したのは、北村有起哉さんのお力がとても大きく働いています。
—–最後に、本作『終末の探偵』の魅力を教えて頂きますか?
井川監督:魅力はもう、一言で言えば、北村有起哉さんが「カッコイイ」に尽きます。
「カッコ良さ」とは、洗練されているとか、整っているとか、そういう事ではありません。
もっと、人間味があり、ダメな所もあり、ダラしない所もありますが、そういうのをすべて引っ括めて、自分で抱え込んで生きている姿です。
カッコつけじゃないカッコ良さを私は描こうとしていた気がします。
そして北村有起哉さんの演技で、匂いがあり、温かみがあり、人間臭さがする色気あるキャラクターになったと思っています。
その点をご覧、頂ければ幸いです。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『終末の探偵』は現在、関西では1月6日(金)より大阪府のシネリーブル梅田、京都府のアップリンク京都。1月7日(土)よりシネマ神戸にて上映中。また、全国の劇場にて順次、公開予定。