奇妙な交流で紡がれる喪失と再生の物語を描いた映画『初仕事』小山駿助監督インタビュー
—–最初にお聞きしたいのは本作『初仕事』が持つテーマについてです。
小山監督:まずテーマというものは、私が制作時に抱いていたテーマと観客一人一人に感じられたテーマが同じである必要はないと思っています。
その上で、制作当時の私の一番の関心事は、人は悲しみや喪失からどのように回復していくのかということ、そして、その周りの人間が、悲しい出来事に遭ってしまった人とどのように接することが可能なのかということでした。
実際問題、愛する方を亡くすという経験自体は誰でもしているというわけではないので、どちらかといえば後者の方、そういった方と接する状況になった時、黙すること以外は不明と言いますか、実生活でどう接していいのか、分からない場合が多いのではないかと思います。
そこでこういう接し方もあると、例示のようなことができればと思っておりました。
人生の中で人間が経験しうるであろう一番の難題が、当時の私の中では愛する者の「死」の克服でした。
いろいろなフィクションで取り上げられている題材ですが、忘却や諦念ではなく、どんなに短い時間でも本当の意味でそれが達成できたとしたら、それは本当の意味での”いい話”と言っていいのではないか、また、そういうものを作りたい思っていました。
—–赤ちゃんの死を撮影する発想は、どこから生まれましたか?
小山監督:2012年の事ですが、たまたま見かけた雑誌から着想を得ました。
その雑誌では、写真が発明された初期の時代、亡くなった方の写真撮影が流行した時期があったという記事がありました。
今では普通にネットで検索すれば、情報として出てきます。撮られたものも掲載されていたのですが、被写体に思い入れがない状態で目にしてしまったので、率直に「気持ち悪い」という拒絶の感情はありました。
ですがそれと同時に若干、共感できると言いますか、そのような行動を取る方の気持ちが理解できる部分もありました。
その相反するように思われた二つの感情は、単純に苦しい、悲しいというような通り一辺倒な感情ではなかったので、作るに足る内容のものができるのではないかと思い、制作を始めました。
—–本編を観ずに作品の物語や主題だけで考えると、サスペンスやホラーにも受け取れガチですが、作品を鑑賞した限りではドラマ的なテイストかと見受けられます。その要素に作品を寄せたのでしょうか?
小山監督:そもそも私自身が、この話をホラーだと思ってなかったという事が、一因としてあります。
私の実人生において、この題材に出会った時期は人の生き死にに、とても関心があった時期であり、また関心を持たざるをえない時期でもありました。
その状態でアンテナに引っかかって来た題材ですので、あまり虚構としてではなく自分なりのリアルな方面に想像力が働きました。
観客の中に実際にこういった体験をされた方もいらっしゃる想定で考えていたので、ホラーにしようという姿勢は初めからなく、もし自分がこういう状況になったらどうするかという具合に、自分ごととして捉えていました。
例えばですが、命に関わる病気をお持ちのお子さんがいらっしゃる家庭があったとして、現にたくさんあるのですが、そういった環境で日々闘っておられる方にとってはこの題材はホラーというフィクションの1ジャンルではなく、もう少し実人生に近い受け取られ方をされると思います。
もちろん、私がそのような目線で作ったということは見る側にはそこまで関係はないはずです。
ホラーと受けとっていただいても問題ありません。
ただ、ホラーっぽい演出をしたと認識しているのは、一箇所程度でして、私がカップラーメンを持って、気付けばそこにいる、程度の場面です。
そこも、主人公の山下が赤ん坊がいるであろう方向にばかり気を取られていて安斎に気づかなかったということに過ぎません。
演出云々よりも、登場人物が抱いている感情、赤ん坊が亡くなってしまった状態でも写真に収めて残しておきたいと思うほどの情念や行われる撮影自体が、感情としても行為としても強いものなので、見る側が想像して自動的に、どんな演出をしてもホラーに寄っていく、というのは一つ考えられるのかと思います。
—–監督は安斎役もされていらっしゃりますが、シナリオを書いている段階から、小山監督自身、安斎という人物を演じてみようと言うお考えだったのか、それとも違う役者にオファーしようか、どちらのお考えだったのでしょうか?
小山監督:誰にしようかなと思いながら、シナリオを書いておりましたが、この役柄は多分、自分が演じることになると、思いながら書き進めました。
そして、書き終わって、改めて自分が演じようと感じました。消去法で決めました。
—–なぜ、ご自分で演じようと思ったんですか?
小山監督:ひとつには、あそこまでではありませんが、少しだけ自身と人物像が被る部分がありましたので、自分で演じようと決めました。
あとは、現場での効率も考えました。
—–赤ん坊の生死を描くことに対して、監督自身はどう思っていらっしゃりますか?
小山監督:世の中には普通にあることですので、描くこと自体は間違ってもいませんし、やってはいけない事ではないと思います。
ただ、問題はその描き方だと思います。やってはいけない事だとは、思っていません。
—–やってはいけない事はないと思いますが、比較的タブーな題材に切り込んだと思います。
小山監督:難しいです。ものすごく難しいです。制作にかかったほとんどの時間は、題材について考える時間に充てられています。
なので、扱ってはいけない事ではないと思いますが、扱わない方が多分、作り手側にもいいと思っています。
—–ありがとうございます。先日、元首相が凶弾に倒れてお亡くなりになった事件がありましたね。本作では、子どもの死を描いておられますね。「命」には、大きい小さい関係なく、誰もが等しい存在かと思いますが、監督が考える「人の命」とは、なんでしょうか?
小山監督:大それた事は言えませんが、総理大臣も赤ちゃんの命も変わらないと仰っておられますが、現実の世界では変わると思います。
なぜなら、あくまで、その重さを測っているのは、周りの人間だからです。
もちろん一つ一つの重さや価値は変わりませんが、そこに関わってくるのは、その命を大切だと思っている人間がどんな人間で、そういうことを思っている人がどれだけいるかなど、命一つ一つによって、影響力は違ってしまうと思います。
例えば、お子さんのいる家庭がいるとします。その家庭のお子さんは、親族の方々や周囲の人間、果ては地球の反対側の人間にとっても価値のある子だと思いますが、そのお子さんが風邪を引いたか何かで、救急車で運ばれる時に、119を呼んでも、どこの病院もいっぱい。
お母さんが騒いで喚いても、状況は変わらない場合もある。
逆に、喚いている人を見て、邪険に扱う人もいることでしょう。
人によっては、モンスターペアレンツという言葉も生まれて来ている訳ですので、当然人によって、時と場合によって、個々の命の感じ方は違います。
だからこそ法律が生まれ、技術が生まれ、人間はその差に対応しているのだと思います。
—–最後に、本作『初仕事』が持つ魅力を教えて頂きますか?
小山監督:映画としての魅力はあると思います。
例えば、音声の手の加えられ方であったり、お芝居も含めて、映画としての面白さはあると思います。
そこから先は、観る方にとって様々な意見があります。
映画祭の時に観客とのQ&Aで、長年南米に住んでいたという方から質問をいただきまして、その方は、こういった行為はそこまで特別なことではなかったが、逆に日本ではダメなことなのかというご質問がありました。
感じ方に幅があってい良い題材だと思うので、見終えた後に感想について話すことが一つの楽しみ方になる映画であることは、魅力の一つかもしれません。
—–貴重なお話、ありがとうございました。