映画『人形たち Dear Dolls』「手を取り合って、一緒にいい社会を作る」大原とき緒監督、西川文恵監督インタビュー

映画『人形たち Dear Dolls』「手を取り合って、一緒にいい社会を作る」大原とき緒監督、西川文恵監督インタビュー

女性たちの自由と解放を目撃する映画『人形たち Dear Dolls』大原とき緒監督、西川文恵監督インタビュー

—–なぜ、本作の企画を立ち上げようとされましたか?

大原監督:まず、以前から女性だけで映画祭のようなものができないかと、話し合いをしていた時期がありました。コロナ禍の中、文化庁がAFF2という補助金制度を作りまして、せっかくの機会なので、一人で映画を制作するのではなく、女性たちで協力し合って、一緒に何かできないかと思い付いたのが、この企画の立ち上がりです。2022年の初頭は、日本映画の女性の俳優さん達が、これまで監督やプロデューサーから性被害を受けたという声を上げ始めた時期でした。私達は、女性の監督ではありますが、日本社会に生きてきて様々な事を経験し、私達自身も監督として声を上げようではないかと。また私自身も何十年も前に俳優業をしていましたが、事務所から、まくら営業を持ち掛けられた経験もあります。私の経験も踏まえて、他人事に思えなく、女性だけで声を上げようと動き始めました。ただ、他の監督を全員、女性の方で固めるのか、また、女性たちを声高に掲げるのか、この点は私たち自身にも迷いがありました。LGBTQの方々がいらっしゃる中、「女性たち」と強調して発信することが本当に良い事なのか、迷いました。それでも、今だからこそ、私達は「女性」ですと、声を上げましょうと。4人の女性で作った長編オムニバス映画が、誕生しました。

「JOMON わたしのヴィーナス」

—–西川監督が制作した映画『JOMON わたしのヴィーナス』の企画からの制作経緯を教えて頂きますか?

西川監督:企画が立ち上がった当初の段階から話しますと、去年の3月頃、大原監督からSNSを介して、まずご連絡頂きました。私は、お誘いして頂く数ヶ月前から、NPO法人の独立映画鍋に入会していました。当時久しぶりに映画を作っていて、今の監督たちがどんな映画を作っているのか、どんな環境で、どんな目的で参加されているのかを知りたいと思っていた時期でした。大原監督とは、映画鍋のオンライン・イベントを通して面識はあり、その会を通じて、私のひととなりを見て頂いたのですね。そうして、初めにまず企画書を書きました。プラスして文化庁の応募の規定に合わせて台本も書く必要もありました。制作前の準備段階での作業が始まったこのころは、映画業界内でのMe Too運動的な動きや、セクハラ、パワハラ、性暴力についてのニュースが溢れていました。自分の経験してきた非常にネガティブな記憶もいくつか思い出しました。映画業界は広いので、さまざまな環境があると思いますが、私に近いエリアの映画業界に対しては、この問題の噴出に嫌悪感を抱かざるを得ない状況でした。何とかしたいと考える一方で、同時にガッカリもしていて、この現状をどう変えれば良いのか、と常にそんな気持ちに包まれていた時期でした。大原監督からお声がけ頂き、同じような気持ちをお持ちの監督がおられたのだと感じました。今回の企画の趣旨を聞いて、とても共感する点がありました。

「Doll Woman」

—–大原監督が制作した映画『Doll Woman』の制作経緯を教えて頂きますか?

大原監督:映画『Doll Woman』は、前の短編映画『Bird Woman』の脚本を書いたオランダ人のヘルチャン・ツィホッフさんに脚本を書いて頂きました。今回は、人形と生きづらさを感じている女性をテーマにした20分の台本を書いて頂きたいとお願いして、完成した脚本が本作『Doll Woman』でした。受け取った時は、正直戸惑いも感じました。確かにホームレスの女性が主人公ですが、こんなコミカルな話で『人形たち』を観に来た方から、石を投げられるんじゃないかと本気で心配していました。でも、コロナ禍以降、私が利用していた池袋駅には、今まで居なかった若い女性のホームレスの方が、増えたんです。私自身も、コロナが蔓延し始めてすぐ、雇い止めにあいました。だから、彼女達の事は他人とは思えなかったんです。昨日まで会社で働いていたように見える方たちが、駅に寝泊まりしている姿を見て、本当に胸が傷んで、ヘルチャンにも連絡して、日本の現状や私が抱いた感情も伝えました。私も自分が出来ることをと思って、ホッカイロやカロリーメイトを配って、歩いた経験もあります。女性ホームレスについて書かれた書籍を読んだりもしました。ただ、最終的には生きづらさを抱えているホームレスの方の困難さは、誰にでも伝わると思い、もっと生き生きとしたたくましい姿を描いてみました。コミュニケーションに対しても問題を抱えていて、人形しか愛せない女性ですが、そんな風にしか生きられない姿を通して、同じような男性に出会い、彼女自身が少しずつ変わって行く姿を、より躍動的にカラフルに、描いたらいいのではないかと思って、本作『Doll Woman』が誕生しました。

「JOMON わたしのヴィーナス」

—–映画『JOMON わたしのヴィーナス』には、縄文土器とコンテンポラリーダンスを組み合わせる事による映画の表現とは、何でしょうか?縄文土器とコンテンポラリーダンスは、真逆の意味合いがあるのかなと。縄文とは、過去の事柄。コンテンポラリーダンスは創作ダンスなので、現代アートに近いのかなと言えば、過去と現代を掛け合わせる事によって、映画の表現にはどんな変化があるのでしょうか?

西川監督:私は、今回は少し実験的な映画を作ろうと思いました。なぜなら、私はPVや企業PR用の映像を作る仕事をしていますが、今回ははじめて、「この予算で何でも作ってもいい」という趣旨の中、作らせて頂いたので、非常に有意義な経験でした。企画者である大原監督の寛容な心には、本当に感謝しています。いつも仕事として守らなければいけない決まり事(ルール)がありますが、それを一度、思考の中から省いてみようと思いました。ただ、予算の問題上、私の制作スタイルでは、しっかりしたドラマを作れないと思い、ドラマには挑戦しなかったんです。ドラマの撮影では予算が尽きてしまうと危惧して、登場人物がドラマとして絡まない作品を考えました。ダンサーと主人公の少女が、一緒に出演する事も考えていましたが、そのアイディアは採用せず、ポジティブに実験的な映画を作ろうと目指しました。一見、古い物と新しい物とを象徴する土偶とコンテンポラリーダンスですが、現在の型の決まっているダンスよりも石器時代や旧石器時代以前の踊りはもっと自由だったと思います。現代は社交ダンスやブレイクダンスと言った様々なスタイルが産まれ、型にはまっていますが、そもそも踊りにはジャンルというものはありません。先史時代で、私達は現在よりも制限のない生き方を謳歌していたのではないかと思います。文明の萌芽以降、人類は、ルールや規則、制度、階級、男女差という価値観を作ってきました。私は自由なコンテンポラリーダンスが、土偶の時代と通じるものがあると思っています。

「Doll Woman」

—–大原監督の映画『Doll Woman』に登場する人物たち(障がい者や路上生活者)を中心人物に据え置く事によって、作品を通して得られる表現の可能性とは、何でしょうか?

大原監督:脚本家のヘルチャンからは、サイレント映画のような作品に、と脚本に付け加えられていました。私自身は、ホームレスの男性の方は、口が効けないという聴覚障がい者の設定ですが、あれはどちらかと言えば、コミュニケーションが人と取れない人というメタファー的なものもあるのかなと思っています。主人公のトキもまた、言葉も話せて、耳も聞こえますが、人とのコミュニケーションが取りにくい女性かと考えていました。

—–西川監督の作品は、少女の姿を通して、ある種、女性の出産や初潮と言った生命の根源的な部分を描いているようにも感じますが、この点は何かお考えを持って、意識して作られましたか?

西川監督:子どもとして育つ中、10歳ぐらいになると、男女として意識や性別が別れて来ますよね。また、ちょうどその頃が、性を意識し始める年齢かと思いますが、その点を踏まえて、ナレーションでは11歳の女の子として主人公を紹介しています。作中では、少女が女性として産まれた事を意識しはじめる過程を描きつつ、物語後半では、最終的には、男女の括りなく、両要素を包括したひとりの統合された「人間」として立つ…という姿を描いています。私自身が、子どもを産んで、10歳と6歳の子どもがいます。思い返すと、子どもを持つということは、母親の身体に、現実においても、比喩としても、「重り」を抱えるということだと思っています。本作のダンサーは、ふくよかな体つきに見える衣装で、胸もお尻も大きく見せていますが、衣装の中から、布製の詰め物(…これは子どもを象徴しています)を取り出し、重たい装備のような布類を次々に脱ぎ落していき、最終的には余分なものを取り除いて、本来の「ひと」の姿に戻ります。この演出については、私自身が出産によって身に付けてしまった、今はもう不要な過度な責任感や社会からの疎外感などの感情を、すべて捨て去り、新しく生まれ変わるような様子をイメージして作りました。

—–本作は昨今、盛んになりつつ女性問題に対して、ある種、答え合わせがあるのかもしれないと思いますが、この点、何かお考えはございますか?

大原監督:昨今、Me Too運動が、アメリカから始まり、他国にも移って、日本でも起こっていますが、今回私達が描いている問題は、ずっと昔からある事です。多分、それぞれがそれぞれに生きてきて感じた事が、今回のタイミングで膿が出たと思っています。もちろん、この4作品だけで女性問題を解決できるという答えはないと思っています。作品では描かれていない、もっと様々な気持ちがたくさんあると思っています。それが、大事であるという気がしています。普遍的すぎず、小さな場面場面で、それぞれの問題が起きています。半径の狭い所で起きている個人的な出来事が、広がり繋がっているんです。西川監督の作品で言えば、少女自身が生きている事に対して迷いが生じ、古代女神にも繋がっている点、昔からの普遍な話なんだよと、教えてくれているようです。個々の声を上げることが、大事なのかなと思います。

—–少し話が逸れるかもしれませんが、今感じた事お話させて頂きます。大原監督が、アメリカからMe Too運動が始まり、日本も今に至ると。アメリカの場合、これらの問題が起きた後すぐに、MCUが黒人問題の時は映画『ブラックパンサー』を、女性問題の時は映画『ワンダーウーマン』を制作して、虐げられている方々の権利を娯楽として発信してきた一面がハリウッドには風潮がありますが、逆に日本は商業がこれをするかと言えば、動かないですよね。インディペンデントの女性監督たちが、声を上げて作品を作っているのは本作だけかなと。だから、貴重ではないでしょうか?もっと声を上げてもいいですし、もっと映画を通して発信できる土壌があればと、願っています。だからこそ、大原監督達の行動は、意義深いと思います。

大原監督:多分、4人全員が同じ方向を意識的に向いているとは言いませんが、こうして4人が集まって作った事自体が大きな意味があるのでは、と思います。

西川監督: 日本の商業映画でMeToo運動のような声を上げる作品が本作以外に見当たらないという点、ここまで考えた事はなかったのですが、その意見を頂いて、非常に嬉しく思いました。この点に気付いて下さり、ありがとうございます。そもそも私自身、日本の映画界で本作のような作品が、あまり作られていないということには気付いてなかったです。そういう点で言えば、意味のある活動を行ってきたのかなと、思いました。映画という活動だけでなく、社会的な側面のある活動として参加できたのは意義のある事だったと、改めて実感しました。 かと言って、この4作品だけで現在の問題の何かを動かせると言えば、そんな事ありません。しかし、少なくとも、活動を起こした人がいて、作品が作られて、観て下さる方、インタビューをして下さる方、それを読んで下さる方…がいるということが、すごく大きな意味がある事ではないかと思います。

「JOMON わたしのヴィーナス」

—–近い将来、男性も女性も関係なく、性に囚われず、一人の人として生活できるような社会になってくれればと願いますが、男女間で対立を助長するのではなく、お互いを尊重し、リスペクトし合える社会になって欲しいと祈っていますが、この点に関して、何かお考えがあれば、お聞かせ頂きますか?

西川監督:若いころは、社会や女性に対して、破壊的な行動をする男性が主人公の物語を読むこと自体は好きだったんです。生きることの困難さや葛藤を描いたそのような小説を、自分なりに映画化したい気持ちも当時は持ちましたが、そういった映画作品を作るには、自分の心の成長がまだ足りないと考えていました。しかし、今回、女性についての一本の作品の制作を終えて、今度は、男性についても描きたいと思うようになりました。その男性の人間性が、女性である私から見て、たとえどんなに共感できない種類の人であっても、今後は描けるであろう、という自信を持ちました。この映画の制作を通して、私は、男性たちに歩み寄れたと思っています。今までは、自分が共感する、ある程度の節度を持った男性しか描けないと考えていましたが、このところは、たとえ彼が、どんな人間、どんな男性、どんな性格であっても、描くことができると思えるようになりました。私の中で男性に対してのひとつの葛藤が終わって、次の段階に進めていると感じているんです。

大原監督:西川監督のお話を受けて、私はずっと、ジャック・リヴェット監督が好きでした。二十歳の時に初めて観てから、日本で観られる作品はすべて観ています。なぜ、好きなのか考えた時、彼の映画の中では女性は、女性のままで生き生きと生きているように見えました。他の男性監督の女性の描き方に対して、違和感がありました。成瀬巳喜男監督の女性像は、そのままの女性像を描いている気はしますが、それ以外の作品では描かれた女性像に対しても不自然さを感じていたんです。男性監督のワークショップを見学に行くと、女優さんは男性が好むような女性像を演じていることが気になっていました。普段は魅力的なのに、男性監督の前では、男性が好むような女性像を演じていること、そのことがもったいないなって思いました。また、映画を通して男性の描く女性像だけがでまわることにも危機感を抱いていました。私達がいい社会を作るには、女性だけ男性だけで作れる訳ではありません。手を取り合って、一緒にいい社会を作っていかなければと思っています。

—–最後に、映画『人形たち Dear Dolls』が今後、どのような道を歩んで欲しい、また作品に対して展望はございますか?

大原監督:私達4人だけでは、多くの方々に届けるのは困難で、上映を続けるのは大変な事です。一番良いのは、この映画を観たい方、上映したい方が声を掛けて下さって、あちこちで上映できればと願っています。規模が小さくても、ペースがゆっくりでも、少しずつ続いて行ければと、思っています。また、第0回 北海道まある+映画祭でも上映が決まっています。

西川監督:私もホール上映やイベント上映なども含めて、長く上映が続いて行く作品になればと願っています。また、本作のような企画や、「女性」や「性差」をテーマとして作られる作品が、もっと増えてくれればと感じています。そういう点で言えば、社会に対して小さな一石を投じられたのかなと、感じています。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

「Doll Woman」

映画『人形たち Dear Dolls』は現在、兵庫県の元町映画館にて上映中。また、第0回 北海道まある+映画祭の23日(日)幌加内町生涯学習センターあえる97にて、上映予定。そして、今秋には、愛知県名古屋市にあるTheater Cafeでも上映予定。