映画『明ける夜に』「前進していて、後退している」堀内友貴監督、五十嵐諒さん、花純あやのさんインタビュー

映画『明ける夜に』「前進していて、後退している」堀内友貴監督、五十嵐諒さん、花純あやのさんインタビュー

夏の終わりを目前とした、若者たちの群像劇映画『明ける夜に』堀内友貴監督、五十嵐諒さん、花純あやのさんインタビュー

—–映画『明ける夜に』の制作経緯を教えて頂きますか?

堀内監督:制作当時、僕は映像制作の学校に通っていました。2年目の夏に、今まで一緒に制作していた自主映画の仲間と卒業制作として、クラウドファンディングも立ち上げて、規模も大きくした上で、一本制作しようと始まりました。企画を立ち上げ、脚本を書き始めた段階で、学生の間中、私はダラダラとその期間を過ごしていたんです。それまでにも、自分自身のようにダラダラ過ごす若者たちの姿を描いた作品を作っていました。卒業制作もありますので、自身にとってのイニシエーションも兼ねて、本作では主人公たちがモラトリアムの終わりと向き合う物語を作ろうと思うって、作品制作が始まりました。

—–本作の企画を最初にお聞きしたり、シナリオを読んだり触れたりした初めての印象は、いかがでしたか?

五十嵐さん:監督とは、前作でも制作を組んでいました。その中で、様々な想いをお聞きし、脚本も読ませてもらいました。今、お話があったように、自分の人生の中にもきっかけにもなるような作品にしたい思いもあったんです。関わっている皆さんにとってのきっかけにもしたいと、考えていました。お話をもらった時は、脚本を読ませてもらって、凄く面白い印象もありました。あとは、前作から一緒にやっていて、この作品をきっかけに、という監督の思いも含めて、関わった全員のきっかけにしたいという思いも聞いていました。何よりやりたいという監督の思いと同時に、脚本自体は完成形でした。本が面白かった分、作品を面白くするのは僕たち俳優にかかっていました。プレッシャーを感じつつ、僕は俳優として出来ることをしないといけないと、感じた事は覚えています。

—–正直、青春映画や主人公の成長物語は、既に出し尽くされた感は否めないと思います。この点に関して、似たような作品を制作する上で、この似ている点を越える必要があると感じています。特に、同一テーマの作品が数多くある場合。この点について、制作段階で、何か工夫された事はございますか?

堀内監督:元々、青春映画や群像映画は好きだったので、それをまずは純粋に挑戦してみたいと思いました。ご指摘の通り、ただ普通にしても面白くないとは思いますので、予測できる展開に対して、思ってもみない物語にどうやってハシゴを渡せるのか、脚本を書いている時に考えながら書きました。

—–お2人は、出演する上で、何か工夫は考えましたか?面白く見せようと思う思考は、自ずと出てくると思いますが、そんな点に関しても、何か気を付けていた事はございますか?

花純さん: 猿江キミの中に堀内監督自身と、私自身の実際の行動が掛け合わされた部分があり、それを調整しつつ、如何に自然体でいられるのかに気を配りました。五十嵐さんと会話する機会も多かったので、その瞬間瞬間をどう生きられるかを考えていたような気がします。これが面白いところだと意識せず、面白いと思える事を純粋に受け入れて取り組んでいた感覚はあります。

五十嵐さん:僕自身は、脚本が良かった印象があったので、僕が演じた山ノ辺に関して言えば、彼が作品のテーマを代弁していると思っています。ただ、この物語では、8月31日に出会った個性ある周りのキャラクター達と反響しながら、山ノ辺にどう変化をもたらして行けるか意識しながら、取り組みました。

—–キミという人物を通して、花純さん自身は彼女に対して、シンパシーを感じるとか、何か感じることはございますか?

花純さん:登場人物の過去や背景が、深く描かれている訳ではありません。彼女の背景を考えた時、自身と重なる部分を考えつつ、彼女の行動と私は似ている部分があると感じます。この行動の裏には、何かしらの現実や事実があるのだろう。自分自身を投影しながら、演じることはありました。

—–人物の過去がないというお話から、本作は切り取られており、8月のあの日でしかありません。あの日しかないからこそ、キミという人物象を浮かび上がらさせる事に対して、どのように噛み砕いて演じられましたか?

花純さん: 私自身が投影されていることもあり、自分との差を無くす作業がほとんどでした。キミの過去の延長線上に私自身を重ねるような感覚です。私自身の日常やキミ自身の過去とを繋ぎ合わせて、あの1日に違和感がないように彼女の人柄や人物象を噛み砕いて、あの役柄を演じてみました。

—–背景を描かない作品の人物を演じるのは、難易度が上がると思っています。過去や背景があるからこそ、その人物と自身をリンクさせる事ができると思うんですが、本作では現状、あの日を描くスタイルですが、あの日のキミをどう演じるのかは、シナリオだけでは追いつけず、演技ではない部分も必要になってくると思います。

花純さん:はい、その点を深く理解した上で、8月31日という「あの日」を迎えることが、私達の課題でもあったのかなと思います。

五十嵐さん:僕自身は、正直に言ってしまえば、その点はいい意味で意識せずに挑んでいました。この作品に関わらず、人物を演じる上で、どんな過去があったのかどうかは、僕自身で作り上げるタイプです。監督と場面や人物設定の話をしながら、どんなアプローチで演じるのか擦り合わせていく中、8月31日しか描かれていませんが、僕の中では監督と考えている事が明確にイメージできています。それが、作品の中でしっかり滲み出れば、成功だと思っています。特に、描かれていない過去について、作品で表現として表出しようとは、本作に関わらず、僕には持っていません。

—–本作は、青春時代や学生時代の終わりを描いていますが、私自身は本作を始まりの物語として受け取ることができました。物語の終焉は、まさに始まりであると。監督は、この「始まり」に対して、何か思いや考えを込められましたか?

堀内監督:それこそモラトリアム(※1)が終わっても、人生はずっと続いて行きます。どちらかと言えば、モラトリアムが終わってからの方が、人生が続いていく背景はあるんです。明確に、「始まり」を意識して作った訳ではありませんが、恐らく、モラトリアムを終わりとして意識することによって、イコールとしての「始まり」が待っています。脚本を書いた時から既に、次に進まないといけないと気持ちを持っていました。自分の人生を始めるつもりで、結果的に多くの方々の心の中で「始まり」であると思ってもらえたとしたら、僕自身も嬉しく思います。

—–花純さん演じるキミもまた、拓と同じように、あの一夜を過ごす人物ですが、花純さんから見て、この一夜とはどんな時間だったと思いますか?

花純さん:キミが40歳頃に差し掛かった頃、自身の子どもの若い背中を見て、あの夜の出来事をソッと思い出す。そんな時間だったとおもいます。

—–あの日は、あの時にしかない2人の時間。登場人物お2人だけの時間だったけど、人生を振り返ってみたら、ほんの一瞬の出来事。でも、そのほんの一瞬に込められている彼らの関係性は、永遠のようでもあります。だからこそ、40歳になったキミが思い出せるのは、あの日が永遠だからです。

—–余談ですが、海辺で首まで埋まっている場面は、あのシーンにおける深層心理はなんだったのでしょうか?モラトリアムからの脱却。自身のイニシエーション(※2)との決別。このテーマと地下に「埋める」行為には、どんな深層心理あると、監督はお考えでしょう?また、なぜ海辺なのか?なぜ、埋めたのか?

堀内監督:夏の話だからこそ、一度は海で撮影したかったんです。海に向かわせつつ、色々なお話の中心にありそうな首だけが出ている男の存在が、どう作品に作用するのかどうかを考えました。また、モラトリアムやイニシエーションから埋める行為に関してですが、「埋める」行為に対しての意味合いより、その人物の違和感を表現したかったんです。埋まっている男が存在する事によって、現実の中の地続きではない風景や存在を少しだけでも、映像で表現したくてあの人物を少しおかしな人として登場させました。

—–このお話を加味して、私が感じたのは、埋める行為そのものが、監督自身のモラトリアムの時期との決別であると受け取れます。モラトリアム期に感じた焦りや脱力感をすべて埋めてしまい、次のステップを目指したい気持ちの表れが、あのシーンにあると感じています。

堀内監督:そのお話を受けて、埋める事によって、身動きが取れない状態を表現していると考えても、また面白いと思います。

—–本作の物語は、監督自身のイニシエーション(通過儀礼)であるとお話されていますが、これはある種、人としてのケジメや決意の表れです。何らかの決意表明を感じる一面がありますが、監督が今思うこの「決意」とは何でしょうか?

堀内監督:正直、今はそれを探しています。別の脚本も書いていますが、まったく進んでいなくて、自分自身と向き合う日々を過ごしています。それでも、まったく進まず、苦しんでいます。そんな状態ですが、決意と言えば大袈裟かもしれませんが、映画というフィクションの中、その物語に生きている人生の一瞬を垣間見れる瞬間を、ユーモアを持って、面白く描きたいとずっと考えているんです。彼らの日常を客観的に見た時、美しく感るんだと思います。それが、凄く大切で、退屈で、取り留めもない日常を映画にすれば、何か良いモノが出来上がると思えば、登場人物を輝かせる事もできると信じています。

—–拓という人物は、自身の過去と決意するための一晩を過ごす人物ではありますが、過去と決別する代わりに、新しい未来への一歩を踏み出す要素も作品にあると思います。五十嵐さんが考える「未来への一歩」とは、何でしょうか?

五十嵐さん:一歩を踏み出すのは、僕が覚悟を持った瞬間だと思うんです。そう思って進み出した瞬間が、本当に意味での一歩を進んだ瞬間だと思っています。ただ、拓に関して言えば、多分、あの日が一歩だったと思います。彼自身が、気付いても、気付けてもいないんです。先程もお話したように、振り返った時に、特別な1日になっていると思うんです。客観的に見た時、もしかすると、拓は何かを感じているかもしれないです。

—–ヒロインのキミが見つめている世界は、身の回りにいる若者たちのモラトリアムの日々や姿だと思いますが、花純さんが見た彼ら登場人物とはどのように映りましたか?

花純さん:私たちも今ここにいて、彼らと同じようにモラトリアムな日々を過ごしています。特別なイメージを持たずに、彼らを見つめていました。

—–モラトリアムは、現代社会の若者を映す言葉かなと認識していますが、実際、この時期は悪いものではないと思っています。今の自分を形成している期間が、モラトリアムの時間だったと言えます。本作を踏まえて、3人が思うモラトリアムとは何でしょうか?

堀内監督:僕自身もモラトリアムを肯定したくて、この映画を作りました。決して、悪いものではないと言う考えは、頷けます。ただ、気が付いたら、モラトリアムに陥っている自分を肯定してあげたいんです。でも、いつまでも、その場所にいて甘えてはいけないんだと感じてもいます。だからこそ、あの瞬間瞬間にいる人達が面白いんです。終わりがある所に、ずっとその場に居続けるようとする事こそが、面白い人物が生まれるんです。

五十嵐さん:モラトリアムに関して、はっきり言えば、僕には分かりません。モラトリアムだったのかと振り返っても、今の自分は言葉にする事はできません。ただ、お2人が感じている事とは若干、答えが違うかもしれませんが、モラトリアムという言葉が今、存在していますが、この言葉は、古くからずっと普遍的であったと思っています。ただ、このモラトリアムという感覚を肯定的なものとして受け取られるのか、否定的なものとして捉えられるのかは、自分次第であり、あなた次第です。ある種、結果が出た時に、あの期間があったからこそ、今俳優として活動できていると思えれば、すごく幸せなものとして捉えられます。逆に、自分がどん底の時、モラトリアムを感じた経験を思い出したら、後々肯定できるように頑張っている感覚はあります。それを一言で現す事は、僕にはできません。

花純さん:私は今回の作品を通して、初めてモラトリアムという言葉を知りました。なので今の環境に対して、特に違和感を感じず、夢を追う事、そこに停滞している事に疑問視していませんでした。この作品を通してモラトリアムが言語化されて、初めて意識するようになり、もしかしたら私はモラトリアムの時期にいるのかもしれない、と思いました。言葉でこれと表現するのは難しいですが、悪いものではないと思ってもいます。モラトリアムの期間は、無くてはならないものと思っているんです。だからこそ、人生が楽しく感じるのではないでしょうか?

—–本作『明ける夜に』の先は、それぞれの夜明けがあって、私達の次が待っていると思います。それぞれが考える夜が明けた先の向こうには、何が待っていると思いますか?

堀内監督:脚本を書けるようになりたいです。今は、それが願いです。

五十嵐さん:僕は意外と、繰り返される気がします。明けたとしても、また夜は訪れます。時間が経てば、必ず夜は明けてくれます。ただ、先程お話頂いた事と通じてくると思うんですが、同じような日があると感じても、同じ日が訪れることはありません。だから、同じように感じたとしても、実は少しだけでも、僕達は前進しているかもしれないし、後退しているかもしれません。繰り返すものであり、実は少しずつ前に歩んでいます。

花純さん:分かりませんが、安定を幸せだと思えたら、私の夜明けがあると思います。今の生活で安定したら、それはそれで次の夜明けを求めてしまうかもしれません。安らぎや楽しさを乗せて、自分の好きを乗せれようになったら、私はいよいよ、自身の人生の夜明けが待っていると思うんです。

—–最後に、本作『明ける夜に』が今後、どのような道を辿って欲しいのか、また作品への展望はございますか?

堀内監督:少しでも多くの方に観て頂きたいと、思っています。特に、僕と同じ世代の方、20代の世代の方々、それこそ青春映画や映画そのものを観ていない層の方々にも、何かのきっかけに観て、何かを感じ取って欲しいと思います。僕は、その点に興味があり、ライト層の方々に認知されるまで、映画が広がってもらえたら、僕としては嬉しく思います。

花純さん:今、監督が言ってくれた事は私も希望です。登場人物が愛されて、観て下さった方が自分の思い出を振り返り、自身を日々を愛する事に繋がって行けばと思っています。

五十嵐さん:僕も2人と想いは、まったく同じです。たくさんの方々に観て欲しいです。なぜなら、取材をして頂いて、お話をしていく中、感じた事は僕らの同世代にどう映るのだろうかと。逆に言えば、モラトリアムを体感していない世代の方々が、この映画を観て、どう感じるのか知りたいです。この映画は、観た人によって、受け取り方は違います。2回目に観た時も、その時の環境や条件、状況によって、変わって行くと思います。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

映画『明ける夜に』は、関西ではシネ・リーブル梅田にて9月3日(日)、4日(月)より二日間、上映開始。また、全国の劇場にて公開予定。

(※1)モラトリアムとは? モラトリアム人間の特徴や脱却する方法を解説https://hataractive.jp/useful/2249/(2023年8月23日)

(※2)「毎日の惰性から抜け出せない人」と「大きな決断ができる人」との圧倒的な差https://diamond.jp/articles/-/288261?_gl=1*25oy8i*_ga*YW1wLXlVdS1NWk1Sc0lGazZWM2NYbjlCMzBXR0FxZ2k4TWZOdHF1Q0wzdHFXVFVib3MtOGVlUkV6UXV4eWwwakdodGk.*_ga_4ZRR68SQNH*MTY5MjczODI0Ny4xLjEuMTY5MjczODI0Ny4wLjAuMA..(2023年8月23日)