映画『ぼくのお日さま』雪代水のように

映画『ぼくのお日さま』雪代水のように

田舎街のスケートリンクで。映画『ぼくのお日さま』

©2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINEMAS

©2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINEMAS

「あなたの魂は選ばれた風景 魅力的な仮面師やベルガマスク師が リュートを奏で踊っているが 幻想的な仮装の下では憂いているかのよう」

クラシック音楽家の権威クロード・アシル・ドビュッシーが作曲した傑作「月の光」(※1)に耳を傾けると、月の光に照らされて、しんしんと雪が降り積もるある地方の田舎町の風景が瞼の裏に映る。初雪が降る冬の初めの物語。現実の世界でも、もうすぐ秋が終わり、冬が訪れる足音が聞こえて来そうだ。そんな立冬の季節、寒さの冬ごもりに余念が無い中、凛と冷える朝の白い吐息が宙を舞い踊る。それはまるで、スケートリンクの上を滑る少年少女の静かな舞のように、今日も静寂の中、白い雪がチラチラと舞い散る。そして、この作品には隠れた事柄がチラホラ見え隠れする。タイトル「ぼくのお日さま」と使用楽曲「月の光」には、相反する太陽と月の二項対立が存在し、他には明と暗、少年と少女、成功と挫折、躍動と森閑、背反する二つの事象が冬の山村部に雪枕のようにソッと飛来する。映画『ぼくのお日さま』は、雪の降る田舎町。ホッケーが苦手なきつ音の少年タクヤは、ドビュッシーの曲「月の光」に合わせてフィギュアスケートを練習する少女さくらに心を奪われる。まるで、本作はスケートリンク上で繰り広げられるボーイ・ミーツ・ガールのような寓話だ。雪深く降る地方のある町で、今日も密かにスケートを滑る少年少女が、どこかにいるはずだ。

©2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINEMAS

子どものスケート教室が、日本で誕生したのはいつの事だろうか?今では、羽生結弦、浅田真央、佐原知子、高橋大輔、安藤美姫、織田信成、荒川静香、伊藤みどり(※2)など、多くのスケート選手を輩出している日本はスケート大国と言って言っても良い。また、将来有望な若手のスケート選手の育成も行われている。スケート発祥はオランダと言われ、13世紀には移動手段として凍った運河でスケートが用いられている。日本でのスケートの歴史について、冬季オリンピックの公式サイトの「冬季オリンピックの歴史」を引用すると、「日本が冬のオリンピックに初めて参加したのは、1928(昭和3)年の第2回冬季オリンピック(スイス/サンモリッツ)の時。選手はスキーのノルディック種目の6人だけ。これに監督が1人ついて、計7人という小編成のチームでした。アルペン種目の参加は、残念ながら戦後に行われた第6回冬季大会(1952年/オスロ)になってからです。スケートの参加は第3回大会からです。スケートを初めて日本人が滑ったのは、1891(明治24)年というのが定説です。」とある。では、ちびっ子向けに開かれた日本のスケート教室の歴史は、どうだろうか?子ども向けのスケート教室の第1号を辿れなかったが、日本で最初に大学生向けにスケートクラブを開いた人物がいる。大正3年、河久保子朗がフィギュアスケートを広く広めたと言われている。学生によるスケートも活発となり、スケートクラブが作られた。大正13年、東京帝国大学や慶應義塾大学を中心に、7校の大学によって全国学生氷上競技連盟が設立。また昭和2年、全国学生氷上競技連盟、大日本氷上競技連盟、大日本スケート連盟が設立、日本スケート連盟が創立されている。この流れが、現在におけるスケート選手の人材育成の礎を築く最初のきっかけになった出来事だろう。

©2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINEMAS

また、本作では「吃音」に悩む少年が描かれているが、この「吃音」に悩む子ども達は数多くいる。幼児の年齢では、10~20人に1人(※3)が吃音の発症に悩んでいると言われている。吃音は、2~4歳で5%の割合で発症するが、その約4割の幼児が3歳児健診以降に発症するそうだ。無理解、無知識であれば、どうしても親の育て方が悪いと周囲から批判される事もあるようだが、決して親の育て方が悪くて吃音症を発症する事はないと断言できる。吃音には、やや男の子に多い傾向が見られ、吃音の主な要因は2つあるようだ。1.体質的・遺伝的要因。体質的・遺伝的要素との関連が指摘されている。大人になっても吃音が残りやすい。また、2の発達的要因では、全体的な発達や言葉の発達がゆっくりな子に見られる傾向がある。以前は、育て方や子どもの心理的な影響も要因とされていたが、今は否定されている(※4)。2017年、やっと日本は吃音に悩む子ども達の実態への調査に乗り出し、治療ガイドラインを作成(※5)した。でも、私から言わせれば、この動きは非常に遅いと言わざるを得ない。昔から吃音に悩まされ、虐められた経験を持つ子どもが今では成人している。多くの大人たちが、幼少期に嫌な思いをして、日々を過ごして来たにも関わらず、長い年月の間、吃音が病気であるとは認識されず、見過ごされて来た事実は気の毒である。ただ、2024年以降のこれからの未来、吃音に悩む子どもを一人でも多く減らすには、社会全体の理解が必要だ。それでも、世間は無理解が蔓延り、心痛めている若者がいる事も事実だが、その当事者の方達が社会からの理解を求めて、本人達が今、少しずつ立ち上がっている。近年、当事者の吃音に悩む若い世代の学生達が、吃音者と健常者、そのどちらもが快適に過ごせる空間を提供すべくカフェを運営する活動をしている方(※6)もいる。こうした動きが、今後ますます盛んになり、吃音という病気が社会に馴染み、溶け込む事が今、急務なのだろう。吃音に悩む人も、そうでない人も、互いに理解を持って、歩み寄れる社会が、将来嘱望されている事だろう。

©2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINEMAS

映画『ぼくのお日さま』を制作した奥山大史監督は、あるインタビューにて、本作の「子どもの暴力性」についてこう話している。

奥山監督:「いろいろな作品を観る中で、子どもをただ純粋な生き物であるように見せるのは違うなと常に思っていました。僕個人としても子ども時代を思い返すと、意外といろいろなことが分かっていました。自分がマセていたわけでもなく。実はわかっているのに、子どもっぽさを出そうと振る舞っている時もある。そういう感覚を忘れないうちに(映画として)撮っておきたいという思いがありました。」(※7)と話す。あの頃、経験した幼少期の体験を忘れてしまう事は良くある事ではあるが、あの時の時間を形として残す事によって、私達はあの日に置き忘れてしまっている記憶や思い出、経験をいつまでも掌の中で思い出す事ができるのであろう。本作の物語を通して、まるで走馬灯のように、子供の頃の記憶が蘇る時、それは今日の自分自身、また未来へと続く自身が歩く道を照らす道標になるのかもしれない。

最後に、映画『ぼくのお日さま』は、映画『ぼくのお日さま』は、雪の降る田舎町。ホッケーが苦手なきつ音の少年タクヤは、ドビュッシーの曲「月の光」に合わせてフィギュアスケートを練習する少女さくらに心を奪われる姿を描く。映画の中には、相反する二項対立である太陽と月、明と暗、少年と少女、成功と挫折、躍動と森閑などがあり、背反する二つのそれぞれの事象が折り重なる時、人の心の思惑も大きく動き出す。これらの違う方向を向いた事柄が一つに攪拌されるその瞬間、また夫婦デュオのハンバートハンバートの佐藤良成氏が本作の為に名曲「月の光」をアレンジした楽曲「「月の光」をこつこつと」が奏でられた瞬間、すべての答えが雪解けの季節と共に雪代水のようにサラサラと生起する。

©2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINEMAS

映画『ぼくのお日さま』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)ドビュッシー〈月の光〉:傑作の背後にある物語https://www.udiscovermusic.jp/classical-features/debussy-clair-de-lune-masterpiece-guide?amp=1(2024年10月16日)

(※2)最低限知っておきたい!フィギュアスケートの国内有名選手まとめhttps://chouseisan.com/l/post-117304/(2024年10月17日)

(※3)10~20人に1人と言われている幼児の吃音の割合、治療の判断はいつ?【専門家】https://st.benesse.ne.jp/ikuji/content/?id=84658(2024年10月17日)

(※4)20人に1人の子どもにある吃音。育て方の問題ではありません。診療ガイドライン制作中【専門家】https://st.benesse.ne.jp/ikuji/content/?id=83692(2024年10月18日)

(※5)「吃音」幼少期20人に1人 治療ガイドライン作成へhttps://www.nikkei.com/nstyle-article/DGXKZO19661070U7A800C1TCC001/(2024年10月18日)

(※6)無理解で苦悩する吃音(きつおん、どもり)の若者たち。“注文に時間がかかる”カフェが夢を後押しするhttps://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2021/63184(2024年10月18日)

(※7)【単独インタビュー】『ぼくのお日さま』奥山大史監督が今撮りたかった成長期の感覚https://fansvoice.jp/2024/10/03/my-sunshine-okuyama-interview/(2024年10月18日)