映画『狂ったリビドー』ヤン・ヤーチェ監督インタビュー



—–まず、映画『狂ったリビドー』の制作経緯を教えて頂けますか?
ヤン監督:近年、台湾では同性愛者の結婚や男女の平等に力を入れています。最近、アプリを利用した出会い系サイトやマッチングアプリの流行りによって、現在の若い人の性と愛の受け入れ方や性と愛についての考え方に対して、昔と違って、今は恋愛よりもセックスを楽しむ方が増えました。恋愛しないでセックスを楽しみたい方が増えて来ているので、今回の作品に繋げました。
—–日本との社会的な現象が、非常に似ていると思いました。 マッチングアプリでも出会いを求める若い世代が増えており、コロナ禍以降、急速に増加した背景が伺えます。あと、日本のインディーズの映画を例に挙げると、映画『恋にセックスは必要ですか?』という真逆の作品もあります。恋はするけど、セックスはしたくない。そんな男女が増えつつあり、社会的背景が日本にもあり、セックスや性の多様性における変化が、台湾と日本も似て来つつあるのかなと、私は、今のお話から思わされました。
ヤン監督:今回の作品は、恋愛よりもセックスが題材となっており、今ご紹介頂いた作品はセックスより恋愛を選ぶ日本の今の風潮を描いているのですね。多分、セックスは全然してもいいですが、日本ではセックスをしたくない人もいるのは事実ですね。マッチングアプリを使う事は、皆さん、セックスがしたいんです。セックスしないでセックスを目的としていなかったら、なぜマッチングアプリを使うんですか?
—–出会いは欲しいが、安定が欲しい。結婚もしたいですが、でもセックスは体力的にしんどい。 現在、恋愛はするけど、セックスをする意味に対して疑問を持っている若い世代が増えていると思います。 体力的にしんどいにも関わらず、セックスをする意味は何でしょうか?
ヤン監督:結婚する事は、セックスをする事。そしたら、なぜ結婚する前にセックスを試さないのか?
—–今、草食男子という言葉が世間に広まっています。恋愛はしたいけど、セックスをしたいと言っても、女性から断られるかもしれない恐怖心。断られて傷つくのが怖いと感じる若い男子が今、増えている。
ヤン監督:台湾には、草食男子はあまりいないと思います。
—–草食男子という価値観が、あまり浸透していないんですね。多分、日本の若い子は傷付くのが嫌だという感情がまず、ファーストにあるので、好きな子がいて、告白をして、セックスをしたいと言うけれど、女性はそんな気はない。あなたの事を好きではないし、セックスするつもりがないので、「ノー」と言われる事に傷付くのが嫌と思っている若い子が増えている。
ヤン監督:断られたら、また他にたくさんいるので、次に行こうという感じだと思います。

—–世界的に有名な人魚伝説をまったく新しい解釈として描こうとしているのが本作だと思いますが、最初のきっかけは何だったんでしょうか?なぜ、この人魚伝説にしようとしたのか?他にも、伝説はたくさんあると思いますし、違う言い伝えで新しく解釈できると思いますが、なぜこの題材を選んだのでしょうか?
ヤン監督:今回の作品は、トランスジェンダーの方の話をテーマにしています。その人形姫⇒人魚姫は自ら選択して、人魚の部分でもある自分のヒレを足にするために、自分の思っている何かを切り捨てて、その後、頑張ってハイヒールを履いて、自分の声まで失う物語。トランスジェンダーの方も、自身が元々、持っている性器を捨てて、新しいアイデンティティを手に入れる為、他人に自身の身の上を話さない人も増えています。自分の声を失い、自分の意見を言えない事があり、今回の作品に一番ぴったりな伝承が人魚姫であり、他の物語ではなく、人魚姫を選んだんです。
—–私は同性愛者ですが、何かを失い、声を大にして発言できないのは、トランスジェンダーに限った話だけでなく、世の中にいるマイノリティの方はたくさんいて、この映画が社会で迷えるマイノリティの方々の力になるんじゃないのかなと私は今、思いました。
ヤン監督:ありがとうございます。私が今、一番伝えたいところを理解して下さって、非常に嬉しいです。
—–では、この解釈を得た事によって、監督自身の中で何か気持ちの変化や価値観の変化など、何かございましたか?
ヤン監督:今まで私は、若い人の恋愛や愛とセックスの概念の変化に混乱していました。今回の作品の制作を通じて、多くの潜入調査をしてみました。まず、セックスに興味あるグループに入ったり、ネット上で名前を隠して調査をして、父親になった気分でいろんな方と交流したんです。その時に分かった事は、人の心は年齢関係なく一緒なので、愛されたいんですけど、断られるのが怖い。さっき、お話されていた草食系男子のようです。多分、男女問わず、皆、同じような感して、愛したいのに、愛してもらえないと拒否られる恐怖感を持っていて、それは私の若い頃も今でも、多分、皆さん、心は同じなのではないでしょうか。その時に若い時の自分自身を振り返って、当時の自分に似ていると感じると思うんです。この作品を作った後、禅のような感じになりました。禅は、分かりますでしょうか?少し落ち着いたんです。
—–お寺の修行の禅ですよね。
ヤン監督:禅な気分に落ち着いたという感じになりました。
—–少し気になりましたが、潜入捜査は恐らく、マッチングアプリの中に入って、若い子とお話ししたと思うんですが、具体的にどんな事されましたか?
ヤン監督:SNSのXですが、日本ではよく使われていると思いますが、台湾ではXはセフレを探す目的や妻を交換する人が多く利用しています。
—–妻を交換する?
ヤン監督:妻を交換するクラブです。日本にもあり、パートナーを交換するカフェがあります。その趣味を持っている方は台湾ではXで良く利用され、もし探すならXと言われています。あと、法律的にはアウトかもしれませんが、日本と違って売春みたいな事も台湾はXをプラットフォームにして利用している方が多くいます。あと、SM好きな方のグループも、SNSで相手を探して、僕は自分のアカウントで入って、いろんな方と交流して、情報収集してから、「僕は実は映画を作っている人です」と明かして、この行動から得た情報や経験で今回の作品に反映させました。

—–濡れ場のある台湾映画は、ほぼ観た事がない印象を持っていますが、映画自体、実験映画と私は受け取っています。ヤン監督にとって、何か挑戦した事はございますか?
ヤン監督:長くなるので、先に一番大変だった事をお話しますが、撮影の最初の段階に、俳優さん達に何を撮れて、撮れないのかヒアリングする必要があり、また、はっきり伝えないといけない点が一番大変でした。セックスのシーンが多いので、俳優さん達に飽くまでも、セックスをパフォーマンスするという事を分かってもらう事が重要でした。 プライベートで、「自分がセックスをする時、こんな声を出しているんだ。皆に知られるんだ。」という不安を失くす為に、これはただAVではなく、より現実的なセックスシーンをパフォーマンスするという事を、俳優さん達に理解してもらい、その点を安心させる事が非常に大事でした。
—–では、前作の『GF*BF』にも似ている点がある私は感じましたが、たとえば、男女の関係性など。でも、その前作を意識して、何か踏襲した事はございましたか?
ヤン監督:前作の『GF*BF』の作品の時より、今回は違う形の愛やトランスジェンダーを取り入れて、今回の愛への解釈は前よりも少し大人になった感じがします。もう少し、いろいろ考えられるようになった感じに仕上げています。
—–本作は人魚伝説を大胆なアレンジで作り上げた作品ですが、物語はより現代的に今の台湾として描かれていると私は感じました。ただ、伝説と作品の間には、「時」という隔たりがあるのではないでしょうか?数百年、数千年単位での時間の距離があると私は思います。この隔たりを越えて、変わらない普遍的なものが作品と伝説の間にあるとしたら、それは何でしょうか?
ヤン監督:人魚姫の物語が、どのぐらい新しいものが出てきても、愛を追求する勇気は変わらないです。今回の作品は、人の心に愛を追求する点が共通しているんですが、たとえば、昔は愛してもらえなかったら死ぬなど、少し過激な風潮はありました。「あなたが死ぬか、私が死ぬか」今現在の人は、拒否されて傷付く事も多くあると思いますが、泡になる事はないです。 皆さん、王子様に愛してもらえなくても、次の愛を追求する勇気を持っており、愛敗れて泡になる事はありません。
—–現代は、アプリがあるから問題ないですね。
ヤン監督:台湾と日本の違いは、私は分かりませんが、昔の台湾の恋愛の曲は、別れたらすごく悲しむ歌詞が書かれていますが、今の恋愛の曲は失恋しても、お互いの幸せを願う歌詞が増えつつあります。昔の方よりも恋愛に対して、サラっとしています。絶対的に愛してもらえなかったら、終わりという感じはないです。

—–私も詳しくは分かりませんが、恐らく、日本の昔も似た感じだと思います。昔は恋愛に対して、ズルズル引きずる未練がたくさんあったと思いますが、今の曲は社会的に女性自身が進出している事を踏まえて、女性が死ぬような未練が減って来たと思います。女性自身が強く生きようとし、男性も影響を受けて、一人でも生きて行ける的な時代になって来たと仮定した時、その点、台湾と日本は近い価値観があると思えます。
—–作品の表面的な部分は、愛やエロスの要素だと私は思いますが、本作の主軸になっているものは、よりディープな感情だと思います。それがまだ、私も見つけられていませんが、それはこれからの百年先、千年先の世界や未来においても、姿や形を変えずに存在し続けるものであり、本作の主軸という観点を交えつつ、それが一体何か教えて頂けますか?
ヤン監督:この先の未来でも変わらないものは、愛は快楽と苦痛を同時に人に与えるものです。愛の本質は、この先、どんな未来が訪れようとも、人がこの地球上にいる限り、変わらないです。さっきは、愛は快楽の苦痛を同時に与えるという愛について語りましたが、性は愛と鏡みたいな感じにいて、自分は一体、本当に何が欲しているのか、何を足りていないのかを理解する。人はセックスを通じて、自分は一体どんな気持ちなのかと鏡みたいな存在です。2人の主人公がいますが、彼らはトランスジェンダーの子は一生、本当の女にはなれない悔しい自分。もう一人のSMの子は当時、多分、好きだった人とうまく恋愛に成就しなかった後悔が、2人ともセックスを通じて、自分と本当の気持ちと向き合っているんです。

—–愛や恋が快楽と苦痛とお話されて、それは昔からずっとあると私は思います。「愛は盲目」という言葉があり、またドイツの作家であるゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」も、人妻に恋してしまったが故に、最後は自殺を選んでしまう20代の若い男の子の話。人は、愛に翻弄される生き物である反面、愛に枯渇している生き物でもあります。愛がないと生きていけず、翻弄されながらしか生きて行けない自分たちの愛の存在について、監督のお話から私はまた、深く考える事ができました。
ヤン監督:愛は、人間にモチベーションを与えてくれるので、人は愛がないと生きてはいけないんです。
—–最後に、映画『狂ったリビドー』が、この度の映画祭の上映だけじゃなく、今回の日本公開を通して、日本の観客に何を届けたいですか?
ヤン監督:今回、この映画の中で使われている言葉は、台湾っぽくないんです。台湾は、もう少しストレートに相手に言葉を伝えるんですが、今回の作品は日本のように少し曖昧な言葉の使い方をしていまして、日本の観客には自分の解釈で、ポエムみたいな作品を自分の視点で、自分の心の映し方で解釈して欲しいと願っています。
—–貴重なお話、ありがとうございました。

映画『狂ったリビドー』は現在、全国の劇場にて公開中。