3月15日(水)、大阪府にあるABCホールにて、大阪アジアン映画祭内にて上映された映画『四十四にして死屍死す』のトークイベントが、行われた。
まず初めに、万雷の拍手の中、スペシャル・オープニング・セレモニーが始まった。
また、第18回大阪アジアン映画祭に出品された全51上映作品中、香港、タイ、インドネシア、台湾、日本の16作品から、監督、出演者など30名を超えるゲストらが登壇。
関係者を迎えての開催は、2019年3月の第14回を最後にコロナ禍のため途絶えていたが、今回4年ぶりに再開された。
スペシャル・オープニング作品には、世界初上映に先立ち、香港映画『四十四にして死屍死す』(原題:死屍死時四十四)の上映された。
また、スペシャル・オープニング作品でもある同作の監督ホー・チェクティンさんから一言、挨拶がされた。
ホー監督:「皆さん、はじめまして。監督のホー・チェクティンです。私の作品は、映画『四十四にして死屍死す』(原題:死屍死時四十四)と言う難しい名前ですが、今回、大阪アジアン映画祭に、私の作品だけでなく、他の関係者の方の映画が今、こうして参加される事を非常に嬉しく思います。映画が大好きな皆さんが、私たちが一生懸命作った映画を楽しんで下さり、皆さんのお友達にも広めて頂けるようにお願い申し上げます。ありがとうございます。」
この日は、監督のホー・チェクティンさん、出演者のウォン・ヤウナムさんが、ご登壇された。
映画『四十四にして死屍死す』のあらすじ
義母名義の高層マンションに住む、妻と娘、義兄と暮らす主人公のミンは、ある晩、玄関先で男性の裸体遺体を発見してしまう。
その死体が原因で、自分たちが居住する部屋が“事故物件”となってしまい、資産価値が暴落することを恐れた家族らは、義母の怒号の元、謎の死体を隣人達に次々と擦り付けようとするが…。
余生を静かに過ごす老夫婦、禁止された犬を飼う独身女性と彼女のメイド、そして怒ってばかりの父親と気難しい不機嫌な息子らが、このおかしな騒動に巻き込まれる。
この日、ご登壇された監督のホー・チェクティンさんと出演者のウォン・ヤウナムさんが、作品についてお話しされた。
ホー監督:「香港人のお客さんだけでなく、日本人のお客さんにも、この映画が持つ「笑い」をしっかり理解して下さり、笑える場面で笑ってくれていましたのが、嬉しかったです。この映画は、ご覧の通り、ブラックコメディです。日本にはこのようなコメディ映画はあったと思いますが、香港では今まで、ほとんど作られた事のなかったジャンルです。そのブラックコメディですが、元々は死んだ人(死体)をベースに考えつつも、それでも面白みを出すという構想で、この作品が生まれました。これは、喜劇から始まるお話ですが、この物語を考えた時、私も関係者の方も一緒に考えましたが、この数年、世界中の皆さんは悲劇に直面している中、香港だけではなく、世界中の人々が悲劇に襲われ、近しい人が亡くなる悲しい日々も続いております。本作には、悲劇の中に喜劇を入れ込みたいと考えて、作りました。観客の皆さんには、香港だけでなく、世界中の皆さんがこの作品を観て、笑い声を上げてくれるような作品にしたかったと、そう考えながら、製作していました。実は、香港の旧正月にあたる新年に合わせて、公開を予定していましたが、それよりも復活節のイースターの日に、「復活」という想いを込めて、公開するのがいいのかと思って、今回は4月4日を香港の公開日に設定しました。」
ウォンさん:「皆さん、はじめまして。ウォン・ヤウナムです。今回、ブラック・コメディの作品に出演するに当たって、現場では非常に楽しく過ごせました。皆でワイワイ過ごしながら、撮影期間を過ごしましたので、役者として、難しいことはありませんでした。それよりも、監督がその場をコントロールしながら、指揮する方が大変だったと思います。これだけ大人数の俳優を使わないといけない中、なかなかその現場を取りまとめるのは大変だと感じました。私たち役者は、現場で出演シーンがない時は、隅っこでお喋りをしたり、皆で遊んでいて、楽しい思い出ばかりです。ただ、やはり、多くの出演者がいて、その人達を常にコントロールしつつ、そこに時間をかけなくてはいけない状況もありました。その点は、撮影中、大変だった事だと思います。例えば、死体を皆で押す場面はたくさんありましたが、カメラの前には役者が何人もいて、レンズ位置を気にしながら、被らないように、一人だけが台詞を喋らないように、皆が平均的に参加できるようにするのが監督の仕事ですが、その点もまた、大変な作業だったと認識しています。演者としては、監督の言う事をちゃんと理解して、監督の思いを演技に反映させて行く事が、私たち役者の責務です。実は、その死体を押す場面では、僕以外が手を抜いていて、非常に重かった思い出があります。後で聞いてみたら、撮影の最後まで一生懸命押していたのは、僕だけだったと言うことに、驚きましたが、それもいい思い出です。」
と、舞台挨拶でしか、聞けないお話をされました。