映画『空白』
文・構成 スズキ トモヤ
吉田恵輔監督によるオリジナル脚本で映像化された本作『空白』は、観る者の心に重たい何かが、ズシッとのしかかるヒューマン・サスペンスだ。
万引きをきっかけに展開される真実の訴求の行く末。
突然の交通事故で娘を亡くした父親と女子中学生を死に追いやったスーパーマーケットの店長。
事件に群がる下衆なマスコミたちの報道合戦。
現代の日本社会に巣食う懸念事案を問う問題作。
映画『空白』のあらすじは、中学生の添田花音は、一件のスーパーマーケットで万引きをしようとした所を店長の青柳に見つかり、追いかけられてしまう。
その末に車に轢かれ、無惨な死を遂げる。
自身の子どもに無関心だった父親は、少なくとも、娘の無実を実証しようと、事件事故に関わった者たちに詳細を聞いてまわる。
そのうちに、彼は過激なモンスターへと豹変していく様を描く。
そして、物語は予想外の展開へと発展する。
映画『空白』を監督したのは、吉田恵輔という人物。
今、日本の映画業界で注目度が高まりつつクリエイターだ。
本作では、オリジナルで書き下ろした独自のストーリーを展開させた脚本を映像化。
その類いまれなる才能を映像に叩き出した新時代の映画監督だ。
彼の監督としての経歴は意外と長く、2008年頃まで遡れることができる。
自ら原作を書き、監督として映像化した作品『純喫茶磯辺』が、この監督にとっての初期の作品だ。
この作品以前には、『なま夏』や『机のなかみ』など、インディーズ時代の作品が存在し、映画ファンから熱狂的な支持を得ている。
また、この作品以降は、『さんかく』『ばしゃ馬さんとビッグマウス』『麦子さんと』など、オリジナル脚本に徹した作品を世に送り出している。
個人的には映画『麦子さんと』では、感動的な印象を受けた。
松田聖子の名曲『赤いスイートピー』をバックに親子の絆を描いた本作は、監督自身の暖かな優しさがシナリオに反映されていそうだ。
次の作品で原作漫画を映像化した『銀の匙 Silver Spoon』で商業映画として成功した。
ただ、最も世間的に見て人気がある作品は、映画『ヒメアノール』ではないだろうか?
古谷実氏によるコミック作品を見事に映像化したのが、本作の監督。
凶悪な登場人物でもある主人公の森田正一をアイドルグループV6の森田剛が演じたのは記憶に新しく、あの作品のあのキャラクターは、まさに森田剛のハマり役でもあった。
あんなキャスティングや演出ができるのは、吉田監督だけではないだろうか?
多くの作品を手堅く演出してきた吉田監督にとって、本作が話題になったのは明るいニュースだろう。
内容や演出面が、観る者の記憶の奥底に恐怖や不快感、嫌悪感、または共感できる感情を植え付けたのは、事実だ。
また監督は、昨年(1)第34回日刊スポーツ映画大賞にて、本作『空白』と前作『BLUE/ブルー』で初めての監督賞を受賞している。
監督自身、まだまだ未知数で謎のヴェールに包まれた人物ではあるが、クリエイターとしての確固たる才能を持つ人物として、これから益々注目していく必要がある方だ。
本作を最も支えているのが、主要キャストの3人である古田新太、松坂桃李、伊藤蒼の演技だろう(その裏には、監督自身の確かな演出、演技指導が功を奏している)。
その誰もが、卓越した演技力を見せており、誰か一人が抜きん出ていると言うよりも、この3人でなかったら、この作品は成り立たなかっただろうと思う。
娘の無実を証明しようとするあまり、過激なクレイマー(モンスター)へと豹変していく父親の姿には、狂気や戦慄を飛び越えて、一種のエールを送りたい気持ちにも駆り立ててくれる。
そんな人物を演じ、体現した古田新太の表現力には誰も真似できないパワーが漲っている。
この役柄を演じれるのは、今の時代、この俳優しかいないと思わせてくれる強い存在感があった。
また、松坂桃李は映画『孤狼の血 LEVEL2』でも触れたように、この多忙の中、短期間で役を落とし込む演技力には、今後の彼の俳優活動にも益々期待がかかる。
本作ではひ弱なスーパーマーケットの店長に扮し、映画『孤狼の血 LEVEL2』では非道な刑事をこれでもかと、残虐に演じきった。
これら両作は、趣旨もジャンルも、まったく真逆の作品ではあるものの、役者松坂桃李の「演技」を見比べて、鑑賞するのもいいだろう。
3人目に注目したいのは、中学生役を演じた伊藤蒼だ。役者としては、あまり聞き慣れない名前かも知れないが、彼女は子役からコンスタントに活動している女優で、今後のどう活動するのか気になる人物だ。
小学生の時には既に、映画『湯を沸かすほどの熱い愛(2016年)』や『島々清しゃ(2017年)』で重要な役どころであったり、主役を演じている。
たった、数年の間に役訳者としての目覚しい成長を遂げている。
本作での出番は少なかったものの、物語の展開上、とても重要な立ち位置だ。
そんなキャラクターを演じるにはやはり、若さなど関係なく、しっかりとした経験者でないとバックグラウンドまで演じることはできない。
そんな彼女は、まだまだ若手の存在。
立て続けに大作映画には出演しているにも関わらず、伊藤蒼を取り上げた記事が一つもない(ネットに限る)。
インタビューもされておらず、今のところ業界ではまだ、注目されていないのではないだろうか?
それでも、とても興味深い(2)記事を見つけたので、紹介したい。
5年ほど前の記事になるが、前述した映画『島々清しゃ』に出演した時のものらしい。
ここでは、共演者や監督が伊藤蒼を強く推しており、次世代の名子役として紹介されている。
皆さんもぜひ、伊藤蒼という若手女優の名をここで覚えて帰ってほしい。
本作『空白』は、若手、中堅、ベテランたちの白熱した演技が観れる2021年の傑作だ。
最後に、作品のタイトルにもなっている「空白」には、どんな意味合いがあるのだろうか?様々な視点から考えることができるタイトルなのは、確かだ。
例えば、女子中学生が感じている日々の出来事に対して、彼女の思っていることや感じていることが「空白」として捉えることもできるのではないだろうか?
また、登場人物たちの行動の側面として、万引き未遂現場を咎められて、男性の店長に店舗のバックヤードに連れていかれた中学生。
その間の出来事は、誰の目にも届かない盲点となることが多い。
この出来事に対して、「空白」の時間として捉えられると論究することもできる。
ただ、オリジナル脚本を書いた監督が一番伝えたいことは、生前に自身の子どもに対して無関心を貫き通していた父親と娘の関係性の「空白」や互いの精神面での「空白」を本作のタイトルとして表現していると推測する事も出来る。
だからこそ、物語のラストに父親が見せる安堵の表情などが、彼ら親子の心の距離感を縮めていると感じ取ることができる。
この場面に自分たち観客は、共感し、安心し、また自身を顧みたくなるのではないだろうか?
ここで、この作品のタイトルについて、監督自身が(3)インタビューで語る記事を発見。
とても関心の高まる話をしている。
今の時代に必要な心の持ちようや構え方について、考えさせてくれる。
監督が話す内容にも耳を傾けたい。
本作『空白』は、万引き事件を引き金に起こる人間同士の不協和音をテーマにしている。
これは、映画の世界で起きたフィクションに過ぎないが、現実の世界でも作品と同じようなことはあるのではないかと思う。
人間の関係性が、希薄に、脆弱になった昨今、自分たちには心の「空白」を埋める術を持ち合わせているのだろうか?
映画『空白』は現在、U-NEXTで配信中。また、全国のレンタルショップで好評レンタル中。
(1)【映画大賞】吉田恵輔監督「全てさら出し」オリジナル脚本2作で初監督賞https://news.yahoo.co.jp/articles/e3db56d425e5320f98c97cd44d55ef98d13777e3(2022年1月1日)
(2)“芦田世代”伊藤蒼は新天才子役 安藤サクラも推すhttps://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/1732939_m.html?mode=all(2022年1月1日)
(3)吉田恵輔監督インタビュー、「空白」な時代の、「空白」な世の中に見つけた光https://www.oricon.co.jp/news/2207611/
(2022年1月1日)