“守られ系” 学園アクションエンターテイメント映画『赤羽骨子のボディガード』
なぜ、人は誰かを護らなければならないのか?家族、親、親友、恋人、子ども、老人。護る相手の対象は、山ほどある。人が、人を護る心理的行動は、心理学の分野では1960年代のアメリカを代表する社会心理学者のラタネによって、研究が始まったとされる援助(向社会的)行動研究によるものとされている。人が、他者を支援するために自身の資源や労力を提供する行動を一般的に「利他的行動」と呼んでいるそうだが、その根本的な疑問には、「人はなぜ、行動を自発的に行うのか?」という問いが含まれる。以外、引用となるが、「人を護るという心理的行動は、「自身の利益を守る」ことが人間にとっての合理的行動であるとすれば、利他的行動は自身に不利益をもたらす可能性があるという点で、合理性に反する行動となります。これに関して社会心理学の関連分野であり2017年度のノーベル経済学賞をするなど注目を浴びる「行動経済学」では金銭的利益・損失に関して、人間はかならずしも算盤をはじいたような合理的な計算を行っていないと指摘していますが、その拡張により非合理性は金銭の問題だけではなく、利他的行動のような社会的行動にも当てはまることが指摘されていいます。では家族や友人に対してだけではなく、たまたまその場にいる赤の他人に対しても同様の行動をとることはどのように「合理的に」説明できるのでしょうか?このことは「進化」という概念を媒介することで説明可能になります。厳しい生存競争のなかで人間が生き延びてきたのは、利他性を進化の過程で身につけたためであるという説明です。つまり利他的行動は個人という視点でみれば「非合理的行動」ですが、人間という種全体が生き延びるためには、人が人を支えるという利他的行動は必須の要件であり、それは「合理的行動」であるという解釈になります。進化という視点から人間行動の仕組みを合理的に説明する分野は「進化心理学」と呼ばれ、これが行動経済学で指摘される「非合理性」を「合理的」に説明する根拠のひとつとなります。このような視点に立つと、利他的行動は人間の脳内に仕組まれたシステムが作動した結果(つまり本能)であるという解釈になるでしょう。では深刻な事態に陥った被災地に多くのボランティアがかけつけて支援することや、電車のホームから誤って落ちた人を助けるために自分が飛び降りて命を落としたという勇敢な行為を「本能的行動」ととらえて良いのでしょうか?彼らの崇高な意志への評価を引き下げてしまうことにはならないのでしょうか?この問いに対する答えは非常に難しいですが、人間の根本的特性としてこのような素質が備わっているという「性善説」を前提とし、それが評価される社会的規範や社会的システムを確立することが重要です。利他的行動が社会を守るための合理的行動として機能し、それが結果的に個人の利益につながる社会の構築を目指すことが、人間が種として存続し、さらに発展していくことに繋がると考えます。人は人を支える。この言葉はとても重要で意味深いといえます。」(※1)とあるように、現実社会において人が人を護る行為、また人が人を支える行動は私達人間における動物学的根拠から非常に必要とされている行動だと言われている。映画『赤羽骨子のボディガード』は、高校生の赤羽骨子は、ある事情から100億円の懸賞金をかけられ、殺し屋から狙われる身となってしまう。幼なじみの不良・威吹荒邦は骨子のボディガードを引き受けるが、彼に与えられたミッションは骨子本人にバレることなく彼女を守り抜くことで、なんとクラスメイト全員が同じく彼女のボディガードという学園的アクション映画の体勢を取っているが、その根本にあるのが「人が人を護る事」そして「人が人を支える事」この2つの重要性を本作がアクション映画というジャンルを通して説いている。
近年、日本国内では原作コミックや原作小説を基にした学園モノ、青春モノ、恋愛モノの作品が、ここ20年間に数多く制作された。たとえば、2004年公開の映画『世界の中心で、愛をさけぶ』や2012年にシリーズで連続公開された映画『僕等がいた 前篇 / 後篇』が、ティーン向けの青春映画や恋愛映画として空前のブームの火付け役となった。同ジャンルが一定の人気を持って、世間に受け入れられる分岐点となったのが、これらの作品からだ。ただ、原作コミックを基に制作された映画は、日本国内の映画産業にとって、非常に親密な関係があり、その歴史も非常に古い。足跡を辿ってみると、原作コミックでの映像化の起源は、1920年代の大正時代にまで遡れる。それは、大正14年(1925年)に制作された短編『ノンキナトウサン』シリーズが公開された。これが、最初期の日本の映画産業における原作コミック(漫画)からなる日本映画となった。このジャンルの歴史は古く、その風習は現代に引き継がれており、来年の2025年で100年目を迎える。そして、本作は学園内における青春モノが主題ではなく、何よりもアクション要素が主な主題だ。学園モノ、青春モノにアクション要素を加えた作品は、近年ではほぼ観た事がなく、アクションはアクション、青春は青春とそれぞれ確立した分野として存在しているが、それぞれの良い要素を融合させて作品として成功させたのが、本作『赤羽骨子のボディガード』だろう。近年、日本のアクション映画の様相が変わりつつあり、単なるアメリカ映画の肉体美を見せるスタイリッシュなアクション作品ではなく、泥臭く人間味のある姿を表現するアクション要素が頻繁に目立つ。たとえば、2016年年公開の映画『ディストラクション・ベイビーズ』以降の日本のアクションは、従来の作品とは一線を画している。そして、本作のように青春の要素とアクションの要素を融合させ、青春モノ路線のスタイリッシュ表現でありながらも、アクションでは定番の個々の肉体美を強調せず、泥臭くも人間味のあるアクションを魅せている点が、本作の良い点ではないだろうか?青春モノの作品も、アクション映画もここまで進化したのかと、両者の要素を融合させた本作を目の当たりにして、誰もが痛感させられるだろう。日本の映画産業におけるアクション映画の未来は明るいと、あなたは感じずにおられないのではないだろうか?その点に対して一役買っているのが、恐らく、本作における重要な要望である「ボディガード」が、効力を発揮している。
ボディガードには、他に警固役、用心棒、護衛、警備員、エスコート、セキュリティ、ガードマン、SPと言った様々な言い回しがあるが、ボディガード以外でなら、シークレットサービスという言葉が世界的に広まっているボディガードの俗語だろう。このシークレットサービスは、アメリカ合衆国における政府の秘密情報機関や諜報部、他に大統領などの国家要人の特別護衛などを任務とする機関を指している。実は、日本にもシークレットサービスとして母体を持つ組織もあり、私達の身近に存在する人種なのかもしれない。主な仕事は、「身辺警護や施設警備から危機管理対策や情報踏査、鑑定・盗聴防止対策など幅広い分野から携われ「警備・警護のエキスパート」として成長することが可能」(※2)とあるように警備のプロとして私達の日常を常に守ってくれる存在なのだろう。シークレットサービスは、時に自身の命を投げ出してまで、警備対象となる人物を犯罪の脅威から全力で守り抜いてくれる頼もしい存在だろう。最も記憶に新しいのは、先日アメリカの大統領選の演説会場で起きたトランプ前大統領に対する暗殺未遂の銃撃で大いに活躍したシークレットサービス達(※3)は、世界中にその偉大さを誇示できたに違いない。この暗殺未遂事件は、近年における出来事では、誰の記憶にも残る事件になるだろう。また、この暗殺未遂事件と似た事案が、1980年代のアメリカで同じように起きている。ロナルド・レーガンが、アメリカ合衆国の第40代大統領に就任した直後の同年3月30日に起きたレーガン大統領暗殺未遂事件(※4)では、至近距離から銃の凶弾に襲われた。この時、報道官のジェイムズ・ブレイディ、シークレットサービス特別捜査官のティモシ―・マッカーシー、首都警察巡査のトーマス・デラハンティが負傷している。自身の命と引き換えに、アメリカ合衆国の長である大統領を命懸けで守った特別捜査官のティム・マッカーシー(※5)は、その日は非番だった。同僚と行ったコイントスに負けた彼が、レーガンの警護に当たった。銃撃が起こった1.7秒の間に、マッカーシーは銃撃線上に身を置き、レーガン大統領の前で体を広げて自ら盾となった。4発目の銃弾が、胸部を撃ち抜き、右肺、横隔膜、右肝葉を貫通。シークレットサービスとして自らを盾に大統領を守ったティム・マッカーシーは、体を張って人を護るボディガードの鑑なのかもしれない。日本でも同じような出来事が、数年前に起きている。2022年7月8日に起きた安倍晋三銃撃事件(※6)は、私達日本人の記憶にも鮮明に残っているだろう。この事件では、阿部元首相に対する警備警護が、しっかり成されていたのか強い批判が集まった。なぜ、警護は標的となった阿部に覆い被さらなかったのか?(※7)今でも強い批判は残り、あの場にいた阿部元首相の身辺警護に当たった担当者は「目を閉じたらあの場面浮かぶ、苦しみは生涯背負う」(※8)と話す。人が、人を護るというのは、この出来事を通して如何に難しいのか気付かされるだろう。それでも、特殊な訓練を受けたその道のプロは、自身の身体や命を盾にしてでも、対象者の命を必死に守らなければならない。それが、私達人間に与えられた使命だからだ。
最後に、映画『赤羽骨子のボディガード』は、ある事情から100億円の懸賞金をかけられた高校生の赤羽骨子を殺し屋から守るために選ばれた若きボディガード達の姿を描いた究極の“守られ系” 学園アクションエンターテイメントとして名高いアクション作品として仕上がっている。でも、この作品の根本にあるのは、「人が人を護る事」と「人が人を支える事」の重要性をエンターテインメントを通して私達に訴えかけている。ボディガード論について、少し触れてみると「公僕の警察官であれ、民間の警備員であれ、身の危険を感じている保護対象者にとっては、ボディーガードの存在が自らを守る“最後の砦”である。それだけに責任はきわめて重いが、やりがいも大きい。大切な人を護りたい――心からそう思える人ならば、任務をまっとうし、緊張と重圧から解放された暁には、この上ない充実感が得られるに違いない。」(※9)とあるように、「大切な人を護りたい」という心からの強い心は、相手の事が大切だからこそ湧いて出る感情だろう。その護りたい対象は、親かもしれない、子どもかもしれない。もしくは、自身の夢や相手に対する愛情かもしれない。ボディーガードという存在は、対象者を護る“最後の砦”であるという認識が必要だ。近年、ネットやSNSの普及の影で、他者との関わりが希薄になっているのは日本だけでなく、世界中でも言える事だ。ネットの普及は、人との距離感を無くさせる大事なツールではあるが、リアルな世界の生身の人間と交わるコミュニケーション力を低下させている。そんな時代だからこそ、本作『赤羽骨子のボディガード』のような作品が生まれるのは、必然だったのだろう。あなたが護りたい人や物は何なのか、この作品が何かを教えてくれているようでもある。
映画『赤羽骨子のボディガード』は現在、全国の劇場にて公開中。
(※1)「人は人を支える」ということhttps://echool.tachibana-u.ac.jp/column/033.html(2024年8月27日)
(※3)トランプ氏暗殺未遂、演説中銃撃 右耳負傷、容疑者の20歳男射殺https://www.oita-press.co.jp/1002000000/2024/07/14/NP2024071401000177?amp=true(2024年8月29日)
(※4)米大統領、襲撃の歴史 過去に4人暗殺、いずれも銃撃https://www.jiji.com/sp/article?k=2024071400183&g=int(2024年8月29日)
(※5)レーガン大統領守り撃たれた警護隊員 「日本の警察は高度、ただ…」
https://www.asahi.com/articles/ASQ7G059KQ7FUHBI00M.html(2024年8月29日)
(※6)安倍元首相銃撃事件から1年https://www.yomiuri.co.jp/national/abe0708-sonotoki/(2024年8月29日)
(※7)なぜ安倍元総理にSPが覆いかぶさらなかったのか なぜ安倍元総理は屈まなかったのかhttps://news.1242.com/article/381555(2024年8月29日)
(※8)警護失敗「目を閉じたらあの場面浮かぶ、苦しみは生涯背負う」…安倍氏銃撃1年https://www.yomiuri.co.jp/national/20230708-OYT1T50029/2/(2024年8月29日)
(※9)ボディーガード 大切な人を危険な目に遭わせない! “安全がタダではない”時代に需要拡大の予感https://jinjibu.jp/article/detl/hitokane/1231/(2024年8月29日)