映画『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』世界的功績がある事を忘れてはならない

映画『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』世界的功績がある事を忘れてはならない

2024年7月17日

ひとりの命を救うことは、世界と未来を救うこと映画『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』

©WILLOW ROAD FILMS LIMITED, BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2023

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BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2023

耳を劈くように列車が走る時に響く金属音が、遠く耳の彼方の奥深くで響く。悪夢にでも魘されたかのように、一人の老人が朝、ベッドで目覚める。それは、彼の遠い記憶。彼の果たせなかった悔しさと苦しさが、悪夢となって襲い掛かる。昔むかしある所に、と言っても、それ程遠くない数十年ほど前の記憶。第二次世界大戦の混乱期、一人の男がナチスの魔の手から669人のユダヤ系チェコスロヴァキア人の子供たちを救った実話は、半世紀以上経った今でも、大勢の人々に語り継がれている。ニコラス・ウィントン。彼は、イギリスの人道支援活動家として英国からサーの称号でもある大英帝国勲章を与えられた叙勲者であり、英国の誇りだ。80年代後半、屋根裏部屋で彼の妻がキンダートランスポートに関する一冊のスクラップブックを発見、それがBBCの手に渡り1988年に人気番組“THAT’S LIFE”で取り上げられる経緯を辿る。ニコラスが、ユダヤ系のチェコスロヴァキア人の子どもたちを救うきっかけとなったのは、1938年のクリスマス休暇にスイスへスキー旅行を出る予定にしていた若きウィントンに一本の依頼が入った事から始まった。イギリスのチェコ難民委員会の女性から、ドイツのチェコ侵攻に備えて、多くのユダヤ人難民を支援しようと動いていたが、支援員が足りないから手伝って欲しいという依頼だった。ニコラス・ウィントンは、急いで現地に飛び、現状を把握し、大人のユダヤ人の支援で最も手が回っていない子どもたちの救出を手助けする為、イギリス政府の内務省のバックアップの元、チェコ・キンダートランスポート(※1)を組織し、大掛かりなユダヤ人救済の一大キャンペーンが展開された。この時、新聞記事にも報道され、イギリスに送られる孤児を胸に抱いた写真が、「勇敢なる笛吹き男」として一面を飾り、後には「イギリスのシンドラー」と言われるようにもなった所以だ。ニコラス・ウィントンは、1939年3月14日から8月2日のおよそ半年、669名の子どもたちをチェコから脱出させることに成功した。9月3日にも最大規模の250名の子どもたちの脱出が予定していたが、1938年9月1日、第二次世界大戦が勃発した。この為、脱出予定であった子どもたちは出国ができず、この日を境に、チェコからの子どもの脱出は不可能となり、この出来事が彼を失望させ、長きに亘る沈黙の原因となったと、言われている。子どもたちの救出リストには、脱出予定の子どもたちおよそ6000名が記載されていた。9月1日の開戦の日以降、脱出不可能となりチェコに残留したユダヤ人児童は、この後、大人とともにテレージエンシュタットに収容されている。テレジンは、絶滅収容所ではなかったが、劣悪な環境の下で子どもたちは衰弱し、労働に従事できなくなった子は次々にアウシュヴィッツへと送られた。テレジンに収容されたユダヤ人児童は15000人。最終的に、全ての児童がアウシュビッツへ移送され、その大半は即日ガス室送りとなった。収容を経て生還したチェコのユダヤ人児童は全体のわずか100名に過ぎないと記録されている。映画『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』は、このニコラス・ウィントンが行ったユダヤ人児童への人道支援の一部始終を描いた実話ベースの物語だ。第二次世界大戦前夜、ヨーロッパで何が起きていたのか。これは、全人類が知るべき事実であり、目を逸らしたくなる気持ちも理解できるが、すべての者に知って欲しい物語だ。

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ユダヤ人人道支援活動とは、このニコラス・ウィントンが行ったようにチェコスロヴァキアからイギリスに大勢の子どもたちを脱出させた支援活動チェコ・キンダートランスポートだけではなく、亡命先の国に亡命したユダヤ人の生活や仕事を支える支援もまた、ユダヤ人への人道支援活動だ。この人道支援活動(※2)とは、「紛争の被害者や自然災害の被災者の生命、尊厳、安全を確保するために、援助物資やサービス等を提供すること」を指し、今も世界中で行われている。この世界各地で行われている人道支援活動は8つに分類する事ができ、1.物資配布2.水衛生3.保健・栄養4.子どもや女性の保護5.心のケア6.子どもへの教育7.住居修復8.再発予防に細分化される。「物資配布」とは、災害や紛争発生時は物流が滞り、必要なものが手に入らなくなる。また輸送にかかるコストと時間の節約をし、物資の調達はできるだけ現地で行うようにしている。こうする事で被災者に馴染みのある使い慣れた物資を届けることも可能に。「保健・栄養」とは、世界では現在、5歳の誕生日を迎える事ができず、亡くなる子どもは年間500万人。その多くは安全な水やワクチンがあれば防ぐことができる。すべての子どもが十分なケアを受けられるよう、予防接種の普及、安全な水や衛生的な環境の確保、母乳育児の推進、栄養改善など総合的な支援を行う事が大切。「子どもや女性の保護」とは、信頼できる誰かが周りにいない社会や家庭の環境では、孤立が進み、暴力や虐待、貧困の被害が深刻化している背景、支援活動を通して女性や子どもたちの避難先での暮らしを支える活動を指す。「子どもへの教育」とは、世界では、紛争や災害の原因も含め、2億5,800万人の多くの子どもたちが学校に通えず、教育機会を奪われている現状。世界中の子どもたちが継続して、教育を受けられる環境を作る事は今、非常に重要視されている。人道支援活動は誰にもでもできると言われているように、今日本にいる私達日本人も、遠い場所から支援する事はできる。1.ボランティアとして人道支援に関わる2.モノを寄付する3.支援団体にお金の寄付をするのこの3点が、今の私達にできる最大限の支援だろう。この人道支援活動で何を得られるのか?それは様々な良い結果を未来に産み落とす事になるだろうが、たとえば、映画の世界で言えば、フランスのヌーヴェルヴァーグから影響を受けた1950年代から1960年代に隆盛したイギリス・ニュー・ウェイヴ(またの名をブリティッシュ・ニュー・ウェイヴ)(※3)の生み出した映画監督リンゼイ・アンダーソン(『孤独の報酬(1963)』『If もしも…. (1968)』『怒りを込めて振り返れ(1980)』)、トニー・リチャードソン(『怒りを込めて振り返れ(1958) 』『蜜の味(1961)』『長距離ランナーの孤独(1962)』『トム・ジョーンズの華麗な冒険(1963)』)、ジャック・クレイトン(『外套(1956)』『年上の女(1959)』『回転(1961)』 『女が愛情に渇くとき(1964)』『華麗なるギャツビー(1974)』)、ジョン・シュレシンジャー(『ダーリング(1964)』『遥か群衆を離れて(1967)』『真夜中のカーボーイ(1969)』『日曜日は別れの時(1971)』『時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日(1973)』)の中に混ざって活躍したカレル・ライス(『土曜の夜と日曜の朝(1960年)』『モーガン(1966年)』『裸足のイサドラ(1968年)』)は、ニコラス・ウィントンが第二次世界大戦開戦前に、あのチェコ・キンダートランスポートに乗せられてイギリスに渡った699人の子どもの内の一人である事を忘れてはならない。人道支援活動が、何を意味するのか。それは、後の未来に作り出す著名人や政治家、そして名も無き民衆による国を支える国力を守る大事な活動だ。

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第二次世界大戦中に、ユダヤ人難民への人道支援を行ったのは、本作が取り上げるニコラス・ウィントン(イギリスのシンドラー)の他に、最も有名なアメリカのシンドラーことオスカー・シンドラーや杉原千畝のように日本のシンドラーと呼ばれた数多くの人々が、ユダヤ人の救済に手を伸ばした。私達が知っているのは、もしかしたら、アメリカのオスカー・シンドラーだけかもしれないが、先述した杉原千畝のように日本にも多くのユダヤ人の命を救った人物が存在するのは、日本の誇りではないだろうか?それでも、彼らは歴史の影に追いやられ、今では名前すらも聞かない存在となってしまっている事は、非常に悔やまれる事態だろう。ウィントン、シンドラー、杉原の他に、世界中で活動した人道支援活動家(当時は、政府の外交官勤務者が、これに当たる)が、世界中の至る所にいた事実だけでも、今回はこのレビューから持ち帰って欲しい。たとえば、ヨーロッパを中心に世界中で人道支を行った人物には、トルコのセラハティン・ウルクメン、アイルランドのメアリー・エルムズ、ヒュー・オフラハーティ、ハンガリーのルドルフ・カストナー、オランダのヨハンネス・クレイマン、ヤン・ズヴァルテンダイク、ヤン・ヒース、ナチスの元親衛隊でもあったハインツ・ハイドリヒ、ポーランドのヴワディスワフ・バルトシェフスキ、タデウシュ・ロメル、ドイツのカール・ヨアヒム、・フリードリッヒ、イギリスのサイモン・マークス (初代ブロートンのマークス男爵)、ポルトガルのアリスティデス・デ・ソウザ・メンデス、イギリスの銀行家でロスチャイルド一族のライオネル・ネイサン・ド・ロスチャイルド、アンソニー・グスタフ・ド・ロスチャイルド、ヴィクター・ロスチャイルド (第3代ロスチャイルド男爵)が、この第二次世界大戦前から大戦中、多くのユダヤ人救済に奔走した。また中国には、「中国のシンドラー」とも呼ばれる王替夫、何鳳山がおり、日本には杉原千畝以外にも、彼の側近であった根井三郎を筆頭に、石黒四郎、大迫辰雄、建川美次、樋口季一郎(※4)、安江仙弘らが、当時のユダヤ人迫害に対する反対運動の狼煙を上げた。彼らは皆、幾重にも重なる歴史の襞に隠れて、今では名前ですら知られていない歴史的な活動家だ。彼ら人道支援活動家がいなければ、当時のユダヤ人迫害の被害者数は数百、数千、数万倍に膨れ上がっていた事だろう。ニコラス・ウィントンやオスカー・シンドラー、杉原千畝だけでなく、国籍、性別、身分を問わない多くの人間が、ナチスのユダヤ人迫害という魔の手から大切な命を救った。自身の立場、地位、命を顧みずしてまで、目の前で苦しむユダヤ人を救済し続けた行動は、何物にも変えがたい尊い行いだろう。映画『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』を制作したジェームズ・ホーズ監督は、あるインタビューにて本作の〇〇について、こう話している。

Hawes:“It’s a true story that really packs a punch, and I’m a huge addict for those moments in the cinemas when it says, “Based on a true story.” From that moment on, every scene, every character somehow just matters more; it lands with more emotional impact. There’s that YouTube clip that shows the television scene that originally brought Nicky Winton’s story to the public, and that gives a director a fantastic destination for the narrative — an emotional ending that’s very satisfying. That’s not always the case when you meet a film project. So, to know I have a great endpoint that was going to let audiences leave the theater feeling uplifted by what they just experienced, that’s a pretty good draw.”(※5)

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ホーズ監督:「これは本当に衝撃的な実話で、私は映画館で「実話に基づく」と書かれた瞬間に夢中です。その瞬間から、すべてのシーン、すべてのキャラクターがどういうわけかより重要になり、より感情的な衝撃を与えます。ニッキー・ウィントンの物語を最初に世に知らしめたテレビのシーンを映したYouTubeクリップ(後ろに引用動画あり)があり、監督は物語の素晴らしい終着点、つまり非常に満足のいく感情的な結末を得ることができます。映画プロジェクトでは必ずしもそうとは限りません。ですから、観客が体験したことで高揚感を持って劇場を後にできる素晴らしい終着点があることを知ることは、かなり良い魅力です。」と、この作品の基となったニコラス・ウィントンの数奇な人生について、映画以上の物語が詰まっており、その終着点を知る事こそが、この映画における答え合わせのようでもある。数多くの救えた命、救えなかった命があるにせよ、チェコで多くのユダヤ人児童を救った事が歴史上の事実であると疑う余地はない。ニコラス・ウィントンが、1988年にイギリスの「That’s Life」に出演した時の様子を捉えた動画があるので、日本のシンドラーこと杉原千畝の功績を称える動画と共に紹介しておく。この動画を通して彼らが、世界や社会に何をもたらしたのか再確認する事ができるであろう。

Holocaust hero Sir Nicholas Winton (That’s Life – 1988)

ユダヤ人の記憶に生きる日本人 杉原千畝

最後に、映画『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』は、多くの人の胸に打つ感動の作品として仕上げられている。第二次世界大戦の開戦が迫った数ヶ月のヨーロッパでは、ユダヤ人救済への活動が困難を極めた時期に、ヒーローとでも言うべき一人の名も無き人道支援活動家が名乗りを上げ、数百人という多くの幼くも尊き命を救った事実は、半世紀以上経った今でも変わらない事だ。ニコラス・ウィントンは、2015年7月1日、子どもや孫たちに囲まれながら、106歳で天寿を全うした。来年で彼がご逝去されてから、10年目の年を迎える。もし彼が、今の世に生きていたら、何を思い、何を言葉として発するだろう。1930年代から1940年代の数年間続いた第二次世界大戦のように、今も日本から遠く離れた国では戦争が起きている。ウクライナ戦争、イスラエル紛という現世の二大戦争は私達に歴史の影を落とす。それでも、オスカー・シンドラーやニコラス・ウィントン、杉原千畝らが行った人道支援の輪は、確実に今を生きる私達の活動に結びついており、当時の「命のビザ」(※6)は今のウクライナ戦争の最中にいるウクライナ難民達への「希望のビザ」となっている。今でも世界にも日本にも、多くの人道支援活動家や人道支援を主に活動する団体達が存在するが、彼らの活動の裏にはニコラス・ウィントンが残した世界的功績がある事を忘れてはならない。

©WILLOW ROAD FILMS LIMITED, BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2023

映画『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)NICHOLAS WINTON AND THE RESCUE OF CHILDREN FROM CZECHOSLOVAKIA, 1938–1939https://encyclopedia.ushmm.org/content/en/article/nicholas-winton-and-the-rescue-of-children-from-czechoslovakia-1938-1939(2024年7月14日)

(※2)世界で行われている人道支援活動とは?あなたにできることも紹介!https://gooddo.jp/magazine/donation/26756/(2024年7月14日)

(※3)【イギリス映画史】ブリティッシュ・ニュー・ウェイヴ/フリー・シネマ運動とは何かhttps://sailcinephile.hatenablog.com/entry/2023/02/18/062101(2024年7月17日)

(※4)もう一人の「東洋のシンドラー」: 2万人のユダヤ人を救い、北海道を守った樋口季一郎陸軍中将https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01097/(2024年7月17日)

(※5)’I Could Barely See the Monitor Through My Own Tears’: Bringing the True Story of ‘One Life’ to the Screen (Exclusive)https://aframe.oscars.org/news/post/james-hawes-one-life-interview?amp=(2024年7月17日)

(※6)ナチスもソ連も恐れたユダヤ難民…「命のビザ」がウクライナ侵攻で再び注目される理由とはhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/267137(2024年7月17日)