ドキュメンタリー映画『BELIEVE 日本バスケを諦めなかった男たち』明日を夢見るバスケ少年へ贈る

ドキュメンタリー映画『BELIEVE 日本バスケを諦めなかった男たち』明日を夢見るバスケ少年へ贈る

ドキュメンタリー映画『BELIEVE 日本バスケを諦めなかった男たち』

©2024「BELIEVE」製作委員会 ©FIBA ©日本バスケットボール協会

日本バスケは、世界の壁を打破できないのか?日本バスケは、世界のアンダードッグと罵られ続けるのか?日本バスケは一生、世界最下位の無念さという辛酸を舐め続けなければならないのか?2019年のワールドカップの敗北、2021年の東京オリンピックの惨敗。多くの苦心を味わいながら、多くの人気スポーツや日本女子バスケ代表の躍進の影で、苦杯を喫して来た日本男子バスケ代表。世界レベルの強豪国との対戦は、日本男子バスケの精神でさえもボロボロにさせた。それでも、彼ら選手は日本バスケの可能性を諦めなかった。勝てない原因は、バスケの技術にあったのか?それとも、チームの団結に足りないものがあったのか?そのすべてであるが、最も足りなかったのは勝つ事への気持ちや自信だったのではないだろうか?長年の挫折を味わいながらも、勝利の歓喜を夢見た日本男子バスケの闘いは今、始まったばかりなのかもしれない。遠くに小さく見える日本男子バスケの未来の可能性を頼りに、今起きている苦心に耐え続け、真実の勝利を勝ち取ったあの日あの時の瞬間の勇ましい姿を、あなたは目撃する。誰もが、その時の瞬間を応援し続け、手にした勝利は未来へと続く日本バスケの継承だ。スポーツは勝ち負けではなく、スポーツ選手同士の精神のぶつかり合いだ。勝ちがあれば負けがあり、負けがあれば勝ちがあるように、そのプレーには一進一退あったとしても、自身の精神、たとえば負けるかもしれない恐怖、世界を背負った大いなるプレッシャー、惨敗と悟りながらも全身全霊で挑む負け試合、そのすべてに自身の精神を通して、打ち勝つ事、それがスポーツにおける勝敗結果だ。いかに自身と向き合い、自身の不安や負の感情と共に頂点に向かって行く事が大切か。ドキュメンタリー映画『BELIEVE 日本バスケを諦めなかった男たち』は、ワールドカップ、東京オリンピックで世界バスケのどん底を味わった日本バスケ男子の再起を賭けて挑んだ姿を描く全記録。勝利とは、何か?敗北とは、何か?点やポイントだけでは評価できない多くのドラマが、眠っている。勝負は、試合やコートの上だけで起きている訳ではなく、選手の身の回りの生活の中でも勝敗に直結する出来事は起きている。私達が生で見る試合や映画を通して見る彼らの姿とは別に、表出されないあらゆる場面において、選手たちはプレッシャーや不安と向き合いながら、見えない世界の壁と常に戦っている。

日本のバスケの歴史(※1)は、今からおよそ100年前の1908年にまで遡る事が出来る。大森兵蔵という人物が、東京YMCAで初めて紹介した事が、日本国内にバスケットボールという球技を初めて導入した契機として知られている。大森兵蔵とは、明治9(1876)年、岡山県で生を受け、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した日本の体育教授だ。彼は、明治34(1901)年に渡米し、明治40(1907)年に帰国するまでスタンフォード大学で経済学部を、1905年からマサチューセッツ州スプリングフィールドにある国際YMCAトレーニングスクール体育を学んだ。大森兵蔵は、日本国内にバスケットボールだけでなく、バレーボールも紹介した功労者だ。でも、どちらも海外の人気スポーツであり、日本国技ではない。現に、どちらも日本で定着しているかと問われれば、少し疑問が残る。それは、映画の世界も同じだ。映画の文化は、海外の文化と呼ばれている以上、日本で定着させるのは非常に難しい。それは、バスケもバレーも同じ事だ。関係者にとって、スポーツ人気含め、どう定着させるかが今の課題でもある。話変わって、残念ながら、大森兵蔵は肺結核が原因で、帰国数年後に36歳という若さで急逝している。バスケットボールにおける彼の意思は、周囲の関係者や次世代のバスケ関係者に引き継がれ、1930年には、大日本籠球協会が設立され、1967年にはJBBAの前身となる社会人バスケットボールリーグ「バスケットボール日本リーグ」が創設される。続く、1976年には法人化され「財団法人日本バスケットボール協会(JABBA)」が、設立された。1995年、バスケットボール日本リーグ機構(JBL)が設けられ、2007年には日本バスケットボールリーグ(JBL)が立ち上げられている。バスケ協会は、JABBAからJBAに呼称を改称している。バスケットボール界が、日本で市民権を得たのはほんのごく最近の出来事でもある。大森兵蔵は、1911年、妻と共に恵まれない子どもの為の教育施設「有隣園」を設立し、社会福祉事業に尽くしてもいる。また大森は、日本スポーツ団のストックホルムオリンピック初参加を目指して、1911年、大日本体育協会を設立し、理事に就任している。その後、嘉納会長と日本オリンピック委員会(JOC)を設立し、1912年のストックホルム大会に向けて、予選会と代表選手派遣の事業に取り組んでいる。彼の功績はまだしっかりと表彰されていないが、2019年放送の大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の作品内でも取り上げられており、大森が残した意思は、後の東京オリンピックや同時期に活躍した東洋の魔女、そして2021年に開催された東京オリンピックへと脈々と引き継がれ、それはまさに、今の日本バスケ男子界にも影響を与えているだろう。

では、近年の国内外におけるバスケットボール事情はどうだろうか?お隣の国、韓国では実際に起きたアンダードッグと呼ばれた高校バスケ部の起死回生を描いたスポーツ映画『リバウンド』が制作され、日本でも今年、公開された。また2022年12月3日には、日本のアニメの金字塔「スラムダンク」シリーズの完全新作劇場版『THE FIRST SLAM DUNK』とエンタメ的側面で言えば、バスケットボールは今、非常に注目を浴びつつあるのであろう。では、社会的に見れば、現代におけるバスケットボールの世界はどうなっているのだろうか?バスケ界の世界的勢力図(※4)は、周知の事実、アメリカ一強がイメージとして明確に残っているだろうが、ここ近年では、米国以外ではヨーロッパ勢や南米勢、またスペインがそのアメリカの強さに追いつきそうであると言われているが、その世界ランキングにさえ、日本はまだ、仲間入りすら許されていなかった過去もある。また、平成26(2014)年12月に設立された「日本バスケットボール学会」が、バスケットボール界に対する今後の課題について「近代日本におけるバスケットボール研究の発展史―学問体系把握に向けた一試論―」という論文の序盤にて、「今後は、バスケットボールをテーマとした多様な視点からの個別研究が、学会の知的資源として蓄積されていくことが期待される。しかしその一方で、総論的な把握の仕方にも関心が払われるべきである。従来、日本のバスケットボール研究は多様に分化発展してきたが、それらを串刺しにする統合的な理論の構築が検討の俎上に乗せられたことはなかった。若干飛躍して述べれば、スポーツ史・スポーツ哲学・バイオメカニクス・スポーツ心理学・運動生理学などといった「専門諸学」別ではなく、バスケットボールという「種目」別に仕切りを設けた場合、果たして「バスケットボール学」(「バスケットボール学」とは、バスケットボールを対象とする個別研究の寄せ集めではなく、総合科学として捉えていこうとする意味合いが込められている。したがって、今ここで仮に、この暫定的な学問名称に英訳を当てはめてみるならば、“Basketball Science” などと単数で表記することになろう。)なるものが成立し得るのか、し得るとすればそれはどのような学問なのか、活発な議論が展開されねばならない。」(※5)と記述しているが、この考えが発表されたのが、2016年頃。あるから8年の時が経過し、この論考が記す「バスケットボール学」がどう誕生し、バスケットボール界に変化をもたらしたのか。バスケットボールに関する論文「バスケットボール学とは何か―その学問性と学的基礎づけ」の最後の章となる「結語」で示されている今後のバスケットボールの学問は、「「バスケットボール学」が学問として成り立つための第一歩は、「体験知」や「経験知」などの「実践知」への埋没を峻拒し、あくまでも他者への説明性と伝承性と普遍妥当性を有する「理論知」の行使に徹することによって画される。それは、まさに「開かれた知」として集積されて他学問分野との交流を呼び込み、当然のことながら「実践への貢献」を果たすために、バスケットボールという運動文化に潜在する様々な問題を掘り起こしながら「知」ること、すなわち、理論化を確保するための営為を地道に重ねていくことが必要不可欠だからである。」と記されているように、「体験知」「経験知」「実践知」の3つの「知」を理論的に習得する事が必要となる。スポーツとしての「知」と学問としての「知」がすべて組み合わさった時、私達は「バスケットボール」という存在が一体何かを知る事ができるであろう。それでも、車椅子バスケットボールの課題(※7)も含め、まだまだ多くの問題が載積している事は事実だ。本作『BELIEVE 日本バスケを諦めなかった男たち』を制作した大西雄一監督はあるインタビューにて、本作やこのバスケットボールの男子日本代表、そして新監督における「信頼」について、こう話している。

大西監督:「選手たちがどんな思いで合宿を行い、ドイツ戦に挑んでいったのか。代表選手たちの思いを知るためには、歴史も調べないといけない。そんな中、キャッチーになる言葉が『BELIEVE』でした。その後からトムさんにもインタビューしたのですが、言葉を聞くと、間違っていなかった、と思いました。日本代表の強さは、信頼。トムさんも選手を信じているし、選手たちもトムさんを信頼している。だから強固な関係がある」(※8)と、何度も苦節を味わい、挫折を経験し、それでも巨大権力とでも言うべき強豪アメリカを筆頭に、各国のチームに生身で挑んだ勇姿は、日本人として誇らしい。

最後に、ドキュメンタリー映画 『BELIEVE 日本バスケを諦めなかった男たち』は、2019年のワールドカップ、東京2020オリンピックの苦杯を経験して、再起不能にまで陥れられた日本バスケの男子チームが、東京オリンピックで日本女子代表を銀メダルに導いたトム・ホーバスコーチを迎え入れ、彼が掲げた「Believe」をチームのテーマに挑んだ2023年のワールドカップ迄の真実に迫った映画。チームとして互いを信頼する事。初めての勝利を信じる事。そして、己の技術やパワーを強く信じる事。それらすべてが合わさった時、真の勝利へと導く事ができる。それを体現したのが、今のバスケ男子日本代表だろう。初めて日本にバスケットボールを紹介した大森兵蔵が願った「健やかな学びとスポーツの発展」は、今に活躍する日本を代表するプロのバスケットボールプレイヤー達への引き継がれた。そして、彼らが背負った大森の思想が今、日本のバスケ界の道を拓き、扉を開け、轍を作り、新しき日本バスケの未来を生み出そうとしている。それは、必ず今、明日の夢を見るバスケ少年達の未来を明るいものにしているだろう。

©2024「BELIEVE」製作委員会 ©FIBA ©日本バスケットボール協会

ドキュメンタリー映画『BELIEVE 日本バスケを諦めなかった男たち』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)【バスケットボール 歴史】日本バスケ界のこれまでhttps://akatsukibasket.com/technical-language/basketball-japanhistory(2024年6月8日)

(※2)大森兵蔵と社会貢献 健やかな学びとスポーツの発展に尽くした大森兵蔵https://www.gllc.or.jp/profile/history/ohmori/(2024年6月8日)

(※3)第48回 『日本初のオリンピック代表選手三島弥彦 伝記と史料』https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/readings/olympic_paralympic/48/#:~:text=%E9%87%91%E6%A0%97%E5%9B%9B%E4%B8%89%E3%81%AE%E7%9B%9F%E5%8F%8B,%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B%E3%80%82(2024年6月8日)

(※4)世界のバスケットボールの勢力図https://www.bleague.jp/bmagazine/detail/id=244097(2024年6月8日)

(※5)近代日本におけるバスケットボール研究の発展史―学問体系把握に向けた一試論―https://drive.google.com/file/d/13wr6AA16J32ShYyUAcY19AuOVhrZqPPJ/view?usp=drivesdk(2024年6月8日)

(※6)バスケットボール学とは何か―その学問性と学的基礎づけ―https://drive.google.com/file/d/14HpVd7prz562AdLApUglfjYFbrHAVJkI/view?usp=drivesdk(2024年6月8日)

(※7)車椅子バスケットボールが文化として発展するための一考察https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r073/r073_038.html(2024年6月8日)

(※8)「バスケW杯を100回以上見た」ドキュメンタリー監督・大西雄一氏が語る、勝因と五輪への期待「トムさんがやっぱり凄かった」https://encount.press/archives/633661/(2024年6月8日)