この「決断」を迫られた要因は ひとかけらも消える事はないドキュメンタリー映画『決断 運命を変えた3.11母子避難』
人生には幾度にも渡り、何重にも重なる「決断」があり、その都度、私達はその決断に迫られる。右に行くべきか、左に行くべきか。イエスか、ノーか。前に進むべきか、後退すべきか、その場に留まるべきか。誰もその選択が、本当に正しいのか分からない。人生の一瞬一瞬の場面において、私達は常に決断と選択に迫られる。そして、勇気を出して決断し、選択した先の未来には、本当に「正しかった」と言える未来を迎え、その未来を明確に構築できる安定した生活を営む事ができるのかは、また別の問題でもある。人は、自身の生活基盤が揺るがされないか、進むべき人生の道が寸断されないか、常に疑心暗鬼に陥りながらも、人前では気丈に明るく過ごす。決断は、男性も女性も関係なく、いつどのタイミングで襲って来るか分からないからこそ、その時の瞬時の敏感な判断が物事に対して非常に大きく作用する。本作『決断 運命を変えた3.11母子避難』は、東日本大震災における福島県の原発事故を巡るある10組の母子の姿を追ったドキュメンタリーだ。地震は、震災だ。紛れもなく、自然災害と言えるだろう。では、原発事故は震災や自然災害と言えるだろうか?これは、もしかしたら、人災なのかもしれない。いや間違いなく、人災だ。あの日、あの時、私達は何を思い、あの震災をどう受け止めたか?あの時の一瞬一瞬における政府の対応がすべて、改めて、正しかったと言えるだろうか?現在、内閣府は「みんなで減災」(※1)をモットーに国として活動しているが、3.11の東日本大震災が起きた後の福島県原発事故における当時の菅元首相のお粗末な原発対応(※2)は当時でも現在でも、常に糾弾されている。確かに、誰も予想にもしていなかった未曾有の大震災は、当時の時の日本政府にとっても大打撃だったに違いない。それでも、国として政府にはあの時の震災に真摯に立ち向かい、国民の盾となって、全身全霊で我々の生活を守る義務があったのではないかと、私は訴えたい。あの大地震の最中、押し寄せる大津波、長い長い激しい揺れ、その時その時の瞬時の判断はできなくても、その後の対応はしっかりできたはずだろう。だから、本作に登場するような福島第一原発事故により人生も生活も奪われ、右に左に翻弄する国民を生み出してしまった罪は大きいし、一生消えない。日本の国における日本国民とは、あなた方政府にとって、どんな存在なのか、私は今一度、問いたい。問い続けたい。ある国家の中の一つの小市民に過ぎない私達ですが、それでも私達は日本社会を支えて下々の民として日々、生活を送っている。日本社会の中の一つの歯車として生きる日本国民は、政府のおもちゃではない。国にとって有益な存在になろうと、日々汗水垂らしながら、日本の社会のため、家族のため、他者のため暮らし、働いている。そんな日本国民を土足で踏み躙るような人権蹂躙は、断固として許されない。
日本にとって、地震が起きるのは至極当然の出来事でもある。周知の事実として、日本は地震大国であり、いつも、どこかで必ず揺れている。もう地震と日本国民は、運命共同体のような関係でもあり、その中で私達は生活を送っている。それでも、あの地震の揺れや緊急地震速報の警報音には一生、慣れるものでは無いだろう。私自身も今年の年明け一発目の1月1日に起きた令和6年能登半島大地震の時は、自宅の自室でライティング業務をしていたが、突如として横に緩い揺れを感じた。最初は、ギシギシと揺れるテレビの音で気が付き、一瞬、「あれ、私の貧乏ゆすりか?ん、違うな。強風が吹いて、家が揺れているのか?いや、違う!これは、地震だ!」と心の中で慌てふためき、早く避難をしなきゃと冷や冷やした記憶があり、小心者かもしれないが、小さな揺れであっても、私は自身の「死」を一瞬、覚悟した。家が崩れるかもしれない、天井が上から落ちてくるかもしれないと、あの時は本当に恐れ戦いた。私が小学生の頃に起きた阪神・淡路大震災もまた、強く記憶に残っている。親が一生懸命建てたばかりの家に引っ越して、一年後直ぐに、関西は地震に襲われた。兵庫県に住む母方の親戚は、私の住む街に避難をして来た記憶も鮮明に脳裏に残っている。あの時の震災は、今でもPTSDのようなトラウマのような形として、私の心の奥に凝りとして残り続けている。1月17日の震災の日が訪れる頃になると、ニュースには必ず、あの時のニュース映像が流れるが、歳を重ねる毎に、震災の映像が与える恐怖心として私の心に訴え掛けて来る。それは、東日本大震災の大地震が起きた瞬間、津波が押し寄せて来た瞬間。あの日の映像を瞳に映写すると、私は恐怖心と震えと一緒に阪神・淡路大震災時の苦しみや苦労の記憶が、脳内でヘビーローテーションして来る。近年、私が感じる事と言えば、震災後、政府や地方自治体といった公的機関となる行政は、「街は復興した」と言う。確かに、30年近く経った今、阪神・淡路大震災が襲った神戸の街は美しく生まれ変わった。東日本大震災が襲った東北地方もまた少しずつ、街は復興したと言われているが、私は復興なんて一生しないと感じている。物理的に、街全体が美しく復興したとしても、何故毎年毎年、当時震災した方々の体験談が湧き水のようにわんさか溢れて来るのか?私は、この疑問に対して出した答えは人々の、日本国民の心の復興ができてないのではないかと思う。どれだけ街が復興したとしても、人々の心が癒されない限り、復興したとは言い切れない。街と人が二人三脚で癒されたその時、やっと「復興した」と言えるのではないだろうか?国や政府、地方自治体はもっと国民に、人に寄り添って欲しい。今でも心の復興がなされないまま、ずっと震災の記憶に苦しみ悩まされ続けている市民達がいる事を知る必要がある。国民にどう寄り添って行くのかが、日本国における今後の課題だ。机上の空論かもしれないし、精神論になるかもしれないが、ただ本当に国民の心に寄り添えた時、日本国内で起きる震災にも真っ向から立ち向かって行けるのではと、私は強く信じている。今でも日本の国内のどこかに、震災で苦しんでいる方が多く居ることを、国家も国民も皆、知る必要がある。今、課題となっている令和6年能登半島大地震の復興は、物理的な街の復興に留まらず、住民達の心の復興が課題として試されている。
2024年4月17日現在、日本国内における原子力発電所は、稼働可能な12基のうち10基が稼働中。「東日本大震災の発生前、日本には54基の原発があった。事故から12年以上が経過した2023年8月時点で地元の同意を得て再稼働した原発は大飯(関西電力)、高浜(関西電力)、美浜(関西電力)、玄海(九州電力)、川内(九州電力)、伊方(四国電力)の6発電所の11基のみ。西日本エリアに集中しており、いずれも事故を起こした福島第1原発とはタイプが異なる「加圧水型」。福島第1と同じ「沸騰水型」では、女川(東北電力)、柏崎刈羽(東京電力)、東海第2(日本原子力発電)、島根(中国電力)が新規制基準に合格しているが、いずれも再稼働に至っていない。また、東日本大震災以降に廃炉が決定した原発は21基に上る。」(※3)と言われている。日本には、まだまだ原子力発電所は点在し、その内の数基が現場も稼働中であり、東日本大震災が起きた2011年以降、多くの原子力発電所が再稼働している。私は原子力発電所問題に対して、賛成反対と言える立場にはないが(何故なら、原子力発電所があるから、私達の生活が保証されているのも事実、その反面、福島第一原発事故のように何か大きな事故が起きた時、被害は原子力発電所の近くに住む方々に波及される)、それでも今後、日本は福島第一原発事故時のような事態に見舞われる可能性もある。「一災起これば二災起こる」という言葉があるが、同じ事は必ず二度、三度起きると言われている。私も、震災における原発事故は今後も起きる可能性があると、心のどこかで感じている。現に、今回の令和6年能登半島大地震や最近4月17日に起きた愛媛県、高知県における令和6年四国地震(※5)には原子力発電所が大きく関係して来る。北陸には、北陸電力株式会社志賀原子力発電所(※6)があり、四国地方には四国電力伊方原発(※7)がある。いつ何時、巨大地震が起きた時、東日本大震災における福島第一原発事故のような原発事故が他の地域でも起きる可能性があるのではと、疑問は抜けない。今、日本の国は試されている。次、原発事故が起きた時、必ず正しく対処できるのか。政府が出している原発における防災案やガイドラインが、しっかり機能すれば、今の取り組みが肯定される訳だが、果たして、政府はどこまで国民の事を想うのか、甚だ疑問だ。耳に残るのは、本作に登場する方々の心からの訴えだ。「生活返せ!地域を返せ!原発要らない!」この必死の被害に遭われた方々の想いが、今後も活かされ続ける事を祈るばかりだ。地震は、必ず訪れる。ある日突然、私達の生活を奪う地震を止める事はできない。それでも、私達は地震と向き合っていかなければならない。国民と国が一つとなって、どう対処するか取り組んで行く必要がある。ドキュメンタリー映画『決断 運命を変えた3.11母子避難』を制作した安孫子亘監督は、北海道新聞のネット版のインタビューにおいて「母子避難の人々を撮影して何を感じたか」。また、「今年1月に起きた能登半島地震について」の話題に話が言及され、こう答えている。
安孫子監督:「母が子を守る強さです。病気になりながらも働いた人、夫が心配で福島に戻ったが離婚してしまった人もいました。出るのも地獄、帰るのも地獄のどうにもならない状況で、子どもを養う母親の強さを感じ、映画で見せたいと思いました。また、志賀原発の避難経路が寸断されたのは、避難計画として致命的で怖さを感じました。また、避難者が報道されているうちはいいのですが、報道が少なくなると支援も忘れられます。全ての災害において、避難者に対する報道がなくなった時に、彼らの真の戦いが始まるんだと思っています。」(※8)と話す。他にも、自主避難と強制避難した方に対する政府の対応に大きな違いがあると話す。自主避難者と強制避難者の間には、支援における線引きがなされているという。私は、ここに本当に隔たりが必要か、甚だ疑問だ。自主的に避難した方も、国から強制的に避難した方も、どちらも避難者なのは変わりはない。変わりがないにも関わらず、なぜ分け隔てを行うのか?なぜ、人を人として平等に扱えないのか?民主的な日本だと言うのに、私達の人としての権利はこの国にはない。儚い願いではあるが、日本がもっともっと国民に寄り添った国であって欲しいと、私は心から願うばかりだ。
最後に、ドキュメンタリー映画『決断 運命を変えた3.11母子避難』は、東日本大震災で起きた福島第一原発事故が原因で運命の決断を下さなければならなくなった10組の母子避難者の姿を追った作品だ。地震は、また必ずやって来る。ある日突然、忘れた頃に地球が人類に怒りを剥き出しにする。厄介な存在ではあるが、私達は地震と共存していかなければならない。昨日、産経新聞の一面を飾ったのは令和6年能登半島地震における「能登復興 予備費1389億円」と今回の大震災における復興費の予算として国は、1389億円を投じると言う。いち国民として、この金額が多いのか少ないのか分からないが、私達の税金がこのような形で使われるのであれば、気持ちよく差し上げたい。また、新聞の報道内には現首相の岸田文雄氏は、「被災地の声にしっかりと寄り添い、復旧・復興を全面的にバックアップしていく」と、この度の閣議の中で発言しているが、この方のこの言葉に国民の誰が安心するのであろうか、私は疑問しかない。なぜなら、令和6年能登半島地震の後、岸田首相はある記者会見の後、BSのテレビ番組に出演した行動がネットやSNS上で大きな批判を浴びた(※9)。まるで防護服がポーズであったかのうように、生放送の番組収録時にはパリッと背広に着替えて、震災の話題は差し置いて、自身の今後の政局について笑顔を交えながら語っている。その一方で、地震が起きた現地では、生き埋めになった国民達の生死が刻一刻と迫っている中、大きめのチェアーにふんずり返っている姿には、ある意味、冷酷さを感じて止まなかった。その反面、当然の事ではあるが、発災時には正月休みを返上して、公務に当たった点は、まだプラスだ。それでも私達国民は今、この国のトップの手の中に人生を委ねている。裏金問題(脱税事件)も解決していない今、果たして、私達の生活は今の政府で保証されるのだろうか?今私達は、あらゆる場面で常に決断の連続に迫られている。今の日本には、私達の人生は託す事ができないので、私達は自身の力で日々、決断して行かなければならない。今もどこかで人々が、生活や人生に大なり小なり苦悩している。私のこのいち個人の映画媒体は、弱者の味方であらねばならないと思っている。運命の瞬間は常日頃、どこでも起こりうる。だからこそ、私達は常に決断できる力を身に付ける必要があるだろう。
ドキュメンタリー映画『決断 運命を変えた3.11母子避難』は現在、関西では4月20日(土)より大阪府のシアターセブンにて、上映中。また、4月19日(金)より京都府のアップリンク京都でも上映中。
(※1)1 原子力発電所事故への対応https://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h24/bousai2012/html/honbun/1b_1h_2s_01_00.htm(2024年4月24日)
(※2)「総理を落ち着かせてくれ」 現地本部長が見た福島第一
https://www.asahi.com/articles/ASND365Y9NCLUGTB019.html(2024年4月24日)
(※3)日本の原子力発電所マップ 2023年版https://www.nippon.com/ja/japan-data/h01752/(2024年4月25日)
(※4)内閣府 原子力防災 3. 計画・指針・マニュアル等https://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/keikaku/keikaku.html(2024年4月25日)
(※5)南海トラフ巨大地震、震度6弱の四国地震の「約1000倍」震度7の能登半島地震の「約32倍」のエネルギー… ハザードマップの確認や日頃から備えを 気象庁「豊後水道の地震について」政府広報「災害時に命を守る一人ひとりの防災対策」国土交通省「重ねるハザードマップ」https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1124806?display=1(2024年4月25日)
(※6)令和6年能登半島地震による原子力施設への影響及び対応https://www.nra.go.jp/nra/kaiken/r6noto_earthquakedisasterresponse_atomicfacility.html#:~:text=%E4%BB%A4%E5%92%8C6%E5%B9%B4%E8%83%BD%E7%99%BB%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%91%E3%80%81%E5%8C%97%E9%99%B8,%E5%A0%B1%E5%91%8A%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82(2024年4月25日)
(※7)半島の原発を大地震が直撃したら… 四国の震度6弱で避難リスク再燃 「逃げ場がなくなる」能登と同じ構図https://www.tokyo-np.co.jp/article/322130(2024年4月25日)
(※8)<興味深人 インタビュー>「決断3・11母子避難」を制作 小樽出身の映画監督・安孫子亘さんhttps://www.hokkaido-np.co.jp/article/1002883/(2024年4月25日)
(※9)岸田首相は被災地に寄り添う気なし 会見打ち切り→TV出演で「ニヤけて政局話」に批判殺到!https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/334346(2024年4月25日)