「べトナム映画祭2023」主催:MAP代表 映画祭主催 熊谷睦子さんインタビュー
—–まず、このべトナム映画祭は今回、外交関係樹立50周年が主な目的として開催されていますが、この度べトナム映画祭2023年を開催するに至った経緯を教えて頂けますか?
熊谷さん:実は、2018年にも一回目のべトナム映画祭を開催しました。その時は、外交関係樹立45周年と銘打って開催しましたが、日本とヴェトナムでは何周年と区切って、外務省が認定事業として応援して頂けた結果、5年間隔で開催する事になっています。 そもそも、私とヴェトナムの繋がりの話で言えば、2014年に初めてヴェトナムに訪問した時から始まります。当時私は、株式会社アルゴ・ピクチャーズという配給会社に所属していました。その時、制作担当として大森一樹監督の遺作『ベトナムの風に吹かれて』という作品に携わりました。その時初めて、私はヴェトナムを訪れたんです。映画『ベトナムの風に吹かれて』の制作をきっかけに、ヴェトナムと日本を行き来する中、移動中の機内で映画が観られますよね?そのラインナップの中にヴェトナム映画がたくありました。私は飛行機が飛んでいる間に時間を有効活用しようと、ヴェトナム映画を観てみたのですが、思っていた以上に、作品が面白く水準が高いと気付かされたんです。その矢先、2016年に大阪アジアン映画祭とアジアフォーカス福岡国際映画祭にて、ヴェトナム映画特集をしたんです。ますます、ヴェトナム映画が面白いと感じ始め、映画祭を開催したいとなったのが、一回目の開催にあたる2018年でした。その後も、私の会社で配給権を取った作品があるんですが、他の配給会社さんが映画『走れロム』や映画『第三夫人と髪飾り』など、日本でヴェトナム映画が公開される機会が増えたと感じるようにもなりました。今年2023年にもまた、開催しようと思い、今回開催することができました。
—–東南アジアには、ヴェトナム以外にも多くの国が存在し、もちろん、そこにはそれぞれの映画文化、映画産業が盛んではありますが、なぜヴェトナム(もしくは、ヴェトナム映画祭)に尽力されておられますか?
熊谷さん:実は、映画を観る前に、ヴェトナムの街に先に行ったので思い入れが強いのかもしれないですが、実際私は他の東南アジアの国々に行ったことがないんです。タイにも興味を持っていますが、行く機会がまだないんです。 ヴェトナムと言えば、一般の方が思い浮かぶのは、たくさんのバイクが走っているイメージではないでしょうか。初めてヴェトナムの街を目の当たりにした時、街全体の勢いを非常に感じたんです。先程もお話した通り、2014年に初めてヴェトナムに訪問した一年後に、映画『ベトナムの風に吹かれて』が完成したので、ヴェトナムで上映するために、もう一度行ったら、10か月ぐらいの間に、国際空港ができ、高速道路ができていたんです。その時まで、郊外にある道は舗装されておらず、殆ど砂利道でした。もちろん、都市部はしっかりと舗装されていましたが、少し道を外れるだけで、舗装されていない道路がたくさんありました。当時のヴェトナムの成長の勢いに、これから何か面白いことが起きると、ワクワクする予感を感じたんです。
—–ここ10年程の間に、ヴェトナム自身が経済成長を遂げていて、数年の間に非常に早く発展して来た流れがあるんですね。
熊谷さん:それもあると思いますが、実際に、今では少し平均年齢は高くなっていると思いますが、2014年の頃はちょうど経済成長の最中で、全人口の平均年齢が28歳と若く、日本とは逆ピラミッド現象が起きているんです。とにかく、ヴェトナムは若い世代が多く、私たちがこれからの新しいヴェトナムを作って行くという強い意志の勢いは、確かにあるんです。それに、映画は、若い世代の方にとって、一番手頃な娯楽です。日本の50年代や60年代と近いかもしれません。だから、皆、給料が入ったら、バイクを買って彼女を後ろに乗せて、映画を観に行く、みたいな。この文化は今でも残っています。
—–時代の流れで言えば、日本よりも数10年遅く流れている印象を受けますね。
熊谷さん:ヴェトナムでは、来年がちょうど戦国50周年です。日本の戦後50年は、1995年だと思いますが、その時代に近づいているのかなと。日本で言うバブル期直前と解釈すれば良いのかなと。でもまだ、貧富の差は激しく残っています。
—–ここから、映画産業も伸びていく可能性もありますよね?
熊谷さん:非常に、あると思います。
—–ただ、アピチャートポン・ウィーラセータクン監督の台頭のおかげで、日本でも東南アジア映画の人気に火が付くと、若い映画ファンの間でも、近年話題になっていると思います。ただ私の解釈ではありますが、ヴェトナム含め東南アジアの映画の文化は、古くからありますよね?昔から、盛んに映画は作られています。今、ブームが来るという認識は、東南アジアの方々に失礼ではないかと。昔から一生懸命、映画文化、映画産業を守って来ている現地の方たちがいて、それはベトナム映画の歴史にもあります。それを今更、ブームが来ると言うのは、少し違うのかなと。もっと前から、東南アジアは制作されていますが、それを日本の関係者の人たちが伝え切れていない側面もあるのかなと?私は東南アジア映画に関して、ヴェトナム映画に関して、常に考えていますが、その点について、熊谷さんは何かお考えはございますか?
熊谷さん:ヴェトナムに関してしか、私には分かりませんが、ヴェトナムは社会主義国で、今もそれは変わりません。2000年までは。 映画自体が国策の分野だったんです。当時のヴェトナム映画産業は、国が出資して作る映画のみだったんです。2000年代に入ってから、それが自由化されて、一気に作家性のある映画が増え始めたんです。ちょうど、私が2014年にヴェトナムを訪れた時、映画『ベトナムの風に吹かれて』という作品を作った時は、まだ国が持っている撮影スタジオをお借りして、国に所属している公務員の映画監督、公務員の役者さん達が、制作に参加して下さったんです。一方で2000年以降には自由化されており、民営化された芸能事務所に籍を置くタレントさん達もまた、『ベトナムの~』に参加して下さりました。私がヴェトナムに行った時には、2010年以降になりますので、公務員の俳優は少なくなっていたと思います。既に舞台役者の人しかいなかった状況だと、記憶しています。もう自由化された後だったので、検閲に近い事はありますが、映画作り自体は基本的にはもう、民間が作る作品がほとんどです。
—–その自由化のおかげで、ヴェトナム映画が外交的に外国にも輸出しやすくなった可能性もありますよね?
熊谷さん:それもあると思いますが、あと、ヴェトナム戦争直後にはボートピープル(※1)という方がたくさん生まれて、国外に逃げた方がたくさんいたんです。過去には、政治的な問題で祖国に帰りづらい状況があったんですが、自由化経済になってから、ヴェトナムに戻って来る方がたくさん増えました。たとえば、アメリカのハリウッドで役者として研鑽を積んだ方、トラン・アン・ユンさんのようにフランスに拠点を置いてフランスとヴェトナムを行き来している方が増えたんです。 その方々が、海外で技術やエンターテインメントを学ばれて、戻って来てヴェトナムの映画産業を盛り上げて行った側面もあるのかなと思います。
—–2000年以降、ヴェトナム映画における風向きに変化があったと、言えますね。アピチャートポン監督のように、その国々を代表する監督達が台頭して来たと、受け取れますね。
熊谷さん:今、ヴェトナムでは若手の監督達への評価が、高まりつつあるんです。
—–若手の作品がちゃんと評価されて、ヒットして、その上、海外にまで出て来られる環境が、整いつつあるんですね。
熊谷さん:そのお話に付け足して言うならば、トラン・アン・ユンさんが講師をしているオータム・ミーティング(※2)という企画ピッチングを教えるワークショップを年に一回開催しています。 そこの企画マーケットで出資が着いて、映画『走れロム』や映画『第三夫人と髪飾り』が、制作されています。今回、大阪で上映する映画『Kfc』という作品が、第一回オータム・ミーティングで受賞した作品です。非常にバイオレンスな作品ではあります。
—–あの作品は、ヴェトナム映画の中では、思い切って一線を越えている印象を受けました。
熊谷さん:敢えて、一線を超えているだけでなく、どこまで出来るのか試していたんだと思います。最近は、国内で上映されなくてもいいという風潮もあり、どんどん海外向けの映画を作っている趣もあります。映画『Kfc』を制作した監督は、国内で上映できなくても作ってしまおうとした方です。
—–今のお話をお聞きして、少しずつヴェトナム映画の土壌が作られて来ていると感じますね。10年後のヴェトナム映画が、楽しみですね。ベトナム映画祭の上映だけではもったいなく、もっと一般公開されるべき作品はたくさんあると思います。たとえば、映画『雲よりも高く』は、純粋にいい作品でした。
熊谷さん:その映画も、一般公開できないかと考えています。
—–ベトナム映画祭の目玉作品の一つは、恐らく、今お話の合った国内初上映となる映画『雲よりも高く』 だと思います。本映画祭では劇映画とドキュメンタリーを含め、14作品がラインナップとしてリストアップされていますが、映画『雲よりも高く』は他の作品とは違う魅力があるなら、それはどの点が魅力でしょうか?
熊谷さん:ヴェトナム山岳地方の風景と対比される都会の風景が印象的な映画です。ヴェトナム映画の魅力には一つ、風景があると思います。あと、ヴェトナム人が本来持っている優しい人間性が映し出されている。ただまだ、貧富の差が存在しているのも事実です。また、この映画に関して言えば、何年か前の話ではありますが、貧しくて病院に行けない方が、世代的にはいるのではと思います。助けてあげようとする人たちもいるのも、事実です。家族やコミュニティの助け合いの部分も描かれており、非常にヴェトナム映画らしいと言う印象は受けますね。
—–ベトナムという国は、なかなか行かない国ですので、映画というスクリーンを通して、ヴェトナムの街の風景を見られるのは、非常に貴重な体験だと、私は思います。
熊谷さん:今は、非常に低コストでヴェトナムや東南アジアの地域にも行けますので、皆さん、行く機会があれば、ぜひ足を運んで頂きたいです。
—–ヴェトナムは、日本と同じアジアでありながら、日本人にとって、近くて遠い存在かと私は認識しています。その距離を縮めてくれるのが、本映画祭だと私は思います。日本における、ベトナム映画祭の役割は何でしょうか?
熊谷さん:今、実際に、ヴェトナム人に技能実習生や留学生も多いですが、多くのヴェトナム人が日本に来ているはずです。50万人近くが、日本に居住しています。実際に、ヴェトナムの方と会う機会があり、映画祭に足を運んで下さるかもしれないので、本当にお互いを理解し合えるきっかけになったらいいなと思います。
—–映画祭とは違う側面からお話させて頂きますと、近年、ヴェトナムではヴェトナム人が安定な生活を求めて、英国に違法に移住するヴェトナムの方々(※3)も少なからず存在する社会背景があると思います。本ベトナム映画祭から私達は、ベトナムの何を知る事ができるでしょうか?
熊谷さん:円安が進んでいて、日本に来る予定だった方が、ヨーロッパに流れている背景はあるかもしれません。お互いの理解を、深められたと思います。たとえば、先程お話したように、技能実習生で働いているヴェトナム人の方とヴェトナム映画について、お話できれば面白いと思っています。
—–最近では、イギリスを目指してトラック荷台に乗り込んだヴェトナム人女性たちが、息苦しさを感じて、必死にSOSを発信したニュース(※4)を目にしたんです。
熊谷さん:過去には、密入国するつもりでコンテナの中で隠れていたヴェトナム人39人が亡くなった事件も、2019年に起きていましたね。
—–このように貧困問題を抱えるヴェトナムの社会的背景が存在する中、日本にはほぼ報道が入ってこない事実も受け止めつつ、ヴェトナムの今を知る必要もあると思っています。
熊谷さん:世代によって、非常に貧富の差が激しいんですよ。社会主義時代が、子供時代だった方々は本当に貯金がない方もいます。だから、映画『走れロム』で描かれている裏社会の話は、ヴェトナム社会で多くあり、ヴェトナムでは裏カジノで生活が破綻する人も多いようです。
—–ヴェトナム社会では実際に、貧困問題は根強く残っていますね。
熊谷さん:その貧しさから抜け出せない事に対して、色々抱えている人たちもいると思います。今回上映の映画『海辺の彼女たち』で描かれているようなヴェトナム人技能実習生たちは、仲介業者に200万円払って訪日し、低賃金働かされている現実が、まだまだ残っています。
—–技能実習生の制度は、日本側にも問題があるのは事実として、受け止める必要がありますね。
熊谷さん:日本も少しずつ、変わって行って欲しいと思います。
—–映画業界が、介入できる所ではありませんが、映画を通して、何かしら変えられる可能性があると、私は信じたいです。では、クラウドファンディングのサイトにて、熊谷さんは今後ますます、ヴェトナムと日本との交流が重要になってくるとおっしゃられていますが、近い将来、日本とヴェトナムの関係性に対して、何か可能性を見出していることはございますか?
熊谷さん:日本人が、ヴェトナム語を話せるようになるのは、非常にハードルが高いと感じます。ヴェトナム語は、世界一難しい言語の一つと言われています。本当に、人と人との交流が、もう少し盛んになってくればと願っています。ヴェトナムに移り住んでいる日本人も少なくないです。日本人とヴェトナム人の往来が、もう少し増えて、両者の交流がしやすくなれればと願っています。ビザの関係で、ヴェトナム人が日本に来るのは、タイに比べると難しいようです。だから、もう少し渡航への緩和が進めば往来しやすい環境が産まれて来ると思います。そして日本とヴェトナムの合作映画が産まれやすくなったら良いなと思います。
—–ヴェトナム映画含め、東南アジアにはアメリカ映画のハリウッドにはない刺激がたくさんあると、私は今回、改めて感じさせて頂きました。日本や海外の商業作品や大手の作品と一線を画す違いがあると思いますが、その違いとは何でしょうか?
熊谷さん:日本の皆さんは、まだヴェトナム映画を知らないだけだと思っています。こちらの宣伝不足もあるかもしれませんが、ヴェトナム映画というジャンル自体が、どのタイミングで突出して出てくるのか分かりませんが、今後更なる発展が望まれます。そういう意味で言えば、先程お話させて頂きましたオータム・ミーティングが、比較的、作家主義的な映画や監督を、どんどん排出している背景があります。今年のカンヌ映画祭では、新人賞に当たるカメラ・ドールでは、ヴェトナム人監督が受賞しました。これからどんどん、若い監督がたくさん登場する気配があります。
—–楽しみですよね。
熊谷さん:今年、東京では開催しましたが、アテネ・フランスで作家主義の監督たちの映画を上映したんですが、こちらはすべて、福岡市総合図書館のアーカイブに入っている作品です。今回は、そのアーカイブからお借りして、上映を試みました。アテネ・フランスで特集を組んだ若手監督たちのカタログがありますが、多分、これらの監督からどんどんあの世界に出ていく監督たちが出てくる可能性があります。その内の映画『Kfc』のレ・ビン・ザン監督は頭角を現すでしょう。この世代が、次のヴェトナム映画を牽引して、韓国映画のように世界を席巻するぐらいの勢いを作ってくれるんじゃないかと勝手に想像しています。この後も、しっかり推して行こうと個人的に思っています。
—–アカデミー賞の観点で言えば、近頃非常にアジア映画ブームが沸き起こっていますよね。インド映画も話題となり、韓国映画も作品賞を受賞し、日本では濱口監督が注目されている昨今、もしかしたら、東南アジア映画が一つのジャンルとして、今後世界で認めて行くのではないのかなと思います。これが認められたら、今度は日本人も絶対に興味を持つと思っています。
熊谷さん:その時まで、ベトナム映画祭を続けたいです。
—–最後に熊谷さんにとって、ヴェトナム映画の魅力はなんでしょうか?教えていただけますか?
熊谷さん:まずは、驚かされる事が毎回あります。何度も言うように、勢いを感じています。これから何か、色んな作家が出てきそうな予感がします。タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督ではないですが、ヴェトナムと言えば、この監督と言える有名監督が、トラン・アン・ユン監督以外にも出てくるのではないかと気がします。私もいつか、日本とヴェトナムの合作で一緒に制作をしてみたいと、夢として持っています。前回、映画『サイゴン・クチュール』という作品を配給した時、監督が来日して頂きましたが、着物を主題にした日本で映画『キョート・クチュール』という作品を作りたいと、監督が話されていたんです。
—–ヴェトナムの方も日本に興味があるのは、非常に嬉しいとこですね。日本とヴェトナムの合作が、ますます広まってくれればいいですね。
熊谷さん:今回の、合作映画も何本かご用意しております。今後、両国の映画界でも、交流が増えて行くと感じています。
—–これから、日本人の若手とヴェトナム人人の若手が手を組んで、映画を制作してくれればいい流れになると思いますね。今回は、貴重なお話、ありがとうございました。
「べトナム映画祭2023」は現在、10月7日(土)より大阪府のシネ・ヌーヴォにて開催中。
(※1)ボートピープル、38年前に少女は一家でベトナム脱出した…1992年6月「あれから」<32>https://www.yomiuri.co.jp/national/20230211-OYT1T50148/(2023年10月10日)
(※2)AUTUMN MEETING SPONSORSHIP OF EVENThttps://www.purinpictures.org/autumn-meeting-2019(2023年10月10日)
(※3)「ごめんなさい、失敗でした」 日本より稼げるとイギリスへ密航、悲劇は起きたhttps://globe.asahi.com/article/14370698(2023年10月10日)
(※4)トラックの荷台でイギリス目指した女性たち……「息ができない」とBBC記者に助け求めhttps://www.bbc.com/japanese/66956464(2023年10月10日)