ドキュメンタリー映画『我が心の香港 映画監督アン・ホイ』
文・構成 スズキ トモヤ
本作『我が心の香港 映画監督アン・ホイ』香港映画界を代表する映像作家アン・ホイの監督人生に焦点を当てたドキュメンタリーだ。
70年代から80年代にかけて、香港と台湾で活発的な動きを見せたニューシネマ運動。
彼女は、その香港ニューシネマを牽引した代表的な人物にも関わらず、日本市場で彼女の名前を聞くことは、ほとんどなかった。
本作を監督したのは、衣裳デザイナー、美術監督として華々しく活躍しているマン・リムチョンだ。アン・ホイ作品の裏方として、昔から長きに亘り映像製作に取り組んでいる側近者が、本作ではカメラを回した。
本作は、2017年に発表された映画『明月幾時有 Our Time Will Come』の撮影現場の風景から始まる。
本作の主人公は、タイトルにもなっているアン・ホイ監督本人の生い立ちから映画監督としての活躍を追った構成だ。
彼女自身のパーソナルな部分でもある母親との確執にも迫っている。
日本人である母に対する反日感情、自身の中に流れている日本人の血。
複雑な家庭環境に育った彼女が、いかに自身の出自と向き合ったかが、語られる。
また、関係者でもある家族や業界人の証言を交えながら、アン・ホイという女性が、香港の映画行でどのような人物なのかが描かれる。
「香港ニューシネマ」のリーダー格として、長年香港映画界を引っ張ってきた彼女の功績を優しい眼差しで讃えた作品となっている。
皆さんは、香港の女性監督アン・ホイという方を知っているだろうか?
先にも書いたように、彼女は40年以上前から香港映画界、特に「香港ニューシネマ」を牽引してきた人物だ。
また、この監督を被写体にして本作を撮り上げた監督は、マン・リムチョンというお方だ。
彼は、アン・ホイ監督同様に、香港映画界の映画人として多くの作品を世に送り出した立役者。
初めてアジアで認められたのが、2000年の第19回香港映画祭からだ。
映画『ハートビート』において最優秀アートディレクター賞受賞したのを皮切りに、2013年に開催されたアジア映画賞においては映画『サイレント・ウォー』にて、最優秀衣裳デザイン賞も受賞している。
彼は美術監督としても、衣装デザイナーとしても、中華圏において何度も素晴らしい功績を残している。
そんなマン・リムチョン氏が、香港の女性監督アン・ホイを対象として、本作『我が心の香港 映画監督アン・ホイ』を製作し始めたのは、2016年の『明月幾時有Our Time Will Come』の撮影現場からだ。
彼らの関係は、ここから10年以上前に遡ることができる。
2002年に公開された映画『男人四十』からアン・ホイ作品に携わっている。
ここに、面白い証言があるので、少し抜粋して紹介する。
「1995年、ウェン・ニアンジョン(本作の監督の中国名)はアートディレクターのアシスタントとして正式に職業に就きました。
その間、彼はウォン・カーウァイから美しい映画術を学び「天使の涙」、「ハッピートゥギャザー」に携わった。
また、1999年に張叔平監督の「ハートビート」のアートディレクターに招待され、翌年には香港アカデミー賞のベストアートディレクターを受賞。
この時、許鞍華(アン・ホイ)もウェン氏の魅力に気づき、「男四十」の撮影に協力してほしいと頼んだ。
このことをきっかけにして、ウェン氏はアン・ホイ監督の元で多くの彼女の作品に携わるようになった。」
この記述に拠れば、95年の本格的な業界入り。2000年の『ハートビート』での評価。続く、2002年の『男人四十』が、アン・ホイ監督とマン・リムチョン氏を繋げたようだ。
本作『我が心の香港 映画監督アン・ホイ』の製作は、彼ら二人の互いの友情から始まったと、上記で引用したインタビュー記事の中でも証言している。
しかしながら、アン・ホイ監督が世界的な知名度を得るには程遠く、日本国内においても長い間、黙殺されてきた存在であることは、言うに忍びない。
中国のレビューサイトでも残念ながら「見落とされがち」という表現もされるほど、アン・ホイ監督は近代香港映画史においても影の薄い存在だ。
それでも、彼女は香港映画界、引いては香港ニューシネマにおける最重要人物であることを忘れてはならない。
ドキュメンタリー映画『我が心の香港 映画監督アン・ホイ』は、12月24日(金)から京都府の京都シネマにて、公開開始。また、兵庫県の元町映画館は、来年1月1日(土)より上映開始。
(1)香港01(2021)『《好好拍電影》文念中美指轉身做導演︰點解咁少香港導演有紀錄片』https://www.hk01.com/電影/595589/好好拍電影-文念中美指轉身做導演-點解咁少香港導演有紀錄片(2021年12月21日)