映画『蘭島行』人生の最後に、何を見つけるか

映画『蘭島行』人生の最後に、何を見つけるか

人生の悲哀と明日へのかすかな希望が織りなす映画『蘭島行』

©鎌田フィルム

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それぞれの人に必ず訪れる、人生の最終終着駅。その駅には、何が待ち受けているのか、どんな駅なのか、誰も知らない。その場所に向かって、到着した者は誰一人として帰って来ないから、誰もすべてを教えてくれない。分かっているのは、人生の最後に誰もが必ず訪れる最後の目的地。そこは天国か地獄か、行った者しか分からない。生きて来た人生や環境によって、その時の目的地は違うかもしれないが、長い人生の旅の終着点は皆、同じだ。この世に生を受けてから、生きる道は違っても、生涯の最後は等しく、私達は同じ場所に辿り着く。私達は常に見えぬ先行きに不安を感じるものの、歩んで来た道程に間違いはなかったといつでも誇りを持ち続けたい。時に後ろを振り返る時もあるかもしれないが、前だけを見続ける事がどれだけ尊いか後になって気付く。スタート地点が異なり、進むスピードに大差があっても、現在進行形で私達が向かっているゴール地点は変わる事はない。映画『蘭島行』は、北海道小樽近郊の蘭島を舞台に、パンクロッカー崩れの男が、彼の妻のふりをする天涯孤独の女、そして数年ぶりに再会した弟と過ごす数日間を描いたドラマだ。常に私達は、同じ道を走っている。その速さには個人差はあるが、常に走り続けている。最終目的地に向かって、私達は走り続けている。

蘭島は、北海道の小樽市にある地名だ。蘭島は、蘭島駅や蘭島海水浴場が有名だ。蘭島という地名の由来には、諸説あるようだが、たとえば、アイヌ語でラシュマナイ(意味:下り入る処)という言葉があるが、古えの虻田アイヌは山を越えて此処に下りて住居し、其子孫南北に蕃息(子孫繁栄)したと言う言い伝えがあり、そこからアイヌのランシュマナイという言葉が「蘭島」に変化した説。もしくは、「ラノシュマクナイran-osmak-nay「下り坂の後ろの川」」。シュマ(suma)には、アイヌ語で「岩」という意味があり、北海道ではアイヌ語で「シュマ」という語源にした地名のほとんどが、現在は「〇〇島」(※1)という地名が採用されていると言う。蘭島は、北海道以外の在住者はほとんど聞いた事がない地名だろう。小樽市は、日本で有数の有名な街だが、蘭島という地名はなかなか聞かないだろう。ここは、北海道で最初に初めて海水浴場の発祥の地となった場所だ。海辺には、「北海道海水浴場開設発祥之地」と石碑があり、蘭島駅が開業した明治35年の翌年の36年に海水浴場として開放されている。蘭島駅や海水浴場だけでなく、蘭島には多数の風光明媚な景勝地がある。畚部岬、三つの環状列石、シマベリケの白い崖、忍路の兜岩、観音坂にイカサナイ、猫泊、金勢崎の遺跡群、餅屋沢と七面山、船取山とツブタシ沢など、訪れる必要のある名勝地に溢れている。まだまだ全国的に知られている地名ではないが蘭島には多くの人々が長年、居住を構え、終の信託として選び、人生の最期を迎える準備も人いるだろう。

この物語の数人の登場人物は、ただ再会して旅をするのではなく、自殺未遂を図った高齢の母親を助けに、故郷に向かう姿が描かれている。非常に悲しい物語ではあるが、高齢の親の最期を看取る瞬間はきっと、誰の人生にも訪れる。その時、どんな気持ちで受け入れるのか、どんな行動を取れば良いのか、私達は常に試されている。実際問題、高齢者の自殺願望を持つ人(※3)は多くいると考えられている。表面に出て来ないだけで、水面下で自殺を考えている高齢者がたくさんいるのが事実だ。全国の自殺者全体のうち、高齢者が占める割合は高く、「死にたい」と考えた事がある高齢の介護者は3人に1人に上るデータもある。 高齢者の自殺の現状において、日本では高齢者の自殺率も高くなっている。近年の自殺者数全体(約2万人超)のうち、60歳代以上が占める割合は全体の約4割に達する。高齢の介護者を対象とした希死念慮の調査では、「死にたい」と考えた事がある人が3人に1人という結果も出ている。高齢者における潜在的な自殺願望を持つ人が多い事を示唆したデータだ。その主な原因となる高齢者の自殺の背景には、健康問題(身体疾患、うつ病などの精神疾患、慢性的な痛みなど)、家庭問題、経済・生活問題などが複雑に絡み合っている。その背景要因にはまず、疾病や障害により自分のことが自分でできなくなる事への身体的・精神的苦痛。負担感や家族への迷惑を考えた結果、自殺願望を引き起こす要因が考えられる。社会や家庭からの孤立や孤独が、高齢者の精神を蝕む場合もある。家族と同居していても、孤独や孤立感を感じるケース、また死別や離職などの環境変化も自殺のリスクを高める。自殺願望の防止には、退職などで社会的な役割を失い、生きがいを見失う事も影響するから生きがいの変化を与える事が大切だ。高齢者の自殺未遂の対策として、自殺を予防するためには、うつ病などの精神疾患の早期発見と適切な治療、地域での相談支援の拡充、高齢者が必要とされる場づくりなどが重要とされる。高齢者の自殺を防ぐには、一人にしない、支援の輪を広げる、必要とする場作りを提供する事が、第一優先だ。今、高齢者の自殺や自殺願望を持つ方が、年々増加している。そんな社会の中で、本作『蘭島行』は、臨終の今際において高齢者達の生きる苦しみを具現化している。いち早く、自殺念慮のサインやメッセージを受け取るには、物理的にも精神的にも親子や家族との対話が必要とされている。映画『蘭島行』を制作した鎌田監督は、あるインタビューにて本作の制作について、こう話している。

鎌田監督「前作『TOCKA[タスカー]』(2022年)では実際の事件をベースに、自分を殺してほしいと願う人をどう受け止めたらいいのかを描きました。今回は、身内の話となってしまうのですが、僕の母親に起きたことから着想しています。近しい人に起こったことに対して答えが出せず、母親を励ます言葉を言えませんでした。そのときの心境を映画にしなくては、そう思ったんです。」(※4)と話す。親の死期は、どの人にも訪れる人生の節目だ。自身が歳を重ねれば、親も一緒に歳を重ねる。それは自然の摂理ではあるが、親の死に目に立ち会うのは、つらい現実だろう。いつ、その瞬間が訪れるかは予測つかないが、その時が来る瞬間を今からでも心の準備をするのも一考だろう。

最後に、映画『蘭島行』は、北海道小樽近郊の蘭島を舞台に、パンクロッカー崩れの男が、彼の妻のふりをする天涯孤独の女、そして数年ぶりに再会した弟と過ごす数日間を描いたドラマだが、単に物理的に車に乗って、登場人物達がロードムービーを繰り広げる作品ではない。車を走らせるその先に待ち受ける予期せぬ出来事や親の臨終に立ち会う経験を通して、人生の最終終着駅の存在について思索する良い機会になるだろう。「蘭島行」とは物理的に考えたら、目的地に向かっている人の姿を捉えているが、この作品の「蘭島行」は死に行く人間の最期の姿を通して、私達の人生がどこに向かっているのか指し示している。私達が目指す最終目的地がどこにあるか分からないが、登場人物達が向かう「蘭島」とは、天国に一番近い場所なのかもしれない。人生の最後に、何を見つけるかは自分達次第だ。

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映画『蘭島行』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)蘭島の地名の由来https://otaru.jpn.org/ranshima-origin/#toc5(2025年12月25日)

(※2)蘭島の地名と風景https://otaru.jpn.org/ranshima_guide/(2025年12月25日)

(※3)特集 老年内科医に必要な精神神経疾患の知識https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/publications/other/pdf/clinical_practice_geriatrics_49_547.pdf#:~:text=*%2049%20:%20547.%20*%20%E5%9B%B3%201,Key%20words%EF%BC%9A%E8%87%AA%E6%AE%BA%EF%BC%8C%E9%AB%98%E9%BD%A2%E8%80%85%EF%BC%8C%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%81%AE%E5%8D%B1%E9%99%BA%E5%9B%A0%E5%AD%90%EF%BC%8C%E5%B8%8C%E6%AD%BB%E5%BF%B5%E6%85%AE!%20%E8%87%AA%E6%AE%BA%E5%BF%B5%E6%85%AE%EF%BC%8C%E8%87%AA%E6%AE%BA%E4%BA%88%E9%98%B2%20%EF%BC%88%E6%97%A5%E8%80%81%E5%8C%BB%E8%AA%8C%202012%EF%BC%9B49%EF%BC%9A547%E2%80%95554%EF%BC%89%20*%20%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%AB(2025年12月26日)

(※4)「うまくいかない人間を微笑ましい気持ちで見つめてもらえれば」さいはての地をさまよう者たちの物語『蘭島行』が9月20日公開。https://note.com/eiga_hiho/n/n278f025c7e6b(2025年12月26日)