映画『ストップモーション』虚構と現実の境界線に立たされて

映画『ストップモーション』虚構と現実の境界線に立たされて

それは、現実か悪夢か。映画『ストップモーション』

©Bluelight Stopmotion Limited / The British Film Institute 2023

©Bluelight Stopmotion Limited / The British Film Institute 2023

真っ当に現実世界で生きていれば、幻想という世界に迷い込む事は、まず有り得ない。現実と虚構が綯い交ぜになる事は生きている限り、まず起きる事はない。今見えている世界も、私達の生活を支配する時間も地続き存在するもので、パラレルワールドのようなもう一つの世界が存在する事はない。どれだけ違う世界、違う自身の存在、違う社会を望んだとしても、今いるこの世界から解放される事はない。私達が日々生活している社会の裏側に、もう一つの世界があったとしても、今いる世界と交わる事は何が起きてもまず無い。もし今ある世界とは別の世界に行けるとすれば、それは薬物を摂取して記憶や感覚がトリップした時か、事故や怪我で頭部に強い衝撃を受けて脳震盪を起こした時に一瞬、目の前に違う世界が出現する可能性も否定できないが、ほとんどの場合、奇を衒わずに尋常一様に普段と変わらず日常を過ごしていれば、自身の想像で作り上げた虚構世界の迷宮で彷徨う事もないだろう。映画『ストップモーション』は、現実と虚構の境界があいまいになっていく恐怖を描いた、イギリス製の心理ホラー。あなたが今生きている世界がすべて、現実の世界ではなく、虚構の世界だとしたら、あなたは何を信じるだろうか?

©Bluelight Stopmotion Limited / The British Film Institute 2023

「虚構」とは、実際にはない、作り上げたこと。作り事を仕組むこと。フィクションなど、様々な意味を持つ。仮構。事実ではないことを事実らしくつくり上げること。ありもしない事実を実際にあるように見せ掛け、人々にその世界を信じさせる力を持つ。研究論文「虚構の認知的効果および社会的機能に関する研究」における第一章「虚実の差異と同一性」の冒頭に記述されている「虚構」に関する文言が興味深い。「虚構 (フィクション) を論じる際、現実認識、つまり世界の事実に直接的に言及する表象を論じないで済ますことはできない。両者は、互いは他方ではないものとして規定せざるをえないほど相補的に関係しあっている。しかも、両者は、通常、混同されることがない。子どもはしばしば、虚構的な存在者が実在するような信念を抱く(例えばサンタクロース) が、これは現実には存在しない出来事を誤って現実と見なすこと(例えば知人が転居したことを知らずに、旧住所に住み続けていると信じている) と同様「間違った信念 (認識)」(false belief)であって虚構ではない。逆に、事実を虚構だと考えてしまう場合もある(三軒となりに住んでいる風采のあがらない老人が有名な作曲家だという事実を、どうしても信じることができない) が、これもまた誤信念である。」とあるように、目には見えない事象を恰も事実と証する事は、認知の歪みが私達の認識の中にある。幽霊や宇宙人、妖精はこの世に実在していなくても、私達人間が一方的な解釈をして、実在しているかのように錯覚させているのは周知の事実だ。またその反対に、人の噂や嘘が時に虚構にも真実にも成りうる時がある。日常のどこにでも虚構は存在し、事実との狭間に鎮座する。ただ、その事実に気付いていないのが、私達人間だ。どこまで行っても、実在する世界と作られた世界の境界線は曖昧で、その根拠を示す研究結果は存在しない。

©Bluelight Stopmotion Limited / The British Film Institute 2023

虚構という概念と同じような考え方があるとすれば、平行宇宙論、多元宇宙論と呼ばれる物理学の分野が、100年前の1895年にアメリカの哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームズによって提唱された。今までは考え方として存在し得なかった複数の世界が、この時代に提唱された価値観を境に多元宇宙の存在が認められるようになった。それまでは一つの世界軸でしか語られて来なかった時間の概念が、2以上の複数世界として認識されるようになり、今では一つの世界ではなく、何重にも時間の層が折り重なって、一つの世界ができているという考え方に波及している。多元宇宙の存在について最初に口にしたのがウィリアム・ジェームズではあるが、後に多くの物理学者がこの分野の研究を始め、その存在を肯定し、認定し始めた。多元宇宙論(多元空間論・マルチバース)の研究分野で有名な多くの学者の中でも、量子計算理論の先駆者であり、量子力学における多世界解釈を支持しているイギリスの物理学者のデイヴィッド・エリーザー・ドイッチュは言う。「われわれは観念の歴史の意義深い瞬間、われわれの理解の範囲が完全に普遍的になり始める瞬間に到達している。 これまでのわれわれの理解は、 実在のある側面、全体を代表しない側面のみにかかわっていた。だが未来には、 我々の理解は実在について統一された考えにかかわるものになるだろう。」と、現代における多世界解釈への理解が多重に世界が存在すると及んでないが、未来における人間の理解は今私達が見えている側面の世界だけでなく、多重に存在する世界の存在を認めて行く事となる。その時、作り上げられた虚構の世界と現実の世界が、同じ世界線で語られるようになる。映画『ストップモーション』を制作したロバート・モーガン監督は、あるインタビューにて本作のインスピレーションについてこう話す。

©Bluelight Stopmotion Limited / The British Film Institute 2023

モーガン監督:「私はストップモーションアニメーターなので、そこからアイデアが生まれました。私は多くの短編映画を制作してきましたが、ストップモーションアニメーションのプロセス自体がかなり興味深いプロセスであると常に感じていました。ストップモーションアニメーションが職業としてスクリーンに描かれているのを見たことがなかったので、それが最初のアイデアでした。それから、それと融合したもう 1 つのことは、基本的に、人形を扱うときに、人形が生き返ったように見えるという奇妙で不思議なことが時々起こることです。私は、キャラクターが独自の目的を持っているという感覚を持った短編映画を制作していました。それで、この 2つのことが融合しました。どんな芸術作品に取り組んでいるときでも、それが生き返ったように感じ始めると爽快です。必ずしも完全に制御できるわけではないようです。それは一種のエキサイティングな状況ですが、少し怖いこともあります。」(※2)と話す。実際、このストップモーションの世界もまた、多元宇宙(平行世界)の一部であり、誰かが誰かの人生を1秒単位、一コマ単位で操っているのかもしれない。自ら作り上げた虚構の世界に迷い込み、現実の世界と混同を起こす映画の中の主人公の女性は、自身の本当の人生、空想の世界、ストップモーションにおける人形達の世界のすべてが記憶と認識の中で撹拌され、認知の迷宮に迷い込んでいる。

最後に、映画『ストップモーション』は、現実と虚構の境界があいまいになっていく恐怖を描いた、イギリス製の心理ホラーであるが、実際、今私達が生きているこの世界が、本当の世界と言えるだろうか?生まれてからずっと見てきた世界が、本当はすべて虚構の世界であり、もう一人の自分が今の本当の自分の人生を乗っ取り、生まれてから過ごしていると仮定すれば、本当の世界線が別に存在すると考えられる。私達の本当の人生は、どこにあるのか?まさに今見ている世界が、虚構と現実の境界線に立たされているのかもしれない。

©Bluelight Stopmotion Limited / The British Film Institute 2023

映画『ストップモーション』は現在、全国の劇場にて公開中。

(※1)虚構の認知的効果および社会的機能に関する研究https://drive.google.com/file/d/1Rqgn9q2Vl8-tVqvegdXv7Mbtb5_NBSM6/view?usp=drivesdk(2025年2月11日)

(※2)“It’s a slow, rhythmic process, and very gradually this thing comes alive” – Director Robert Morgan Talks Stopmotionhttps://filmhounds.co.uk/2024/06/stopmotion-robert-morgan-interview/(2025年2月12日)