映画『幽霊はわがままな夢を見る』「どこを自分の小さな成功にするか」グ・スーヨン監督インタビュー

映画『幽霊はわがままな夢を見る』「どこを自分の小さな成功にするか」グ・スーヨン監督インタビュー

2024年8月25日

映画『幽霊はわがままな夢を見る』グ・スーヨン監督インタビュー

©株式会社トミーズ芸能社

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—–本作は、ご出演の加藤雅也さんの一声から制作が始まったそうですが、この件も含めて、本作の制作経緯や舞台裏などをお聞かせ頂けますか?

グ・スーヨン監督:元々、加藤雅也さんと僕は20代前半の頃からの友達だったんです。少しブランクがあるんですが、15年ぐらい前に再会して、何か映画を作りたいねと話はずっとしていました。加藤さんは、割と地方映画に出ておられて、奈良の短編で主演の深町友里恵さんと共演した折に彼女と同じ下関出身だった僕の話になったそうです。そして、加藤さんに深町さんを紹介してもらって、「下関出身の女優がいて、監督がいるんだから、映画撮れるよね」という話から、制作が始まったんです。そんな話はたくさんあって、大体、実現しない事が多いんですが、深町さんの知り合いが僕の後輩だったり、と偶然の縁もあり、成立した珍しい映画だと思います。

—–今回、加藤さんの声から制作が始まった点、地方を大切にされている事にも興味を持たせて頂きました。地方映画を大切にされている点、監督はどう思いますか?

グ・スーヨン監督:実際、映画はみんなのもので、iphoneでも撮れる時代になりした。加藤さんは今後の業界をすごく考えていて、 地方にいたから映画に携われない訳ではなく、あらゆる垣根を取り払って、好きな映画を撮ればいい、どんどん盛り上げて行こう、という気持ちが、あるようです。

—–東京から見れば、正直、大阪も地方です。中心部だけ都会であって、都心から外れたら、すべて田舎で、地方です。でも、中心街から外れた場所でも活動はできるんじゃないかと。

グ・スーヨン監督:十分、できます。確かに、映画と言えば、多くの人やたくさんのお金がかかるものです。少ない環境の中、アイデアで色々作っていかないといけません。加藤さんは人材の事もすごく大切に考えていて、これから育成するのに若い人達が夢を諦めるような事があってはいけないんじゃないかと、一生懸命考えられています。こんな小さい作品でも、本当に進んで出演して頂ける点は、感謝でしかありません。ただ、なかなか成立しないんですよ。何本も話は浮かびますが、すべて潰れて行くのが現状です。そんな中、今回は縁や偶然が重なって、完成したんです。地元の皆さんの協力があってこそです。

—-でも下関はこれから、何か映画の関係でも伸びて行くのではないかと感じています。例えば、シネマポストという映画館ができましたが、映画文化の担い手が地方で生まれる事は非常に大切な事だと思います。

グ・スーヨン監督:シネマポストの方も今回は相当、頑張っていただいて、作品に参加して頂いています。その昔、下関では7館ぐらい、映画館がありました。今はシネマサンシャインの一つしかなくて、それも寂しい話です。

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—–タイトル「幽霊はわがままな夢を見る」ですが、正直、作品を見ていても、私の中では物語とタイトルがピンと結ばれる点が見当たらなかったんですが、本作の全体像や物語を踏まえて、タイトルから連想するこの作品の方向性はなんでしょうか?

グ・スーヨン監督:夢を持って生きろとずっと言われますが、夢とわがままは同じようなものだと思っているんです。言い方が違うだけで、ただのわがままで夢で、それを実現させるために、いろんな努力をしたり、戦ったりしているんです。ただそれが上手く行く人は、少ないじゃないですか。僕も、東京で役者さんになりたいという若者をたくさん見て来ました。たくさんの若者が業界に入って来るんですが、30歳を超えたあたりで、みんな諦めて、業界からいなくなっちゃうんです。中には非常に悲しい選択する若い子もいる訳です。それを見ていて、もどかしい気持ちが僕の中にあって、悲しい選択をする必要はないんじゃないかなというのが、元々あった言いたい事の一つだったんです。どうであれ、生きちゃっているから、生きればいいんじゃないという映画です。その死生観を表すのに、ファンタジーとして幽霊を登場させました。それは、夢なのか、わがままなのかという事をリンクさせ、複数の物語を同時に進行させています。そして、結果的にこのタイトルになったんです。生きる事自体、本当にたまたま生まれた訳ですよね。偶然に生まれた訳で。僕も、日本で在日というめんどくさい場所に生まれて、なんだよ!って最初は思いました。なんで、こんな場所に生まれなければいけなかったんだって感じていました。解決はしませんが、気持ちの整理のつけ方みたいな心の整理の仕方が必要です。これで十分なんじゃないかという、ある種の納得だと思うんです。だから、もっと言えば、生きちゃっているからしょうがないよね、生きなきゃというだけの事です。死んで幽霊になれるんだったら、別に死んでもいいかなと。でも、幽霊になれるかどうか分かんないですから。

—–若手でこう、30歳になったら夢を諦めてしまうというそのお話には、グッと来るものがありました。正直、僕は真逆で、30歳になってから、夢を追いかけたんです。本当は、10代後半には映画業界への意識はあったんですが、ちょっと現実的な事を考えると踏み切れなくて、違う分野に行ったんです。でも、何年も時間を重ねて、映画の事が好きだと再認識させられたんです。その点はもう、偽らざる真実です。勇気を出して、30歳になってから映画の世界に飛び込みました。苦痛も焦りもありますが、今が楽しいです。

グ・スーヨン監督:好きなものを才能ないから、お前、やめろって言われても、やめらんないですよね。

—–あとは人に迷惑をかけないとか、生活をちゃんとするとか。

グ・スーヨン監督:それさえ、どうでもいいと、僕は思います。人に迷惑かけるのは程度問題で、 一人じゃ生きていけない訳ですから、いろんな人に助けてもらわなきゃ生きて行けない。迷惑かける事も、ありです。オッケーだと思います。生きてさえいれば、それでいいと思います。生きちゃっているんだから、生きてればいいんです。どんな形でもいいから、生きとけよというのが、今回の映画の一つのテーマです。

—–今の若い世代に響いて欲しいですね。

グ・スーヨン監督:諦めても、構わないんです。夢だって、たまたま自分の情報や自分の生活で好きになった訳ですよね。でも逆に、役者やりたくて入ったけど、スタッフ側に回ってみたら、意外にそれがまた面白くて、結局裏方に回る人もたくさんいるんです。夢はそこら辺にたくさん落ちています。好きなものも変わって行きます。だから、その一つの事がダメになって落ち込んでも、落ち込まなくていいんです。地方で他に仕事をしながら映画を撮りたい、映画を撮ってみたい。また、役者をやりたいと目指す人も皆、全然できるんです。そんな方たちに観てもらって、これくらいの映画だったら撮れるんじゃないかと思って欲しい想いもあります。

—–加藤雅也さんのお考えも非常に理解ができ、私も今、目指しているのは、地方で生まれ育った人は私含め、東京行かないと成功しないというイメージもあると思いますが、 地方でもできるんだよというのをちゃんと証明したいと思っています。地方で書き手として、夢を追ってもらってもいいんじゃないのかなと考えているんです。だから、加藤さんの地方でも活動できるというお考えは、すごく力強い言葉だと思います。

グ・スーヨン監督:映画を作る事は、どこでもできると思います。本当、俺みたいなろくでなしが生きていて、映画撮ってんだから、お前大丈夫だよって伝えたいです。こんなろくでなしが、好き勝手やれているんだから、あなた達の方がもっとちゃんとやれるよと、若い人に言いたいですね。昔九州の専門学校に呼ばれて、映像の特別講習を何回かやったことがあるんですが、その時とある10代後半の男の子と知り合ったんです。彼は脚本家を目指して東京に出てきたんですが、色々な事情や病気もあり、脚本を諦めて、違う仕事に就いていました。その男の子が、久々にこの映画を観て、また脚本を書くと言ってくれたんです。そんな小さな成功でいいと思います。この主役の深町さんも20歳過ぎて東京に出てきて、なかなか思うようには行かないと。出てきたらすぐ売れるつもりで来たのに、なかなか思い通りにいかない。思い悩んでいる気持ちを聞いて、映画の最初のネタになりました。 実際、本当に一番悲しい選択をする方が何人かいて、 なんか頭に来たりするんです。なんで僕は頭に来てんのかなとずっと考えていて、全体的に何かがふわっとリンクすると思って、ふわっとしたままやろうと考えたのが、この映画です。これが下関で先行公開され、東京で公開され、大阪で公開でき、京都でも上映がされ、これこそが、小さな成功だと思います。

—–全国でも少しずつ動いているじゃないですか。北海道も決まっていて、これは大きい事だと思います。

グ・スーヨン監督:映画はもう、本当に地味ですが、 でも観てくれている方もいて、映画関係の大手の連中も作品を観てくれて、下手すると、お前の映画で一番よかったんじゃないかと言われました笑。

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—–映画の主題になっているラジオドラマは、今の時代、世の中にない分野かなと私は思いますが、本作が持つラジオドラマの魅力、重要性とは何でしょうか?

グ・スーヨン監督:今の視聴者は与えられるばっかりで、自分の想像力を使わなくなった点。これが一番、スキルとしてダメなところです。映画を作る側もスキルや才能が必要ですが、観る側にも才能が必要だと僕は思っています。だから、観る側の才能を上げるためには、想像力が一つのポイントだと。ラジオは、非常に想像力を上げる事ができるコンテンツ。想像する、思考する、これが楽しいんですよね。答えを言われると、興醒めなんです。セリフですべて言っちゃったら、観る側の想像力も失われてしまう想像するからこそ楽しいと思います。

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—–では、「耳なし芳一」の逸話が下関にある赤間神社が発祥の地だと言われていますが、本作においてこの題材が今の季節、夏にもマッチしていると私は思いますが、現代において「耳なし芳一」が作品に対して、必要とされる由縁とは、何でしょうか?

グ・スーヨン監督:彼は本当に目が見えなくて、琵琶を頑張って上手になって、平家物語を歌って、それが運悪く、お化けに気に入られて、連れて行かれる物語ですが、要するに、努力はなかなか、報われないんです。最後には、耳まで引きちぎられてしまう。でも、その話が有名になって、彼はその後、成功して、人気になった言い伝えはありますよね。残念ながら、現実は厳しい世界です。でも、そこの中でなにを小さい成功にするのか。ここで言うと、「耳は無くなったけどお前まだ、生きてんじゃん。」という。みんながみんな、儲かる訳ないですし、みんながみんな成功する訳じゃないですよね。上を見ればキリがないです。どこを自分の小さな成功にして、それを次の行動の原動力として、どう変えて行くか。結局、夢を諦めて、下関に帰った彼女は、どうなったのかと言われれば、結局、死ぬのはやめたというだけの話です。役者を続けるのか、役者を辞めてお父さんのラジオを手伝うのか。それは、分かりません。彼女次第です。それは、実はどうでもいいんです。どっちでも。

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—–最後に、映画『幽霊はわがままな夢を見る』が、今回の上映を通して、どう広がって欲しいなど、何かございますか?

グ・スーヨン監督:もうそれは、加藤さんと話しているように、ある種の地方発信の映画の一つの小さな成功例になってくれればいいなと願っています。ここまで来ると本当に小さい成功だと思います。これが成立して、みんなが観てくれる。劇場で公開できる事は、 本当に僕自身も励みになります。ちょっとした小さい希望になってもらえれば嬉しいです。監督になりたい、スタッフやりたいとか、脚本を書きたいと業界を目指している若い方にはぜひ観て頂き、こんなんだったら、俺らにもできると絶対に思うと思いますので、是非、頑張ってほしいと思います。

—–貴重なお話、ありがとうございました。

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映画『幽霊はわがままな夢を見る』は現在、関西では8月23日(金)より京都府のアップリンク京都にて上映中。