考える事が、罪?映画『流麻溝十五号』
世界には、語られない物語がたくさんある。歴史の闇に葬られ、語りたくても口を閉ざさなければならない悲しい出来事が、起きている。なぜ、口を閉ざさなけれならないのか?なぜ、声を上げる事ができないのか?弾圧は、人の心を毒のように蝕んで行く。語りたくても、語れない。伝えたくても、伝えられない。あの時受けた苦しみを、誰にも共有できない苦しみ。何年にも、何重にも重なる重しのような境遇に翻弄されながら、明日の光を夢見て生きた人々。弾圧は、いつ誰の前にも立ちはだかる。不条理は、姿かたちを変えて必ず襲って来る。理不尽な出来事は、常日頃から日常と隣り合わせだ。考える事を止めた時、人は何も持たない生身の生き物になってしまう。考えるからこそ、知識を養うからこそ、知恵を身に付けるからこそ、人は人として生きられる。考える事の大切さを基調に描いた本作『流麻溝十五号』は、1953年、政治的弾圧が続く台湾では、罪を課せられた者は思想改造および教育・更生のため緑島に収監されていた。連行された者は名前ではなく番号で呼ばれ、重労働を強いられた。台湾国民政府による恐怖政治下で戒厳令が敷かれていた「白色テロ」時代に、政治犯収容を目的とした教育施設と監獄のある緑島で生きる女性たちの姿を、実在した複数の人物を3人の女性に投影して描いたドラマだ。映画は、1953年の白色テロ時代の日々に焦点を当てた作品ではあるが、実際の歴史では1987年の凡そ30年間、政治的弾圧が続いていた。その多くを語られる事もなく、時代だけが過ぎた今、再度私達はこの事実に目を背けず、しっかり直視し、理解する事が大切だ。また、このあまり聞き慣れないタイトルの「流麻溝十五号」とは、政治犯として収容された女性達が住む住所を指している。名前も、育成歴も、何もかも奪われ、番号だけで呼ばれた女性達の苦しみは、今を平和に生きる私達には到底、想像できないだろう。謂れ無き罪に翻弄され、暴力の日々に野ざらしにされ、それでも前を向いて明るい未来に思いを馳せた女性達の根底にあった生きる意志の気力は、何であったのだろうか?それは、強く逞しく生きる事。生きる事そのものが、この現状に対する抗いを意味していたのだろう。歴史の闇に葬られながらも、世界中の至る所に、その人が必死に生きたであろう証が必ずある。私達は、この作品を通して、その生きた証に直面しなければならない。あなたの目で見たその目撃が、必ずや世界の未来で役立てるに違いない。すべての真実は、あなたの目に宿る。
第二次世界大戦後に起きた台湾の「白色テロ時代」は、「1947年2月28日に台湾の台北市で発生した“二・二八事件”以降、反体制派に対して政治的弾圧が行われた時代。 1947年と1949年から、2度戒厳令が敷かれ、1987年に解かれるまで、40年にわたって恐怖政治が続いた。」(※1)とされるも、日本ではその全貌がほとんど語られていない闇の歴史だ。この白色テロ時代を描いた台湾の児童漫画「台湾の少年」を書いた作者たちは、「日本ではあまり光が当たらないこの台湾の歴史について知ってほしいと願っている。」(※2)と、強い願いを持っている。台湾映画界では、1987年の解放後すぐに、台湾の巨匠であるホウ・シャオシェン監督が、1989年に制作した映画『悲情城市』以降、1993年の映画『戯夢人生』、1995年の映画『好男好女』の三作に渡って、この40年間に台湾で行われた政治的弾圧の白色テロ時代を真正面から描いたのは有名だ。台湾現代史三部作の位置付けであるが、これを知っている世代が少しずつ少なくなっている。また、ホウ・シャオシェン作品以外にも、同監督と同時代を分かち合ったエドワード・ヤン監督の代表作『牯嶺街少年殺人事件』もまた、作品の背景には白色テロ時代が描かれている。ヤン・ヤーチェ監督による2012年公開の映画『GF*BF』では、白色テロ末期の1985年が舞台となっている。近年、公開された台湾ホラー映画『返校』も白色テロ時代の台湾の社会的空気感をホラー仕立てに描く。また小説では、複数の台湾系アメリカ人作家が二・二八事件を題材とする小説『The Third Son』は、事件とその余波を台湾人少年の視線で描いている。ジェニファー・J・チョウの『The 228 Legacy』は、チョウの夫とその親戚が二・二八事件について語った内容に基づき執筆され、ロサンゼルス在住の台湾系家族が3世代にわたって過去の出来事に翻弄される姿を克明に描く。また、ショーナ・ヤン・ ライアンの『GREEN ISLAND』では、二・二八事件を生き延びた医師とアメリカに渡った娘の姿を追った物語が展開されている。映画や小説で幾度となく描かれてきた二・二八事件と白色テロ時代だが、今の日本人(特に若い世代)には一つも浸透していないのが現実。この時代に何が起きたのか、ほとんど語られる事もなく、今の時代に突入してしまった以上、台湾で何が起きていたのかを誰も知る由がない。だからこそ、映像作品や書籍を通して、少しずつでもいいから、訴えていかなければならないだろう。
映画では、二・二八事件を発端に起きた白色テロ時代の迫害の歴史の全体の一部を描いているが、この迫害の歴史の記憶は拭いたくても、忘れる事のできない壮絶な凌辱と暴力が繰り返された時代だ。この二・二八事件(※3)とは、1947年、台湾で住民に対して当局による大虐殺事件が起きた。2月28日の日付が発端なので「二・二八事件」と呼ばれている。この政治的弾圧は、40年にも渡り、大戦後の台湾で行われて来た歴史的世界的に鑑みても、世界中から鋭く非難されてもおかしくない本当に酷い弾圧の歴史だ。言われも無い罪に問われながらも、抗い続けた台湾国民たち。国家権力が国民に牙を向いた時、その国の小さな少国民はどんな抵抗を示しても、国民の力は国家の足元にも到底及びもしない。私達個人の力は小さな力かもしれないが、一人、二人と群衆が集まり、100人、200人、300人と抗う仲間が増えて行けば、そのパワーは数百倍、数千倍、数万倍の力で抵抗する事ができる。弾圧の歴史は、この白色テロ時代の台湾だけでなく、日本における長崎のキリスト教信者への弾圧、また世界中の女性達が女性として女性の権利を長年剥奪され続けて来た歴史的事実もまた、弾圧の一種だ。また、日本の戦後における女性の社会的地位の変化に関する研究一大学の女子学生に対するアンケートの分析よりみたる一によれば、「日本の近代化の第一歩として、明治4年(1871) 文部省は、一般の女子も男子と同じように教育を受けさせるべきであるとし、男女同等の初等教育の原則を確立した。 しかし女子教育の目的は、女性個人の人格的向上を目指すより、むしろ良妻賢母を育成することであり、富国強兵を実現するための一手段に過ぎなかった。」(※4)とあるように、明治時代の日本人女性への扱いは、ほとんど良き妻、良き母を作る事が、日本を良りよい国に作り上げる為だけの目的であったと考えられる。それでも、日本の戦後における女性の社会的地位向上は、ゆっくりのペースではあるが、上がっている。「昭和21年(1946年)4月。婦人は、日本の歴史始まって以来最初の婦人参政権を行使した。83名の婦人立候補者中、39名が当選し、戦後はじめての女性議員が、国会に送り出された。」とあるように、戦後日本における女性の権利の向上が見られた。台湾では、長らく続く白色テロ時代であったが、その一方で、日本はいち早く文化や価値観の改正に乗り上げている。同時期でありながら、まったく違う道を歩み始めた日本と台湾だが、現在でも女性や女性のみに関わらず、地位や権利の低いコミュニティが今でも存在する点、まだ時代の価値観は追い付いておらず、今の時代は明治や大正、昭和初期から終戦直後の価値観が根強く残っている一面もある事を覚えておきたい。映画『流麻溝十五号』を制作したゼロ・チョウ監督は、あるインタビューにて本作において、「異なる民族、立場、階級の登場人物の複雑な感情を理解しようとしている監督の姿が見えますが、伝えようとしている心遣いとは何でしょうか?」という質問に対して、こう答えている。
周:“當我實際面對這些政治受難前輩時,會發現即使遭遇著如此不公平的待遇,最後出獄回到社會都還是秉持著自己的傲骨,沒有因此變成壞人,或對社會失去信心,生命是發著光,他們提醒我們:人生如此困難但都要堅持初衷與信念。這樣的體悟也讓我希望這部電影的最後是可以隱惡揚善,讓觀眾相信人性本善,即使是獄中的軍官或管理階層,他們可能是為上級長官執行錯誤指令的加害者,但我也將他們的人性呈現出來。我覺得來到這個時代,更能發現臺灣人有很好的質地,而我們不分省籍與階層,都受到這座島嶼土地的滋養,度過一次又一次的難關”(※5)
チョウ監督:「実際に政治的に苦しめられた先人たちと向き合ってみると、彼らはあんなに不当な扱いを受けながらも、刑務所から出所して社会に戻っても、悪人になったり、社会に対する自信を失ったりすることはなく、誇りを保っていたことがわかります。人生は輝いています、そして彼らは私たちに、人生はとても難しいですが、私たちは最初の意図と信念に固執しなければならないことを思い出させます。この認識により、この映画の結末が悪を隠し善を促進し、刑務所の役人や管理者でさえも上司の間違った指示を実行する加害者である可能性があると観客に信じさせることができるのではないかと期待させられます。それは彼らの人間性も引き出します。この時代、台湾人は省や階級を問わず、この島の大地に養われ、何度も困難を乗り越えてきた、とても良い資質を持っていることが分かると思います。 」と、チョウ監督は話す。どれだけ苦しい環境下であろうと、どれだけ人権を踏み躙られようが、明日の希望を信じて、悪の道には行かなかった彼女達の強き精神へのリスペクトが、作品に現れているのだろう。善は、必ず悪に勝つ。勧善懲悪の世界を信じて、何があっても、悪に勝る善の力を信じれる世界や社会をこの手で作っていかなければならない。
最後に、映画『流麻溝十五号』は、1953年、政治的弾圧が続く台湾では、罪を課せられた者は思想改造および教育・更生のため緑島に収監されていた。連行された者は名前ではなく番号で呼ばれ、重労働を強いられた。台湾国民政府による恐怖政治下で戒厳令が敷かれていた「白色テロ」時代に生きた女性の姿に迫った作品だ。作品のエンドクレジットに流れるOlivia Tsao(曹雅雯)が歌う本作が使用している書き下ろしの楽曲「永遠的所在 (盧律銘 Presents 曹雅雯)」の歌詞には(Olivia Tsao自身が作詞)、「佇無邊無岸的牆 遮有一群 斷翅的鳥 對叨位來 無人會知(終わりのない壁 翼の折れた鳥の群れに覆われている あなたがどこから来たのか誰も知らない)」とあるように、この時代に生きた名も無き女性達の運命と悲哀を綴る。彼女達のように、現在の社会でも政治的弾圧が行われている国が、台湾以外にも存在する。たとえば、香港では中国政府の弾圧から香港民主化運動が勃発した。香港だけでなく、ミャンマーでも軍事政権が実権を握り、多くのミャンマー国民が声を上げている。また、同国には政府によるロヒンギャ族への差別・迫害(※6)も横行しており、早急に解決しなければならない問題が起きている。また、今年7月にはバングラデシュにて、学生達によるデモが起きた(※7)。政府の退役軍人の家族に対する優遇に対する不平不満が、一気に爆発した結果、大規模な学生デモが行われた。彼等もまた、バングラデシュ政府の政治的弾圧に屈しなかった学生達だ。今もこうして、どこかの国で政治的弾圧に苦しむ人々が、台湾の白色テロ時代に生きた人々と同じように存在する。今も、この白色テロ時代は台湾以外で続いている。白色テロ時代は、1987年の台湾で終焉を迎えたが、今の時代に弾圧に苦しむ人々がいる限り、白色テロ時代に終わりはない。流麻溝十五号から世界へ。
映画『流麻溝十五号』は現在、全国の劇場にて公開中。
(※1)1953年、白色テロ時代の台湾で、自由を制限されながら語ることをあきらめなかった女性たちの物語 映画『流麻溝十五号』https://otocoto.jp/news/untoldherstory0513/(2024年8月20日)
(※2)「白色テロ」を知っていますか 邦訳の漫画「台湾の少年」が描く史実https://www.asahi.com/articles/ASR3N5SYKR3JUCVL04D.html(2024年8月20日)
(※3)台湾2・28事件で父親が犠牲になった日本人男性が語る平和への想いhttps://rkb.jp/article/90410/(2024年8月20日)
(※4)戦後における女性の社会的地位の変化に関する研究一大学の女子学生に対するアンケートの分析よりみたる一https://drive.google.com/file/d/1fnpUBzkpHrYJf1AbGINb60x9JWxAsADs/view?usp=drivesdk(2024年8月21日)
(※5)【2022 雄影】抓準時機,直球對決臺灣電影的小警總——專訪《流麻溝十五號》出品人姚文智與導演周美玲https://funscreen.tfai.org.tw/article/38238(2024年8月21日)
(※6)ロヒンギャ難民問題―世界で最も迫害された少数民族https://aarjapan.gr.jp/commentary/992/(2024年8月21日)
(※7)バングラデシュ 大規模デモ 警察と衝突 “約650人死亡”国連https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240817/k10014551271000.html(2024年8月21日)