全世界が騙される映画『ARGYLLE/アーガイル』
スパイは、きっとどこにでもいる。私達が気付いていないだけで、日常の風景に溶け込んでいる。令和のこの時代に、スパイの存在が時代錯誤と感じるかもしれないが、諜報活動は盛んに行われている。代表的な北朝鮮のスパイ活動を筆頭に、アジアでは日本、韓国、中国。北米ではアメリカ、カナダ。欧米では、イギリス、フランス、ドイツ。中近東では、アフガニスタンやパキスタン、イスラエル。その他の地域の国では、インド、オーストラリア、南アフリカ共和国、そしてロシア。これらの国には実在する諜報機関が設置され、国家の安全保障における他国の情報(インテリジェンス)の収集や分析を行うスペシャリスト達が集結している(※1)。日本では、内閣情報調査室(CIRO)。アメリカでは、最も有名な中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)、アメリカ国家安全保障局(NSA)。イギリスには、秘密情報局(MI6)。日本のお隣の韓国は、国家情報院(NIS)。中国には、中華人民共和国国家安全部(MSS)。ロシアには、ロシア連邦保安庁(FSB)、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)がそれぞれ存在し、それぞれの国家が日夜、諜報活動(スパイ活動)を行っている。実際、スパイは身近な存在ではないため、本当に実在するのかどうか検討も付かないだろう。彼らは普段着を着込み、一般人と何ら変わらない生活をしているため、私達はスパイがどこにいるのか見つける事はできない。でも、お隣に住んでいたら?あのメガネを掛けた大人しめの青年が、夜には自室で諜報活動をしていたら?街中にいる少し小汚いおじさんの裏の顔は、パリッとした高級スーツを着こなすベテランスパイだったら?と、頭の中で想像すると日々生活している日常の色は、大きく変わるだろう。実は、スパイは私達の日常の至る所にいる。過去に大活躍したであろう彼らは、今もひっそりと息を潜めて、どこかで暮らしている。過去と今が結ばれると、それは一本の線になる。その線の先には、何が待ち受けているのだろうか?ナウ・アンド・ゼン。時には、ふとそんな事も考えてしまうだろう。昨日という日が今日になり、今日という日が明日になるように、過去は自ずと今になる。過去に存在したスパイは、今どこで何をしているのだろうか?過去と今を結ぶ何かが、私達を存在させている。ときに、昔を振り返り懐古的になると、今の生活がきっと輝いて感じるだろう。過去と現在について、哲学的に推察したら、ドイツの哲学者ハイデガーが、「未来が過去を決定し、現在を生成する。」という言葉を残している。未来と過去と現在は、一本の見えない線で繋がっている。
映画『ARGYLLE/アーガイル』は、イギリス製の極上なスパイ映画だが、この作品をゴージャスにも煌びやかにも彩る要素は何と言っても、劇中使用曲の洋楽達が、作品の質を2倍にも3倍にも磨きをかけている。他の多くの媒体でも取り上げているほど、本作のOSTは非常に注目を浴びている。格別、このレビューで取り上げるほどでもないが、避けては通れない作品の重要度を占めていると言わなくてはいけないほど、作品と音楽がマッチしている。本作の良い部分は音楽であり、下支えとなって娯楽性の高い作品に仕上げている。作品そのものが100%の出来でもあるが、音楽という存在がその100%をも凌駕する勢いを持つ。映像と音楽が一つの娯楽や芸術として融合する時、それは完成型の最終形態に姿を変える。それが、映画という存在だ。細分良く、映像と音楽が調度良い配分で調合されている映画はなかなか出会えないが、見事に2つの良い点が結びついていると言えるのが、本作『ARGYLLE/アーガイル』だ。スパイ映画のスピード感と洋楽のスタイリッシュな要素が目覚ましく配合された瞬間、その作品は他の作品とは違うワンランク上の別の次元へと好転させる。
この作品で最初に流れるのが、バリー・ホワイトが歌う「You’re The First, The Last, My Everything」だ。軽快なダンス・ミュージックが、作品冒頭を彩る仕掛けとなっている。
2曲目は、電車内におけるアクション乱闘場面だ。ドラァグクイーンのシルヴェスター。ディスコサウンドで名を馳せたレコーディング・アーティストのパトリック・カウリーと出会い、当時のダンス・ミュージックのジャンルで有名なシンセサイザーを多用したハイエナジーサウンドを全面に打ち出した「Do You Wanna Funk」「Don’t Stop」などのビッグヒットがあり、本作が採用したのが全車の「Do You Wanna Funk」だ。
3曲目は、本作「Electric Energy」のために書き下ろされた新曲だが、どこか聞いた事もある懐かしのサウンドが注目だ。作中の格闘シーンやエンドロールで流れる。70、80年代に流行ったようなソウル/ディスコ・ナンバーのようにも聞こえるこの映画のためだけの楽曲提供だ。
4曲は、アメリカを代表する歌手レオナ・ルイスの代表曲「Run」が、作品中盤の最も見所な場面で堂々とした佇まいで私達の鼓膜を震わせる。
最後に、エンド・クレジットで流れる「Get Up and Start Again」は、先程紹介した楽曲「Electric Energy」も歌唱しているアリアナ・デボーズが歌うイギリスのスパイ映画として有名な名作シリーズを彷彿とされるビロードの雰囲気が素晴らしい。
各々の楽曲が、本作に華を添え、色味を与えているゴージャスな作品に昇華されている。本作の監督作品は過去作含め、この楽曲選定や楽曲センスにもまた、作品を楽しむためのヒントが隠されている。映画と音楽は、文化や芸術という括りで一つにする事ができ、この2つは切っても切れない見えない関係性がある。作品を楽しむために、まずは本作で使用されている楽曲から入っていくのも一興だ。
そして、この作品における音楽で忘れてはいけないのが、昨年世界中でリリースされたザ・ビートルズの最後の新曲「ナウ・アンド・ゼン」だ。この英語の成句「Now And Then」を本来の意味で翻訳すれば、「時には」や「時々」という意味になる。この「Now And Then」の場合の表現は、特定の行動や事象が頻繁には起こらず、しかし完全には止まっていない状況を指す言葉として英語圏では使われている。解釈が非常に難しいが、具体的な一例を出すとするのであれば、「Now and then, he meets an old friend(彼は時折、古い友人と会う)」という例文の場合、旧友とは暫くの間、会うことはしていないが、彼らの関係性が完全に縁が切れず、疎遠になっていない状態を指していると解釈できる。ただ、少し違った角度から解釈をしてみると、この「Now And Then」には、「今と過去(あの時)」というように、この言葉一つで過去現在未来という通解ができるのではないだろうか?本作では、このザ・ビートルズの最後の新曲「ナウ・アンド・ゼン」が、非常に重要な場面で、複数回使用されており、主人公2人の「過去と現在」、「現在と未来」を表現しているようにも使用されている。あの時の私達の関係性はこうだったが、今の私達の関係性には大きな変化をもたらしている。過去とは、一体何なのか?現在の私達の存在とは、一体何なのか?そして、未来という時間は一体何なのか?過去、現在、未来と連なる時間の連続性は、昔からあらゆる分野で取り上げられ、研究され続けているが、その真の意味は未だ解明されていない。ただ、最もポピュラーな解釈では、時間的連続性(一貫性)とは、過去の自分(過去の時点は複数設定できるから過去の自分も多層的である)と現在の自分との間の連続性(一貫性)のことであり、空間的連続性(一貫性)とは、日常生活のさまざまな場面における自己の連続性(一貫性)を指している。たとえば、哲学の世界では、この時間的連続性について、どう解釈されているかと言えば、5世紀の哲学者アウグスティヌス(Aurelius Augustinus)は時間について、「誰も私に尋ねなければ、私はそれを知っている。私に尋ねる人にそれを説明しようとすると、私はそれを知らない」と述べているが、これは哲学史において最初期に語られた時間に関する解釈だ。それから時は巡り、多くの哲学者が時間について、様々な解釈を述べて来ているが、21世紀の現在、「時間がない」者が時間を超える。これこそ時間の究極のパラドックスであり、永遠というものの本質ではないだろうか(※2)と、時間という存在の連続性や永遠性について、私達に問いかける。日々、時間に拘束される私達だが、その時間を超越した時、私達は時間という概念から解放され、永遠という概念を手に入れる事ができる。ザ・ビートルズの最後の新曲「ナウ・アンド・ゼン」は、この時間の重要性について歌った楽曲かもしれない。このオフィシャル・ビデオを観ても分かるように、彼らザ・ビートルズの過去と現在が、映像のモンタージュとして紡がれている。あの頃の彼らザ・ビートルズと現在のザ・ビートルズ。時が過ぎ行くのは楽しみでもり、老いを考えると恐ろしいものでもあるが、過去、現在、未来を結ぶものは時間だけでなく、その時代やその時を過ごした人々の思い出や記憶が時間や人を結ぶと信じている。ある種、本作『ARGYLLE/アーガイル』は、記憶を巡る物語ではあり、その記憶こそが時の流れを意味している。
本作を制作したマシュー・ボーン監督はあるインタビューにて、こう答えている。
Matthew Vaughn:“One of the things that really grounds Elly as a character, for me, is her love of a certain song. The film uses “Now and Then,” the final song by The Beatles, as Elly’s song, and when I spoke with Vaughn, I asked him about whether or not they always had plans for “Now and Then” or if there was another song they had in mind to use as the score for certain moments in Elly’s journey.”(※3)
ボーン監督:「私にとって、エリーをキャラクターとして本当に根拠づけているものの 1 つは、彼女のある曲への愛です。この映画では、ビートルズの最後の曲「Now and Then」がエリーの曲として使われていますが、ヴォーンと話したときに、「Now and Then」の予定は常にあるのか、それとも別の曲があるのかを尋ねました。彼らは、エリーの旅の特定の瞬間のスコアとして使用することを念頭に置いていました。」と話す。本作における「Now and Then」の本当の意味や目的は、何なのか?単なる恋愛の歌でもなく、恋愛の物語でもない。それを一緒に考えて行きたいが、もし一つの解釈を挙げるとするなら、人の時間と記憶についての物語であり、楽曲であるかもしれない事。今も掌から零れ落ちて行くかのように、一秒ごとに時間は消え去って行くが、それでも消えないものがある。それは、私達の脳の中に蓄積されて行く記憶であり、思い出だ。
最後に、映画『ARGYLLE/アーガイル』は、爽快なエンターテインメント性のあるスパイ映画ではあるが、その反面、私達が保有する記憶の旅をザ・ビートルズの最後の新曲「ナウ・アンド・ゼン」で表現している。あの時、そして今。そして、未来へ。記憶や思い出は、人々の意識の中で大切に保管され、創出されて行く。記憶や思い出を大切にすると言うことは、人を大切にすると言う事と同義である事を忘れてはいけない。
映画『ARGYLLE/アーガイル』は現在、全国の劇場にて上映中。
(※1)世界の諜報機関ベスト20【危険な”武闘派”ランキングも!】https://www.japanpi.com/ja/blog/general/best-and-dangerous-intelligence-agencies-in-the-world/(2024年3月25日)
(※2)はじめに 時間をめぐる科学と哲学https://www.nikkei-science.com/sci_book/bessatsu/51180%E2%88%92hajimeni.html(2024年3月28日)
(※3)Matthew Vaughn Understands the Power of Music in ‘Argylle’https://www.themarysue.com/matthew-vaughn-interview-argylle/(2024年3月28日)