映画『フィア・オブ・ミッシング・アウト』+『IMAGINATION DRAGON』河内彰監督 インタビュー
—–この度は2作品同時上映ですが、これらの作品は、どのような経緯で生まれましたか?
河内監督:まず、いくつか作品を製作させて頂いております。
また、「映画は思い出」という自分の中でもテーマもございまして、その考えに基づいて製作したのが、映画『フィア・オブ・ミッシング・アウト』です。
この作品に関しましては、出演者の方の印象をお借りするイメージで、製作しております。
大半は、演技未経験の一般の方がご出演されておりますが、出演者の方々から生まれたお話になります。
映画『IMAGINATION DRAGON』は、ちょうどコロナ禍の真っ只中に、休館になってしまったアートセンターを舞台に作った映像作品です。
この作品は、子どもたちを一人一人呼んで、誰もいない「アートセンター」で子どもたちが対話するようなストーリーラインで製作させて頂いた作品となります。
—–映画『フィア・オブ・ミッシング・アウト』の脚本は、当て書きされたのでしょうか?
河内監督:そうですね。特に、主演で出演してくれたユジンさんの印象から生まれたお話ですので、ほとんどその方の当て書きになっております。
—–作品を作る上で、脚本でも現場でも大丈夫ですが、何か気をつけていることはございますか?
河内監督:脚本を考えている時は、僕の場合、シナリオにすると、文字数はスゴく少なくなってしまいます。
セリフの長さについては、「長すぎず短すぎず」ということは考えないでいようとは思っております。
出演されている役者の方々は、ほとんどの方が素人の方ばかりです。
映画を観て、お気づきかも知れませんが、会話の場面はすべてアドリブで演じて頂いております。
むしろ現場で、カットの長さは決まっていきます。そのシーンの会話のテンポや言って欲しいワードをお伝えして、演出しております。
口にして欲しい言葉が出るまで時間が、かかる時もあります。
撮影時に、長くなって来たなと思っても、丸々その場面を活かすようにはしております。
そのシーンに合わせて、別の場面の尺を調整したりして、気を配っております。
—–時々、長回しになってしまう場合もあるんですね。
河内監督:そうですね。特に、あの駐車場の場面は引きから始まり、寄せていく演出をしておりますが、そのシーンは本来、もう少し短い場面になる予定でしたが、思ったよりもお二人が、ゆったりお話されておりました。
でも、その会話を丸々使った方が活かせると思い、切らずにそのままの映像で使用しております。
—–タイトル『フィア・オブ・ミッシング・アウト』と『IMAGINATION DRAGON』には、この題名に込めた監督自身の想いはございますか?
河内監督:『フィア・オブ・ミッシング・アウト』の物語の中では、日本語と韓国語の会話が中心です。
ですが、このタイトルを訳すと「取り残されることへの怖さ」という意味合いになります。
英語圏でのFOMO(フォモ)」とは、単語のスラングなんです。
TwitterなどのSNSでよく使われている言葉です。
—–英語圏の若者言葉的な感じですね。
河内監督:そうですね。直訳すると違った意味があるということと、現代のSNSでの人との距離が離れていること。
直接的な人と人との関わりよりも、そこに誰かがいたとか、誰かとの距離や人間との距離がある映画を作りたいと言うとこらから、生まれました。
その言葉の中にある意味が近いと感じました。英語って、とても単純な言語だと思います。
「F」には「F」の意味しかないと思います。
漢字は、組み合わせによって、様々な意味合いに変化していくと思います。
むしろ、言葉の意味ではなく、使われている由来に対して、映画との共通点を感じて、あえて英語のタイトルを付けました。
—–タイトルを付けるにあたって、お調べしたりされましたか?
河内監督:その言葉との出会いは、『IMAGINATION DRAGON』でも使用していた、僕が今務めているアートセンターにおられた外国人のアーティストの方が、帰国する時に「お世話になった皆様に、この言葉を贈ります。
自分がこの場に居れないのに、ここで面白いことが起こっているこのを知れないことが悲しいという意味で「Fear of missing out」という言葉があります。」と話しておりました。
この時に初めて、この言葉を知りました。その時のこの話が心に残っておりました。
実は、別に邦題でいましたが、しっくり来ないと考えてるところに、あの時の「言葉」を思い出して、作品に付けさせて頂きました。
—–元々は、別の題名も視野に入れておられたんですね。
河内監督:『IMAGINATION DRAGON』は、直訳にすると「想像の龍」という意味がありますが、子どもが考えるようなドラゴンは、いるかも知れないですし、いないかも知れないじゃないですか。
でも、子どもたちはそれを信じていると思います。彼らは本当にかっこいいと思っていたり、怖いと感じていたりするじゃないですか?
でも、それには実態がないですし、それを目にしたことはないでしょう。
タイトルに『IMAGINATION DRAGON』と付けておりますが、作品では実際にドラゴンが登場しないと思います。
その代わりに、最後に「犬」が登場します。そのような意味で、子どもの想像力の象徴となるような、尚且つスゴく単純で。
子どもたちがプレイするゲームを連想させて、タイトルのロゴも『ドラゴン・クエスト』風にしております。
あえて、カッコ悪めな題名を付けました。
—–『IMAGINATION DRAGON』に出演しているお子さんの「何」を引き出そうとして、作品を作られましたか?
河内監督:最初は、一般のお子さんたちを4人、人づてに紹介してもらいました。
そもそも子役ではなくて、素人の子どもがいいなと思っておりました。
一人一人とZoomで面接を行い、お話をお伺いしました。その時に感じたことはたくさんありました。
作中、体育館で剣を振り回している男の子は、会話がとても苦手なんだと面接中に思いました。
また、まったく落ち着きのない一面もあったりしました。
でしたら、この男の子には、体育館で剣を振り回してる方がいいなと考えを巡らせました。
どうしても、施設の中のこの辺りで撮影しようかという当たりはありました。
それをどの子に割り当てようかということは、面接しながら決めていきました。
その子が持っている「自由さ」を汲めるような場所を選んで撮りたいなと言う風に思いました。
それこそ、剣を振り回している子が、天井からぶら下がっているアート作品がありますが、赤いランプが光っている作品です。
本当は撮るつもりなかったのですが、カメラの回っていないところで走り回っていた子が、それを見ている時だけに、目を輝かせて見ておりました。
そこが印象的で、あんなに暴れていた子が、ここに興味を持つのかと、その作品に夢中にお子さんを撮影しました。
それぞれの子どもが持っている集中力や行動力を発揮できる場所を選んで、こっちは観察できるような立場で撮影させて頂きました。
—–ジャンルで言えば、セミドキュメンタリーのような感じでしょうか?
河内監督:そうですね。
—–ドキュメンタリーとは少し違いますよね。
河内監督:後から、こちら側から一本の映画に演出している面で言えば、セミドキュメンタリーかなとも思います。
—–シナリオなどもご用意されてないですよね。
河内監督:そうですね。先にそのお子さんたちには好きな場所で好きなことをしてもらい、撮れた映像に後からその時感じたことをお子さんたちに話してもらうような演出をしました。
—–映画『フィア・オブ・ミッシング・アウト』にはなぜ、「韓国」を取り上げようとされましたか?
河内監督:この点は実は、初めから決めていたことではなくて、元々日本以外のアジア圏の言葉の響きが好きだったので、前の作品でも中国語で話す場面が出てくることもありました。
最初に話したように、出演者の方の印象であらすじを決めていきますが、今回は主演のユジンさんと出会った時に、彼女にとても魅力を感じました。
最初は韓国の方とはまったく知りませんでしたが、取材をしていく中で、韓国の方だと知ることができました。
シナリオで韓国語を使う手はないなと思い、逆算的に決まったところがありました。
あと、僕の映画のオチは、いいか悪いか分からなかったが、何となく良かったというラストに落とし所を付けたかったのです。
そう思った時に、言葉が伝わったか、伝わってないか分からないけど、何か良かったという「言語」を使えるので、韓国語を選びました。
また、そんな話にしたいなと言う考えも浮かんだので、作中には多くの韓国語を使うようにしました。
—–次に短編『IMAGINATION DRAGON』についてですが。コロナ禍という混乱した社会情勢ですが、この非常事態を経験した子どもたちには、これからの日本をどう過ごして欲しいなど、ございますか?
河内監督:撮影している時も思ったんですが、最近僕が仕事の方で企画を担当していた子ども向けのアート系ワークショップのようなイベントがあったのですが、子どもたちってあまり社会状況とか関係ないんですよね。
こっちは、コロナの状況だから、学校に行けない子どもたちを一人ずつ呼んで普段入ったことのない初めての場所で、自由にしてくれれば、こちらとしては眺めらながら撮影するのは簡単ですが、そもそも映画に込めた想いとしては、想像力や発想力はどんな状況や場面でも、芽吹いていくということを表現したかったのです。
意図せずも、その通りになり、どんな場面でも、お子さんたちはこちらの思いとは裏腹に、自由に動き回ってるんですよね。
ですので、社会状況や今のご時世って、彼らにはほとんど関係なく、機会をこちら側が奪わないことが、重要かと思います。
—–機会を奪わないとは、具体的にはどう言ったことでしょうか?
河内監督:例えば、作品の中にもあると思いますが、走り回れる場所を作ることや、子どもたちが想像する時に出来ることは、場所や機会を与えた後、見守ることぐらいかと感じることができました。
ですので、僕たち大人ができることは、きっかけを用意することぐらいかと思います。あとは、彼らの純粋さや美しさを見つめることしかできません。
—–映画『フィア・オブ・ミッシング・アウト』は、日本でもなく、韓国でもない。
「幻影と実景が交差する場所」という風に紹介しておられますが、監督自身が思う「幻影と実景が交差する場所」とは、どんな場所でしょうか?
河内監督:そのキャッチコピーを考案してくださった方がおられまして、その方に書いていただいた言葉でもあります。
僕が思うところは、最初にお伝えしたように「映画は思い出」という考えがあります。
映画とは、誰かの思い出の出来事だと思います。そのようにも感じ取ることができると思います。
映画と観客との距離が、誰かと誰かの思い出との距離という感じにも受け捉えております。
だからこそ、映画という媒体自体が、スゴく思い出に近いなと思っております。
幻影で言えば、例えば自分が誰かの思い出話を聞いて頭に浮かべた時の光景があるじゃないですか?それが多分、幻のようで幻影だと言っているのかなと感じます。
映画には、それを映すことはできなくて、ただ実景を映すことしかできないじゃないですか。
また、それを思い出のように伝えることが、現場ではできるのではないかと気がしております。
そのような意味で、思い出のような映画は実景が映っているけど、内包している意味としては、幻影があるのではと考えております。
実験映画作家の末岡一郎という恩師の言葉で、映画という言葉の中には、心象風景という意味もあると教えてくださりました。
実験映画の世界では、そのような言い方もあるようなんです。
誰かが見ている光景は、その人だけの映画と言えるかもしれないという考えが学術的にあるんですよね。
誰か一人一人の思い出は、その人だけの映画と言えるという意味があるらしいのです。
僕はそれ自体、スゴくロマンチックに捉えており、そのような映画へのアクセスができたらいいなと考えております。
—–この二つの作品に共通している所があるとしたら、それはどこでしょうか?
河内監督:一人の人が作っている作品はやはり、点ではなくて、線だと思います。
面倒くさい話ですけど、いくつかの作品を観て、別の作品から別の作品を読み解けたりできると思います。
比較できますし、共通点があると思います。
映画『フィア・オブ・ミッシング・アウト』は、自分が考えた話を自然っぽく見せている作品です。
映画『IMAGINATION DRAGON』は、自然の出来事を映画っぽく見せている話なんですよね。
そのような意味で、僕の中では心づもり随分と違いますが、誰かが演出した映画のパッケージは一緒だと思います。
ただ、僕が持っている手段を逆転して製作している二つの作品だと思いますので、共通点でもあり、僕の中にある手段を逆手に使っている関係性でもある感じです。
—–最後に、本作の魅力を、それぞれ教えて頂けますか?
河内監督:魅力としては、二つの作品は図らずとも、どちらも変わった映画だと思います。
映像作品で言えば、あらすじがありすぎますし、劇映画にしては、抽象的すぎで、とても中途半端に見えると思います。
でも、映画の観方や映画を成り立たせていることは、本当はもっと要素がいっぱいあって、もっと自由に映画を構成できるんだと思っております。
ですので、今まで例えば、劇映画を観て、共感して泣いたり怒ったりだけでなく、もっと違った映画体験をして頂けたらと思います。
変な作品かも知れませんが、自分自身はこの二つの作品を映画だと思い、また映画が成り立つ要素を組み合わせて作った作品です。
変わった映画体験ですけど、楽しんでもらえたらいいかなと思います。
映画『フィア・オブ・ミッシング・アウト』+『IMAGINATION DRAGON』は1月14日(金)より、京都みなみ会館、1月15日(土)よりシネ・ヌーヴォにて上映開始。