映画『TOUCH タッチ』人生の最後のご褒美

映画『TOUCH タッチ』人生の最後のご褒美

誰しもが胸に、忘れられない恋を抱いて生きている映画『TOUCH タッチ』

©2024 RVK Studios

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2019年12月初旬、中国の武漢市から流行が始まったコロナウィルスは、瞬く間に世界中に住む私達にその猛威の恐ろしさを与えたと同時に、死への意識、孤独の代償、他者との非接触、そして何より、自身の存在意義に対する疑問の数々を投げかけた。私達はなぜ、生かされているのか?生きているのか?世界中の誰もが活動自粛を余儀なくされ、「ステイホーム」「おひとり様」「ひとり空間」(※1)と一人時間空間での活動への推奨が、国を上げて幅広く認知された。とても窮屈で、不安な時期を過ごした多くの人がいた一方で、この頃のパンデミックを目の当たりにして、行動せざるを得ない人々もいたはずだ。ドキュメンタリー映画『パドレ・プロジェクト / 父の影を追って』を制作した武内剛監督が、自身の生まれたルーツとまだ見ぬ父親の存在を探す旅を出たのは、コロナ禍を通して、もう二度と自身の父親と出逢え無くなると実感したからだ。ここに武内監督のように、自身の記憶を頼りに50年前にタイムスリップしようとする一人の老人がいる。映画『TOUCH タッチ』は、認知症で記憶が薄れゆく主人公が、かつて愛した大切な人が突然姿を消した謎を解き明かすため、アイスランド、イギリス、そして日本へと旅をする姿を描いた描いたラブストーリーだ。忘却の彼方に置き去りにしようとしている自身の昔の思い出を、50年という歳月の旅を通して、追想しようとする。

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人は記憶と健忘の狭間で生きており、歳を重ねれば重ねるほど、往年の記憶は新しい記憶に上書きされ、消えてしまうものだ。人は、10年20年の過去の記憶は忘れる生き物であり、覚えている記憶は恐らく数年前の出来事ぐらいだ。それが、シニア層に差し掛かり、認知症を発症すると、その記憶の喪失に拍車が掛かる。認知症には、様々な種類の病名があるが、その中でも4大認知症(※2)と呼ばれているのが、 アルツハイマー型認知症、血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症(FTD)がある。それぞれの症状には、記憶障害、判断力障害、幻視、人格の変化や異常行動が見られる。この映画では、「認知症」と表現しているだけで、老人がどの症状を患っているのか言及していないが、恐らく、記憶障害を伴うアルツハイマー型認知症ではないかと推測できる。薄れ行く記憶と共に生きながら、人は最後に過去にやり残した後悔を取り戻そうとする。認知症を発症すると、新しい記憶から消えて行くと考えられ、まずは家族や大事な人、身近にいる友達の存在を根こそぎ奪われる。その代わり、忘れていたと思っていた過去ウン十年の記憶の数々が、大波のように押し寄せ、後悔しないように50年前のやり残した事を実行したくなるのだろう。忘れ行く記憶の彼方への旅を通して、私達はその忘れかけていた記憶と共に未来を生きて行く。

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この作品の物語では、認知症を患った一人の老人がアイスランド、イギリス、日本と物理的に距離のある長旅を経験するが、この旅は単なる旅行(トラベル)ではなく、自身が封じ込んでいた50年にも及ぶ記憶の旅が描かれる。人生と記憶は、2つでワンセットのように語られ、人生を長く生きれば生きるほど、記憶域はたくさんの思い出でいっぱいになる。また比例するかのように、長く生きた人生と人生で過ごして来た記憶は、当然のこどく、生きて来た分の記憶で満たされる。また心理学において、記憶と人生は、エピソード記憶やアイデンティティによる観点から結びつけられる(※4)。このエピソード記憶には、個人が経験した出来事に関する記憶。昨日の夕食をどこで誰と何を食べたか。また、出来事そのものと経験した時の様々な付随情報(時間・空間的文脈、自己の身体的・心理的状態)の両方が記憶される。自己に関連したエピソード記憶は、自身の人生の展望や個人的な意味を含む。人は、人生で記憶した一つ一つの出来事を歳を重ねると共に忘れて行く。その忘れてしまいそうな記憶の数々を、この物語に登場する老人は、一つ一つ拾い集める旅に出る。忘れた記憶、失った記憶、忘れられなかった記憶すべてを、もう一度拾い集めて、パズルのピースのように自身の記憶にはめ込む作業を行う。映画『TOUCH タッチ』を制作したバルタザール・コルマウクル監督は、あるインタビューにて本作の登場人物の若気の至りとその美しさについて質問を受け、こう話す。

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コルマウクル監督:「私は、この作品にある種のつながりを感じています。私はコロナ禍で撮影を始めた数少ない映画製作者の一人でした。私が最初に取り組んだのは、おそらくNetflixの保護だったと思います。だから、私は逆風に立ち向かっています。クリストファーの気持ちも完全に理解できます。つまり、私には何もないのです。そして、このアイデアが大好きです。彼は一方向に向かっていますが、全世界が反対の方向に向かっています。」(※5)と話す。コロナ禍という厳しい状況の中で映像制作を始めたコルマウクル監督と世界的パンデミックの中、自身の記憶を取り戻そうと旅に出た老人。この二人には、どこか目に見えない共通項が存在するのかもしれない。逆境を乗り越えて、その先に見つけたものが一体何であるかは、この映画の終わりの先にあるのかもしれない。

最後に、映画『TOUCH タッチ』は、認知症で記憶が薄れゆく主人公が、かつて愛した大切な人が突然姿を消した謎を解き明かすため、アイスランド、イギリス、そして日本へと旅をする姿を描いた描いたラブストーリーだが、単なる恋愛映画として捉えてはならない。50年に及ぶ忘れられなかった記憶を取り戻す為、50年前の記憶に立ち返る物語だ。それは、人生の苦難の連続を味わい、酸いも甘いも経験した年長者への人生の最後のご褒美かもしれない。あなたは、人生の最後に何を取り戻したいと思うだろうか?

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映画『TOUCH タッチ』は現在、大ヒット公開中。

(※1)コロナ禍をきっかけに見えてきた「ひとり空間」の新たなかたhttps://www.meiji.net/life/vol354_yoshikazu-nango/3(2025年3月4日)

(※2)【専門医監修】認知症4種類の特徴と症状を一覧で解説https://www.minnanokaigo.com/guide/dementia/type/?utm_source=google&utm_medium=p-max&utm_campaign=new_20241118&gad_source=1&gclid=CjwKCAiAw5W-BhAhEiwApv4goGzQOm3eiSXq-3_E-aL9L9eoM_FysOXqbtbV_L4Fw941aeu7ffItjhoC8nUQAvD_BwE(2025年3月4日)

(※3)認知症の方が大事な人から忘れていく理由と身近な家族の対処法https://anshinkaigo.asahi-life.co.jp/activity/ninchisho/column10/10/(2025年3月4日)

(※4)エピソード記憶とは。認知心理学の世界をのぞいてみようhttps://www.cre-sokudoku.co.jp/blog/episode/#:~:text=%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82-,%E3%80%8C%E8%87%AA%E5%88%86%E3%80%8D%E3%82%92%E4%BD%9C%E3%82%8A%E5%87%BA%E3%81%99,%E3%81%AB%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82(2025年3月4日)

(※5)Director Báltasar Kormakur, known for thrillers, releases ‘Touch,’ a love storyhttps://www.npr.org/2024/07/15/nx-s1-4992289/director-baltasar-kormakur-known-for-thrillers-releases-touch-a-love-story(2025年3月4日)