世界が自由を求め激動する映画『ひなぎく』


1960年代のチェコスロヴァキアは、共産党体制下での「停滞」から「変革」、そして「挫折」へと激動した10年間だ。スターリン主義の抑圧が続いた50年代の後、経済の行き詰まりや社会の硬直化に対し、知識人や若者達は表現の自由や改革を求めた。この時期、映画界ではミロシュ・フォルマンやヴェラ・ヒティロヴァーらのチェコ・ヌーヴェルヴァーグが生まれ、日常や体制の不条理を鋭く描き出した。1968年、改革派のアレクサンデル・ドゥプチェクが第一書記に就任。「人間の顔をした社会主義」を掲げ、検閲の廃止や言論・集会の自由化、経済改革を進める「プラハの春」(※2)が始まった。新聞やカフェでは政治議論が公然と行われ、学生や知識人は「ついに社会主義が人間らしさを取り戻す」と期待に胸を膨らませた。しかし8月、ソ連軍の侵攻により改革は暴力的に鎮圧され、フサーク体制による「正常化」で厳しい監視と検閲が復活したのである。その頃の市民の日常は、複雑だった。買い物の列に並ぶ当時の主婦の声は、切実であった。「脂身ばかりの豚肉、バナナ一本買うのに半日かかる」。工場の労働者は、政治体制に冷笑した。「働くふりをして、国は給料を払っているふりをする。それでいいじゃないか」。それでも、人々は森の小屋(ハタ)や地下文化に逃げ込み、精神の自由を守ろうと躍起した。チェコスロヴァキアの映画界では、上記で挙げた監督の他に、デニス・ハルマンやボフスラフ・ポドラジルが短編・実験映画で寓話的表現や社会風刺を展開し、ヤン・ゼマンらとともに政治的抑圧に抵抗した。音楽はサイケデリック・ロックやジャズが若者のアイデンティティを形作り、ラジオ・ルクセンブルクの西側放送が自由な情報の窓口となった。女性達はファッションや化粧で個性を表現し、ビーハイブの髪型やミニスカート、ジーンズ(テキサス)で街に彩りを添えた。地下出版(サミズダート)やアパート・セミナー、ユーモア(アネクドート)といった文化的抵抗は、言論を抑圧される市民の知恵の一つであった。「この薄汚れたカーボン紙の束こそ、世界で最も純粋な文学だ」と語る人々の言葉が、閉ざされた社会での精神の自由を象徴していた。映画『ひなぎく』は、1960年代チェコ・ヌーベルバーグを代表する一作で、「マリエ1」と「マリエ2」という奔放な2人の少女が繰り広げる大騒ぎを、色ズレやカラーリング、実験的な光学処理、斬新な効果音、唐突な場面転換など冒険心に満ちた多彩な手法を用いて描き出した。1960年代のチェコスロヴァキアで起きた熱狂と挫折は、20年後の1989年「ビロード革命」(※3)へと繋がる長い長い冬の始まりだった。希望と絶望が交錯する日々を、人々は街角の笑いと小屋の安息の中で生き抜いたささやかな時代であった。

抑圧と希望が交錯する1960年代のチェコスロヴァキアでは、戦後の暗い時代から束の間の自由が芽生え、やがて悲劇的な結末へと向かう激動の歳月が展開していた。50年代の恐怖政治(※4)を経て、党内部には「もっと人間味のある社会主義」を求める動きが芽生え、1968年の「プラハの春」へと結実する。アレクサンデル・ドゥプチェクが党第一書記に就任すると、検閲は廃止され、言論の自由が認められ、市民は街頭で政治を議論する歓喜の時を迎えた。自由への高揚は、人々が自らの国を自らの手で変えて行くという意識に満ちており、これまで閉ざされていた街や広場に希望の光が差し込む瞬間もあった。しかし、その光は長くは続かなかった。1968年8月20日深夜、ワルシャワ条約機構軍による侵攻によって、街は戦車で埋め尽くされ、改革派の指導者達は連行され、市民の歓喜は一夜にして打ち砕かれた。国民は道路標識を隠すなどの非暴力的な抵抗を試み、戦車の前に立ちはだかる者もあったが、圧倒的な武力に屈せざるを得なかった。その光景は信じがたい裏切りであり、自由への希望は瞬く間に絶望へと変わった。ヤン・パラフの焼身自殺(※5)は、抵抗の象徴であると同時に、国中に深い絶望を刻む出来事となった。侵攻後、ドゥプチェクは失脚し、親ソ派による「正常化」体制が敷かれた。知識人や芸術家、公務員など数十万人が職を追われ、秘密警察による監視と厳しい検閲が再び社会を覆った。市民は表向きは従順を装いながらも、内面では沈黙と諦めの中で二重生活を送る事を余儀なくされた。その一方で、地下放送や密かな文芸活動は絶えず、自由を求める精神は完全に消え去らなかった。国民の心には、静かに、しかし確実に自由への渇望が息づいていた。社会の硬直化と抑圧が続く中、日常生活の中に小さな抵抗の息吹が芽吹いていた。新聞や雑誌では書けない本当の事を耳にする度、市民は地下放送や密かな集会に集まり、情報を交換し合った(※6)。劇場や小さなカフェでは、演劇や音楽を通じて自らの感情と思想を表現する場が生まれ、日常の息苦しさを一瞬だけ忘れさせる隠れ家となった。自由の光がほんのわずかに差し込むその空間に、国民は希望を託し、未来の可能性を夢見た。街頭では時に「Svoboda(スヴォボダ)」という言葉が小さく、しかし確かに囁かれた。自由を意味するその叫びは、デモや集会で最も強く響いた言葉だった。また西側から流れ込む文化の影響を受けた若者達は、「Mír a láska-平和と愛-(ミール・ア・ラースカ)」という思想にも共鳴していた。後に、この時代は「Zlatá šedesátá(ズラター・シェデサートー)」、すなわち「黄金の60年代」と呼ばれるようになるが、それは単なる懐古ではない。1960年代の若者達は、「明日にはもっと自由になれる」という一瞬の輝きと、その後の重苦しい沈黙の両方をその身で体験していた稀有な時代だ。時の支配と自由、絶望と抵抗の交錯する時代を経て、若者達は自身の価値観や生き方を模索し始める。次章では、1960年代チェコの若者文化、音楽、サブカルチャー、ファッションやポップカルチャーの中で、彼らが自由を追求し自己表現を切り開いた姿を追って行く。

この時代のチェコスロヴァキアでは、学生や若者達が街角に集まり、音楽やファッションで自己表現を競い合っていた。ジーンズにパッチをつけたり、長髪を揺らして歩く姿は、単なる流行以上の意味を帯びていた。それは、体制の抑圧に反発し、自由を求める無言のメッセージ(※7)。レコードショップやカフェでは、海外のジャズやロック、フレンチポップが流れ、若者達はその音楽を通じて外の世界を想像し、体制に縛られた日常から短い解放を得ていた。その文化的空気の中で注目されるのが監督のヤロミル・イレシュ。彼の代表作『冗談』は、ささいな冗談が青年の人生を狂わせる様子を描き、体制への皮肉が込められた作品で公開後すぐに上映が制限された。また、幻想的な『ヴァレリエと彼女の不思議な一週間』では、少女の夢と現実が交錯する世界を描き、現在はカルト映画として再評価されている。同時期に実験的表現を追求した ヤン・ネメツ の『夜のダイヤモンド』は、第二次世界大戦中に収容所から逃げ出す少年達を描き、断片的な記憶や幻覚のような映像で不条理感を強調している。これらの作品は、若者達にとって単なる映画以上のものであり、抑圧された社会の中で想像力を広げる手段の一つ(※8)だった。しかし、この自由の萌芽は、政治的現実の壁に直面していた。1968年のプラハの春は、民主化と表現の自由を求める若者達の熱狂的な運動として頂点に達した。しかし、その希望は長くは続かず、ソ連軍の介入によって無惨に潰された。街角やカフェで見られた自由への欲求は、権力の圧力によって消え入りそうになり、多くの学生や若者が逮捕され、国外へ追われた。自由を求めた小さな行動、友人との議論やコンサートへの参加でさえも、政治的に危険な行為と判断される風潮へと邁進。若者達は、文化的表現を通じて自身の存在を示し、社会の不条理に抗い続けた。音楽、ファッション、映画。1960年代は、日常の選択一つ一つが、体制への無言の抗議となり、次世代に伝わる市民的覚醒の礎となった時代という事を忘れてはいけない。映画『ひなぎく』を制作したヴェラ・ヒティロヴァー監督は、あるインタビューにて本作における権力と抵抗について、こう話している。

ヒティロヴァー監督:「権力に問題があったわけではなく、私自身が問題を抱えていたのです。私はただ、なぜあるべき事とそうでない事があるのかを知りたかっただけです。善意から、彼らの問題を解決してあげたかったのです。何かが間違っているのを見たら、批判せずにはいられません。私は彼らに何が間違っているのかを伝えましたが、彼らは自分の欠点にすら気づいていませんでした。」(※10)と話す。私は、ヴェラ・ヒティロヴァー監督の「権力に問題があったわけではなく…」という言葉に、強く印象づけられた。作品を読み解く際、私自身、体制や権力への批判という視点を見出してしまう傾向がある。しかし、この言葉には、そんな単純な対立構図だけでは本作を捉え切れない事を示唆している。映画『ひなぎく』は、国家権力や政治組織に対する直接的な反体制映画ではない。むしろ、国家が定める秩序や社会の枠組みの中で、何が歪み、何が不条理として存在しているのかを、映画という形式を通して提示しようとした作品だ。しかし、その前衛的で挑発的な表現は当局によって政治的な意味合いを帯びたものとして受け取られてしまっただけだ。その結果、作品は問題視され、ヒティロヴァー監督は約8年間にわたって活動の停止を余儀なくされてしまう。当時のチェコスロヴァキア社会には、言論や表現に対する抑圧的な空気が漂っていた。その状況の中、「自由」とは何かという問いを、二人の少女の奔放な行動を通して描こうとしたのが本作。権力そのものを攻撃するのではなく、社会の歪みを寓話的に浮かび上がらせる。その試みが誤解され、監督は長い沈黙を強いられた。しかし、時代を経て改めて作品を見つめ直した時、ヒティロヴァー監督が映画を通して提示しようとした問いの本質が、ようやく明確に見えて来るのかもしれない。

最後に、映画『ひなぎく』は、1960年代チェコ・ヌーベルバーグを代表する一作で、「マリエ1」と「マリエ2」という奔放な2人の少女が繰り広げる大騒ぎを、色ズレやカラーリング、実験的な光学処理、斬新な効果音、唐突な場面転換など冒険心に満ちた多彩な手法を用いて描き出した実験的要素の強めの作品だ。しかし、単なる実験映画かと問われれば、それもまた違う。何の脈絡もなく自由奔放に振る舞う少女達の姿。その奥には、反政府活動を続けて来た当時の若者達への、力強い鼓舞のサインが潜んでいたのかもしれない。「ひなぎく」の花言葉のひとつに「無邪気さ」がある。スクリーンの中で笑い、壊し、世界をかき回す二人の少女達は、まさにその言葉を体現しているようにも見える。しかし、その無邪気さは決して無意味なものではない。秩序を疑い、既成の価値観を軽やかに踏み越えて行く彼女達の姿は、小さく咲いた反抗の花のようにも映る。一方で、ひなぎくには「平和」や「希望」といった花言葉もある。スクリーンの中で秩序を軽やかに踏み越えて行く二人の少女達は、混乱の象徴であると同時に、閉塞した時代の中で新しい感覚の芽生えを示していたようにも見える。では、その「新しい感覚」は、今の世界にどのように映るのだろうか?2026年の世界を見渡せば、社会は再び大きな分断と緊張の最中にある。アメリカでは、ドナルド・トランプの政治を巡り社会の分断が深まり、ヨーロッパでも移民問題を背景に政治的対立が続いている。フランスでは移民政策を巡る議論が激化し、イギリスでも格差や社会統合をめぐる問題が長く影を落としている。さらに国際社会に目を向ければ、ロシアによるウクライナ侵攻はいまだ終わりを見せず、中東ではガザ地区をめぐる衝突が深刻な人道危機を生み出している。近頃はイランをめぐる軍事的緊張(※11)も高まり、世界は再び、不安定な均衡の上に立たされている。現在の政治や社会の動きの中、翻弄されているのは誰だろうか?そこにいるのは、名もなき市民であり、未来を模索する若者達の姿だ。もしかしたら、ひなぎくの少女達は、花言葉にもあるように「希望」や「平和」を願う小さな象徴だったのかもしれない。この映画『ひなぎく』は、日本で公開された1991年から、今年でおよそ35年が経とうとしているが、世界は1960年代を過ごした60年前のチェコスロヴァキアのままだ。混沌と混乱が起きた当時のチェコスロヴァキアと現在の世界が被りはしないだろうか?そして本作は、制作から今年でちょうど60年目を迎える2026年に、4Kレストア版として再びスクリーンに戻って来る。今回の4Kレストア版での上映は、世界情勢の中での「必然」だったのかもしれない。この作品の再上映を通して、本作に登場する自由奔放に振る舞う二人の少女の姿から、今の時代が抱える矛盾や不条理に、改めて目を向けて見て欲しい。私達は実際、この世界のどこまでを疑えているのだろうか?

映画『ひなぎく』は現在、3月14日(土)よりシアター・イメージフォーラムで上映中。全国順次公開中。
(※1)チェコ激動20年のドラマ 歴史的事件逃した苦い思い出(森本 良男)2005年9月https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/22344(2026年3月13日)
(※2)【1968(昭和43)年1月5日】プラハの春、東欧民主化の芽https://media.rakuten-sec.net/articles/-/51023(2026年3月13日)
(※3)「ビロード革命」発端の学生デモから20年、市民1万人が行進 プラハhttps://www.afpbb.com/articles/-/2665325(2026年3月13日)
(※4)Politické procesy v 50. letechhttps://ct24.ceskatelevize.cz/clanek/archiv/politicke-procesy-v-50-letech-257264(2026年3月14日)
(※5)Živá pochodeň měla probudit společnost. Od sebeupálení Jana Palacha uplynulo 53 lethttps://www.novinky.cz/clanek/historie-ziva-pochoden-mela-probudit-spolecnost-od-sebeupaleni-jana-palacha-uplynulo-51-let-40310056(2026年3月14日)
(※6)「プラハの春」半世紀…「正確な事実」報じた地下放送 チェコ・宮下日出男https://www.sankei.com/article/20180805-SZ2UX4JWFZPGHKGW4TGEQXDQNQ/(2026年3月14日)
(※7)【連載】「ベルリンの壁をすり抜けた“音楽密輸人”」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録(完結)https://heapsmag.com/series-mark-reeder-berlin-days-smuggle-music-punk-underground-culture-from-west-to-east-germany-berlin-wall-all-episodes#:~:text=%E3%80%8C%E3%81%9D%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E8%83%BD%E3%81%95%EF%BC%81%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%BD%BC%E3%82%89%E3%81%AF%E8%A8%80%E3%81%86%E3%80%82(2026年3月14日)
(※8)アートがもたらす想像力が人を変え、社会を変え、やがて世界を変えるhttps://esse-sense.com/articles/150(2026年3月14日)
(※9)「すべては終わった…」チャーチルの警告に学ぶ、リーダーが絶対に見過ごしてはいけない“衰退のサイン”https://diamond.jp/articles/-/370663?_gl=1*1df7bzu*_ga*YW1wLXgxZGFNQnQ2N0V6V25mUHlFT0xFaW8xdW14YjdBM3NHV3NTTC1DT0tFZnZxaG5oNFpleG0yVnNUeGRRb180cFo.*_ga_4ZRR68SQNH*MTc3MzQ5Nzc2Ny4xOC4xLjE3NzM0OTc3NjcuMC4wLjA.(2026年3月14日)
(※10)Mocní s ní měli problém. Nebála se pohádat. Osudové ženy: Věra Chytilováhttps://denikn.cz/893111/za-oponou-jak-v-sedmikraskach-vera-chytilova-vedla-uprimny-zapas-se-svetem-i-sama-se-sebou/(2026年3月15日)
(※11)【解説】 なぜアメリカはイランを攻撃したのか、地上部隊を送るのか、米本土への反撃はあるのか――今わかっていることhttps://www.bbc.com/japanese/articles/c0e5drr0994o(2026年3月15日)