自分の映画人生、映画監督人生を終わりにする。そして映画に別れを告げる映画『シナリオ』『シナリオ 予告篇の構想』


人生は、未完成のアート作品のように生きながら完成させるものだ。人生のシナリオは、書き換える事も上書きする事もできない。目には見えない決められたレールの上を歩かされ、ただ漠然と死という最終終着駅に向かっているだけ。そのスピードもペースも人によって、それぞれの違いはあるものの、違いがないのは軌道のみだ。私達は何処から来て、何処へ向かっているのか?それは、本人含め誰にも分からない。映画監督のジャン・リュック・ゴダールも、自身の死を意識していたのだろうか?著名な人間も、一般の人間も皆、等しくこの世に生きる。誰にも自身の死や未来像を容易く想像する事は、できない。けれど、繋ぎ合わされたモンタージュの数々は、一人一人の人生を物語る。切り貼りされた映像の先に、様々な人生のエピソードが見え隠れする。何色にも塗り重ねられた自画像のその色にもまた、多くの人々の生きる事への在り方が色と共に含まれている。私達は、その様態を俯瞰的に見る術を持っている。映画『シナリオ』は、フランスの巨匠ジャン=リュック・ゴダールが、2022年に居住していたスイスで安楽死する前日に撮影した遺作だ。自身の死を見つめたその先に、生に対する虚像を実像として証明するすべてを作品に盛り込んでいる。

映画界の巨匠ゴダールが、人生の最期に選んだのは安楽死であった。安楽死は、世界中で賛否両論を巻き起こしている社会的倫理的問題の一つとしていつも議論の的だ。安楽死という概念は、古代から存在し、古代ギリシャ・ローマ時代には、特定の状況下で認められていた歴史がある。しかし一方では、宗教的・道徳的な理由から、特に中世以降は否定されるようになった背景を持つ。現代になって、初めて2002年のオランダ(※1)を皮切りにして、合法化が進められている。古代の安楽死では、古代ギリシャ・ローマ時代の社会(※2)では、安楽死が社会的に認められていた時期があったとされている。また、初期のキリスト教では、ローマ帝国に迫害されていた初期のキリスト教徒の間でも、自殺が容認されていた。安楽死は、中世以降に否定されるようになり、宗教的理由を例にすると、5世紀以降、キリスト教では自殺が宗教的な罪とされるようになった。13世紀に実在したトマス・アキナスの主張では、神が定めた生と死の秩序に反する行為として自殺を3つの理由から否定した考えが広がったとされる。そして月日が流れ、2002年のオランダにて安楽死が合法的に認められている。オランダに続くように、ベルギー、カナダ、スペイン、コロンビアなど、世界各地(※3)が積極的安楽死と医師幇助自殺の両方を容認している一方、スイスは外国人でも利用可能な「医師幇助自殺」のみを認めているなど、国によって認められる安楽死の種類は異なる。オランダ、カナダ、スペイン、ニュージーランドなどの国では合法化が進んでいる。一方で、日本はどうだろうか?日本でまず、安楽死は認められていない。安楽死とは、医師が患者の生命を積極的に絶つことで苦しみから解放させる「積極的安楽死」の場合についてのみ。 ただし、延命治療をしなかったり中止したりする「消極的安楽死」であれば、認められる場合があり、日本での安楽死は否とされる事が多い。最後に、ゴダールが人生の最期に選んだ安住の地であるスイスは、どうだろうか?同人が安楽死を選んだ2022年では、1500人のスイス人が安楽死で死を迎えている。翌2023年では、1700人以上が安楽死で生涯を閉じている。スイスでは既に、安楽死が一般化していると伺い知れる。だから、ゴダールが人生の最後の住まいをスイスに選んだ理由には、安楽死ができるからであって、突発的に安楽死を選んだ訳ではなく、もしかしたら、スイスに移住する以前から、「移住する」+「安息の地」+「安楽死」はすべてセットであり、彼にとっての晩年の数年間はすべて筋書き通りだったとのかもしれない。ゴダールの頭の中にあったシナリオは、この一連の行為が人生のスケジュールの中に「予定」として組み込まれ、最後は単純にタイミングだけを図っていたのだろう。現在のところ、安楽死を強く望むのであれば、日本以外の海外の地で最期を迎える事を強く推奨したい。

近年のゴダール作品には、モンタージュ技法(※6)が多く用いられている。単なる映像の断片の組み合わせに留めず、複数の要素(映像、音、物語、感情など)を繋ぎ合わせ、観る者に新たな意味や感情を喚起させる独自の表現で映像世界を表現している。ゴダールは、特に彼の作品の『ヌーヴェルヴァーグ』などにおいて、実験的に周波数の同期といった音の要素も組み合わせ、パズルのように映像と音響を効果的に結合させる事によって、物語の単線的な流れを破り、新しい映画体験を長年に渡り、追求し続けた。巨匠によるモンタージュの特徴には、①要素の統合(映像だけでなく、環境音、効果音、音楽といった音の要素を積極的に取り込み、それぞれのエンベロープ(波形)の類似性を利用して、音と映像の間にリズムや共鳴を効果的に生み出す)。②周波数の同期(音響と映像の要素を周波数の同期によって統合し、複数の要素が一体となって機能する様を表現)。③革新的な表現(ゴダールは、モンタージュを従来の映画編集の概念を超え、映像、音、物語、そして登場人物の心情といった多様な要素を結びつけ、それらを同時に統合する事で、観客の想像力を刺激する革新的な映画表現を追求した)。これらの3つの要素が、ゴダールの特徴的なモンタージュであり、ソビエト連邦の映画監督である レフ・クレショフとセルゲイ・エイゼンシュテインが提唱した映像理論である従来のモンタージュ理論ととはかけ離れている。複数の映像断片(ショット)を組み合わせる事によって、個々の映像にはない新しい意味、感情、そしてイデオロギー的メッセージを視聴者に喚起する手法が、これに当たる。この技法は、ショットの組み合わせ方によって意味が変化する「クレショフ効果」を土台とし、映像の文脈を構築し、視聴者の感覚や思考に作用させることを目的としているが、ゴダールが生み出したモンタージュは、これらの考え方を超越した概念を生み出している。具体的な例を挙げるとしたら、代表作の一つである『ヌーヴェルヴァーグ』におけるシークエンスの分析では、周波数と音の律動の類似性が、環境音と効果音の統合にどのように貢献しているかが示されている。また、本作『シナリオ』(※7)の制作プロセスでは、写真や文章を組み合わせたコラージュが用いられ、ノートレプリカの形でその制作方法が再現された作品に仕上げている。遺作となった本作は、モンタージュ技法で構成された本編と、彼自身が本作の制作過程を語るドキュメンタリー映像で構成されているが、その制作過程で残されたノートにはコラージュ(写真や文章の組み合わせ)が多用されている。これは、複数の要素を並置し、そこから新しい意味を生み出すゴダールのモンタージュ観を最後に体現したと言える。ゴダールは、モンタージュを巧みに駆使し、単なる時間の経過を描くのではなく、映像と音響の相互作用によって、より深遠な意味合いを持つ映画世界を創造に成功していると言えるが、私自身は映画業界におけるモンタージュの技法に関して触れたい訳ではなく、このモンタージュ理論における特異性について考えてみた。モンタージュ理論とは、映像と映像の組み合わせや編集が一つの物語を語る大きな要素となっているが、ゴダールのモンタージュの場合、物語を語るだけでなく、観る側の感性を生み出す(作り出す)為の様々な要素(映像、音、物語、登場人物の心情)を組み合わせた映像が、結果的に私達の心や精神に効果的に影響を与え合っていると考えると、また違った見方ができると考える。切り貼りされ、繋ぎ合わされた映像は、まるで私達の人生そのもの(※8)でもある。私達が生きる私達自身の人生は、断片的に大小様々なエピソードが連なり、繋ぎ合わされた一つの人生が構築されている。それは、ゴダールが生み出したモンタージュさながら、何十年という築き上げられた人生の時間が「シナリオ」そのものだ。ゴダールが、映画人生の最期に遺したものは、私達や彼自身を物語る人生そのものを物語(人生)の骨子となる「シナリオ」に託している。この作品に込められた想いは、今まで生きて来た人生の総括的な役割を持っている。ここでモンタージュ理論も人生論も語りたくはないが、ゴダールが最期に私達に届けたかったのは人生の儚さと美しさといったところだろう。この「シナリオ(人生)」に託された願いとは、彼の人生観そのものなのかもしれない。映画『シナリオ』を制作したジャン・リュック・ゴダール監督は、あるインタビューにおいて、本作の要素を通して自身の人生観について、こう話す。

ゴダール監督:「この2本の脚本を完成させることで、映画人生、そして監督人生に終止符を打つ。そして映画界に別れを告げる。そして、アンナ・カリーナたちとは本当に人生について語り合ったから、寂しいです。ロメール、リヴェット、トリュフォーと私はよく、映画館に行きました。私たちは生涯におけるチームであり、仲間でした。」(※9)と話す。ゴダールは、自らの遺作を通して、自身の人生で出会った大切な仲間たちに愛や尊敬、感謝を届けたかったのだろう。映画人生最後に生み出した作品は、今までを過ごして来た映画人生における通り過ぎて来た人々との出会いや語らい、衝突、和解、再会など、すべてを総括する作品を生み出そうとしたのではないだろうか?この作品は、ゴダール自身の分身であり、過去に出会って来た仲間との約束をモンタージュ映像で表現している。自身に対する人生そのものの総決算を、映像が物語っている。

最後に、映画『シナリオ』は、フランスの巨匠ジャン=リュック・ゴダールが、2022年に居住していたスイスで安楽死する前日に撮影した遺作だが、最期の作品ではなく、これは始まりの作品になるだろう。すべての始まりは、今ここから始まっている。近年、日本の映画文化(※10)を含め、日本の伝統文化(※11)でさえも衰退している背景を伺える。この『シナリオ』は、ゴダール自身が最期に映画文化の存続に翻弄する私達の世代に対する「答え」を提示しているのであろう。終わりの作品ではなく、始まりの作品として、モンタージュのように次の世代に想いを繋ぎ合わせる重要な作品かもしれない。「シナリオ(人生)」が、新たな時代の扉を開ける一歩である事を願って。

映画『シナリオ』は現在、東京と京都にて上映中。
(※1)オランダ在住約50年、ヤタさんが選んだ安楽死 そのプロセスは?https://globe.asahi.com/article/15832302#:~:text=%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%81%8C%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E5%85%88%E9%A7%86%E3%81%91,%E3%82%92%E6%BA%80%E3%81%9F%E3%81%99%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82(2025年9月18日)
(※2)尊厳死を知るhttps://osoushiki-plaza.com/institut/dw/198807.html#:~:text=%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2,%E7%A5%9E%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E7%BD%AA%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82(2025年9月18日)
(※3)安楽死とは? 認められている国や日本と世界の現状https://eleminist.com/article/3599(2025年9月18日)
(※4)日本における安楽死とは?気になる保険金や尊厳死・自然死との違いもhttps://www.osohshiki.jp/column/article/2100/(2025年9月18日)
(※5)年間1500人超が選択 スイスの安楽死https://www.swissinfo.ch/jpn/business/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9-%E5%AE%89%E6%A5%BD%E6%AD%BB-%E6%9D%A1%E4%BB%B6/45931282(2025年9月18日)
(※6)ジャン=リュック・ゴダール『ヌーヴェルヴァーグ』にみられるシークエンスの構築についてhttps://drive.google.com/file/d/1AkI4GRm6XgaMXe2Jb2SCJLL6tVbcZyQk/view?usp=drivesdk(2025年9月19日)
(※7)ジャン=リュック・ゴダール 『シナリオ』制作ノート レプリカBOXセットhttps://bijutsutecho.com/lp/scenarios/#:~:text=CONCEPT,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8A%E5%B1%8A%E3%81%91%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82(2025年9月19日)
(※8)映画みたいに生きてみれば、人生は変わるhttps://www.lifehacker.jp/article/141228mylife_is_movie/(2025年9月19日)
(※9)Jean-Luc Godard termine deux scénarios et dira ensuite “au revoir au cinéma”https://www.huffingtonpost.fr/culture/article/jean-luc-godard-termine-deux-scenarios-et-dira-ensuite-au-revoir-au-cinema_177417.html(2025年9月19日)
(※10)テアトル梅田が閉館、ともし続けたミニシアターの灯。「映画文化の衰退の象徴ととらえてほしくない」https://www.cinra.net/article/202209-briefing-theatreumeda_iktaycl(2025年9月19日)
(※11)日本の伝統文化・伝統産業は、衰退産業なのか?復活の可能性は、海外にあり!https://worldsegg.com/japanese-traditional-business/(2025年9月19日)