映画祭『中央アジア今昔映画祭2022』全体の1%も満たしていない

映画祭『中央アジア今昔映画祭2022』全体の1%も満たしていない

2022年12月27日

映画どころか、中央アジアそのものに対して、馴染みのない日本。

地域のこと、歴史のこと、文化のこと、民衆のこと、私たちは彼らの何を知っているというのだろうか?

そもそも中央アジアとは、どこを指すのか?

1991年にソ連が崩壊してから、数多くの国々が独立を果たした。

その中でも、ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域を「中央アジア」と呼び、東洋と西洋の文化が交差する位置だ。

作品を通しても、その国その国によって、西洋的文化、東洋的文化を垣間見ることが出来る。

非常に興味深い地域でもある。

ハリウッドを代表するアメリカ映画、フランス映画を代表するヨーロッパ映画などには無い、どこか異国情緒溢れる中央アジア映画は、アフリカ映画、東南アジア映画、南米映画同様に、新しい映画の観方を教えてくれることだろう。

この機会に、中央アジア映画の作品に触れてもいいだろう。

キルギス映画『白い豹の影(Potomok Belogo Barsa)』監督・脚本:トロムーシ・オケーエフ。1984年公開。

一言レビュー:キルギス映画。多少の知識があっても、ほとんど触れたことのない国の映画を耳にすると、なぜか心が踊る。

知らない国の作品が、国内に紹介されるのは、新しい扉を開けるいい契機にもなる。

本作『白い豹の影』もまさに、いい例だ。

本国では1984年に公開されて以来、日本で92年にやっと、国内で一般に紹介された作品だ。

中央アジアの雄大な大地をバックに描くのは、その土地に住む先住民たちの生き様だ。

この作品は、キルギス映画黄金期の代表作。

監督は、キルギスを代表するトロムーシ・オケーエフ監督。

本作は、この監督の晩年の代表作であるが、オケーエフ監督は1960年代からソ連時代のキルギスで活動している重鎮だ。

本作以外にも、SE時代の1962年公開『Зной(ヒート)』同じく1962年公開『Улица космонавтов(コスモノーツ・ストリート)』。

1965年製作の10分間の短編ドキュメンタリーで、監督デビュー作『Это лошади(ホース)』。

脚本家参加作品『Пегий пёс, бегущий краем моря(海の端を走る斑の犬)』などがあり、キルギス映画の歴史の深さがよく分かる。

オケーエフ監督は、脚本家としても、およそ18作品の映画を残している。

キルギス映画は、旧ソ連加盟の15共和国中、一番最後に映像製作の文化や知識が導入された地域と言われている。

中央アジア映画は歴史が深いにも関わらず、日本はこの地域の映画史をまったく知らないと言っても過言ではない。

カザフスタン映画『小さなアコーディオン弾き(Kozymnin Karazy)』監督・脚本:サティバルディ・ナリィムベトフ。1994年公開。

一言レビュー:楽器アコーディオンを通して紡がれる一人の少年の成長物語。

1994年という比較的、近代に近い年代の作品だが、セピア調で彩られた映像は、非常に異色でもある。

監督のサティバルディ・ナリィムベトフは、1998年公開『Омпа(オムパ)』、2002年公開『Молитва Лейлы(レイラの祈り)』、2005年公開『Степной экспресс…(ステップエクスプレス…)』、2008年公開『Мустафа Шокай(ムスタファ・ショカイ)』など、代表作がある。

本作『小さなアコーディオン弾き』は、サティバルディ・ナリィムベトフ監督の初期作品に当たる。

日本語の名前で検索を掛けても、ほとんど情報は得られなかったが、ロシア語のサイトが監督の数作品を紹介していたので、近年のカザフスタンで活動していることが、よく分かる。

98年公開『Омпа(オムパ)』は、サイト内で無料公開されているので、この機会にサティバルディ・ナリィムベトフ監督作品に触れてみても良いだろう。

タジキスタン映画『右肩の天使(Farishtai kitfi rost)』監督・脚本:ジャムシェド・ウスモノフ。2002年公開。

一言レビュー:タジキスタン映画『右肩の天使(Farishtai kitfi rost)』は、第3回東京フィルメックスにて、審査員特別賞を受賞。

2002年の東京フィルメックスで上映されてから、かれこれ20年の時が開いて、国内上映される。

映画祭以外で、正式に劇場映される迄に、長い年月が経っているのが、理解できる。

『右肩の天使(Farishtai kitfi rost)』は、タジキスタンの俊英ジャムシェド・ウスモノフ(『天国へ行くにはまず死すべし』)の代表作と呼ばれているが、ウスモノフ監督作品は数多くある。

1990年製作の短編ドキュメンタリー『Мужчина(ある男)』1991年公開の長編映画『イエロー・グラス・タイム』では、役者として出演している。

また、1993年には再度、ドキュメンタリー映画『ホキワタン』を製作している。

91年の短編映画『Колодец(ザ・ウェル)』97年の『Полет пчелы(蜂の飛行)』などがある。

カザフスタン映画『ゆすり屋(Reketir)』監督:アカン・サタエフ。2007年公開。

一言レビュー:カザフスタン映画『ゆすり屋(Reketir)』は、打って変わって、クライム映画だ。

アカン・サタエフ監督の代表作『女王トミュリス 史上最強の戦士(2019)』や映画『ダイダロス 希望の大地(2012)』映画『持たざるものが全てを奪う HACKER(2016)』は、国内でも広く紹介されている。

サタエフ監督は、94年にカザフ国立芸術アカデミーを卒業した後、1996年に監督デビューし、プロデューサーも担いながら、最新のプロデュース作『Ұлы Дала Таңы(ウリー・ダラ・タニー)』を含めて、17の作品を生み出している。

本作『ゆすり屋(Reketir)』は、彼の初期作品だ。

作品全体の多くの割合を占めているのは、クライム映画やノワール映画、男の友情、史劇、スポーツ系の伝記ものの作品がほとんど。

他に、プロデューサーとしてテレビシリーズ『Айналайын(アイナレイン)』というコメディ・ドラマという異色な作品もプロデュースしている。

デビュー作『Аллажар(アラザール)』を筆頭に、2009年の映画『Заблудившийся(ロスト)』『Братья(ブラザーズ)』2011年の映画『Ликвидатор(清算人)』2014年のテレビミニシリーズ『Бауыржан Момышулы(バウイルジャン・モミシュリー)』2016年の映画『Дорога к матери(母への道)』と同年公開の映画『Районы(地区)』2018年の映画『Бизнесмены(ビジネスマン)』などがある。

本作『ゆすり屋』は、同監督によって、2015年には続編『Reketir 2: Vozmezdie』が、製作されている。

カザフスタン映画『南の海からの歌(Pesni yuzhnykh morey)』監督・脚本:マラト・サルル。2008年公開。

一言レビュー:カザフスタン映画『南の海からの歌』は、カザフ人家族とロシア移民家族の愛憎劇をベースに、民族や世代、家族の対立を、ユーモアを交えて多層的多角的に描いた本邦初公開作。

第30回ナント三大陸映画祭にて、観客賞を受賞している。

キルギス人のマラト・サルル監督の作品は、脚本家として参加した映画『あの娘と自転車に乗って』がある。

マラト・サルル監督にとって脚本作品だけでなく、監督としても多くの作品を残している。

本作『南の海からの歌』以外にも、1993年の映画『В надежде(希望を持って)』2002年の映画『Брат мой, шелковый путь(お兄ちゃん、シルクロード)』2005年の映画『Бурная река, безмятежное море(嵐の川、穏やかな海)』2011年の短編『Sol(ソル)』2014年の映画『Pereezd』そして、最新作の2021年の映画『1000 грез(千の夢)』がある。

また、1990年の映画『Плач перелетной птицы(渡り鳥の鳴き声)』1998年の映画『Приемный сын(養子)』2004年の映画『Плач матери о манкурте(マンカートを求める母の叫び)』など、脚本家としても華々しく活躍しているキルギス映画を代表する映像製作者だ。

アフガニスタン映画『狼と羊(Wolf and Sheep)』監督・脚本:シャフルバヌ・サダト。2016年公開。

一言レビュー:本作『狼と羊』は、アフガニスタンの山間部を舞台に、少年少女たちの友情と社会情勢に揺らぐ姿を描いたアフガニスタン出身の若き才能、シャフルバヌ・サダトの半自伝的な長編デビュー作。

昨年、2021年には第22回東京フィルメックスで上映された。国内劇場初上映。

シャフルバヌ・サダト監督は、1990年生まれの若手女性監督だ。

本映画祭の中では最も若く、作品数は少ないものの、類稀なる才能は幾分にも、発揮している。

2009年製作の彼女のデビュー作の短編ドキュメンタリー映画『A Smile For Life』は、アフガニスタンが公募したワークショップから産まれた作品。

この催しは成功を収め、ここから33本のドキュメンタリー映画が産まれ、アフガニスタンに再度ドキュメンタリー製作の息吹を与えたと言われている。

サダト監督は、続く2011年に短編映画『Vice Versa One』。2013年には中編ドキュメンタリー映画『Not At Home』。翌年2014年には短編映画『Who wants to be the wolf?』を発表している。

そして、本作『狼と羊』が、長編デビュー作となる。

続く、続編の映画『The Orphanage』は、2019 年に公開された。

最新作は、同年2019年に短編『QURUT, Recipe of a possible extinct food』を発表している。

これからの活動に目が離せない若手映画監督の一人だ。

ウズベキスタン映画『不屈(Sabot)』監督・脚本:ラシド・マリコフ。2018年公開。

一言レビュー:映画『不屈』は、ウズベキスタン西部のカラカルパクスタンが舞台の作品。

中央アジアでは、非常に珍しいアフガン帰還兵を映画のテーマにしたストーリー。

同国が、アフガンの前線基地だった歴史的背景もあり、ソ連時代はタブーだったアフガン侵攻の現実を描く。

監督として本作の指揮を振ったのは、俳優でもあるラシド・マリコフ。

彼の経歴は少し変わっており、1980年にタシケント医療研究所を卒業している。

元は、医学の道を目指していたのだろうか?

ところが、1986年にVGIKの映画監督学部(Yu.N. Ozerovのワークショップ)を卒業している。

マリコフ監督は卒業後すぐ、1986年に短編作品『Правила хорошего тона(マナーのルール)』でモスクワ国際映画祭の若手部門で賞を受賞している。

本作は、恐らく1964年から半世紀以上続く、ロシア国民が最も愛した子供向けテレビ番組『Спокойной ночи, малыши!(おやすみ、子供たち!)』の中のプログラムではないかと思う(情報は定かではない)。

憶測の域ではあるが、この作品がマリコフ監督の最初の映像作だろう。

次に、1987年の映画『Клиника(診療所)』1989年の映画『Невероятный случай(信じられないほどのケース)』。

1991年の映画『Полуночный блюз(ミッドナイト・ブルース)』1992年の映画『Тайна папоротников(シダの謎)』1997年の映画『Пеший(徒歩で)』。

2008年の映画『Константинополь(コンスタンティノープル)』2008年のシリーズ作品『Планета православия Сериал(正統派の惑星)』2009年の映画『Утренний ветер(朝の風)』2013年の映画『Женский день(女性の日)』2014年の映画『Дядя(叔父)』2017年から現在も続いているシリーズ作品『Свидетели(証人)』2019年の映画『Сумбуль(スンブル)』。

そして、2021年の最新作『Неволя(捕われの身)』がある。

ラシド・マリコフ監督は現在でも、ウズベキスタンで第一線で活動し続けている。

中央アジアの5カ国カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンは現在、距離を置いているものの、(※1)ロシア・ウクライナ戦争の背景で、揺れに揺れている。

ロシアだけでなく、(※2)アフガニスタンの国際情勢にも大きく影響を受けつつある今。

もしかしたら、30年前のように、今の社会情勢が原因で、地図上から国名が消える可能性も否定できない。

そうなると、次にこれらの国名を冠した映画ジャンルが立ち消える可能性もある。

それは、ドキュメンタリー映画『ミスター・ランズベルギス』でも取り上げられているバルト三国のリトアニア、エストニア、ラトビアも同じだ。

1991年に独立を成功させたロシア周辺の諸外国は今、大きなターニングポイントに立たされているのかもしれない。

私たち日本人は、中央アジアに位置する5カ国の文化も、歴史も、映画でさえも、まだまだ知らない。

それにも関わらず、近い将来、中央アジアの国々や映画が、どうなるのかも予測できない現状だ。

本映画祭『中央アジア今昔映画祭2022』で取り上げられた7作品や監督はじめ、こちらで紹介した中央アジア映画は恐らく、全体の1%も満たしていない。

私たちは、少しでも多く「中央アジア映画」の存在に目を向ける必要があるのかもしれない。

映画祭『中央アジア今昔映画祭2022』は現在、関西では12月24日より第七藝術劇場にて、1週間限定上映中。また、東京都のユーロスペース、愛知県の名古屋シネマテークにて公開中。

(※1)2023年、ウクライナ戦争はこうなる NATOは「ウクライナでのロシアの完全な敗北」しか受け入れられない(1/5) | JBpress (ジェイビープレス) (ismedia.jp)(2012年12月27日)

(※2)タリバン アフガニスタン国内で活動のNGOに女性職員の出勤停止を命令 | NHK | アフガニスタン(2012年12月27日)