看護に命をかけた波乱万丈の生きざ描くまを描く映画『じょっぱり 看護の人 花田ミキ』五十嵐匠監督インタビュー
—–まず、映画『じょっぱり 看護の人 花田ミキ』の制作経緯や作品の舞台裏など、お話し頂けますか?
五十嵐監督:2歳の頃、汽車の中で呼吸が止まってしまったんです。私の母親が私を抱いて、汽車の中を駆けずり回った訳ですよね。すると、医者は誰もいなかったんですが、一人の中年女性が私の母親に駆け寄って来て、私の口に手ぬぐいを入れて、舌を噛まないようにし、汽車を止めて、自衛隊のジープで幼い私を青森の県立病院に運んでくれた女性の方がいるんです。その方が、花田ミキさんと言う看護師さんでした。当時は、大きく地方新聞にニュースが掲載されました。その時の報道の見出しが、「しょうちゃん、愛のリレー」というものだったんです。私自身、花田さんがどんな方か全く分からないままだったんです。私の母は、花田ミキという名前は印象に残って覚えやすかったと言っておりました。花田さんの事は名前は知っていたんですが、どんな人か分からないと。その後、彼女の事をよく調べると、ある新聞社から私に連絡があって、花田さんがどんな方なのか、教えて頂きました。彼女は、伝説の青森の看護師と言われていて、私の命の恩人なので、私はどうにかしようと、映画として遺すことが出来ないかと思ったのが、最初のきっかけです。人はいつ死ぬか分からないので、撮っておかないとダメなものを撮っておかないと思い掻き立てられました。制作資金を集めて作った作品です。本作『じょっぱり』は、クラウドファンディングで全国の方々から支援を頂いて、今まで私が共に映画を作って来たスタッフを集めました。あと、キャストには、ほぼ青森の方をキャスティングをしています。たとえば、木野花さん、そして王林、舞の海さん、みんな青森出身の方々を集めて作った作品が、本作です。
—–先ほどのお話にもあった通り、花田ミキさん本人から命を救われたと言う事ですが、現代の日本にこの花田ミキという人物を描く事によって、どうなるのでしょうか?何か生まれるものは、ございますか?
五十嵐監督:よく思うのは、コロナ禍が背中を押したような感じがあり、コロナの時に全国の保健師の方々を18人集めて、現代の医療体制やコロナ禍についてディスカッションしてもらったんです。私は、その時の討論の内容を聞いて、脚本に入れ込んでいる箇所がありますが、あの時期は非常に大変で、コロナ禍に陥った時、保健所の保健師さんはもう、寝る暇もなく働いていたんです。3日徹夜して、職場に出る状況だったらしいんです。実際、保健師さんが何をするのか、私自身も全然知らなかったので、色々調べていくうちに非常に重要な予防対策の役割をしているんです。ただ、映画ではなかなか語られ得ない分野だと思います。看護師さん達は人の命を治したりしますので、テレビドラマや映画にもなりやすい。ただ保健師さんの仕事である衛生や予防は、非常にドラマになりにくい分野だと感じました。ただ、花田ミキさんが1949年に八戸で起きたポリオの集団感染があった時、ワクチンがない時、当時の人々はどうするのか対処した結果、一人でリンゴの籠を一籠下げて、東京の占領軍に単身乗り込んだんです。私は、そのエピソードが好きで、もし花田ミキさんが今生きていたら、一人で何をするんだろうと、ずっと私の中でありました。それが、一つの映画の作ろうとするパワーの原動力にもなっていったんだと思います。
—–日本のナイチンゲールには、赤痢集団感染と戦った大関和という方やNHKの大河ドラマで取り上げられた新島八重という方も日本の看護医療を支えた過去のレジェンドが多くおられますが、花田ミキという人物が他のナイチンゲールの方々との違いがあるとすれば、それは何でしょうか?
五十嵐監督:タイトルにもあるように、「じょっぱり」なんです。周りに迷惑をかけても突き進む姿や単身で突き進む姿勢が、花田さんの「じょっぱり」なんです。ある意味、映画を作る場合、じょっぱりじゃないとできない部分もあるんですよね。人に迷惑はかけちゃうんで、映画制作は本当に人に迷惑をかける世界なので。じょっぱりの面々が集まって作ったのが、本作のような気がします。
—–今の「じょっぱり」の話の流れからタイトルの津軽弁には、まさに「じょっぱり」が堂々と冠され、作品冒頭から津軽三味線の美しい音色が、作品全体における青森県の魅力を作品から滲み出ていると感じますが、監督自身も青森県ご出身を踏まえて、本作や花田ミキを通して、青森が持つ魅力とは何でしょうか?
五十嵐監督:ねぶた祭り(※2)は、行かれた事はございますか?
—–申し訳ありません。お祭り自体は存じ上げておりますが、まだ青森には行った事がございません。
五十嵐監督:ねぶた祭は、横20mほどの巨大な張り子の人形があるんですが、それが大通りを練り歩くんです。そこに何千人も人が集まって踊るんですが、ねぶたのハネト(踊り手)は、最初からみんなで踊るというより、まず一人で踊るんです。一人で踊ると周りも踊って、それが100人、150人、1000人と膨らんで、ワーッと広がるわけです。映画作りも同じようなもので、一人が映画を作りたいと言えば、周りが寄って来る。ねぶた祭りのように、だんだんと人が増えて行くわけです。だから、花田ミキさんも一人単身で東京の占領軍に乗り込むんです。少しずつ協力する人が、出て来るわけです。映画の中にあったように、アメリカ人の看護課長オルトからケニー療法という治療法の資料をもらいます。ただ、資料は英語で書かれていますので、翻訳しないとダメですよね。だから、花田さんは何をしたかっていうと、東京で一番頭のいい奴は誰かと探すんです。それは、東大生です。彼女は単身、東大に行って、東大生に頭を下げて徹夜でボランティアで翻訳してもらい、青森に帰るんです。要するに、一人で突き進むじょっぱりという性格が僕の好きなところです。ある意味、どうしようもないじょっぱりの、ただの強情っ張りじゃなくて、とにかく周りに迷惑かけながらも、道を突き進む事が、僕の好きなところです。ぜひ、ねぶた祭、ご覧になってくださいね。
—–先ほどもお話しされていましたが、私達はコロナ禍以降、医療や看護、健康、自身の生と死にまつわる価値観が、大きく変わったのが今の時代だと思いますが、この時代に看護医療に一生を捧げた人物を取り上げる事によって、私達の考え方にどんな変化を与え、もたらす事ができると思いますか?
五十嵐監督:決定的なのは、コロナです。私の前の作品は、『島守の塔』と言う沖縄戦を描いた戦争映画です。この映画は、スタッフが11人倒れて、1年7ヶ月、撮影が延期になったんです。少し大事になってしまって、スタッフは皆、朝には検温して、PCRの検査もして、夜も検温して、非常に注意して取り組んだんですが、それでも結果的に、大変な事になってしまったんです。PCR検査した結果、11人倒れたのはコロナ感染ではなく、日射病だったんです。それからは、意外と皆さん手を洗うようになったと思います。帰って来たら手を洗う習慣、常にマスクをする習慣など。少し気を付けて来ましたよね。花田ミキさんは、彼女自身が率先して予防に取り組みました。だから映画の中では、花田さんの家の洗面器に消毒液があったと思いますが、あれは実際に花田さんが実践していた事です。もっと言ってしまうと、花田さんは自分のMy茶碗を持っていて、お茶を飲みに行く時も自分のお茶碗に入れて飲むんです。要するに、その衛生観念が花田さんの時代には、非常に大事で今も本当に意識的に大事にされて来ている時代だと思います。特に、コロナ禍の後は。
—–My箸ですね。自分専用のお箸やお茶碗、湯呑み。それを準備する事が、大切と思いますね。それをできるかと言えば、別問題ですが…。
五十嵐監督:感染に対する衛生観念は、あの頃はなかったと思います。当時の日本政府が推奨していた日本脳炎の予防接種も昔ありましたね。赤痢の予防接種も。そんな病気や感染病が、無くなるだろうと思って、国が保健師の皆さんの半分を切ってしまったんです。するとコロナ禍に陥って、コロナウィルスという非常に強い感染力の病原菌が出てしまったから、半分の保健師がいなくなってしまった以上、残りの半分の保健師達は大変な目にあっているわけです。その点が現在、改めて、見直されているところだと思います。
—–コロナだけではありませんが、赤痢ウィルスやコレラも含めて、100年周期で必ず人類に襲って来るものだと思います。
五十嵐監督:地震も頻発する中、ある意味、人間自体が試されているような感じがします。
—–そんな中、在籍する保健師の半分を切る考え方はどうなのかなと私は思いました。
五十嵐監督:まさか大きい感染が、日本で出て来ないとみんな思っていたんでしょう。
—–大丈夫という気持ちもあると思いますが、たとえば、2000年初期に入って、SARS(サーズ)ウィルスが出て来た時は、驚きました。100年単位ではなく、半世紀、いや四半世紀の単位で、これからもどんどん出て来ると思います。
五十嵐監督:花田ミキさんが生きていたら、何をしたんだろうな、と時々思います。
—–彼女なら、衛生面をもっと充実させるだけでなく、今の時代に生きていたら、花田ミキは何をされていたでしょう。
五十嵐監督:それでも、彼女は動くでしょう。アメリカに行くのか、もっと行動するでしょう。ワクチンを持って来るかもしれないでしょう。具体的に行動する方ですから、頭で考えるよりも行動する方なので、じょっぱり精神は今の時代にも健在です。
—–最後に、映画『じょっぱり 看護の人 花田ミキ』が今後、今回の上映を通して、どう広がって欲しいなど、何かございますか?
五十嵐監督:今まで私の作った作品は、さほど有名じゃない人で、尚且つ、本物である人物に興味を持っているんです。以前映画化した金子みすゞもその当時はあまり知られていなかった人物でしたが、素晴らしい詩を書く方です。あと、田中一村という奄美大島で亡くなった日本画家も素晴らしい絵を書くにもかかわらず、ほとんど知られていません。そんな方が、日本にはたくさんいます。ほぼ知られておらず、光が当たっていないんだけど、過去に行った業績が素晴らしい方は、たくさんいると思うんです。そんな方々の企画は、今の日本のどの映画会社に持って行っても、企画としてなかなか通らないんです。今はアニメか、本が何冊売れているか、役者は誰が出るのかで、みんな判断するので、花田ミキさん何をした方なのか、みんな分からないと思うんです。でも彼らの業績は、素晴らしい事ばかりなので、そんな方々に興味を持って、映画にしたいと思っています。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『じょっぱり 看護の人 花田ミキ』は現在、関西では9月14日(土)より大阪府の大阪シアターセブンにて上映中。
(※1)ブギウギ茨田りつ子のお国ことば『じょっぱり』って何?https://www.nhk.or.jp/aomori/lreport/article/000/22/(2024年9月12日)
(※2)青森ねぶた祭https://www.nebuta.jp/(2024年9月12日)