アスファルトを焦がせ!映画『Rodeo ロデオ』
風の中、疾走するバイク、エンジンの吹かし音、大型バイクと共に駆ける女性、今日もまた彼女はバイクと共に駆け抜ける。
映画『ロデオ』は、フランスの低層階級の一人の女性が体験する歪な男社会や縦社会を痛烈に皮肉ったバイカー映画だ。
今までにバイク×女性という組み合わせで構成された映画はあまり観たことがなく、ノンバイナリーを自認している女性監督の視点から描かれた点は、非常に真新しく、新鮮。
バイクに跨り風を気持ちよく切る姿や表情、エンジンを強く握る両手、颯爽と風に靡く長い髪、彼女がバイクと一体となって、躍動し生きているのが手に取るように分かる。
女性の体の一部が、まさにバイクと言わざるを得ないほど、彼らは共に同じ時間を過ごしている。
社会は、女性にとってはまだまだ生きにくい世界ではあるものの、そんな負の感情や負の連鎖を払拭させるかのように、女性は生き生きと馬に跨るようにバイクに乗る。
近年、女性バイカーが増えつつあるという記事(※1)を見つけた。
書かれている内容は、時代を遡れば、70年代から80年代頃、女性たちがこぞってバイクに乗るようになったと言われている。
その時代には、テレビやラジオ、雑誌といったメディアに露出して、活動する女性人気バイカーの存在もまた、人気に拍車をかけたと言われている。
この記事内の書き手は、ここ最近、女性のバイク乗りが増えているといい、その背景にはコロナ禍が大きく影響し合っていると述べている。
窮屈な日常、外出禁止、一人鍋、一人カラオケ、一人焼肉など、おひとり様御用達の社会風潮が、一気に広まった時代背景。
その影響が、一人バイクツーリングに結びついたのものと考える。
それだけでなく、政府のステイホーム施策が、人々の心を寂寥の念へと追い立てた。
そんな時に、フラストレーションが溜まった人々が、自己のストレス発散のために始めたのが、大型バイクでのツーリングではないだろうか?
自身はバイクどころか、車の免許すら取得していない人間なので、乗り物(特にバイク)に乗る方のお気持ちは、なかなか察することはできない。
ただ、この閉塞的な社会の中で何か心の捌け口や発散、拠り所になっているのが、彼ら彼女らにとってのバイクで、私たち映画好きが映画を拠り所にしているのと、何ら変わりがないことに、今改めて気付かされた。
ご近所のバイクの騒音問題なども、必ずあると思うが、まずはお互いが、それぞれの「好き」な事に理解を示せる、そんな世の中になってくれればと願う。
また、本作はフランス映画だが、世間のフランス(またはフランス映画)へのイメージは、少し固くて、哲学的で、もしくはオシャレで、眩い世界。
または鼻につくなど、様々な感想を持っていると思うが、フランス人の感性はアメリカや他国の諸外国の人々と比べて、正直ぶっ飛んでいると、個人的には思う。
たとえば、ジャン・リュック・ゴダール監督のような哲学的な作品もあれば、ジャック・ドュミ監督のようなオシャレなミュージカルものもある。
その反面、ホラー映画では、『ハイテンション(2003)』や『屋敷女(2007)』『マーターズ(2008)』など、血糊を作中に惜しげもなく注ぎ込んでいる。
フレンチホラーは、フランス映画の概念を覆す力強い表現力を持っている。
また、コメディ映画で言えば、『Mr.レディMr.マダム(1978)』『メルシィ!人生(2001)』『奇人たちの晩餐会(1998)』『ボン・ボヤージュ 家族旅行は大暴走(2017)』『シャイニー・シュリンプス!愉快で愛しい仲間たち(2019)』『真夜中のパリでヒャッハー!(2014)』『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション(2019)』など、風刺やアイロニー、そしてコメディのスパイスが効いた他国にはない独特な作風が目立つ。
フランス映画は、哲学的でオシャレ映画が多いイメージを昔から持たれやすい国だったが、私の目から見たら、各ジャンル振り幅の大きいフランス人特有の感性があるのではないかと、勝手に内心思っている。
この辺りは、様々な異論や解釈があると感じているので、いい意味での討論やディスカッションを重ねたい。
近年では、低所得者層や移民問題と言ったフランスが抱える負の部分を取り扱ったドラマ系の作品が、多く製作公開されている点に対して、耳目が集まっていると感じている。
一例を挙げるなら、『君を想って海をゆく(2009)』『レ・ミゼラブル(2020)』『ディーパンの闘い(2015)』『太陽のめざめ(2015)』『ファヒム パリが見た奇跡(2019)』など、2010年以降、この分野の傾向が高まっているのではと、推測もできる。
これらの作品群の中に、本作『Rodeo ロデオ』をカウントしても、遜色がないのではないだろうか?
この作品の物語は、低所得者階級に属する女性が、男社会や縦社会の厳しいバイカーの世界で自身の居場所を必死に探そう求めようとする話だ。
その点における描写や人物設定、時代背景が、今を必死に生きようとする私たちの心に共感しうる何かがあるのだと、自身はそう感じる。
本作を監督したローラ・キボロンさんは、あるフランスのインタビューにて、自身の性自認であるノンバイナリーに関して、聞き手から「ノンバイナリーであることは映画の作り方に影響を与えていますか?」と、少し踏み込んだ質問に対して、彼女は非常に誠実に答えている。
私自身、インタビューをする者として、この質問は作品や監督の本質に迫った良い内容だと感じる。
ただ、捉え方によれば、非常にナイーブでセンシティブであり、相手によれば、相手の心を傷付け、踏み躙るような際どい質問でもあるが、それをちゃんと聞ける聞き手の姿勢は素晴らしい。
さて、この質問に対する監督の答えは以下の通りだ。
QUIVORON:“Oui. Dans l’écriture, cela donne un questionnement sur les systèmes de représentation et d’identification. Le fait d’être non-binaire offre une forme de liberté dans la création de personnages qui ne sont pas univoques, ça offre une forme de pluralité dans l’indéfinition. C’est très créatif en fait. Et c’est un rapport au monde aussi, je trouve.La non-binarité est quelque chose que j’ai découvert assez tardivement. En fait, j’ai passé quatre ans à écrire mon film, à construire l’intrigue et les personnages, et pendant ces quatre ans j’ai aussi passé énormément de temps à me déconstruire. Je suis une femme mais je ne m’identifie pas aux normes du féminin, je ne m’identifie pas aux normes du masculin, et pour moi ce qui est hyper essentiel c’est le spectre qu’il y a entre les deux. Il y a une lecture qui m’a beaucoup guidée, parmi d’autres évidemment, c’est Un appartement sur Uranus de Paul B. Preciado. Dès qu’on remet en question les paradigmes du masculin et du féminin, ça crée un nouveau rapport au monde, qui est beaucoup plus libre, plus juste. Moi par exemple, mon corps a toujours été difficile à porter. On ne choisit pas notre corps. Donc j’aime bien cette forme de liberté. Julia, l’héroïne du film, est un personnage qui est hérité de mon expérience personnelle, intime, de ces lectures, et aussi de ce que j’ai pu observer des femmes rideuses pendant sept ans sur les lignes de cross-bitume.”(※2)
キボロン:「文書化すると、本作は表現と識別のシステムに関する疑問を引き起こしています。非バイナリであるという事実は、明確ではないキャラクターの作成において、ある種の自由を、また不特定の複数性の形態を提供します。実は、とてもクリエイティブなのです。そして、それは世界との関係でもあります。非バイナリティーは、私自身、かなり遅れて発見しました。実際、私は映画を書き、プロットと登場人物を構築するのに4年間を費やしました。その4年間は、自分自身を解体するのに、多くの時間を費やしました。私は女性ですが、女性性の規範にも共感しませんし、男性性の規範にも共感しません。私にとって非常に重要なのは、この2つの間のスペクトルです。私を大いに導いてくれた本があります。それは、ポール・B・プレシアド著「Un appartement sur Uranus」です(恐らく、翻訳されていない外国の書物)。私たちが、男性と女性のパラダイムに疑問を抱くとすぐに、より自由で公平な世界との新しい関係が生まれます。たとえば、私たちは自分の体を選んでいません。だから、私はこの自由な形がとても好きです。この映画のヒロインであるジュリアは、私の個人的で親密な経験、これらの読書、そしてクロスビチューメンラインで7年間女性ライダーを観察することができたものから受け継いだキャラクターです。」と話す。
正直、映画を観ていて入り込めない雰囲気もあったが、この監督の言葉を目にして、ある種、納得した部分もある。
言うなれば、この物語の女性は監督自身でもある。
また、描いている世界は、男性もしくは女性、どちらの世界でもない。
これは、私達が人として、これからの未来をどう生きていくか、指し示してくれている。
男性や女性という性の括りで他者を品定めするのではなく、同じ人として互いを尊重できる社会を構築することこそが、これからの課題であると、本作は私達に問い掛けているようでもある。
今の社会は、女性にとっては、まだまだ生きにくい世の中だ。
いや、女性だけではない、マイノリティも、障害者も、健常者の人間も皆、人として生きにくさを感じているだろう。
その感情が、どうやって生まれ、どこから来ているものなのか、まだ誰にも分からない。
ただ、漠然とではあるものの、誰もが今の社会が生きにくさを感じている。
その原因は、一体どこにあるのだろうか?
それを突き詰めようとすれば、もしかしたら、本作に辿り着くのかもしれない。
それでも、まだ女性が女性として、この社会がまだまだ安心できた世界ではないことは、事実としてここに記したい。
近頃、ベビーカーを押す女性にある男性が、「邪魔だ」と言って母親を押し、乳母車の取っ手を掴み、母親共々、交番に連れて行こうとする動画とニュース(※3)が報道され、波紋を呼んでいる。
迷惑行為をした男は、後に警察によって連行されたが、この男の行動の意図が理解できない。
日本社会は、女性にとって、まだ安心して外を出歩ける社会ではない。
外国に行けば、もっと危ない地域はあるが、ここは日本。
世界各国から安心安全と注目されていても、危険は隣り合わせだ。
また、政府は日本の少子化にストップをかけようと、先日3年化計画のビックプロジェクト(※4)を発表したばかりだ。
賛否両論は必ず起き、今、日本社会は揺れに揺れている。
内心、子育て世代に手厚い施策を打つのはいいが、独身者世代の国民にも何か配慮が必要ではないだろうか?(自身の本音)。
伝えたい事はまだまだたくさんあり、皆さんは旧優生保護法(※5)という過去の法律を知っているだろうか?
戦後日本は、食糧難や経済復興が日本社会の大きな問題を抱えていたが、その時代は障害者の人権はなかったに等しい。
健常者の子どもを育てるのにも非常に大変な時代、障害者が産む子どもの負担を考えて、この旧優生保護法という法律が生まれた。
でも、内容は人権なんて言葉がないに等しいほど、障害者の人権蹂躙が行われていた。
この法律が原因で、今でも苦しめられている方々は沢山おられ、国を相手に裁判で戦っている。
そんな中、先日、脳性麻痺の方が実名で名乗りをあげた報道(※6)がされた。
この方の勇気には感服せざるを得ないが、そんな彼女の姿を見た健常者たちが、ネットの匿名性を利用して、辛辣な言葉を投げかけている現状には、やるせなさを感じる。
直接、この方に会って、目と目を合わせて、同じことが言えますか?
本当に卑怯な人が増えたと思う。
彼女は子どもを産めなかった、産みたかった事を訴えてるのではなく、人として女性として妊娠する権利を奪われた事への悲痛な想いを実名を出して訴えているにも関わらず、一部の第三者は人の心を持たない、冷たい人がいる社会にも辟易してしまう。
自身、強い憤りを感じてしまう。
最後に、本作『Rodeo ロデオ』は一人の女性の姿を通して描かれているのは、女としての、マイノリティとしての、尊厳だ。
彼女はただ強く生きようとしただけであって、それは誰もが当てはまる生きることへの原理。
女性やマイノリティだけでなく、障害者や健常者、よりもっと多くの人間が、人として、ちゃんと扱われる時代が来ることを切に願う。
本作は、そんな未来を少しでも露呈しているかのような作品でもあるのだ。
映画『Rodeo ロデオ』が現在、関西では6月9日(金)より大阪府のシネ・リーブル梅田。京都府のアップリンク京都。兵庫県のシネ・リーブル神戸にて、絶賛公開中。また、全国の劇場にて順次、公開予定。
(※1)女性ライダーが増えた理由、どう考える?【バイク女子部のRide on Time】https://ridersclub-web.jp/column-755349/(2023年6月13日)
(※2)生後8カ月の息子が乗るベビーカーに….. 男性“体当たり” 「パニックに」 被害女性怒りhttps://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000303081.html?display=full(2023年6月14日)
(※3)LOLA QUIVORON : « LE FAIT D’ÊTRE NON-BINAIRE OFFRE UNE FORME DE LIBERTÉ DANS LA CRÉATION DE PERSONNAGES »https://urbania.fr/article/lola-quivoron-le-fait-detre-non-binaire-offre-une-forme-de-liberte-dans-la-creation-de-personnages
(2023年6月14日)
(※4)首相「若者の所得伸ばす」 児童手当を24年10月に拡充https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA121OT0S3A610C2000000/#:~:text=%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%AF2024%E5%B9%B410,%E3%81%AE%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%BE%E3%81%A7%E5%BB%B6%E9%95%B7%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%82(2023年6月14日)
(※5)旧優生保護法 いきさつなど調べた国会の報告書案まとまるhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20230612/k10014097441000.html#:~:text=%E3%80%8C%E6%97%A7%E5%84%AA%E7%94%9F%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%B3%95%E3%80%8D%E3%81%A8,%E3%82%92%E8%AA%8D%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82(2023年6月14日)
(※6)脳性まひの75歳女性「残酷な法律を作った責任を取ってほしい」 旧優生保護法下の不妊手術で国を提訴https://www.tokyo-np.co.jp/article/204880(2023年6月14日)