「自分らしさとは何か」「価値とは何か」を問う映画『道草』片山享監督インタビュー
—–まず初めに、本作『道草』の制作経緯を教えて頂きますか?
片山監督:映画『まっぱだか』をご覧になられていたらお分かりだと思いますが、僕自身も役者としての経歴が長く、(※1)芸能事務所High Endzに所属していますが、2020年に監督デビューしました。
まだ3年ほどしか経っていませんが、2020年のコロナ禍に入る時、『轟音』を初めて劇場公開させて頂けました。
その時、皆さんから口を揃えて「コロナが無かったらね~」と言われて、正直その言葉が心に引っかかっていたんです。
誰も悪くないのに、常に心につっかえていたんです。
海外の映画祭に出品した反面、僕自身は一つも行けなかった経験があります。
モヤモヤしている中、事務所の代表に2020年の忘年会をどうしてもしたいと、二人で小さく行いましたが、その際に代表と一緒に「なにか、やろうよ」と話したところから始まりました。
ちょうど同時期にシネマ・カメラを買ってしまったんです。
コロナ禍が始まり、カメラを買って、撮影できる環境を整えました。
そして第一弾の映画『わかりません』を製作しました。
第二弾となる本作『道草』は、国が政策を行った(※2)AFFを利用して製作に乗り出しました。
—–映画『道草』の着想は、どう生まれましたか?
片山監督:芸能事務所High Endzには、多くの関係者の方が所属していますが、そのメンバーの中に5人のおじさんと一緒に映画の企画を立ち上げました。
僕と代表と本作『道草』にご出演している武藤役の大宮将司さん、また映画『わかりません』の主役の二人、ボブ鈴木さんと木原勝利さんの、この五人が近所で住んでて、集まりやすいというそんな理由から、気心知れたメンバーが集まって、どんな作品を作ろうかと話し合いました。
その時に第二弾を作ろうという話になり、僕がやりたかったテーマがありました。
それは本作でも描かれていますが、この世界で言われている「価値」とは何か?という疑問を掘り下げる事をやりたかったんです。
それは何故かと言えば、映画『轟音』を上映している際、役者としては鳴かず飛ばずで売れている訳でもなく、仕事だけはある状態でした。
元々、映画は撮りたいと考えていましたが、役者を目指す人間が監督に転向する事によって周りから嫌われたくない気持ちもありました。
そんな事を考えていると、なかなか踏み出せない自分もいました。
30代後半になり歳も重ねて、これからの人生の後半を考え一念発起して、映画を撮ろうと決意しました。
その作品が2020年の2月に公開される中、他人が抱える人の価値について如実に分かったような気がしたんです。
その時は、少し戸惑いました。自分を取り巻くすべての環境が変わっていないにも関わらず、他者から僕に対する価値だけが上がって行ったんです。
話し方が変わったと言えばわかりやすいかもしれませんが、周りの態度も代わり違和感も感じました。
その時強く感じたのが他人の価値に翻弄されてはいけないと、感じたんです。
人が思う価値と、自分が思う価値は全然違うんですが、それらを混同すると自分が何者なのか分からなくなってしまうなと。
自分の価値は変わっていないのに、他人の価値が変わっているから、捉え違えるとそれが自分の価値として捉えてしまうようにと感じました。
小さい事ですが褒められたり、持ち上げられたりする事は嬉しく有難い事です。
しかし自分の中では非常に違和感を抱いていました。それを覚えていて、「価値とは何か」を問う映画はいつか撮りたいと願っていました。
今回のタイミングをで自分が感じた「価値」についての作品を作りたいと提案したんです。
その際代表がある画家に会った話をしてくれました。
代表が買った絵画が事務所に壁に掛けられていたんですが、皆で画家や絵の価値について話し合ったんです。
詳しくない業界でしたが、分からないなりに絵の価値についてはずっと疑問を抱いていました。
例えば、自分に書いてくれた下手な絵でも、自分の中では価値がある存在ですよね。
絵画という価値が、非常に曖昧であると感じました。
よって作品の主人公を画家として設定し、価値についての物語を紡ぎ出せないかと至った結果、映画『道草』が生まれました。
—–作品の主人公は画家ですが、作品概要ではアーティストに限らず、普遍的なテーマを取り扱うと説明していますが、なぜ画家という職業に焦点を当てて、物語を構築されましたか?他の職業でも、同じように「価値」について、表現できたと思いますが…。
片山監督:そうですね。今お話した要素が非常に強いと思います。
役者や映画の価値も凄く曖昧なんですよね。
自分が好きな映画もあれば嫌いな映画であっても、他の方は好きな可能性もありますよね。
映画への価値観は、人によって違うので非常に曖昧な分野です。
それこそ、物語の中にも出てくるように誰かが良いと言ったものが良くなってしまったり、誰々さんが書いた作品評の中で褒めていたから面白いという価値観は、いいことだと思います。
ただ、なぜなんだろう?と感じる時もあります。
その人本人が良いと感じれば、それでいいんじゃないかと。
僕はそう思っていますし、特に絵画にはわかり易さもあり、抽象画の中にも技術があると思っています。
例えばピカソの絵が下手くそに見えて、自分でも書けるのではないかと、思うかもしれないですよね。
もしかしたら技術的に、凄いことをしている可能性だって否定はできないです。
絵画には、朧気な価値観が存在している事が非常に分かります。
その上、事務所の代表が偶然に出会ったタイミングもあり、今回の作品の設定では「画家」を選びました。
—–本作の脚本も片山監督が書いておられますが、画家を主人公にした物語は監督・役者という同じアーティストとして、ご自身がご経験された、もしくは感じた事を参考に、シナリオを書きましたか?
片山監督:それは物語の中にたくさん入っています。
劇中にお金持ちの方が出て来ますが、あの人が褒めたから良いものであると認識されますが、その前はゴミ箱に捨てられている絵画だったんです。
誰かにとってはゴミであり、捨てる対象の物だったのは間違いないんです。
ただ誰かが良いと言った事によって、それは良い物になってしまう傾向があります。
僕はそれが良いと思っていますが僕自身も自分の作品を公開した事によって、自身の中にある種のステータスが生まれて来るんじゃないかなと思うんです。
そうする事によって、価値感が構築されているんだと。
でも僕自身はそうは思ってはいないですが、主人公の彼はそれに翻弄されて行く訳です。
それが人のため、彼女のためではあり、決して悪い事をしようとしている訳ではありません。
だからこそ、罪深いんです。
映画を通して言いたいことは、それでいいんだよと。
僕自身もそれと闘っているんですよ、ずっと。
でも他の人の価値や評価を気にしてしまいますよね。
あくまで商売だから、面白いと思ってもらえる作品は作りたいと思ってしまいます。
いつもその感情との戦いではあるんですが、いいんだよと言い聞かせています。
お前は面白いからいいじゃないかと思っている自分と、評価されないといけないと思っている自分との葛藤もあります。
その要素は作品にたくさん入っていると思うんです。
主人公の道雄は、ある種僕でもあります。
普段の自分の考えを入れつつも、否定はしたくないと考えています。
優しく見守れたらいいなと。
—–ある種、アーティストやクリエイターの葛藤ですよね。他人からどう思われているのか、自分の信念を大切にするのか。
片山監督:そうですね。モノ作りをする人だけでなくて、恋愛をすることも似ている部分はあると思います。
その人が好きという想いに対して、尾ひれを付けるべきか。
そういう意味で普遍的なテーマがあると感じられる要素がある事が、マジョリティで生きるべきなのか、マイノリティで生きていくべきかという葛藤は少なからず集団で生きている以上はあると思います。
それに対して一つの提案として、受け止めてもらえたらと思うんです。
—–本作は、物語に技巧があったり、トリック的な要素があったりする訳ではなく、非常にストレートは、真っ直ぐな印象を受け取りました。片山監督自身が、この作品を客観的に観た時、映画を通して、どういう印象を受けましたか?
片山監督:そうですね。ダメな人だなと感じますね。
そんな事をしてはダメだよと。
そういう方向に向かっていく主人公にダメさ加減を感じつつ、それが主人公を演じてくれた青野竜平さんだからこそ、あまり嫌味が出ていないかと思っています。
ダメな部分もありますが、愛せる共感しやすい要素もあります。
そういう雰囲気を醸し出しているのは、主人公を演じた青野さんのおかげです。
僕が演じていたら、おそらく単純なダメ人間になっていたと思います。
物語を通して素直に、これから彼の生活や人生が始まって行くんだなと思えた事は財産だと思います。
彼女の幸には申し訳ない事をしてしまう彼ですが、物語全体を通して少しでも「多幸感」を感じれば、と客観的には思います。
—–本作の肝には、画家の青年の人生の物語だけではなく、絵画そのものにも作品を良くする要素が溢れていると思います。今作に作品提供として参加されている画家の大前さんが表現する絵画には監督は何か惹き付けられる要素があると思いますか?
片山監督:代表が持っていたのが大前さんの作品でした。
だから最初に大前さんにお会いし、描き殴られた抽象画の絵を観た時、僕には無理だと思いました。
僕には、彼が描く世界観を表現するのは絶対にできないと感じたんです。
その部分は着想にも入っており、自分と真逆な感性を感じる事ができました。
だからこそ道雄は写実的な絵画を描いています。
彼は自分が心地よい時に絵を描く人間なのかなと。
おそらく大前さんとは真逆な青年として道雄を描いています。
本作では、道雄の絵として発表しますが、圧倒的にその絵が持っている価値が違うものがあるんです。
自分が普段持っているモノとは真逆な存在だったので、だからこそ、ぜひ大前さんの作品を使わせて頂けたら作品を通して、幅広い表現になるんじゃないかなと思いました。
—–一部抜粋ですが、公式ホームページの作品紹介において、「自分らしさとは何か?価値とは何か?」とありますが、片山監督が考える「自分らしさ」や「価値」とは、なんでしょうか?
片山監督:自分らしさ…価値…ですか…。
分からないと答えてしまうと元も子もないですよね。
なぜ分からないかと言えば、僕にとっての「価値」とは、今なんです。
今の自分が、最大の価値かな?と。
今現在の自分を信じられるかどうかです。
多分、過去にも未来にも価値はなく「今」にしか価値は見いだせないんです。
今ある価値を信じるのは怖い事ですよね。
僕自身もまた、できることはではありませんが、そういう人になりたいと、常々思っています。
過去にも縋りたくありませんし、未来にも期待したくないんです。
—–「今」を生きてこその価値ですね。
片山監督:「今」という自分が一番、大切にしたいですよね。
なかなか、思えない事ですが本当に過去には翻弄され、未来には期待してしまいますよね。
とかく今の自分を真っ直ぐ見る事は、難しいですね。
「自分らしさ」や「価値」とは”今を生きる自分自身”だと思うんですよね。
非常に難しい事ですし、今の自分にも全然向き合い切れてない上、とても怖い事でもあります。
でも本作『道草』は、そんな話でもあります。
どれだけ情けない人生であろうが今の自分をちゃんと見つめて居れば、未来は自分が思い描く未来になっていますよね。
やはり何か違う価値観や考え方を通して自身を見つめ、過去に縋り、未来に期待してしまっているんだと思いますね。
—–映画の表題となっている「道草」ですか、この「道草」という言葉に対して、何かお考えはございますか?この言葉に対する、片山監督のお考えについて、お話頂けますか?
片山監督:映画『道草』という言葉の意味を調べたら「目的地に向かうまでの途中」という意味が出てきました。
道雄もそうですが、きっと道半ばであって、その途中というのがすごく良いなって思いました。
それと単純に世間的な認知である「寄り道」的な意味合いも大事にしたいなと。
真っ直ぐに目的地に向かうより、寄り道しながら行く方が目的地まで着いた時の喜びも違うし、色んな経験もできる。
きっと無駄なんてことはひとつもなくて、だから道草食ったっていいんです、それでもゆっくり前に進みましょうという意味を込めています。
—–最後に、本作『道草』の魅力を教えて頂きますか?
片山監督:お伝えしたい魅力は沢山ありますが、もし選べるとしたら、やはり魅力的なキャスト陣と思います。
「価値」というテーマをひとつ掲げているので、登場人物にはそれぞれの価値観を担っていただきました。
それを俳優が、それぞれ役者として、そして人として『道草』という映画の世界を生きてくれました。
そのおかげで観ている方々もその誰かに寄り添えたり、また自分の価値観というものを顧みたりすることができるのではないかと思っています。
—–貴重なお話、ありがとうございました。
映画『道草』は現在、4月8日(土)よりシネ・ヌーヴォにて1週間限定上映。順次、元町映画館にて公開予定。京都の公開劇場は現在、調整中。
(※1)芸能事務所High Endzhttps://www.highendz.net/(2023年4月7日)
(※2)ARTS for the future!https://www.bunka.go.jp/shinsei_boshu/kobo/20210326_01.html(2023年4月7日)