映画『激怒』高橋ヨシキ監督インタビュー
—–本作『激怒』が持つテーマを教えて頂きますか?
高橋:それが一言で言えるなら、映画を撮ることはなかったと思います。
映画は一定の時間の中において、さまざまな映像と台詞、音楽や音響効果を組み合わせることで、なんらかの情動や反応を観る人の中に喚起させる表現形式です。
そういうやり方で「テーマ」を伝えたいと思っているわけで、ここで「本作のテーマとはこれです」と言ってしまうと、「映画」を作った意味がなくなってしまいます。
—–作品におけるコンセプトも、明確ではないのでしょうか?
高橋:物語がある以上、当然そこにはコンセプトもあります。しかしテーマ、あるいはコンセプトは複合的なもので、これもまた一言で説明するのは難しいです。
これが例えばコマーシャルであれば「商品を売る」もしくは「商品を売るためにその魅力を伝える」という最終目標が(基本的には)明快なので、「コンセプト」もおのずと分かりやすいものになります。
しかし映画や文学はCMとは異なります。何かを売ろうとしているわけではない。
強いていえば、作品を通じて何らかの興奮、何らかのショックやカタルシスを与えることができればいいなとは思っていますし、そのことによって観る人の中に何かーーそれはものの見方かもしれないし、感じ方、考え方かもしれないーーが喚起できたら嬉しいとも思います。
それを「コンセプト」と呼ぶかどうかは別としてです。
—–本作のシナリオを書くにあたり、どこに重点を置いて、物語を構築されましたか?
高橋:一般的な回答になってしまいますが、ひとつはキャラクターを魅力的にできるかどうかということです。
これは主人公に限った話ではなく、敵は敵としてやっぱり魅力的である必要があります。
基本的に『激怒』は伝統的なジャンル映画の枠に則った作品で、その根底には西部劇があります。
面白い娯楽映画には「いい悪役」が必要だ、というのもそういう考えに基づいています。
—–善がいて、悪がいて。勧善懲悪が機能する作品ですね。
高橋:マカロニ映画などに顕著ですが、西部劇といっても勧善懲悪だけではないですよね。
『激怒』も勧善懲悪の映画と言い切れるかといえば、それだけではありません。
ただ主人公のキャラクターや物語を考える上で、ぼんやりと西部劇を意識していたということはあるかもしれません。
『激怒』の主人公はアメリカに精神治療のために送られて、その後帰国するわけですが、これは「新しい町に来た保安官」の変奏曲だと考えることも可能です。
町は有力者に牛耳られていて、保安官は手も足も出ない……そういうようなことです。
—–作品全体の画作りに関してですが、特殊メイクやVFXなど、ビジュアル面において、何か強い拘りはございますか?
高橋:特殊効果も含め、映画のルックについては細心の注意を払って臨みました。
とくに照明には気を遣っています。映画らしい、立体感と深みのある画を実現する上で照明が果たす役割は絶大です。
ぼくは陰影がきつめでドラマチックな照明が好みなので、もちろん場面の要請に従った上でですが、そういう画作りを心がけたつもりです。
—–個人的には、中盤から終盤に差し掛かる、料亭の場面の照明が美しく感じました。
高橋:照明を担当していただいた岩丸さんという方が非常に優秀で、おおいに助けられました。
岩丸さんが事前に用意してくださった最新のLED照明機材も本作には使われています。
スマートフォンを使って瞬時に色合いや明度を調整することができるもので、そういう機材のおかげでタイトなスケジュールにも関わらず、豊かな照明効果が実現できました。
—–数年で照明の現場も、ガラッと変わったようですね。今まではセロハンだったものが、今はスマホひとつで、多くの色彩を出せるまでになりましたよね。
高橋:非常に便利になったと思います。映画がデジタル化したことでカラーグレーディングの自由度も飛躍的にアップしています。
—–オープニングとエンディング。特に、オープニングの効果音や不快音が、とても気になりました。このパートをご担当されたゴシック・アーティストのダニエル・セラさんには、監督が持つイメージを伝えて、映像作品として昇華させましたか?
高橋:オープニングのモーション・グラフィックは佐伯雄一郎さんという、これまた非常に優秀な方にお願いしています。
そこで使われているイラストレーションを描いてもらったのがダニエル・セラさんです。
彼にはオープニングとエンディング用に2枚のイラストレーションを描き下ろしていただきました。
彼は欧米で大変人気の高いアーティストで、スティーヴン・キングやクライヴ・バーカーなど錚々たるホラー作家の書籍のカバーやグラフィック・ノベルで知られています。
ダニエルとは個人的に以前から親交があったのでお願いしたところ、2つ返事で素晴らしいイラストレーションを描き下ろしてくれました。
—–ノイズ・ミュージックで映像表現されているオープニングには、とてもゾクゾクさせられ、引き寄せられました。
高橋:ありがとうございます。これから一体何が始まるのか、期待と不穏が入り交じった感覚を中原昌也さんが見事に表現してくれたと思います。
—–不快感が、逆に心地良いんだと思います。作品の入口としては、とても魅力を感じました。
高橋:ぼくは映画の最初に題名が出る映画が好きで、できればオープニング・クレジット場面があるといいなと思っています。
好みの問題でもありますが、デイヴィッド・クローネンバーグ監督もいうように「これから現実とは違う異世界に入っていくんだ」というゲートウェイとしてオープニング・クレジット場面が機能していると思うからです。
—–川瀬さんが演じておられる、深間刑事という人物像が、映画『虎狼の血』の役所広司さんが演じられておられる大上章吾役と重ねて見ることができましたが、監督自身、あのキャラクターの発想はどのように思い付きましたか?
高橋:たとえば主人公が暴力を振るう刑事である、という設定が決まっているとします。
そうしたら、そこから逆算して、ではなぜ彼は暴力を振るうのか、誰に対して振るうのか、そのことで何が起きて、前後で何が変わるのかと。
当たり前のことを言うようですが、周囲の人や状況とのインタラクションの中にキャラクターがあるわけで、そこから物語が生まれていくし、人物像の焦点も合っていくんだと思います。
—–冒頭のクレジットの効果音であったり、テロップでの「重低音のため、イヤフォンで視聴をお願いします。」という注意喚起を流すほど、「音」に対して強く気を配っておられるように感じましたが、監督自身は作中における「音」で何を表現しようとされましたか?
高橋:音は映画において最も重要な要素の一つです。音楽や音響はときに非常に強い印象を与えるものだし、観た人の記憶に刻まれるものでもあります。
映画のサウンドトラックを聞いた瞬間、特定のシーンがありありと思い浮かぶ、という経験のある人も多いと思います。
『イレイザーヘッド』を思い出してほしいんですが、あの作品が際立ってユニークなものになっているのもアラン・スプレットの手掛けたノイズ・ミュージックあればこそです。
『イレイザーヘッド』は極端な例かもしれませんが、映画における音楽や音響効果の重要性はいくら強調しても足りません。
『激怒』でもそこは気をつけています。
今ここで静かにすると、空調の音というか、アンビエント音が少し聞こえてくるのが分かりますよね。
—–環境音ですね。
高橋:そういう、ほとんど意識に上らないような音も『激怒』では状況に応じて細かく作り分けていただいています。
そのことでシーンの雰囲気も変わるし、感情も刺激されるからです。
—–音にも注目して、作品を鑑賞したいです。
高橋:ぜひ、そうしてみてください。
—–高橋監督は、本作で長編映画デビューされましたが、本来は映画評論家、映画ライターとして、作品を分析していらっしゃる立場でもおられますが、今回は作り手という立場から作品を観られる(観てもらう)という事に関して、何か作っている時に気をつけていたことは、ございますか?
高橋:立場がどうこうということは全くないです。何であれ、手を抜かずに丁寧に取り組むということ以上のことはないからです。
—–少し失礼かも知れませんが、自身の作品に対して、批評されても大丈夫でしょうか?
高橋:完成した作品が批評の俎上に載せられるのは当然のことで、何も問題ないです。
気に入る人もいるだろうし、そうでない人もいるでしょう。
それは当然のことです。逆に「万人が喜ぶ作品を作ることができる」と思っている作り手がいるとしたら、それはおかしいと思います。
作品に対する他者の評価は作者のコントロールの及ぶ範囲ではないからです。
—–最後に、本作『激怒』の魅力を教えて頂きますか?
高橋:最初にもお話したように本作にはいろいろな要素が入っています。
しかし基本的にはシンプルなエンターテインメント映画として楽しんでもらえるように作ったつもりです。
なので、あれこれ考えながらも肩肘張らずに楽しんでいただければ嬉しいです。
—–貴重なお話を、ありがとうございました。
映画『激怒』は、8月26日(金)よりテアトル梅田、京都みなみ会館、9月3日(土)より元町映画館にて、絶賛公開中。また、9月3日(土)にはテアトル梅田、元町映画館、9月4日(日)には京都みなみ会館にて、高橋ヨシキ監督、川瀬陽太さんの舞台挨拶を予定。