映画『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』人には、優しくあれ。

映画『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』人には、優しくあれ。

自由はいつも心の中に映画『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』

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大人のためのおとぎ話は、どこか荒唐無稽ではあるが、胸が熱くなる心温まる物語。言われの無いスパイの罪で投獄されてしまった一人の男の数奇な人生を描く寓話。牢獄生活は苦難の連続だが、ただ一つ、罪人として希望と幸福を捨てずに、明日を夢見る事を諦めなかった人生に感服の想いが溢れて来る。出生時から不遇の人生を歩まざるを得なかった唯一無二の人生は、誰の生き方にも当てはまらない崇高な生の歩み。けれど、不幸な人生を生きているのは、誰もが同じな事。程度や境遇な違えど、誰もが自身の過酷な人生を生きながら、自分の中にある幸福を探し求めている。たとえば、幼い頃に親からの虐待を受けて育った子どもや大人(※1)は、大勢いる。悲惨な子ども時代を生きた彼等は、自身の未来の生き方について深く考えている。また近年では、子どもを産まない選択をする人を「反出生主義」(※2)と呼び、子どもを産まない事が自身にも産まれて来る子どもに対しても、幸せな事ではないかと考える人が増えている。これからの時代、子どもにどんな未来(※3)を歩ませたいか?大人達は、自問自答を繰り返さなければならない。多かれ少なかれ、どんな人も人生において不遇な出来事を経験する。その時初めて、社会は人に人としての資質を問う。問われた私達は、それに答えないといけない。人としての資質(※4)とは、何か?それは、私達人間が生まれ持った性質や、社会生活を送る上で必要とされる能力や特性だ。具体的に、誠実さや責任感、思いやり、コミュニケーション能力、協調性、リーダーシップ、倫理観などが挙げられる。これら多くの資質は、個人が成長し、社会で活躍するために重要な役割を果たす要素だ。映画『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』は、ソ連統治下のアルメニアを舞台に、無実の罪で収監されたアメリカ人男性が、牢獄の小窓から見える部屋に暮らす夫婦を観察することに幸せを見いだしていく姿を描いたヒューマンドラマだ。人には、優しくあれ。その優しさが将来、必ず自身の手元に還って来る。どんな状況下でも、人への優しさを忘れなかった一人の男の数奇な運命の物語。

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1915年のアルメニアについて、日本人の私達はどんな国で、どんな時代で、どんな歴史を辿ったのか、ほとんどの日本人は知らない。あのドイツのナチス党が非人道的に行ったユダヤ人迫害の手本にもしたと言われるほど、恐ろしい弾圧がこの時代のアルメニアでも起きていた。1915年、オスマン帝国で発生したアルメニア人虐殺事件は、第一次世界大戦中に起こったアルメニア人に対する組織的な迫害と殺害を指す。この事件は、オスマン帝国政府によって計画・実行されたと広く認識され、多くのアルメニア人が殺害され、強制的に移住させられた歴史的事件だ。大まかな概要として、迫害が始まった時期は1915年から1916年頃。場所は、オスマン帝国領、特にアナトリア東部(西アルメニア)。主体は、統一と進歩委員会(青年トルコ党)政権。弾圧の内容は、アルメニア人に対する強制移住、大量虐殺、財産没収。当時の犠牲者数は、100万から150万人と推定されている。近年における国際的な認識は、多くの国や団体がこの事件をジェノサイド(大量虐殺)と認識している。なぜ、アルメニア人に対する迫害が、起きたのか?その背景には、第一次世界大戦中、オスマン帝国は中央同盟国側で参戦し、ロシア帝国との境界地帯であるアナトリア東部とコーカサス地方は戦場となっていた。アルメニア人は、オスマン帝国領内で多数を占める少数民族であり、伝統的にこの地域に居住していた歴史がある。オスマン帝国政府は、アルメニア人を敵国とみなす政策を作り、アルメニア人に対する迫害を強化した背景がある。特に、統一と進歩委員会の指導者達は、アルメニア人を帝国を弱体化させる存在と判断し、彼らを排除しようと画策した。より細かい事件の背景としては、1915年4月24日、オスマン帝国政府はアルメニア人知識人や指導者を大量に逮捕し、処刑した。その後、アルメニア人住民に対し、強制的な移住命令を出し、多くの人々が砂漠地帯やシリア砂漠へと追放された。移住の過程で、食糧や水が不足し、病気が蔓延し、多くの人々が大量移住の途中で死亡した。また、アルメニア人男性は、兵士として徴兵された後、処刑され者、強制労働に従事させられる者もいた。アルメニア人虐殺事件の当時の生存者であるベロニカ・ベルベリアンの証言が残っている。当時、10歳頃の彼女が見た虐殺の光景は生々しいものであった。「私たちは数ヶ月間、外界から遮断されていました。隣の州を結ぶ道路は遮断され、他の居住地のアルメニア人が隣の州や他の州で行われている虐殺について知ることがないようにしていました。私たちの街はすぐに憲兵隊と、驚くべきことに、隣村のトルコ系住民であるバシボズクや犯罪者で溢れかえっていました。男たちの狩りと強奪が始まりました。夕方になると、彼らはアルメニア人男性を両手を縛られた状態で街の外のガラゴチと呼ばれる峡谷に連れて行き、斧で虐殺し、首をはね始めました。虐殺の前に、彼らは彼らの裸をはぎ取り、金品を奪いました。そして皆が、自分の好みに合わせて、鎌、大きな肉切り包丁、短剣、斧、銃剣、さらには石を使って頭蓋骨を砕くなど、虐殺を開始しました。弾丸は節約され、彼らは極端な場合にのみそれを使用しました。結局のところ、弾丸にはお金がかかります。月曜日の朝、司祭だった祖父に率いられたアルメニアの知識人や高官たちも牢獄から連れ出され、同じ場所で同じように徹底的に殺害されました。後にトルコ人の目撃者でさえ、恥も反省もなく、自分たちの「英雄的行為」の詳細を語りました。若者たちが銃弾の代わりに司祭の首を切り落とし、司祭の髭に火をつけ、「お前の神はどこにいる?この状況から救ってくれるよう祈れ」(※6)と。この悲しみは、21世紀になった今も続いている。2000年以降の国際的な反応では、国際社会に大きな衝撃を与え、多くの国や団体がオスマン帝国政府を非難した。一方で、第一次世界大戦の状況下で、オスマン帝国を直接的に制裁する事は困難を極めた。そして現在、アルメニアとトルコの間には、この事件をめぐる歴史的認識の違いが生じ、依然として国家的緊張関係が続いている。またアルメニアは、この事件をジェノサイドとして公式に認定する事をトルコに求めているが、依然として認められておらず、この事件は戦争中の混乱の中で発生した悲劇であると、トルコ側はジェノサイドではないと主張している。近年、アメリカのバイデン前大統領がアルメニア人大量虐殺がジェノサイドであったと国家として初めて声明(※7)を出した。これは、国際的に見ても、国家間的に見ても、歴史的に見ても、大きな一歩になったに違いないが、100年以上が経った今でも、戦いは続いている。

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主人公の男が迷い込んだアルメニア人迫害事件から30年が経つアルメニアは、どんな社会情勢だったのか?第二次世界大戦も終戦を迎え、世界は次の世界に向けて動き始めた頃のアルメニアが、どんな歴史を辿っていたのか、その背景を知る事によって、この作品の方向性も見えて来るだろう。1945年以降の終戦直後のアルメニアは、ソビエト連邦の一部として、厳しい統辞下にあった。ソ連からの独立は1991年まで待たなければならず、その間、経済的な困窮、トルコとの領土問題、そしてナゴルノ・カラバフ地方を巡るアゼルバイジャンとの対立など、多くの課題(※8)を抱えていた。終戦以降のアルメニアは、第一次世界大戦後の混乱期に独立を宣言したが、すぐにソビエト連邦によって、従属関係を余儀なくされてしまう。ソ連の時の指導者スターリンの政策では、アルメニア人の労働力を利用するため、1946年から1948年の間、「祖国帰還運動」を実施した。この運動によって、迫害され国外移住していたアルメニア人が祖国アルメニアに帰還できる政策を打ち立てた。また、ソ連時代から続くナゴルノ・カラバフ問題では、アルメニアとアゼルバイジャンの間にあるナゴルノ・カラバフ地域の帰属を巡る対立が起きていた。ソ連崩壊後、この対立は激化し、武力衝突に発展した背景がある。1991年、ソビエト連邦が崩壊し、アルメニアは独立に成功し、アルメニア共和国として一歩を踏み出した。終戦直後のアルメニアは、ソ連の支配下の元、ナゴルノ・カラバフ問題を抱えながら、復興と独立を目指した時代でもあった。アルメニアは、ひとつの国ができあがるまで、歴史的国際的国家的に複雑な運命を辿った。第二次世界大戦以降、アルメニアは国として、外的に様々な攻撃を受け続けた。その期間を一人のアルメニア人の男は、長い間、言われの無い罪で囚人生活を続けた。独立や戦争に翻弄され続けたアルメニアを尻目に、この映画の男は牢獄の窓から見える老夫婦の幸せを願い続けた。この男と老夫婦の姿を通して、分断や反発を繰り返す当時のアルメニアとソ連、アゼルバイジャンにトルコの姿を風刺しているようでもある。映画『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』を制作したマイケル・グールジャン監督は、あるインタビューにて本作の制作経緯について聞かれ、こう話している。

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「脚本は2018年に書きました。最初はいくつかの要素が複雑に絡み合っていきました。一つは、ウクライナ人の友人から聞いた話です。刑務所にいる知り合いが、刑務所近くのアパートの中を覗き込むことができ、そこに男性が住んでいたそうです。彼は何年もの間、その男性の生活をただ見守っていたそうです。それがとても詩的なものだと私はいつも感じていました。そういうことがあったんです。そして2018年、アルメニアで革命、ビロード革命が起こりました。ジャーナリストだったパシニャンが、誰が見ても非常に腐敗していたとされる政権に対して反乱を起こしました。政権は基本的に元KGBのソ連人で構成されており、ソ連崩壊後のほとんどの国で権力を握ったのは、実質的にソ連出身者でした。私はそこで起こっていることにとても感銘を受け、多くの若者がアルメニアに帰国するのを見て、帰国について調べ始め、ほぼ100年にわたってアルメニア人が次々と帰国しているという事実を知り始めました。特に第二次世界大戦直後のソ連時代、スターリンはすべてのアルメニア人に手を差し伸べ、「祖国に帰って、復興を手伝ってくれ」と訴えました。そして、嘘ばかりのプロパガンダを流布し、多くのアルメニア人が故郷を去りました。それは実に悲劇的な出来事でした。ソ連との関係だけでなく、ソ連化されソ連政権下で暮らしてきた東側のアルメニア人と、富裕層で方言や考え方の異なる西側のアルメニア人との間の相違点も、多くの問題を引き起こしました。そして、両者の間の衝突もまたひどいものでした。ですから、この二つのことを学ぶことから、私は脚本を練り始めました。私が最初に書いた脚本は、主にチャーリーの視点、つまりチャーリーの物語でした。故郷、自分たちの伝統、自分たちのルーツを切望し、故郷を探し求めるディアスポラ(離散民)の物語です。これはアルメニア人だけに限ったことではなく、あらゆる移民に当てはまることであり、ある意味では彼らの物語なのです。当初、脚本には入れていなかった、というか、映画に登場する衛兵ティグランの物語は、私がアルメニアで過ごす時間が長くなるにつれて、あるいは制作段階に入っていなかったため、物語は発展していきました。スカウトやプリプロダクションで、ソ連時代に育ったアルメニア人から学ぶ中で、物語はより深く掘り下げられていきました。彼らの物語を知れば知るほど、両方の側面を伝えることの重要性を痛感しました。故郷を恋しがる人の話だけでなく、アルメニア人の物語を伝えることの重要性を。ご存知の通り、私たちは多くの困難を経験してきましたが、文化には根源的な隔たりがあります。文字通り、二つの教会があり、二つの方言があり、東と西があるのです。 ジェノサイド後、世界に散らばったアルメニア人と、ソ連の一部としてアルメニアに残ったアルメニア人は、それぞれ異なる方向に発展しました。ディアスポラの一員として、私はその反対側についてほとんど何も知りませんでした。そして、そこに滞在するほど、それも物語の一部であるに違いないと気づきました。つまり、アルメニア人は自分たちの文化を持ち、祖国に住んでいたにもかかわらず、その文化が切り離されていたのです。「あなたはもうアルメニア人ではない、ソ連国民だ」と。名前を変えられたり、あらゆるものがロシア化されたりするのです。」(※9)と話す。アルメニアが歩んだ歴史、監督自身の祖父母達の家族史、そしてアルメニア人としての監督自身のアイデンティティの模索が映画を通して描かれる。アルメニアが辿った歩みと監督自身がアルメニア人として生きた人生が交差する時、今全世界で起きている戦争が、地球上から消えて無くなる時だろう。

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最後に、映画『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』は、ソ連統治下のアルメニアを舞台に、無実の罪で収監されたアメリカ人男性が、牢獄の小窓から見える部屋に暮らす夫婦を観察することに幸せを見いだしていく姿を描いたヒューマンドラマ。コメディタッチに描かれているが、これは今の世のネガティブな部分を皮肉っているユーモアに溢れた物語と言ってもいいだろう。幼少期にアルメニア人迫害事件に巻き込まれ、アメリカ移住を余儀なくされた男が、30年後に祖国アルメニアの地を踏めば、ソビエト連邦からのスパイだと疑われ、無実の罪で投獄されてしまう。不遇な人生の中で不遇な待遇を受けながらも、幽閉された鉄格子の向こう側から、この男は人への優しさや相手の幸せを願う感情は捨てなかった。この男の姿を通して、どんな状況下であっても、私達は人に対して優しさを持つ事。相手の幸せを願える人になる事を教えられている。昨今、アルメニア人虐殺事件のように戦争や暴力、暴動の絶えない世界ではあるが、少しでも、この男のような度量の広い寛容な心を持つ事が課題となっているだろう。人には、優しくあれ。

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映画『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』は現在、公開中。

(※1)煮親の虐待から生き延びた人たち――「人生を取り戻す」100人が寄せた手記https://news.yahoo.co.jp/feature/869/(2025年8月14日)

(※2)生まれないほうが幸せ「反出生主義」に反響 「同じ境遇…励まされた」「出産で価値観が変化」 識者はどう見る?https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/birth/74758/(2025年8月14日)

(※3)「これからの時代をどう生きると子どもは幸せになれるのか」を真剣に考えてみた。https://kids.athuman.com/cecoe/articles/000133/(2025年8月14日)

(※4)人間性とは?人生で成功する礎となる人間性を高める重要性 – 顧問のチカラ顧問のチカラhttps://kenjins.jp/magazine/president/49810/#:~:text=%E3%81%BE%E3%81%9A%E7%AC%AC%E4%B8%80%E3%81%AB%E3%80%81%E8%AA%A0%E5%AE%9F%E3%81%95%E3%81%8C%E6%8C%99%E3%81%92%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82%20%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%AB%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A1%E3%80%81%E5%98%98%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%9A%E3%80%81%E6%AD%A3%E7%9B%B4%E3%81%AB%E6%8E%A5%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%80%81%E4%BB%96%E8%80%85%E3%81%8B%E3%82%89%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82%20%E6%AC%A1%E3%81%AB%E3%80%81%E5%85%B1%E6%84%9F%E5%8A%9B%E3%81%8C%E9%AB%98%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%82%E9%87%8D%E8%A6%81%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82%20%E4%BB%96%E8%80%85%E3%81%AE%E6%B0%97%E6%8C%81%E3%81%A1%E3%82%84%E7%8A%B6%E6%B3%81%E3%82%92%E7%90%86%E8%A7%A3%E3%81%97%E3%80%81%E6%80%9D%E3%81%84%E3%82%84%E3%82%8A%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%8E%A5%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%80%81%E3%82%88%E3%82%8A%E8%89%AF%E3%81%84%E4%BA%BA%E9%96%93%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%82%92%E7%AF%89%E3%81%8F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82%20%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%80%81%E8%AC%99%E8%99%9A%E3%81%95%E3%82%82%E4%BA%BA%E9%96%93%E6%80%A7%E3%81%8C%E9%AB%98%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%BE%B4%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82(2025年8月14日)

(※5)Հայոց ցեղասպանությունը՝ մեկ հայացքովhttps://aurorahumanitarian.org/hy/armenian-genocide-glance(2025年8月14日)

(※6)Վերապրողների վկայություններ – Առանձին պատմություններ Հայոց ցեղասպանության ականատես վերապրող Վերոնիկա Բերբերյանի վկայությունըhttps://genocide-museum.am/arm/Veronika.php(2025年8月14日)

(※7)バイデン氏、アルメニア人の集団殺害は「ジェノサイド」 米大統領の表明初めてhttps://www.bbc.com/japanese/56876478(2025年8月14日)

(※8)第3章 アルメニア再独立期に見るアルメニア本国と在外社会との関係 ―ナゴルノ・カラバフ問題を手がかりに―https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Reports/InterimReport/pdf/2007_04_11_03.pdf#:~:text=%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E5%A4%A7%E6%88%A6%E5%BE%8C%E3%80%81%E3%82%BD%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%88%20(%20%E3%82%BD%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%88%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%20)%20%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%20(%20%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD,5%20%E5%B2%A1%E5%A5%88%E6%B4%A5%E5%AD%90%E7%B7%A8%E3%80%8E%E7%A7%BB%E4%BD%8F%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%B8%B0%E9%83%B7%E3%80%8D%E2%80%95%E9%9B%A2%E6%95%A3%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%A8%E6%95%85%E5%9C%B0%E3%80%8F%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%20%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E7%B5%8C%E6%B8%88%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%202008%20%E5%B9%B4%2049%20%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82(2025年8月15日)

(※9)INDIE SPOTLIGHT: Interview with ‘Amerikatsi’ Filmmaker Michael A. Goorjianhttps://scriptmag.com/interviews-features/indie-spotlight-interview-with-amerikatsi-filmmaker-michael-a-goorjian(2025年8月15日)